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常盤松御用邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常盤松御用邸
常陸宮邸
常盤松御用邸の位置(渋谷区内)
常盤松御用邸
渋谷区の地図を表示
常盤松御用邸の位置(東京23区内)
常盤松御用邸
東京23区の地図を表示
分類常陸宮家の邸宅
所在地
座標北緯35度39分27秒東経139度42分45秒 / 北緯35.6575度 東経139.7125度 /35.6575; 139.7125座標:北緯35度39分27秒東経139度42分45秒 / 北緯35.6575度 東経139.7125度 /35.6575; 139.7125
前身宮内省主馬寮御料乳牛場
東伏見宮
東宮仮御所
公式サイト常陸宮邸(宮内庁)
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常陸宮邸
情報
旧名称常盤松御殿
用途常陸宮家住居
構造設計者宮内庁管理部
延床面積1,180 m²
階数地上2階地下1階
竣工1986年(昭和61年)10月
改築1976年(昭和51年)12月
所在地150-0011
東京都渋谷区4丁目3−5
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常盤松御用邸(ときわまつごようてい)は、東京都渋谷区に所在する皇室財産

歴史

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当地および隣接地はもと大和柳本藩越後村上藩下屋敷で、1855年嘉永7年)から1万8000坪の薩摩藩下屋敷となった。島津斉彬養女・篤姫1856年安政3年)11月、第13代将軍・徳川家定正室となるため当地から江戸城大奥に入る。明治維新後は黒田清隆が所有。

1882年(明治15年)、宮内省が黒田家から買い上げ、主馬寮の「御料乳牛場」として使用し、乳牛を放牧する。御料乳牛場はのちに「渋谷第三御料地」となり、1924年(大正13年)、うち4000坪を東伏見宮家が拝借して、1925年(大正14年)10月、高橋貞太郎の設計による鉄筋コンクリート2階建の洋館が建設され、東伏見宮妃周子の邸となった。

渋谷第三御料地には東伏見宮邸の西側隣接地に、久邇宮妃俔子の住まいである久邇宮別邸、朝鮮王公族李鍵公邸、李鍝公邸、北白川宮能久親王第4王子の小松輝久侯爵邸、同第6王子の上野正雄伯爵邸も設けられた。

大正14年竣工の東伏見宮邸正面図および側面図(宮内庁管理部蔵)

戦災に焼け残った東伏見宮邸は1946年(昭和21年)、同宮家より宮内省へ返還され、皇族の共用殿邸「常盤松御用邸(常盤松御殿)」となった。秩父宮妃勢津子は住まいとしていた静岡県御殿場別邸から、儀式や公務で上京すると当邸を宿舎とした。

1950年(昭和25年)2月、都下小金井の東宮仮御所が前年焼損したことから、皇太子明仁親王の東宮仮御所となる。明仁親王は1959年(昭和34年)4月に結婚した美智子妃と、翌1960年(昭和35年)6月まで当邸で新婚生活を送った。皇太子同妃は1960年2月、第一男子の浩宮徳仁親王を儲ける。

1963年(昭和38年)9月からは昭和天皇第二皇子・義宮正仁親王の邸となり、翌1964年(昭和39年)9月、結婚により常陸宮家を創設した正仁親王と華子妃は現在まで、当邸を住まいとしている。

1975年(昭和50年)4月、東伏見宮邸、東宮仮御所として使用された高橋貞太郎設計の洋館が解体され、跡地に1976年(昭和51年)11月、村野藤吾の設計による現在の宮邸が竣工した。その際、大正以来の正門を敷地北面から南面の駒沢通り沿いに移している。敷地北面には1925年当時のスクラッチタイル貼りの塀が残る。名称は旧常磐松町による。

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