| 同じく「やまぎん」「山銀」と省略される「山口銀行」とは異なります。 |
本店建替工事中の本店営業部仮店舗 | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
| 市場情報 | |
| 略称 | やまぎん |
| 本社所在地 | 〒990-8642 山形県山形市七日町三丁目1番2号 北緯38度15分15秒東経140度20分24.9秒 / 北緯38.25417度 東経140.340250度 /38.25417; 140.340250座標:北緯38度15分15秒東経140度20分24.9秒 / 北緯38.25417度 東経140.340250度 /38.25417; 140.340250 |
| 設立 | 1896年(明治29年)4月14日 |
| 業種 | 銀行業 |
| 法人番号 | 5390001002010 |
| 金融機関コード | 0122 |
| SWIFTコード | YAMBJPJT |
| 事業内容 | 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など |
| 代表者 | 佐藤英司(代表取締役頭取) 三浦新一郎(代表取締役専務) |
| 資本金 | 120億800万円 (2025年3月31日現在)[2] |
| 発行済株式総数 | 3221万6115株 (2025年3月31日現在)[2] |
| 売上高 | 連結:528億6100万円 単独:458億9900万円 (2025年3月期)[2][注 1] |
| 経常利益 | 連結:65億500万円 単独:56億1700万円 (2025年3月期)[2] |
| 純利益 | 連結:44億1200万円 単独:39億2300万円 (2025年3月期)[2] |
| 純資産 | 連結:1360億200万円 単独:1251億7200万円 (2025年3月31日現在)[2] |
| 総資産 | 連結:3兆1642億5100万円 単独:3兆1501億5500万円 (2025年3月31日現在)[2] |
| 従業員数 | 連結:1,175名 単独:1,046名 (2024年3月31日現在)[3] |
| 決算期 | 毎年3月31日 |
| 会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[4] |
| 主要株主 | 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)8.26% 山形銀行従業員持株会 4.34% 明治安田生命保険 3.80% 両羽協和 3.76% 日本カストディ銀行(信託口)3.66% (2024年3月31日現在)[3] |
| 主要子会社 | #関係会社参照 |
| 外部リンク | https://www.yamagatabank.co.jp/ |
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| 山形銀行のデータ | |
|---|---|
| 法人番号 | 5390001002010 |
| 店舗数 | 84店 |
| 貸出金残高 | 2兆315億円[2] |
| 預金残高 | 2兆8812億円[2] |
| 特記事項: (2025年3月31日現在) | |
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株式会社山形銀行(やまがたぎんこう、英:The Yamagata Bank,Ltd.)は、山形県山形市に本店を置く中堅の地方銀行。
山形市、米沢市など山形県の内陸部を主要地盤とする県トップバンクで、山形県や山形市などの指定金融機関を受託している。
マスコットキャラは手塚治虫作『ジャングル大帝』の主人公レオ。
前身である両羽銀行の創業に参画した山形市北の大地主であった三浦家と、紅花商人であった長谷川家による同族経営が連綿と続き、頭取人事は基本的に両家による輪番制となっていた[5]。
三菱UFJフィナンシャル・グループが親密先であり、好日会会員行でもある。また国際業務分野等で業務提携を締結している。
七十七銀行との間で商談会の共催や地元サッカーチームの支援[6]、さらに災害時相互協力協定を締結している[7]。また、両行ATMの利用手数料割引や無料化が実施されている。
