座標:北緯39度18分54秒東経125度38分33秒 / 北緯39.3151358度 東経125.6425208度 /39.3151358; 125.6425208
 | その他の用法については「平原郡」をご覧ください。 |
平原郡(ピョンウォンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。
平安南道の西部に位置する。東西に長い郡であり、西は黄海(西朝鮮湾)に面する。朝鮮中央テレビで取り上げられた、「平原銀河布工場」があるのは、ここである。
1邑・2労働者区・29里を管轄する。
- 平原邑(ピョンウォヌプ)
- 漁波労働者区(オパロドンジャグ)
- 漢川労働者区(ハンチョンノドンジャグ)
- 南山里(ナムサンニ)
- 大巌里(テアムニ)
- 大井里(テジョンニ)
- 大豊里(テプンニ)
- 徳済里(トクチェリ)
- 徳浦里(トクポリ)
- 両橋里(リャンギョリ)
- 龍上里(リョンサンニ)
- 龍二里(リョンイリ)
- 梅田里(メジョンニ)
- 文興里(ムヌンニ)
- 三峯里(サンボンニ)
- 上松里(サンソンニ)
| - 石橋里(ソッキョリ)
- 石巌里(ソガムニ)
- 松林里(ソンニムニ)
- 松石里(ソンソンニ)
- 松花里(ソンファリ)
- 新成里(シンソンニ)
- 新松里(シンソンニ)
- 深源里(シムォンニ)
- 雲龍里(ウルリョンニ)
- 雲峯里(ウンボンニ)
- 院巌里(ウォナムニ)
- 元和里(ウォヌァリ)
- 月逸里(ウォリルリ)
- 青龍里(チョンニョンニ)
- 青宝里(チョンボリ)
- 和津里(ファジンニ)
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高麗時代には防禦使が設置され、1018年には西京に直属して永清県と呼ばれた。1256年には安仁鎮に属したが、高麗末期の1358年には再び永清県となった。
朝鮮王朝成立後の1396年には永寧県と改称され、1423年には永柔県と改称した。
1895年、平安道永柔県は平壌府所属の永柔郡となり(二十三府制)、1896年には平安南道所属となった。
1914年、永柔郡・粛川郡・順安郡、平壌府の一部(徳山面)、甑山郡の一部(漢川面)が統合され、平原郡が設置された。日本統治時代の平原郡は、平壌府(平壌市)の西北郊外一帯を占める広大な郡であった。
1945年8月時点で、平原郡は以下の1邑15面から構成されていた。
- 永柔邑 -영유읍【永柔邑】 (ヨンユ=ウプ)
- 公徳面 -공덕면【公德面】 (コンドク=ミョン)
- 東岩面 -동암면【東岩面】 (トンアム=ミョン)
- 順安面 -순안면【順安面】 (スナン=ミョン)
- 両花面 -양화면【兩花面】 (ヤンファ=ミョン)
- 徳山面 -덕산면【德山面】 (トクサン=ミョン)
- 検山面 -검산면【檢山面】 (コムサン=ミョン)
- 鷺池面 -노지면【鷺池面】 (ノジ=ミョン)
- 漢川面 -한천면【漢川面】 (ハンチョン=ミョン)
- 東松面 -동송면【東松面】 (トンソン=ミョン)
- 西海面 -서해면【西海面】 (ソヘ=ミョン)
- 粛川面 -숙천면【肅川面】 (スクチョン=ミョン)
- 龍湖面 -용호면【龍湖面】 (ヨンホ=ミョン)
- 朝雲面 -조운면【朝雲面】 (チョウン=ミョン)
- 青山面 -청산면【靑山面】 (チョンサン=ミョン)
- 海蘇面 -해소면【海蘇面】 (ヘソ=ミョン)
1947年、順安面・両花面・東岩面を大同郡に移管した。
1952年12月、北部を粛川郡として分離し、鷺池面・平原面(永柔邑)・青山面・公徳面・漢川面の全域および龍湖面・徳山面の各一部からなる平原郡を再構成した(1邑25里)。
1972年4月には順安郡の4里を編入した。
2003年の時点で、1邑2労働者区(漁波・漢川)29里から構成される。
この節の出典[1]
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安南道永柔郡・順安郡・粛川郡および甑山郡の一部(草谷面・津坊面)、平壌府の一部(徳山面)が合併し、平原郡が発足。平原郡に以下の面が成立。(18面)
- 永柔面・鷺池面・青山面・龍湖面・海蘇面・順安面・両花面・龍興面・東頭面・公平面・自徳面・粛川面・東松面・検山面・朝雲面・西海面・漢川面・徳山面
- 1914年10月 - 龍興面が石岩面に改称。(18面)
- 1929年4月1日 (16面)
- 東頭面・石岩面が合併し、東岩面が発足。
- 公平面・自徳面が合併し、公徳面が発足。
- 永柔面が平原面に改称。
- 1947年 - 順安面・両花面・東岩面が大同郡に編入。(13面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道平原郡鷺池面・平原面・青山面・公徳面・漢川面および龍湖面・徳山面の各一部地域をもって、平原郡を設置。平原郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
- 平原邑・長興里・龍上里・新成里・両橋里・院巌里・松林里・月逸里・松石里・三峯里・大巌里・大井里・文興里・徳済里・徳浦里・雲峯里・石橋里・梅田里・青龍里・雲龍里・和津里・新松里・南山里・青宝里・深源里・松花里
- 1954年 - 月逸里の一部が平原邑に編入。(1邑25里)
- 1967年 (1邑1労働者区24里)
- 松石里の一部が三峯里に編入。
- 長興里が漁波労働者区に昇格。
- 1972年4月 -順安郡山陰里・石巌里・龍二里・上松里を編入。(1邑1労働者区28里)
- 1990年 - 雲龍里・梅田里・新松里の各一部(新しく開墾された干拓地)が合併し、大豊里が発足。(1邑1労働者区29里)
- 1992年 - 和津里・新松里の各一部が合併し、漢川労働者区が発足。(1邑2労働者区29里)
- 1997年5月 - 院巌里の一部が龍二里に編入。(1邑2労働者区29里)
- 金容淳 - 北朝鮮の政治家、1934年平原郡生まれ。