四代目市川 左團次(いちかわ さだんじ、1940年〈昭和15年〉11月12日[1] -2023年〈令和5年〉4月15日[4][5])は、歌舞伎役者、日本の俳優。本名は荒川 欣也(あらかわ きんや)[1]。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)だが、通常は替紋の松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)を使用。最終学歴:暁星高等学校[1]。公称身長177cm・体重75kg・血液型A型[6]。
三代目市川左團次の長男として東京都に生まれる。ただし自著『俺が噂の左團次だ』では母が祇園の芸妓で、自身は三代目の贔屓筋が実父と述べている。
線の太いおおらかな芸風で、立役、敵役、道化役などをこなす。『御所五郎蔵』の土右衛門や『壇浦兜軍記・阿古屋琴責』の岩永、『天下茶屋』の東間、『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休、『暫』の武衡などが主な当り役である。新作歌舞伎でも『NINAGAWA十二夜』の鐘道で好演した。
テレビ時代劇でも多く出演し、NHK大河ドラマ『義経』で金売り吉次、『風林火山』で上杉憲政を演じる他、『鬼平犯科帳』などに出演、テレビドラマでは2006年の『ウォーカーズ〜迷子の大人たち』では余命少ない、住職を務める父親を演じた。
長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。
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- 歌舞伎俳優の中で逸話が多い人物としても知られ、紳士録のアンケートに冗談半分で趣味は「覗き」と書いたらそのまま載せられたことがある。たとえば実際に南座の顔見世出演中は楽屋の窓からアベックのラブシーンを覗いてしまったことがあり、後にトークショーなどでこの一件を巧みな話術で披露している。2011年9月9日の関西テレビ『快傑えみちゃんねる』では「SM」も趣味で、再婚(2006年)の寸前にその道具を捨てたと語っている。
- 身長が180cmあり、歌舞伎役者の中では坂東彌十郎と並んで長躯の人物として知られている。この高い身長から、少年時代はプロ野球選手を志していたが、父・三代目左團次と親交があった小西得郎から『君には無理だ』と諭されたことがある。後に、実際には三代目左團次が小西に説得を頼んでいたと知らされている。
- 学生時代は典型的な不良だったと自著で記しており、五代目男寅時代には十七代目中村勘三郎に恐れられたこともある。
- 歌舞伎で演じる役は敵役、老役を主にするが、トークにおいてもいやらしく聞こえないのは自身の人柄によることも大きく、歌舞伎役者の襲名披露などの口上に登場する時も、必ず笑いを取る口上を述べていたため、これを楽しみにしていたファンも多かった。加えて、隔年開催される俳優祭という歌舞伎役者のイベントでは、必ずと言っていいほど「とんでもないこと」をやっていたことから、これを目当てで来る人も多かったという。
- 5代目中村勘九郎が十八代目中村勘三郎を襲名した際の襲名披露公演での口上では、『昔、端役だった頃に勘三郎(勘九郎)の前にいた自分がオナラをしてしまった』という話で場内が爆笑となっていたが、その刹那真顔に戻り「まずは、お祝い申し上げまする次第にござりまする」とガラリと変わるのがまた面白く、場内には割れんばかりの拍手が巻き起こった。
- また、2018年1月の高麗屋三代襲名披露興行の口上では、暁星学園の後輩である新・白鸚(九代目松本幸四郎)が在学時代、勉学に励み級長や副級長等を勤めながら舞踊・長唄の稽古に励んでいた、という逸話を披露した後、『彼の勤勉さには、わたくしはとても及びませぬ。わたくしは、高校生になりますと、踊りや長唄の稽古は脇に置きましてキャバレー・クラブに通うお稽古に専念しておりました次第でござりまする』と述べ、会場の大笑いを誘った。
- 2014年2月21日のテレビ東京『たけしのニッポンのミカタ!』に出演した時には「食事と買物には並んだことがない」が、パチンコ屋の開店の9時半に並ぶ」と語っている。
- ^1997年6月8日開催・舞踊講習会の『演劇界』掲載広告[2]および『萩井流』公式より[3]。
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第一部(美術) |
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| 1942年から1975年 | |
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第二部(文芸) |
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第三部(音楽・演劇・舞踊) |
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 |