| おかもと のぶと 岡本 信人 | |
|---|---|
| 本名 | 岡本 信人(同じ) |
| 生年月日 | (1948-01-02)1948年1月2日(77歳) |
| 出生地 | |
| 身長 | 163cm |
| 血液型 | B型 |
| 職業 | 俳優、エッセイスト |
| ジャンル | テレビドラマ、舞台、映画 |
| 活動期間 | 1960年代 - |
| 活動内容 | 1961年:劇団ひまわり入団 1962年:NHKドラマでデビュー 1966年:ひまわり退団 1970年:『ありがとう』 1971年:『肝っ玉かあさん』 1977年:『新五捕物帳』 1987年:『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』 |
| 配偶者 | 既婚(1977年 - ) |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『渡る世間は鬼ばかり』 『肝っ玉かあさん』 『ありがとう』シリーズ 『新五捕物帳』 『沿線地図』 『ふぞろいの林檎たちII』 『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』 | |
| テンプレートを表示 | |
岡本 信人(おかもと のぶと、1948年〈昭和23年〉1月2日[1] - )は、日本の俳優。身長163cm、体重64kg。血液型はB型。山口県岩国市出身。駒場学園高等学校(1966年)、東海大学第二工学部建築学科卒業[1](1970年)。
建築業をしていた父のもとに誕生(二男二女の二男)。山口県岩国市で生まれ、小学校時代を萩市で過ごす[1]。小6の3学期に神奈川県横浜市へ移り、中2の時に東京都世田谷区に引っ越す[2]。
引っ越しを重ねる内に性格が大人しくなり、心配した父の勧めで[3]中学2年生の時に劇団ひまわりへ入団[1]。1962年、子供向け連続ドラマ『あすをつげる鐘 少年福澤諭吉』(NHK)で子役デビュー[1]。しかし中学3年生の頃に成績が下がったため、建築業をする父から「劇団を辞めて建築の勉強をしなさい」と言われて理系の進路に進むことにし[3]、高校卒業と同時に劇団を退団。
大学進学後、所属事務所(当時)から「TBSのプロデューサー(石井ふく子)に会ってきて」と言われた[3]。初対面した石井から「イヤフォンを付けてトランジスタラジオ聞こうか」と言われ、特に何も考えずに聞いてみるとそれは実はオーディションで、ドラマ『肝っ玉かあさん』に“出前持ちの健ちゃん”役で出演することが決まった[3]。
『肝っ玉かあさん』出演を機に、TBSホームドラマの名脇役として石井ふく子プロデュース作品の常連となる[1][注釈 1]。石井とコンビを組むことが多い橋田壽賀子脚本作品(『渡る世間は鬼ばかり』シリーズのレギュラー等)にも多数出演[1]。
また、役者の活動以外には「野草を調理して食べる」という一風変わった趣味が、みうらじゅんによって『ザ・会議室』で取り上げられ、その後10年ほど遅れて『ナニコレ珍百景』や『熱中時間』、「Begin Japanology」などにも取り上げられ、一躍有名になった。
2021年、日本テレビ系列のバラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のソフトボールの企画に出演。出演時には73歳ではあったものの[4]、溌溂とした動きを見せたことが脚本家の三谷幸喜の目にとまり、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の出演に結びついたエピソードがある[5]。
1977年(29歳)で結婚し、娘と息子をもうけた。その後は毎年年2回の家族旅行をしている(コロナ禍になってからは一時的に中止している)[1]。
先述の通り趣味は野草を食べることで、コロナ禍になってからは近所を散歩がてら、野草観察や自宅に野草を持ち帰って調理して食べることを楽しんでいる[1]。