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山田雅人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、お笑い芸人について記述しています。ドラマーの同名の人物については「山田雅人 (ドラマー)」をご覧ください。
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(2011年12月)
山田 雅人
本名山田 雅人
生年月日 (1961-01-22)1961年1月22日(65歳)
出身地日本の旗日本大阪府大阪市大正区
血液型O型
身長174cm
言語日本語
方言大阪弁
最終学歴大阪学院大学商学部
師匠若井はやと
芸風漫談、「かたり」
事務所松竹芸能
山田企画(個人事務所)
活動時期1983年 -
現在の代表番組ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です
過去の代表番組
他の活動テレビドラマバラエティスポーツ競馬中継
配偶者あり
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山田 雅人(やまだ まさと、1961年1月22日[1][2][3] - )は、日本お笑い芸人俳優大阪府大阪市大正区出身[2][4]。既婚。スポーツ選手などの伝記を、徹底した取材と独特の語り口で組み立てる「かたり」という独自の芸をライフワークとしている[5][6]

経歴

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生家は、山田の出生時には溶接工場[7]を、のちにアパートを経営。山田は次男。大阪学院大学高等学校を経て大阪学院大学商学部卒業。

父に競馬場に連れられるうちに競馬騎手を目指すようになるが、身長が伸びすぎたため断念し、南こうせつに憧れて16歳で歌と作曲(フォークソング)を始め、シンガーソングライターとしてライブ活動を開始した。若手ミュージシャンが曜日替わりでレギュラーライブを行っていた大阪・桃谷のライブハウス「BEE HOUSE」[4]で、山田は木曜のプログラムを担当し、火曜担当の河島英五や水曜担当の木村充揮としのぎを削った。この頃は梅田の「青い鳥」や堂山町の「あうん」でも舞台に上がり、ライブだけで食べていたという。「無名の僕なんかは、笑かさないと歌を聞いてくれなかった[4]」ため、山田は曲間のMCの話芸を磨き、架空の競馬実況などの芸を完成させた。「本気でプロを目指していて、東京に行って音楽で成功しようと決めていた[8]」ため、家業を継がず、19歳で家を出る。

会社[1]に勤めながら音楽活動をしていた1983年[2]、ライブハウスで山田のMCを聞いた松竹芸能の社員にタレントとしてスカウトされ[8]、「10年経って有名になったら歌を出させてあげる[4]」という条件を飲み(のちに日本クラウンからアルバム1枚・シングル3枚を出す。後述)、「第1回松竹芸能タレントオーディション[1]」合格者として同社と契約し、若井はやとに弟子入り(森脇健児は同門)。翌年、『あどりぶランド』(MBSテレビ)でテレビデビュー[1]したほか、入所3か月で『鶴瓶と花の女子大生』(関西テレビ)のリポーターに起用される[8](自身初のレギュラー番組[9])。翌年、福井放送のラジオ番組[どれ?]を担当[10]

1986年、漫談家としてNHK新人演芸コンクールに出場(本選は1987年)[2]。同年、『おはよう朝日です』(朝日放送テレビ)の街頭ロケコーナー「オーイ! 山田くん」への出演でタレントとして知名度が向上する。1988年、夕方の若者向けバラエティ番組『ざまぁKANKAN!』(よみうりテレビ)の司会に、森脇健児とともに抜擢される。この番組の成功に加え、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)のサブ司会に抜擢されたのを機に全国区に進出する足がかりを掴んだ[9]。以後1990年頃からは、平日は主に関西、週末は東京という生活を始めた[9]

俳優に転向するため、34歳のとき(1994年頃)に当時の松竹芸能社長から「芸人だけでなく俳優業もやるといい」と本格的な東京進出を後押しされた[9]。松竹から役者業の担当マネジャーを付けてもらった上で円満退社し、妻と当時幼かった娘と共に上京[8][9]。その後はテレビドラマ『ぽっかぽか』『渡る世間は鬼ばかり』(いずれもTBS系列)などに出演した。

前述の競馬をはじめとするスポーツに関する雑学が豊富で、それらを物語調に語る芸を楽屋話として行っていた。しかし、高田文夫の助言を受け、一人語りの舞台芸「かたり」として昇華し、そのデビュー作『稲尾和久物語』の脚本を制作を開始[9]。2009年からライフワークとして[9]「かたりの世界」と題する舞台公演を定期的に行っている[11][5]。これまでに作った「かたり」のネタ数は、127本(2024年2月時点)[9]

