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山口百恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、1959年生まれの歌手について説明しています。1991年生まれのタレントについては「山口百恵 (1991年生)」をご覧ください。
注意
既に芸能界を引退した人物です。
画像提供依頼:本人の顔の画像提供をお願いします。2025年1月
やまぐち ももえ
山口 百恵
本名三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)
生年月日 (1959-01-17)1959年1月17日(67歳)
出生地日本の旗日本東京都渋谷区恵比寿
東京都立広尾病院
出身地日本の旗日本神奈川県横須賀市[1]
身長158cm
血液型A型
職業女優アイドル
ジャンルテレビドラマ映画
活動期間1973年 -1980年
配偶者三浦友和(1980年 - )
著名な家族
事務所ホリプロダクション
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山口百恵
別名横須賀 恵(よこすか けい、作詞のペンネーム)
ジャンル歌謡曲ポップスロックバラード
職業歌手アイドル
担当楽器ボーカル
活動期間1973年 -1980年
レーベルCBS・ソニー
事務所ホリプロダクション
共同作業者酒井政利音楽プロデューサー
みうら ももえ
三浦 百惠
生誕山口やまぐち百惠ももえ
(1959-01-17)1959年1月17日(67歳)
日本の旗日本東京都渋谷区恵比寿
東京都立広尾病院
住居日本の旗日本・東京都国立市
国籍日本の旗日本
別名三浦 百恵(作詞家の名義)
出身校日出女子学園高等学校
職業作詞家キルト作家
活動期間作詞家(1980年 -1987年
キルト作家(1987年頃 - )
時代昭和平成令和
著名な実績ラ・セゾン』作詞、『時間ときの花束 Bouquet du temps』著書
代表作『ラ・セゾン』
活動拠点日本の旗日本・東京都
配偶者三浦友和(1980年 - )
子供三浦祐太朗(長男)
三浦貴大(次男)
親戚
テンプレートを表示

山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年昭和34年〉1月17日[2][1] - )は、日本の元歌手女優作詞家で、現在は本名の三浦 百惠(みうら ももえ)[2]名義でフリーランスキルト作家として活動。旧姓山口。芸能活動時の所属事務所はホリプロダクション(現:ホリプロ)で、レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)に所属していた[3]

1970年代の日本を代表するアイドル芸能人)の1人[4]。歌手時代にはペンネームの横須賀 恵(よこすか けい)名義で自曲の作詞を行った。芸能界引退後には、三浦 百恵名義で他の歌手へ作詞を提供した。夫は俳優の三浦友和、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大。長男の妻は声優・歌手の牧野由依

以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。

略歴

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生い立ち

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東京都渋谷区恵比寿東京都立広尾病院で生まれた[2][5]横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校[6]時代に、テレビ番組「スター誕生!」に出場。日出女子学園高等学校卒業。

父には別の家庭があり、子供もいた。戸籍には「認知」の2文字が置かれていた。百恵がこの事実を知ったのは、高校へ入学してすぐのことであった。既に芸能界入りしており、週刊誌戸籍謄本を「出生の秘密」と題して掲載した。百恵は父について「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。」(『蒼い時』)と記している。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、4歳のときから中学生でデビューするまで同県横須賀市で過ごした。世帯数4世帯の木造アパートの2階が住居で風呂は共同風呂であった。父が来るときは、常に大きな黒い鞄を持ってやってきて滞在した。父は異常なまでに百恵を可愛がり、欲しいものは何でも買い与え、何処でも行きたい場所に連れて行った。しかし、金銭を浪費し、母が何度も裏切られる場面を目にし、母が内職で生活を支えた。母は、高校の入学金の工面を父に相談したが、受け入れられなかったことから、子供を差別した理由で父との別離を決心した。中学校の入学直前の春には、父が目の前に立ちはだかり、「中学に入ったからといって、ボーイフレンドとか何とか言って、男と腕でも組んで歩いたりしたらぶっ殺すからな」と言われる。この時の、娘を娘としてでなく自分の所有する女を見る動物的かつ不潔な視線が、百恵を父から隔絶した[7]

芸能界デビュー

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1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝[7]20社から指名を受ける。百恵はこのとき「発表を聞く前に、私は歌手になれることをはっきり確信していた」。同番組への応募のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたい」と思ったことだった。この決戦大会出場時の映像は現存していない。のちに「花の中三トリオ」を組むことになる桜田淳子も、同年に同じ『スター誕生!』で牧葉ユミの曲「見知らぬ世界」を歌って合格していた。
その後、ホリプロダクションCBS・ソニーレコードに所属が決まった[3]

1973年4月14日、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲でアイドル歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。1973年5月20日、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として、デビュー曲「としごろ」を歌う。「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第2弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。これらは「青い性路線」(「性典ソング」)[7]、「意味シン・ソング」[8]などと呼ばれ、年端のいかない少女が性行為を連想させる際どい内容を歌う[8]、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる[8]

