| おんじゅくまち 御宿町 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
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| 国 | |||||
| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 千葉県 | ||||
| 郡 | 夷隅郡 | ||||
| 市町村コード | 12443-5 | ||||
| 法人番号 | 5000020124435 | ||||
| 面積 | 24.85km2 (境界未定部分あり) | ||||
| 総人口 | 6,345人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 255人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | いすみ市、勝浦市 | ||||
| 町の木 | キョウチクトウ | ||||
| 御宿町役場 | |||||
| 町長 | 原宏 | ||||
| 所在地 | 〒299-5192 千葉県夷隅郡御宿町須賀1522 北緯35度11分29秒東経140度20分56秒 / 北緯35.1915度 東経140.34881度 /35.1915; 140.34881座標:北緯35度11分29秒東経140度20分56秒 / 北緯35.1915度 東経140.34881度 /35.1915; 140.34881 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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御宿町(おんじゅくまち)は、千葉県の南部に位置し、夷隅郡に属する町。
海岸部は南房総国定公園に指定されている。日本三大海女地帯の一つ[1]。童謡「月の沙漠」発祥の地としても知られる。

千葉県南東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約50キロメートルの距離である。東京都の都心から70 - 80キロメートル圏内である。なお、東京都(特に東京国際空港(羽田空港)や神奈川県からは東京湾アクアラインもしくは東京湾フェリーを利用した場合が移動距離の短縮となる[2]。通勤率は、いすみ市へ13.8%、勝浦市へ10.8%(いずれも平成22年国勢調査)。
太平洋(外房)に面している。海岸沿いにはリゾートマンションなどが建っており、レジャー施設などもある。今後発生が予測される南海トラフ巨大地震の際には、最大6mの津波が到達することが予想されている[3]。関東平野に含まれる。御宿駅より500mほど内陸に、南房総・御宿西武グリーンタウン(御宿台)という西武不動産によって作られたニュータウンがある。ニュータウン内には消防署があり、大通り沿いは商業用の土地があり今は二軒ほど建物が建っている。町役場が比較的近くにある。内陸部には房総丘陵の丘陵地や100メートルほどの山間部が広がる。房総半島中央部東端に位置する。
「御宿」という名称については、鎌倉時代に北条時頼が諸国行脚のおり当地を訪れ、風光明媚な景色を好み、須賀盛松に所在する最明寺に宿泊することになり、それにちなんで読んだ歌の「御宿」がそのまま地名になったと伝えられている[4][5]。
短歌の詳細については、以下を参照。
北条時頼より
- 御宿(みやど)せし そのときよりと人とはゞ 網代の海に夕影の松
- (短歌)
| 御宿町町域の変遷(年表) | ||
|---|---|---|
| 年 | 月日 | 現御宿町町域に関連する行政区域変遷 |
| 1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[6] |
| 1914年(大正3年) | 4月1日 | 御宿村が町制施行し御宿町となる。 |
| 1955年(昭和30年) | 3月31日 | 御宿町・布施村の大半(下布施と上布施の一部)・浪花村の一部(岩和田)が合併し、御宿町が発足。 |
| 御宿町町域の変遷表 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1868年 以前 | 明治22年 4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
| 須賀村 | 御宿村 | 大正3年4月1日 町制 | 昭和30年3月31日 御宿町 | 御宿町 | 御宿町 | ||
| 浜村 | |||||||
| 高山田村 | |||||||
| 久保村 | |||||||
| 上布施村の一部 | 布施村 の一部 | 布施村の一部 | |||||
| 下布施村の一部 | |||||||
| 岩和田村 | 浪花村 の一部 | 浪花村の一部 | |||||
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.47%減の7,315人であり、増減率は県下54市町村中37位、60行政区域中43位。
| 御宿町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 御宿町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 御宿町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
御宿町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1955年に新設合併して以降の歴代町長を記載[7]。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 町長職務(執行者) | 大地重直 | 1955年3月31日 | 1955年5月15日 |
| 1代 | 井上文吉 | 1955年5月16日 | 1967年5月14日 |
| 2代 | 岩井敏夫 | 1967年5月15日 | 1979年5月14日 |
| 3代 | 高梨秀治 | 1979年5月15日 | 1987年5月14日 |
| 4代 | 滝口栄蔵 | 1987年5月15日 | 1994年1月25日 |
| 5代 | 伊藤治昌 | 1994年3月13日 | 1998年3月12日 |
| 6代 | 加藤 長 | 1998年3月13日 | 2000年11月24日 |
| 7代 | 井上七郎 | 2000年12月24日 | 2008年12月23日 |
| 8代 | 石田義廣 | 2008年12月24日 | 現職[注釈 1] |
御宿町は、三重県の志摩地方、石川県舳倉島とならび日本の三大海女地帯のひとつとしてあげられている。御宿の海女たちは、その昔に遭難したスペイン人たちを助けた人情味あふれる心意気を忘れず今に伝えている。
日に焼けた顔、逞しく健康美にあふれた体に、紺がすり、磯パンツ、ウケ樽など七つ道具を身につけた海女たちは、5月中旬から9月中旬までの4か月間黒潮に潜り、アワビ、サザエ、ワカメなどを採る。一回の作業(2時間)は“いっぽん”といわれ、このいっぽんを繰り返すのが“ひとっぺり”で、平均で一日にみっぺり(約6時間)ほど働いている。

高等学校
中学校
小学校
(学区はいすみ市の一部にもまたがっている)
中心となる駅:御宿駅
中心となるバス停留所:御宿駅
博物館
温泉
| 番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 県指定 | 有形文化財(歴史資料) | 紙本著色大多喜藩陣列図 | 夷隅郡御宿町久保2200 | 御宿町 | 平成7年3月14日 | 1巻 |
| 2 | 記念物(史跡) | ドン・ロドリゴ上陸地 | 夷隅郡御宿町岩和田626 | 御宿町 | 昭和41年12月2日 |
※発表年順
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