人物

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この節に雑多な内容が羅列されています 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります2021年1月
  • 既婚、1女あり。娘の名前、桃江は桜花賞からつけた[12]
  • 母親は伊方町出身。2023年12月10日に同町で開催された「人権フェスタ2023いかた」での講演内にて、そのことに触れた。
  • ミュージシャン時代に多くのオーディションを受け、落選した。
  • 2006年春、TBSの『オールスター感謝祭』に出場。地道に得点を重ね総合優勝を果たした。
  • 2006年3月27日放送『関口宏の東京フレンドパークII』のスペシャル版では、『渡る世間は鬼ばかり』チームのメンバーとして出演し、「ビッグチャレンジ」でダーツをスペシャル特別商品「満漢全席」の箇所に命中させた。
  • 2006年4月からテレビ東京ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」の、タレントが東京大学合格を目指して受験勉強に励むコーナー「芸能人こそ東大へ行け!プロジェクト」に出演したことを機に、その後毎年東京大学に出願している[13][14]。2013年7月9日放送の『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)では、収入が売れている頃の10分の1の中、参考書代に月7000円、家庭教師代に月12万円、模試(5回)2万5千円を費やしながら7浪中であることや、仕事を理由にセンター試験を一部科目しか受験しない年もあった(当然失格となる)ことが明らかにされた。やがて南こうせつに諭され、受験を断念する。
  • 芸能生活40周年を迎えた後(2024年)、「なんの実力もない男が芸能界で40年も生きてこられたのは、運と縁のおかげ」と自己評価している[注 1]
競馬
  • 競走馬ではテンポイントの大ファンであった。
  • 競馬の架空実況を若い頃からの持ちネタとしている。
  • 競馬漫画『みどりのマキバオー』のファンで、アニメ化決定の際、「観客役でもいいから出たい」と出演を志願し、競走馬役を射止めた。
  • 馬好きと「かたり」の追求が高じ、「馬の気持ちを理解したくて」自宅にボニーを飼っていたことがある[11]
野球
  • 中学生の頃まで野球部に所属していた[9]
  • 大の阪神タイガースファンで、特に掛布雅之を崇拝し、掛布の新聞記事を集めたスクラップ帳を作成(タイトルは「ヒーローは君だ」)。掛布引退後にそのスクラップ帳を本人に見せたところ、後日掛布から、現役時代の泥がついたままのユニフォームを贈られた[11]
  • 1991年3月28日に、オープン戦近鉄バファローズ対阪神(藤井寺球場)で始球式を務めたが、打席に立っていた阪神の1番打者・高橋慶彦死球を与えてしまった。翌年限りで高橋が引退したため、彼の古巣・広島東洋カープのファンから「引退に追い込んだのは山田雅人」と恨まれた。高橋本人は笑って許している。
交友
  • 上岡龍太郎は山田について、「あんなあ、ほなやつ、はおらん」と芸人として絶賛していた。
  • 朝日放送テレビの元アナウンサーでフリーアナウンサーの三代澤康司とは同学年かつ、番組で共演するほか、プライベートでも大の親友同士であり、ラジオ番組『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』で三代澤とともに「こうせつ市場」という漫才コンビを結成。2019年7月から定期的に有料のライブイベント「三代澤・山田の排水の陣 〜タイタンへの道〜」を開催し、漫才を披露している。2019年11月には楽曲「青春が止まらない」を制作、山田は作曲を担当[注 2][16]し、のちに開催された番組イベントで披露された。番組上では2019年11月19日の放送で初披露となった(ソフトとしては未発売)。

エピソード

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恩人・高田文夫

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27歳で大阪のとあるトークショーに出演すると、共演した高田文夫から「おまえ面白いじゃねえか、東京に来たら遊びに来いよ」と言われ、以降目をかけてもらうようになった[注 3]。1994年に松竹芸能から東京進出を進められた際、大阪で居住しながら東京で仕事がある時だけ上京するつもりだった[9]。この話を高田にしたところ「東京に住め、飯が食えなかったら食わしてやる」と背中を押され、家族と共に東京に引っ越すことを決めた[9]

