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市村緑郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。2023年12月

市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 -2014年4月27日)は、茨城県下妻市出身の彫刻家日本芸術院会員。

人物・来歴

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茨城県立下妻第一高等学校卒業。1961年日展初入選。1962年東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻卒業、同大学院に進むが6月に中退。

1977年文部省在外研究員として渡欧。1983年埼玉大学教授。1986年白日会会務委員、1987-1992年・彫刻部事務局長。1987年、日展審査員。2001年、日展評議員。2002年、埼玉大学定年退官、名誉教授。崇城大学美術学科教授。

2005年さいたま市文化賞。2006年、日展理事。日本芸術院賞受賞。2008年、日本芸術院会員。2009年、下妻市市民栄誉賞。2014年4月27日間質性肺炎のため死去[1][2]。78歳没。没日付で叙正四位旭日中綬章追贈。

埼玉大学内には、2000年に開学50周年を記念し市村がデザインした記念像が図書館前にある[3]

代表作

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脚注

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  1. ^“市村緑郎氏が死去 彫刻家”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2014年4月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG29002_Z20C14A4CC1000/ 2015年11月24日閲覧。 
  2. ^彫刻家の市村緑郎さんが死去 MSN産経ニュース 2014年4月28日Archived 2014年4月28日, at theWayback Machine.
  3. ^第Ⅱ部組織史編129ページ「7.図書館の取組み(1999(平成11)年以降)」 - 埼玉大学。2022年4月8日閲覧。
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日本芸術院賞および恩賜賞受賞者
 
恩賜賞
1950年から1977年
 
第一部(美術)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
 
第二部(文芸)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
 
第三部(音楽・演劇・舞踊)
1942年から1975年
1976年から2000年
2001年から2025年
太字恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。
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