「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」とたいてい質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通していた[7]。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリ夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女のイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。CBS・ソニーのプロデューサー酒井政利は「青い果実」をリリースする際、作詞家の千家和也に対して「より過激な表現」を求めつつ、「中学生にこんな歌詞を歌わせていいのか」と自問したものの、「ストレートに表現することも一つの行き方だ」と思い直した。その後、千家・都倉コンビが作った楽曲は45曲に及ぶ。

小西良太郎は「大人たちに言わせれば、いたいけな中学生が、口にするだけでもドキドキしそうな歌を歌う。けしからん!もってのほかだが、少々うすぐったい。天地真理アグネス・チャンらの、そぞろ恋を恋する季節の歌が、年相応に明るくて、健康的で、ほほえましかった。ところが、そんな優等生型ニコニコポーズに飽きがきたところで、見回したら、百恵の青いセクシーさが、急に説得力を持ってきた」などと評した[9]

同曲が大ヒットした1974年には文芸作品の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツの広告でこの年の夏に共演済であった。『伊豆の踊子』は一般公募で相手役を募集したが、このグリコ広告を観た『伊豆の踊子』の監督・西河克己が最終選考の中に三浦の書類を入れたと言われている。三浦とはその後もテレビドラマや広告でも共演して共に絶大な人気を博し、2人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。

百恵の映画初出演はレコードデビュー前にホリプロが制作した『としごろ』(和田アキ子、森昌子主演)で、新人の顔見せとしての出演だったが、『伊豆の踊子』以降、映画13作で主演。そのうち12作は三浦との共演である。「映画に関するかぎり製作者は彼女をリメイク女優以上に認識していなかった。にもかかわらず西河は『霧の旗』で、驚異的なまでのファム・ファタールぶりを彼女に演じさせた」[10]。1978年にはファンからの声の大きかった初のオリジナル作品『ふりむけば愛』がコンビ出演のグリコ広告を撮り続けていた大林宣彦監督の演出で製作された[8]サンフランシスコロケを行った本作あたりから、週刊誌等、マスメディアが「二人はかなり親密な仲」などと書き立てるようになった[8]。1979年にコンビ主演10作品記念としてオリジナル作品『ホワイト・ラブ』が小谷承靖監督で製作された。これらの映画は東宝配給ながらすべて日活撮影所で製作され、監督やカメラマンも西河ら日活出身者が大部分を占めることもあり、往年の日活青春映画、文芸映画の後継的な意味合いも持っている。東宝の監督である小谷や河崎義祐が担当した場合も、最後の引退記念作品『古都』も日活製作で、東宝からカメラマンの長谷川清ら数名のスタッフを連れて20年ぶり(発足の最初期に短期間在籍)に日活撮影所へ乗り込んだ市川崑監督は、馴染みの薄いスタッフを粘りに粘って叱咤し引退作を撮影した。市川は以前に何度か自分の作品に百恵の出演を依頼していたが、ホリプロサイドから断られており、この最後の作品で監督を務める喜びを制作記者会見で語っている。三浦との「ゴールデンコンビ」は「モモトモ映画」とも呼ばれ[8]、共演作12本は1本平均200万人を動員し[8]、120億円を稼いだ[8]

テレビドラマでの初レギュラー出演は1973年10月スタート、大映テレビ制作TBS系の「顔で笑って」。この作品で宇津井健との親子役が始まり、以降宇津井健を公私共に「お父さん」と慕った。1974年10月からはTBSのテレビドラマ『赤いシリーズ』(いわゆる大映ドラマ)に主演し、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演。高い人気を集め、シリーズは6年にも及び、百恵のレギュラー出演作品は『赤い絆』引退記念作品の『赤い死線』まで6作品にもなった人気ドラマとなる[1]

1976年リリースのシングル『横須賀ストーリー』から阿木燿子宇崎竜童夫妻の作品を歌って新境地を開いた。実際はそれ以前にも、『横須賀ストーリー』の2か月前に発売されたオリジナル・アルバム『17才のテーマ』に収録の「木洩れ日」「碧色の瞳」「幸福の実感」の3曲で宇崎夫妻の提供曲を歌っている。その後、宇崎夫妻の提供曲はシングル、アルバムを合わせると69曲に及んだ。宇崎夫妻が手掛けた作品は大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。この2人を作家として指名したのは周囲のスタッフではなく百恵本人だった。

1977年に日本武道館で行われた第6回東京音楽祭(TBSテレビ・ラジオ)で外国人アーティストが多数出演・受賞する中、日本人歌手として楽曲「夢先案内人」で銅賞を受賞した。