上京後、高田は東京の芸能界での身元引受人のような存在となり、「江戸の笑いは上方の笑いとは違うから。俺が教えてやる」と江戸前の芸を叩き込んでくれた[9]。また、高田が立川談志[注 4]ビートたけしにも引き合わせてくれるなど色々と世話をしてくれたため、山田は「高田先生は芸能界での恩人。先生には一生頭が上がらない」と感謝の言葉を述べている[9]

俳優業

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俳優業をやり始めてまだ間もない30代前半の頃、松竹株式会社のプロデューサーからの電話で、「神楽坂の旅館に宿泊中の山田洋次監督が来てほしいとおっしゃっている」と連絡を受けた[9]。「名監督が僕に何の用だろう?」[注 5]と会いに行くと、山田監督は脚本を執筆中で『男はつらいよ』シリーズの新作(1994年当時)『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』への出演依頼だった[9]吉岡秀隆演じる諏訪満男の大学の先輩役で撮影に臨むと、山田監督の演技指導でダメ出しされすぎて悩んだ[9]。しかし主役の渥美清から、「演技に悩むあんちゃん(山田)の芝居は、必ずスクリーンで光るよ」との一言で気分が晴れて撮影を乗り越えることができた[9]

1997年頃、TBSの名プロデューサーの石井ふく子から声をかけられ、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(第4-第8シリーズ)に「おかくら」の2代目板前役に抜擢され、以後2007年まで出演した。また「橋田壽賀子は生前、山田の『かたり』のファンでもあった[注 6]

話芸の「かたり」

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俳優業の合間に、芸人として高座では15分ほどの持ち時間を使って漫談や架空競馬実況中継ネタを披露しており、他の芸を模索しながらも15分以上の長いネタをやることに恐れを感じて躊躇していた[9]。ある日高田文夫プロデュースの寄席で漫談を披露した後、出演者だった立川志の輔が新作落語「親の顔」(本編前に話す“まくら”を含めた1時間ほどの長いネタ)を見て大きな刺激を受けた[9]。その日の帰り際、高田から「俺は競馬が分からないから、野球とかでネタを作ってみたら?」と宿題を出された。山田が野球好きなことと、高田が西鉄ライオンズの人気投手・稲尾和久が好きだったため、ネタの題材に西鉄が過去に3連敗の後に4連勝して日本一になった話を選んだ。

2008年の秋2~3か月費して、「かたり」デビュー作『稲尾和久物語』の脚本を作った[注 7]。2009年3月、下北沢の劇場で「かたり」の独演会を披露すると大ウケし、高田から「お前はこの芸で食っていける。俺が太鼓判を押す!」と激励された[9]。以後、様々な芸能人・スポーツ選手・経済人などにまつわる話を、約1時間の持ち時間を使って舞台などで披露している[9]

「かたり」のネタ作りは、過去に交流のあった人の場合は直接見聞きした記憶を頼りに制作している。それ以外の人物は、存命者なら本人、物故者なら身近な人に合うなどして話を聞いてメモし、上演の許可をもらった上で制作に取り掛かる[9]。原稿執筆では、1席あたり400字詰め原稿用紙で30~40枚の分量を書き、喋りたい内容を箇条書きにしてからそこに肉付けしていき、これらの創作作業に数か月を要するという[9]。また、「かたり」の話し方では、過去に山田洋次監督から教わった芝居の間やドラマで共演した藤岡琢也の喋りの間などを参考にしている[9]

笑点』には2024年6月2日の演芸コーナーに「長嶋茂雄物語」で出演。その1年後の2025年6月3日に長嶋が死去、直後の2025年6月8日の放送で追悼として再編集版が放送された[17]

現在の出演

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ラジオ

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過去の出演

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テレビバラエティ

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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テレビCM

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ラジオ

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映画

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インターネットテレビ

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  • 山田雅人のひかりバラエティ(casTY

著書

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  • 山田雅人の名馬・名勝負物語(光栄 1996年)
  • 我が流星の貴公子テンポイント(ゼスト 1997年)
  • セオリー(アスペクト 1997)
  • 証言集 テンポイントの思い出(アスペクト 1998年)
  • 長嶋茂雄物語 かたり取材記 ミスタージャイアンツを訪ねて(晋遊舎 2015年)