山形信用金庫と提携趣意書を締結。協調融資などに取り組んでいる[8]。この他、県内4信金と共に森林整備事業にも取り組んでいる[9]。

| 代 | 氏名 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 池田成章 | 1896年4月 - 1907年1月 | 米沢藩士官僚 子息に池田成彬 |
| 2 | 三浦権四郎 | 1907年1月 - 1913年1月 | 旧名・文助 1854年生 1930年没山形瓦斯初代社長 山形市出身 |
| 3 | 長谷川吉三郎 | 1913年1月 - 1916年7月 | 1865年生 1933年没 私財を提供し山形商業学校を設立 山形市出身 |
| 4 | 香坂駒太郎 | 1916年7月 - 1922年1月 | 1858年生 1923年没東京帝国大学卒[24] 元大審院判事 米沢市出身 |
| 5 | 林鉄太郎 | 1922年1月 - 1924年7月 | 1857年生 1924年没 行員出身初の頭取 山形市出身 |
| 6 | 三浦権四郎 | 1924年7月 - 1925年1月 | 再登板 |
| 7 | 長谷川平内 | 1925年1月 - 1928年8月 | 旧名:元七 1853年生 1930年没高畠町出身 |
| 8 | 長谷川吉三郎 | 1928年8月 - 1929年1月 | 再登板 |
| 9 | 三浦新七 | 1929年1月 - 1935年10月 | 東京商科大学(現:一橋大学)元学長 |
| 10 | 長谷川吉三郎 | 1935年10月 - 1957年10月 | 旧名:吉弥 1889年生 1967年没県立米沢工業学校卒 山形市出身 |
| 11 | 三浦弥太郎 | 1957年10月 - 1972年4月 | 1903年生 1978年没福島高商卒 山形市出身 |
| 12 | 長谷川吉郎 | 1972年4月 - 1985年6月 | |
| 13 | 三浦新 | 1985年6月 - 1993年4月 | 三菱銀行出身 |
| 14 | 丹羽厚悦 | 1993年4月 - 2005年6月 | |
| 15 | 長谷川吉茂 | 2005年6月 - 2023年6月 | 住友銀行出身 |
| 16 | 佐藤英司 | 2023年6月 - |
訪問活動強化のための広域型営業体制構築に着手し、2021年(令和3年)4月に寒河江・西村山地区で初めて導入した[25]。7月からは天童地区、最上地区、南陽・長井・西置賜地区でも移行。山形地区は10~12月をめどに再編し、年度内に県内全域での導入を目指すとしている[25]。これにより県内店舗網は、2022年(令和4年)3月末までに58店舗から42店舗になる[26]。
2021年(令和3年)2月、築50年が経過し老朽化した本店の建て替えを発表した[27]。新本店ビルには地方創生への貢献の観点から、中心市街地のにぎわいに寄与する施設の設置を検討する。これに伴い、建設を始めていた旅篭町ビルが21年秋に完成後、旅篭町ビルに本部事務集中部門を移転、本部機能の一部と本店営業部を仮移転。こののち、22年4月から現本店ビルの解体に入り、23年秋から同じ場所に新本店ビルを建て、25年秋の業務開始を目指す[28]。
仙台支店は県内3行中最古である1960年(昭和35年)10月に開設された。また多店舗展開の取り組みも最古であり、1973年(昭和48年)12月、宮城野支店(若林区)を開設。さらに1976年(昭和51年)10月に南光台支店(泉区)、1990年(平成2年)9月に泉崎支店(太白区)が開設されている[29]。近年は他の地銀同様に仙台圏強化に取り組み、仙台支店に法人営業部を設置したほか、2008年(平成20年)10月1日には、市下としては18年ぶりの新店舗である泉中央支店が設けられた。
しかし、仙台圏でも店舗網の見直しに着手し、2021年3月、荒井支店(若林区)を宮城野支店内へ、泉中央支店を南光台支店内に移転集約した。これによって、仙台圏における店舗は実質4店舗となった。
東京支店は、1898年(明治31年)10月、日本橋に開設された。これは東北の地銀界では七十七銀行に次ぐ2番目の東京進出であり、店歴を誇っている。支店開設の目的としては、日清戦争後の経済の勃興に即応することや中央市場との連携強化を深めることに置かれた。開設後には順調に業容を拡大させるも、太平洋戦争終戦直前である1945年(昭和20年)6月、各地銀東京支店が地銀統制会から、空襲により焦土化した東京より引け揚げる旨を指示された為、やむなく閉鎖となってしまった[29]。