1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』(NHK総合ラジオ第1#NHK紅白歌合戦出場歴参照)で紅組トリを務める。白組の沢田研二と共にポップス歌手のトリは番組初のことで、10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が初で、最年少記録は破られていない。ホリプロが東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著すなど、多くの文化人に「現代を象徴するスター」として語られた。写真家の篠山紀信は百恵のデビュー当時から被写体として何万枚も撮り続けたが、たびたび印象的な写真を発表して注目を集めた。1970年代に篠山が最も多く撮影した女性は百恵であるが、篠山は「それは時代が山口百恵を必要としていたから」として、百恵を「時代と寝た女」と評した[1]

年代別プロマイド(ブロマイド)売上では、1974年 - 1980年のベスト10にランクインし、特に1976年は女性1位となった。

人気作詞家だった阿久悠は『スター誕生!』の審査委員長を務めていたが、同番組出身である百恵のソロ楽曲には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」と阿久自身は述べている[11]。2008年に日本テレビ系で放送されたドラマ『ヒットメーカー 阿久悠物語』では、『スター誕生!』のテレビ予選で百恵に対して阿久が「青春ドラマの妹役のようなものならいいけれど、歌は諦めた方がいいかもしれない」と評したことで[7]、「そのことに傷ついた百恵は作品の提供を阿久に求めなかった」と脚色されているが、あくまでもドラマ上での脚色で、阿久自身は著書『夢を食った男たち』で、前述のオーディションでのエピソードについて記した上で、自身も百恵のファンであることと、百恵の魅力についても倉本聰との対談を差し挟んで語っている。

婚約、芸能活動を完全引退

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1979年10月20日に大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する[8]。その後三浦も記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語った。

1980年3月7日に三浦との婚約発表と同時に、「我が儘な…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させて頂きます」と芸能界引退を公表する。その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1975年のザ・ピーナッツで始まり、1978年に解散のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

引退直前の同年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や三浦との初体験についても赤裸々につづられており、発売から1か月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。巻末のあとがきには百恵自身の万年筆による手書き原稿が印刷されている。同書の仕掛け人である出版プロデューサーの残間里江子にも注目が集まった。写真撮影は立木義浩。引退後の1981年に文庫化されている。

1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートは、当日にTBSで生放送され、案内役は『ザ・ベストテン』の司会者である久米宏が担当した。会場に殺到したファンに対して「本当に…私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙がこぼれても拭わずぽたぽた落としながらの絶唱と成った。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、マイクをステージの中央に置き、静かに舞台裏へと歩んで立ち去った[12]。この「最後にマイクを置く」演出は振付担当の西条満の考案で、今では伝説的なアクションとして語り継がれ、さまざまな番組などで真似されている。

ファイナルコンサート翌日の10月6日に、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)で引退特集番組が放送された。司会者の芳村真理井上順のほか、百恵と同じホリプロ所属の先輩だった和田アキ子、中三トリオの桜田淳子と森昌子、女性歌手仲間として仲が良かったアン・ルイス岩崎宏美太田裕美小柳ルミ子高田みづえピンク・レディー、男性歌手では「新御三家」の郷ひろみ西城秀樹野口五郎などが、百恵の最後の雄姿を見守った。そのほかにも、番組のフィナーレ前には五木ひろし研ナオコ沢田研二ら歌手仲間が登場、特にジュディ・オングから花束を受け取る際に百恵は感極まって涙を見せた。漫才コンビの青空球児・好児、プロデューサーの酒井政利やディレクターの川瀬泰雄など仕事仲間の大勢も駆け付けた。この放送は後に『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』として2010年6月30日にDVDが発売されている。百恵と親しい間柄でもあった芳村はこの回の放送について、「いつもはスタッフ達の怒声も飛び交い、賑やかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで、感動的だった」「番組の放送が終わった後も、皆去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」と放送時のスタジオの様子を語っている。

現役歌手として最後のテレビ生番組出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』である。日本テレビNTV紅白歌のベストテン』の特別番組として放映された。この時の百恵は一切涙は流さずに、観客に向って終始清々しい笑顔を振り撒いていた。

正式な芸能活動の完全引退は、10月15日のホリプロ20周年記念式典で、その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。式典の後同ホテル内において午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれたが、記者の多さから開始直後に、前列にいた100名近いスチール用カメラマンと後方のビデオカメラマンとの間で揉める場面もあり、中断しかねない状態となった。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが芸能人として事実上最後のテレビ生出演となった。

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1,142万枚、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手であった[13]

オリコンシングルチャートにおいて、1973年6月4日付でデビューシングルの「としごろ」が75位に初登場してから1981年3月2日付で32枚目のシングルの「一恵」が96位にランクインするまで、405週連続で100位以内にチャートインし続けた[14]。オリコンアルバムチャート(レコードのみ)において、引退後の1989年時点でアーティスト別セールス13位(251万枚)、TOP10総登場週数16位、TOP100総登場週数11位、と70年代アイドル歌手(男女共に)では最も上位にランキングされている[15]