楽曲

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[19]

シングル
  • 泣いてもええねん(日本クラウン CRDP-20 1991年9月6日)
  • 君との交差点(日本クラウン CRDP-33 1992年4月23日)
  • 淋しがりや(日本クラウン CRDP-73 1993年7月21日)
アルバム
  • あかん時ほど…(日本クラウン CRCP-20024 1991年9月6日) -伊勢正三プロデュース

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^山田によると、「山田洋次監督が映画『男はつらいよ』に僕を起用して下さり、ダメ出しして演技を絞ってくれた。役者としてド素人だった僕をプロの役者にしてくれたのは山田監督です。その後TBSのプロデューサー・石井ふく子さんが、人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』のレギュラーに声をかけて下さって全国に顔を売ってくれた。さらに永六輔さんが僕と二人会をやって下さって、僕の芸人としての幅を広げてくれた。恐ろしいくらいの運と縁でしょう?」と答えている[9]
  2. ^三代澤は作詞を担当。
  3. ^高田は後年、山田を気に入った理由について「話しっぷりも勢いがあって面白かったけど、何よりも“ヨゴレ(芸人)”じゃないところが良かった。芸人にはそれが大事だから」と回想している[9]
  4. ^高田に談志の還暦祝いのパーティーに連れて行かれ、その席で持ちネタの『架空競馬実況中継』を披露。すると談志に気に入られ、後日開かれた『談志ひとり会』にゲスト出演させてもらえたという。
  5. ^電話を受けた際、山田は「状況が掴めなかったので周りの人に聞くと、あるテレビドラマで僕の演技を見た山田監督が「あいつには芝居心がある」と言ったそうです。その発言を聞いたスタッフ全員が、『えええー!(山田にそこまで芝居心があるとは思えない)』と驚いたと聞きました」と回想している。
  6. ^ある時、橋田先生から電話で『あなたの舞台に行きたいけど、今は足が痛くて行けないの。コロナ禍が終わったら、私のおウチで“かたり”をやってちょうだい』と言われました。でもコロナ禍が収まる前に橋田先生は亡くなられてしまい、叶いませんでした」と述懐している[9]
  7. ^奇遇にも、過去に『おはよう朝日です』(朝日放送)で5年間稲尾と共演しており、当時から自然と一緒に食事をするなどして野球界の話を聞いていた。ただし、「かたり」に稲尾のエピソードを使わせてもらう際、彼から「俺のことは、俺が死ぬまで人前で話すなよ」と言われていたため、脚本を作り始めたのは稲尾が亡くなった後である[9]

出典

[編集]
  1. ^abcd山田 雅人 -タレントデータバンク
  2. ^abcdプロフィール 山田雅人 かたりの世界
  3. ^abcDJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、159頁。
  4. ^abcde山田雅人は話芸家として活躍中 キャリア40年の原点を激白 ENCOUNT、2020年7月21日
  5. ^ab山田雅人の「かたりの世界」が大人気 野球の名場面再現も”. 週刊朝日. 朝日新聞社 (2013年10月27日). 2014年3月30日閲覧。
  6. ^かたりの世界 山田雅人 かたりの世界
  7. ^俳優 山田雅人さん 好きなように生きろ 日本経済新聞
  8. ^abcd注目企業.COM|インタビューズアイ 山田雅人(1) -ウェイバックマシン(2017年10月7日アーカイブ分)
  9. ^abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaab『週刊女性』2024年3月12日号.
  10. ^[1]
  11. ^abc山田雅人「渡る世間は鬼ばかり」藤岡琢也さん相手に楽屋で磨いた"話術" ENCOUNT、2020年7月21日
  12. ^ニッポン放送『あなたとハッピー![信頼性要検証]
  13. ^注目企業.COM|インタビューズアイ 山田雅人(2) -ウェイバックマシン(2017年10月7日アーカイブ分)
  14. ^【ウラ芸能】ラサール石井、東大受験のホンキ度”. エキサイトニュース (2015年3月31日). 2016年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月11日閲覧。
  15. ^Wayback Machine”. 2000年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
  16. ^[2],[3],[4][5]
  17. ^本日の「笑点」で山田雅人「長嶋茂雄物語」再編集版をオンエア”. お笑いナタリー. ナターシャ (2025年6月8日). 2025年6月21日閲覧。
  18. ^作品情報〉映画「高野豆腐店の春」”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2023年8月10日閲覧。
  19. ^山田雅人CDジャーナル