1949年(昭和24年)には、取締役会において支店復活の決議を行うも、大蔵省や連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の認可がなかなか下りなかったため、営業再開となったのは、1952年(昭和27年)に入ってからのことであった。これを受け、1962年(昭和37年)には東京支店ビル建設を目的とした系列の両銀不動産を設立(2015年7月に親会社である両羽協和に吸収合併)。2年後には地下2階、地上10階の「両銀ビル(のちの山形銀行ビル)」が京橋に竣工した。その建物も老朽化したため、建て替えられ[30]、跡地に「京橋RKビル」が完成したことに伴い、2022年(令和4年)7月19日から東京支店は4階、東京事務所は5階で営業を開始した。
本荘支店(秋田県由利本荘市)は、1890年(明治23年)7月5日設立の本荘銀行をその起源とする。同行は本荘周辺における唯一の銀行として運営されていたが、日露戦争後の放漫経営による不良債権の増加と背任事件の発生から取り付け騒ぎが生じてしまい、大蔵省から預金受け入れ停止命令を受け休業となってしまった[29]。
このため、本荘の有力者の間で再建の機運が高まり両羽銀行へ救済を申し入れた。そこで同行は支援体制に入ることとし、由利銀行への商号変更、両羽銀経営陣による増資の引受け、香坂駒太郎同行頭取の頭取兼任等の施策を講じ、1920年(大正9年)には、大蔵省から預金受け入れ停止命令解除の受け営業を再開した。こうした紆余曲折を経て、1926年(大正15年)7月15日には、両羽銀との合併がまとまり本荘支店となった。その後数度の移転や改築を重ね、1994年(平成6年)7月、現在地に新築移転。今日に至っている[29]。
1970年代に入ると高度経済成長が進展して地域経済の広域化が進んだ。それに対応するため、1970年(昭和45年)3月には郡山支店(福島県郡山市)、1971年(昭和46年)5月には宇都宮支店(栃木県宇都宮市)、1973年(昭和48年)4月には大宮支店(現在のさいたま市)が開設されている[29]。このうち、老朽化した宇都宮支店は、2025年(令和7年)10月に旧店舗から西に約900m離れたビルの5階に移転し[31]、大宮支店は営業効率と顧客サービスの向上の一環から、2026年(令和8年)3月に東京支店に移転・統合される[32]。
札幌支店は1987年(昭和62年)9月12日、新潟支店は1991年(平成3年)11月11日、秋田支店は2000年(平成12年)にそれぞれ採算性等を踏まえ廃止となった[29]。
2007年(平成19年)に営業支援部(やまぎん情報開発研究所)の前身となる情報開発部を設置。山形大学工学部、同農学部、鶴岡工業高等専門学校、東北芸術工科大学、東北公益文科大学と産学連携協定を締結している。また、山形県企業振興公社との商談会の共催のほか、本部と営業店との協働によるPFIや、ABLにも取り組んでいる。
日経BP社が展開する日経ベンチャー経営者クラブ (NVC) と提携し、やまぎん日経BP経営者クラブを結成している。また、県内リーディング企業の異業種交流の場として山形企業経営研究会(YES)を発足させている。
野村證券、大和証券、三菱UFJ証券、新光証券、有限責任あずさ監査法人と業務提携し、取引先企業に対する株式公開に至るまでのサポートを行っている。また、野村證券とは「コモディティ・デリバティブ」媒介業務取扱いにかかる業務提携も締結している。
山形県の指定金融機関(指定金)であり[33]、山形市、米沢市、新庄市など県内陸地方における過半の自治体の指定金を受託している。また三菱東京UFJ銀行とともに県と連携協力協定も締結している[34]。
勘定系・情報系などの情報処理システムは地銀7行が参画し、日本IBMが運用及び保守を担うじゅうだん会共同版システムを採用する[35][36]。
七十七銀行・東邦銀行間では、ATM手数料無料提携サービス「MYキャッシュポイント」を行うほか、地元金融機関とは「ぐるっと花笠ネット」、「ふるさと山形ネットサービス」の無料提携サービスも行っている。また秋田銀行ともATM相互利用サービスに取り組んでいる。
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