現役時代にはホリプロとの確執があり、『蒼い時』でも意見の相違により社長の堀威夫と衝突があったと振り返っている。当時の制作部長であった小田信吾とともに独立するつもりであったが、ホリプロ側が小田を説得して独立を阻んだため引退を決意したとの見解もある。もし独立が成功していれば三浦との結婚がなかったかもしれず、女優としてその後も活躍していた可能性があったとの見方もある[16]

結婚

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結婚式は1980年11月19日に、東京都港区赤坂の霊南坂教会にて飯清が牧師を務め、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1,800人が出席して行われた[17]。仲人は宇津井健夫妻で、友和側の主賓は東宝社長の松岡功(息子は松岡修造)、百恵側の主賓はCBSソニー会長の大賀典雄がそれぞれ務め、百恵の花嫁介添人はホリプロ社長の堀威夫が務めた。披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)であった。

引退後

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引退後もマスコミやファンから関心が高いが、一貫して芸能界と距離を取り原則としてマスメディアに出演しない。長男出産後の記者会見に三浦とともに出席したほか、『3時のあなた』(フジテレビ)から取材を受け、その模様が同番組で放映されたことがある。作詞家として作品を提供したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

引退直後の1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』では「人気アンケート」で4位であったため番組側は出演交渉を行ったが、本人からは「既に引退しましたので辞退します」との回答があり出場はなかった[18]。2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』でも番組側は出演交渉を行ったが出演しなかった。

家庭に入ってからは2人の息子をもうけた。2人が小学校に在学中だった1994年、テレビドラマ『スウィート・ホーム』(TBS)について「内容が事実と異なり、保護者に対する誤解を与えるため、内容の訂正と『お受験』という言葉の使用中止を求める」趣旨の嘆願書が、小学校受験を行った保護者たちからTBSに送られた際には署名者の1人となっている[19]。それまでほとんど使われなかった「お受験」の語は、このドラマがきっかけで流行語になった。(小学校受験#批判も参照)。

1987年頃から独学でキルト製作を始め、のちにキルト作家の鷲沢玲子に師事して作品を作り続けている[20]。作品が「東京国際キルトフェスティバル」等の展示会に出品されることもあり、2019年には日本ヴォーグ社から三浦百恵名義でキルト作品集『時間ときの花束 Bouquet du temps』を出版し、39年ぶりの著書となった[21]

自宅に不審者が押し入る事件も発生したが、大事もなく解決している。夫の三浦によれば、プライバシーが脅かされる生活に対し、百恵は「私は、これ以上芸能界にいたことを後悔したくない」と漏らした。長男の通園に備えて自動車教習所に通い始めた頃には、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲んだため苦悩した。夫が人権擁護局に対応を求めた翌日は、同局の注意喚起によりカメラマンは一人も来なくなった。しかし長男の入園式に際して同局に対応を要請した際は担当者に断られ、マスコミが自宅や幼稚園を取り囲む取材攻勢の中で強行突破を強いられ[22]、車内の子供が強引にレンズを向けられて怯える騒ぎとなった。あまりの横暴に百恵は激怒し、車を降りてカメラマンを平手打ちした。この出来事は翌週の週刊誌各紙に掲載された。

節目ごとに多くのベスト・アルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には、未発表曲1曲を含む24枚組CD-BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。

1980年のシングル『謝肉祭』は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」は差別用語として、1990年代後半以降はレコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDやファイナルコンサートのDVD『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』も不完全な形で発売された。しかし2005年5月25日発売の『コンプリート百恵回帰』(全曲新アレンジで構成)に収録されたのをきっかけに、2006年1月18日発売のライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』に納められたファイナルコンサートのCD及びDVDは「謝肉祭」を含むノーカット版が収録された。当時のシングル・バージョンも2007年7月20日発売の廉価版CD『山口百恵ベスト・コレクション VOL.2』に収録され、9月30日に『MOMOE PREMIUM』の改訂盤として通信販売限定で発売された『Complete MOMOE PREMIUM』および『MOMOE PREMIUM update』にも収録され完全復活を果たした。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、百恵の楽曲を使用したトリビュートミュージカル『プレイバックPart2〜屋上の天使』が上演された。

2020年6月、『女子SPA!』は同ウェブサイト上で、「去り際(引退)がいさぎよかった女性5選」の1人として百恵を選出して掲載した[23]

ストリーミング配信

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引退から40年を迎えた2020年5月29日、音楽サブスクリプションサービス上で、600曲以上の楽曲のストリーミング配信を開始した[24][25][26][27]

