| にだいめ いちかわ せいこ 二代目 市川 青虎 | |
| 屋号 | 澤瀉屋 |
|---|---|
| 定紋 | 四方澤瀉 |
| 生年月日 | (1983-06-29)1983年6月29日(42歳) |
| 本名 | |
| 襲名歴 | 1. 市川 2.二代目市川青虎 |
| 別名 | 藤間 弘大(紫派藤間流) |
| 出身地 | |
| 公式サイト | 市川青虎後援会ホームページ |
| 当たり役 | |
| ヘタルベ | |
二代目市川 青虎(いちかわ せいこ、1983年(昭和58年)6月29日 - )は、東京都豊島区出身の俳優、歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は四方澤瀉[2](弘太郎時代の定紋は雪輪に立澤瀉)。
本名は三浦 弘太郎(みうら こうたろう)。落語家の錦笑亭満堂、NHKアナウンサーの渡邊佐和子、宝塚雪組の千風カレンは幼稚園の同窓である[3]。
2歳の時、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演を見て初代市川右近に憧れ、歌舞伎役者になる事を決意(本人談)。3歳の頃より基礎を身に付けるために、日本舞踊家で林流千永派家元である伯母の林千永に日本舞踊を習い始める。
11歳の時のスーパー歌舞伎へ出演。週一回『ヤマトタケル』の初代市川右近のタケルでヘタルベをつとめる。平成7年「市川猿之助七月大歌舞伎」『網模様燈篭菊桐』(小猿七之助)の日吉丸で市川弘太郎を名乗り三代目市川猿之助の部屋子となる。
猿之助の門下で日本舞踊紫派藤間流を修練。同派での名取名は「藤間弘大[4]」。
2022年に二代目市川青虎を襲名し幹部昇進。襲名に際しては初代青虎の墓前に報告し、家族から初代所有の浴衣や薬味箱、落款等を譲り受けた[1]。暴れん坊将軍などに、出演
母方の曾祖父は昭和初期の山窩小説家・三角寛、その娘婿である祖父は名画座池袋文芸坐の前経営者・三浦大四郎。その娘夫婦である両親は、雑司ヶ谷の曽祖父三角寛の旧邸を使って料亭「雑司が谷 寛」を経営(2019年12月26日閉店)。ラスベガス、ロサンゼルスで旅行業、飲食店を営む兄弟がいる。伯母は日本舞踊家で林流千永派家元である林千永。