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岩野橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩野橋
地図
基本情報
日本の旗日本
所在地長野県長野市松代町岩野 - 篠ノ井横田
交差物件千曲川
用途道路橋
路線名長野県道387号清野篠ノ井停車場線
管理者長野県北信建設事務所
着工1966年昭和41年)
竣工1971年(昭和46年)
開通1972年(昭和47年)1月27日
座標北緯36度33分43.8秒東経138度9分26.6秒 / 北緯36.562167度 東経138.157389度 /36.562167; 138.157389 (岩野橋)
構造諸元
形式ラーメン橋
材料プレストレスト・コンクリート
全長497.000 m
8.200 m
最大支間長67.000 m
関連項目
橋の一覧 -各国の橋 -橋の形式
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長野県道387号標識

岩野橋(いわのばし)は、長野県長野市松代町岩野 - 篠ノ井横田の千曲川に架かる長野県道387号清野篠ノ井停車場線の橋長497 m(メートル)のラーメン橋

概要

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現橋は長野県で初めてディビダーク式有ヒンジラーメン箱桁橋として施工され、設計に際して本形式で問題となる支間中央部に沈下に対して検討している。

  • 形式 -PC有ヒンジラーメン箱桁橋
  • 橋格 - 2等橋
  • 橋長 - 497.000 m
    • 支間割 - (47.000 m + 33.500 m) + 5×(2×33.500 m) + (33.500 m + 47.000 m)[注釈 1]
  • 幅員
    • 総幅員 - 8.200 m
    • 有効幅員 - 7.5000 m
    • 車道 - 6.000 m
    • 歩道 - 両側0.750 m
  • 架設工法 -ディビダーク工法(張出し架設工法)

[1][2]

歴史

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かつて当地付近には千曲川を渡る雨宮の渡しがあった。これは第四次川中島の戦いで上杉軍が妻女山を下り、霧中に千曲川を渡り武田川を奇襲したこと[注釈 2]でことで知られる[1][2]

1906年明治39年)10月に橋長145 m、幅員2.4 mの板橋となり[3]1910年(明治43年)10月に橋長145 m、幅員2.7 mの木造方杖橋となった[4]。その後、1936年昭和11年)10月11日に橋長927 m、幅員4.5 mの木橋に架け替えられた[5]

後に、千曲川低水敷にのみ架かる橋長140 m、幅員3.2 mの木橋となり、これは潜水橋で主桁が鉄線で連絡されて洪水時には橋梁が中央で別れて両岸で係留されるようになっていた。木床版は洪水前に水防台により撤去されていたが、極めて危険な作業であり1965年(昭和40年)頃から実施されなくなった[1]

そのような背景の中、永久橋への架替運動が盛んになり1966年(昭和41年)に着手、1971年(昭和46年)に竣工、1972年(昭和47年)1月27日に開通した[1][2][6]

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^橋脚間の距離はA1 - P1・P7 - A2が47.000 m、P1 - P7が67.000 m
  2. ^頼山陽の漢詩、『題不識庵撃機山図』の鞭声粛々夜河を過るの一節で知られる

出典

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  1. ^abcd宮尾房雄 1985, p. 46.
  2. ^abc青木潤 1999, p. 117.
  3. ^岩野橋1906-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月1日閲覧。
  4. ^岩野橋1910-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月1日閲覧。
  5. ^岩野橋1936-10-11”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月1日閲覧。
  6. ^付表”. 令和2年版長野市統計書. 長野市 (2021年4月1日). 2021年9月1日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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千曲川の横断交通施設
上流側
篠ノ井橋
国道18号
岩野橋
下流側
赤坂橋
信濃川の橋
千曲川
信濃川
中ノ口川
大河津分水路
関屋分水路
コモンズコモンズカテゴリCategory:信濃川の橋Category:中ノ口川の橋Category:関屋分水路の橋Category:大河津分水路の橋
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