エピソード

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  • 郷ひろみは「アイドル時代にマネージャーや周囲の目を盗み、山口百恵に電話番号を渡したが相手にされなかった」と語っている。
  • 西城秀樹は「山口百恵ちゃんが僕のこと好きだったんだよ。ラブレターをもらった」とテリー伊藤に語っている。
  • 同じ横須賀市出身のシンガーソングライター・渡辺真知子と親交があり、百恵の結婚式に渡辺も出席している。
  • 新婚当時は友人をよく自宅に招いた[28]。招待されたのは桜田淳子岩崎宏美アン・ルイス桑名正博夫妻、江藤潤夫妻など[28]
  • お笑い番組が大好きで、新婚当時も『THE MANZAI』や『お笑いスター誕生!!』などをビデオで録画し、夫婦で何度も見ていた[29]。百恵の引退と漫才ブームの勃興は同時期に当たるが、漫才ブーム時はB&Bの大ファンで[28]、引退前はB&Bの名誉会員だった[28]。これを知ったB&Bの島田洋七が「百恵さんに歌ってもらいたい」と作詞をし、本人に歌唱を頼むつもりでいたが[28]百恵が引退してしまい、商魂逞しいトリオレコードがこれに目を付け[28]、作詞を洋七、作曲を森田公一に頼み、百恵に似た声を持つ歌手を探して歌入れし、1982年1月に歌・MOMOE名義でレコード「恋愛専科」をリリースした[28]。レコードチラシには「数々のヒット曲を世に残して去って行ったモモエ、遂に彼女の未発表曲が発見された!!あの懐かしい歌声が再び甦る!」などと書かれた引っ掛け商法で[28]、声もそっくりで百恵と信じて買った人もいたといわれる[28]。夫の友和とともにダウンタウンのファンであることを、長男・祐太朗がPeaky SALTとして2009年8月31日に放送されたダウンタウンが司会を務める『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)に出演した際に述べている[注釈 1]
  • 長男・祐太朗の妻である牧野由依とはメッセージアプリで友達である。2022年3月に息子夫婦に子供(百恵にとって初孫)が生まれた[30]
  • 映画監督の市川崑は、役者としての山口百恵を高く評価しており、山口が引退した後の書籍取材の中で「役柄が幅広く、それでいて奥行き深く、女優さんとして大成するんじゃないかと思っていました」「一緒に仕事をしてみると僕の想像以上でしたね。作品に対する姿勢もキチンとしていたし、表現力も完璧で、100点満点でした」と述べている[31]
  • ももいろクローバーZのファン(モノノフ)であることを長男・祐太朗が2024年6月17日に『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT』に生出演した[32]際に述べている[33][34]

音楽

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※最高位はオリコン調べ
※アルバム項目の*印欄はカセット未発売

シングル

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発売日タイトル最高順位売上枚数規格品番収録アルバム
11973年5月21日としごろ376.7万枚SOLB-29としごろ
21973年9月1日青い果実919.6万枚SOLB-68青い果実/禁じられた遊び
31973年11月21日禁じられた遊び1217.6万枚SOLB-89
41974年3月1日春風のいたずら1116.1万枚SOLB-11615歳のテーマ 百恵の季節
51974年6月1日ひと夏の経験344.6万枚SOLB-14415歳のテーマ ひと夏の経験
61974年9月1日ちっぽけな感傷343.2万枚SOLB-17215才
71974年12月10日冬の色152.9万枚SOLB-19716才のテーマ
81975年3月21日湖の決心524.9万枚SOLB-229
91975年6月10日夏ひらく青春432.9万枚SOLB-280ささやかな欲望
101975年9月21日ささやかな欲望532.6万枚SOLB-319
111975年12月21日白い約束235万枚SOLB-35317才のテーマ
121976年3月21日愛に走って246.5万枚SOLB-401
131976年6月21日横須賀ストーリー166万枚06SH-15横須賀ストーリー
141976年9月21日パールカラーにゆれて147万枚06SH-62パールカラーにゆれて
151976年11月21日赤い衝撃350.4万枚06SH-90
161977年1月21日初恋草紙424.1万枚06SH-108山口百恵
171977年4月1日夢先案内人146.8万枚06SH-140山口百恵
181977年7月1日イミテイション・ゴールド248.4万枚06SH-182GOLDEN FLIGHT
191977年10月1日秋桜346万枚06SH-218花ざかり
201977年12月21日赤い絆521.5万枚06SH-250THE BEST プレイバック
211978年2月1日乙女座 宮431.4万枚06SH-257COSMOS(宇宙)
221978年5月1日プレイバックPart2250.8万枚06SH-331ドラマチック
231978年8月21日絶体絶命337.6万枚06SH-370
241978年11月21日いい日旅立ち353.6万枚06SH-418曼珠沙華
251979年3月1日美・サイレント432.9万枚06SH-467A Face in a Vision
261979年6月1日愛の嵐532.8万枚06SH-529春告鳥
271979年9月1日しなやかに歌って827.1万枚06SH-579
281979年12月21日愛染橋1022.1万枚06SH-682
291980年3月21日謝肉祭428.6万枚06SH-730Star Legend 百恵伝説
301980年5月21日ロックンロール・ウィドウ333.6万枚06SH-772メビウス・ゲーム
311980年8月21日さよならの向う側437.9万枚06SH-834不死鳥フェニックス伝説
321980年11月19日一恵227.7万枚06SH-894N/A
331994年4月21日惜春通り343.1万枚SRDL-3839惜春 譜