参考文献

[編集]
  • 「人間ドキュメント「1回1回の舞台があればいつ死んでもいい~山田雅人」」『週刊女性』2024年3月12日号、主婦と生活社、2024年2月27日、36-42頁、JAN 4910203620348 

外部リンク

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制作局/KTV:関西テレビ放送 THK:東海テレビ放送 TNC:テレビ西日本
進行役
KTV
THK
TNC
アシスタント
KTV
THK
コメンテーター
KTV
THK
TNC
解説
共通メイン
KTV
THK
TNC
特別リポーター
その他の
担当アナウンサー
KTV
THK
TNC
主な歴代ゲスト
関西テレビ放送(KTV)
東海テレビ放送(THK)
テレビ西日本(TNC)
解説者

大坪元雄(フリー) - 門口博光 - 高橋賢司 - 鈴木由希子 - 坂本和也(以上競馬エイト、KTV) - 草野武志 - 山田数夫 - 黒柳勝博 - 大野英樹(以上中日スポーツ、THK) - 喜多村克利(競馬エイト、TNC)

アドバイザー

坂口正大 -岡部幸雄(解説) -安藤勝己(解説) -佐藤哲三(解説) -細江純子(リポート)

関連項目
TBSオールスター感謝祭総合チャンピオン
1990年代
(チーム戦)

1991秋 ニュース・教養チーム / 1992春 TBSアナウンサーチーム

1990年代
(個人戦)

1992秋斉藤慶子 / 1993春中島啓江 / 1993秋麻木久仁子 / 1994春関根勤 / 1994秋そのまんま東 / 1995春ヨネスケ / 1995秋向井亜紀 / 1996春辰巳琢郎 / 1996秋野際陽子 / 1997春そのまんま東 / 1997秋東幹久 / 1997年末そのまんま東 / 1998春三村マサカズ / 1998秋薬丸裕英 / 1999春原千晶 / 1999秋青島健太

2000年代
(個人戦)

2000春白石美帆 / 2000秋松尾貴史 / 2001春辺見えみり / 2001秋菅広文 / 2002春岩崎ひろみ / 2002秋中田喜子 / 2003春磯野貴理子 / 2003秋ラサール石井 / 2004春長谷川純 / 2004秋渡辺正行 / 2005春谷川真理 / 2005秋岡江久美子 / 2006春山田雅人 / 2006秋水野裕子 / 2007春蛍原徹 / 2007秋石田純一 / 2008春品川祐 / 2008秋浦田聖子 / 2009春竹若元博 / 2009秋山田親太朗

2010年代
(個人戦)

2010春前田健 / 2010秋岡江久美子 / 2011春勝俣州和 / 2011秋中山エミリ / 2012春ガダルカナル・タカ / 2012秋水内猛 / 2013春コカドケンタロウ / 2013秋岡田圭右 / 2014春和田正人 / 2014秋遠野なぎこ / 2015春田中卓志 / 2016春東国原英夫 / 2016秋猫ひろし / 2017春笑福亭笑瓶 / 2017秋北斗晶 / 2018春木村美穂 / 2018秋朝日奈央 / 2019春向井理 / 2019秋波瑠

2010年代
(チーム戦)

2013秋炎の体育会TVチーム / 2015秋この差って何ですか?チーム

2020年代
(個人戦)

2020秋神山智洋 / 2021春山下美月 / 2021秋ウエンツ瑛士 / 2022春粗品 / 2022秋屋敷裕政 / 2023春川島明 / 2023秋粗品 / 2024春粗品  / 2024秋伊沢拓司 / 2025春伊沢拓司 / 2025秋伊沢拓司

関連項目
※1997年のみ、年末に特別編を開催。
※1991秋・1992春・2015秋はチーム対抗戦。2013秋もチーム対抗戦だったが、個人別成績も競っていたためチーム優勝・個人MVPの両方を掲載。
※2020春は番組中止。
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