オリジナル・アルバム

[編集]
タイトル発売日最高位規格品番
1としごろ1973年8月21日55SOLJ-80
2青い果実/禁じられた遊び1973年12月21日26SOLL-57
315歳のテーマ 百恵の季節1974年4月21日7SOLL-65
415歳のテーマ ひと夏の経験1974年8月1日3SOLL-75
515才1974年12月10日8SOLL-114
616才のテーマ1975年5月1日3SOLL-141(LP)
SZLH-36(8トラック)
SKLB-47(CT)
7ささやかな欲望1975年12月5日15SOLL-195
817才のテーマ1976年4月21日2SOLL-213
9横須賀ストーリー1976年8月1日325AH-48(LP)
28YH-33(8トラック)
24KH-33(CT)
10パールカラーにゆれて1976年12月5日625AH-124(LP)
28YH-87(8トラック)
24KH-87(CT)
11百恵白書1977年5月21日325AH-199(LP)
28YH-137(8トラック)
25KH-137(CT)
12GOLDEN FLIGHT1977年8月21日325AH-250(LP)
28YH-179(8トラック)
25KH-179(CT)
13花ざかり1977年12月5日725AH-371(LP)
28YH-234(8トラック)
25KH-234(CT)
14COSMOS(宇宙)1978年5月1日825AH-424(LP)
25KH-295(CT)
15ドラマチック1978年9月1日625AH-550(LP)
25KH-390(CT)
16曼珠沙華マンジューシャカ1978年12月21日725AH-662(LP)
25KH-460(CT)
17A Face in a Vision1979年4月1日325AH-673(LP)
25KH-477(CT)
18L.A. Blue1979年7月21日225AH-769(LP)
25KH-573(CT)
19春告鳥1980年2月1日525AH-928(LP)
25KH-711(CT)
20メビウス・ゲーム1980年5月21日525AH-974(LP)
25KH-749(CT)
21不死鳥フェニックス伝説1980年8月21日638AH-1039/40(LP)
38KH-846(CT)
22This is my trial1980年10月21日427AH-1112(LP)
27KH-860(CT)

テープのみの企画盤

タイトル発売日最高位規格品番備考
1青い果実・禁じられた遊び1973年12月5日N/ASZLF-35(8トラック)
SKLD-10(CT)
としごろ」と表題シングルのA面・B面6曲に、LP『としごろ』より6曲の全12曲
2春風のいたずら1974年3月21日N/ASZLH-6(8トラック)
SKLB-10(CT)
表題シングルのA面・B面、LP『青い果実/禁じられた遊び』より9曲、
LP『としごろ』より1曲の全12曲
3ちっぽけな感傷・ひと夏の経験1974年9月1日13SZLH-14(8トラック)
SKLB-17(CT)
表題シングルのA面・B面、LP『15歳のテーマ ひと夏の経験』より8曲の全12曲
4CT 『ささやかな欲望/白い約束』1975年12月21日9SZLH-49(8トラック)
SKLB-76(CT)
LP『ささやかな欲望』に「白い約束」を加え、「ありがとう あなた」をカット

ベスト・アルバム

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タイトル発売日最高位規格品番
1山口百恵ヒット全曲集 -1974年版-1974年11月1日6SOLL-107
2DELUXE SERIES 山口百恵デラックス1975年6月1日21SOLI-56/7
3Best Hits 山口百恵ヒット全曲集1975年11月1日10SOLL-170
4Best of Best 山口百恵のすべて1976年6月1日2638AH-9/10
5Best Hits 山口百恵ヒット全曲集1976年11月1日725AH-81
6山口百恵1977年6月21日1538AH-217/8
7THE BEST 山口百恵 -百恵物語-1977年11月1日1225AH-301
8THE BEST プレイバック1978年6月21日325AH-521
9THE BEST 山口百恵1978年11月1日938AH-591/2
10ザ・ベスト 山口百恵1979年6月21日825AH-744
11THE BEST 山口百恵1979年11月1日2240AH-831/2
12Star Legend 百恵伝説1980年7月21日300AH-1021/5
13歌い継がれてゆく歌のように '73〜'771980年12月21日6040AH-1167/8
13歌い継がれてゆく歌のように '78〜'804440AH-1169/70
14THE BEST Again 百恵1981年11月1日-28AH-1342
15Again 百恵 あなたへの子守唄1982年7月1日1328AH-1435
30AH-1222
16PLAYBACK MOMOE 1973-19821982年11月21日-60AH-1486/8
1733 SINGLES MOMOE1983年11月21日-60DH-51
183650 Momoe 百惠十年1983年12月21日-60AH-1683/5
19山口百恵ベスト・コレクション1985年4月21日-
20百恵復活1992年2月21日12SRCL-2311/2
21百恵回帰1992年11月21日49SRCL-2512
22歌い継がれてゆく歌のように -百恵回帰II-1993年1月21日82SRCL-2558
23百恵・アクトレス伝説1993年10月1日-SRCL-2742
24惜春 譜1994年7月21日60SRCL-2955
25百恵クライマックス1994年12月1日-SRCL-3110/1
26山口百惠ベスト・コレクション〜横須賀ストーリー〜1995年2月1日-
27百惠辞典1995年8月2日73SRCL-3281/3
28山口百惠ベスト・コレクションII 〜いい日旅立ち〜1995年9月1日-
29ベスト・セレクション Vol.11997年7月21日-SRCL-3989
30ベスト・セレクション Vol.2-SRCL-3990
31GOLDEN J-POP/THE BEST 山口百惠1997年11月21日243SRCL-4117/8
322000 BEST 山口百恵 ベスト・コレクション2000年6月21日202SRCL-4827
33GOLDEN☆BEST 山口百恵 PLAYBACK MOMOE part22002年6月19日114MHCL-109/10
34コンプリート百恵回帰2005年5月25日161MHCL-10078/9
35赤いシリーズ シングル・コレクション2005年10月19日237MHCL-638
36山口百恵ベスト・コレクション VOL.12007年7月20日-
37山口百恵ベスト・コレクション VOL.2-
38MOMOE PREMIUM update2007年9月30日-DQCL-1385/6
39GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション2009年8月19日60MHCL-20053/4(完全生産限定盤)
MHCL-1569/70
GOLDEN☆BEST orikara 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション2011年1月26日-MHCL-1845/6
40GOLDEN☆BEST 山口百恵 アルバム・セレクション2013年5月22日116MHCL-2270/1
41ゴールデン☆アイドル 山口百恵2015年2月11日38MHCL-30295/8
42GOLDEN☆BEST 山口百恵 日本の四季を歌う2017年5月24日129MHCL-30456/7
43GOLDEN☆BEST MOMOE DISCO & SOUL2023年11月8日-MHCL-30920

テープのみの企画盤

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タイトル発売日最高位規格品番
1山口百恵ベスト・ヒット1974年12月10日3SZLK-27(8トラック
SKLI-26(CT
2山口百恵のすべて1975年7月1日4SZLK-42(8トラック)
SKLI-42(CT)
3山口百恵全曲集1976年4月1日3SZLK-59(8トラック)
SKLI-59(CT)
4山口百恵全曲集1976年11月1日236YH-60(8トラック)
34KH-60(CT)
5山口百恵 テレビ・映画主題歌集1976年12月5日-24KH-93
6山口百恵ベスト・ヒット1977年4月1日128YH-108(8トラック)
25KH-108(CT)
7山口百恵全曲集1977年11月1日336YH-207(8トラック)
34KH-207(CT)
8PLAY CASSETTE SPECIAL1978年3月1日2710KH-271
9プレイバック 山口百恵ベスト・ヒット1978年6月21日-28YH-300(8トラック)
25KH-300(CT)
10山口百恵ヒット全曲集1978年11月1日336YH-401(8トラック)
34KH-401(CT)
11THE BEST 山口百恵1979年6月21日-28YH-551(8トラック)
25KH-551(CT)
12山口百恵全曲集1979年11月1日438YH-601(8トラック)
35KH-601(CT)
13百恵・純愛 -映画TV主題歌・名場面集-1980年9月21日4232KH-856
14山口百恵全曲集1980年11月1日338KH-871
15山口百恵オリジナル・カラオケ1980年11月21日-20KH-898
16山口百恵全曲集1981年11月1日2738KH-1053
14オリジナル・カラオケ全曲集11981年12月21日-15YH-1118
15オリジナル・カラオケ全曲集2-15YH-1119
16百恵メモリアル VOL.11982年5月2日-25KH-1141
17百恵メモリアル VOL.27425KH-1142
18百恵メモリアル VOL.34625KH-1143
19オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.11982年8月25日-15KH-1197
20オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.2-15KH-1198
21オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.3-15YH-1197
22オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.4-115YH-1198
23山口百恵全曲集1982年11月21日3138KH-1242
24百恵メモリアル VOL.4 THE MOVIE -映画・TV主題歌:名場面集-1983年5月21日8225KH-1314
25百恵メモリアル VOL.5 THE FINAL -武道館ファイナル・コンサート名唱篇--25KH-1315
26BEST SELECTION1983年11月1日-38KH-1382
27オリジナル・カラオケ全曲集1984年6月21日-15KY-8027
28百恵メモリアル VOL.6 BACK-SIDE STORY1984年7月1日-25KH-1512
29BEST SELECTION1984年11月1日-38KH-1601
30BEST SELECTION1985年11月21日-38KH-1783
31山口百恵ベスト・セレクション1986年11月1日7338KH-1982


ボックス・セット

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タイトル発売日最高位規格品番
1REBIRTH/百恵全集1984年5月21日-00DH-84/7
2山口百惠全曲集1993年11月25日-
3百惠神話 ONE AND ONLY 1973-19801996年8月21日-SRCL-3631
4百恵伝説II -STAR LEGEND II-1999年2月27日95SRCL-4431/5
5山口百惠 女優伝説2000年10月18日-SRCL-4891/9
6MOMOE PREMIUM2003年6月4日8MHCL-251/74
Complete MOMOE PREMIUM2007年9月30日-DQCL-1361/84
7山口百恵 22 Original Albums Collection2005年11月1日-DYCS-1072
8MOMOE LIVE PREMIUM2006年1月18日36MHCL-731/51
9コンプリート百恵伝説2008年12月11日-DQCL-1471

ライブ・アルバム

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タイトル発売日最高位規格品番
1百恵ライブ -百恵ちゃん祭りより-1975年10月1日10SOLI-70/1
2MOMOE ON STAGE1976年10月21日2238AH-116/7
3MOMOE IN KOMA1977年11月1日2938AH-299/300(LP)
40YH-230(8トラック)
38KH-230(CT)
4百恵ちゃんまつり'781978年10月21日2738AH-639/40(LP)
38KH-436(CT)
5山口百恵リサイタル -愛が詩にかわる時-1979年11月21日4240AH-907/8(LP)
40KH-629(CT)
6伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-1980年11月19日370AH-1141/3(LP)
70KH-918/9(CT)

サウンドトラック

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タイトル発売日最高位規格品番
1オリジナル・サウンドトラック 伊豆の踊子1975年2月21日23SOLL-120
2オリジナル・サウンドトラック 潮騒1975年7月21日24SOLL-150
3オリジナル・サウンドトラック 絶唱1976年2月25日11SOLL-208
4赤い疑惑 -テレビ・ドラマ名場面集-1976年4月21日7SOLL-218
5オリジナル・サウンドトラック 春琴抄1977年4月21日3525AH-191(LP)
25KH-118(CT)
6オリジナル・サウンドトラック 泥だらけの純情1977年9月21日2925AH-296(LP)
25KH-184(CT)
7オリジナル・サウンドトラックホワイト・ラブ1979年9月1日3125AH-790(LP)
25KH-653(CT)
8オリジナル・サウンドトラック 古都1980年12月21日-27AH-1173(LP)
27KH-946(CT)

映像作品

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タイトル発売日最高位[35]規格品番
1山口百恵 激写/篠山紀信1980年7月FVLA2(VHS)
FXLA2(βII)
2伝説から神話 -BUDOKAN…AT LAST-1980年11月19日FVLA9(VHS)
FXLA9(βII)
3山口百恵主演映画大全集1994年3月22日BVLL-507(LD)
BVS-603(VHS)
4ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD BOX2009年12月16日7TCED-689
5山口百恵 in 夜のヒットスタジオ2010年6月30日3AVBD-91791/6

トリビュート・アルバム

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タイトル発売日最高位規格品番
1山口百恵トリビュート Thank You For…2004年5月19日3MHCL-614
2山口百恵トリビュート Thank You For…part22005年5月25日6MHCL-538

他の歌手への提供曲の作詞

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曲名発売歌手収録アルバム名義
Let me be lonely1980年三浦友和『喜・怒・愛(Ki・Do・I)』横須賀恵
A・N・TA
ラ・セゾン1982年アン・ルイス『LA SAISON D'AMOUR』三浦百恵
Clumsy Boy1982年
I LOVE YOUより愛してる1983年『I LOVE YOUより愛してる』
通りすぎた風[注釈 2]1983年[注釈 2]高田みづえシングル横須賀恵
シンデレラ・リバティ1987年鈴木聖美 with Rats&StarWOMAN三浦百恵

コンサート

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出演

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映画

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タイトル公開年月日監督共演者原作備考
としごろ1973年04月14日市村泰一森昌子 和田アキ子石川さゆり等が出演
百恵は助演
伊豆の踊子[16]1974年12月28日 西河克己三浦友和川端康成配給収入:8億2800万円
配給順位:1975年第3位
初主演
潮騒1975年04月26日 三島由紀夫配給収入:5億200万円
配給順位:1975年第6位
お姐ちゃんお手やわらかに!坪島孝和田アキ子 『潮騒』の併映作、ワンカットのみ出演
花の高2トリオ 初恋時代1975年08月02日 森永健次郎森昌子
桜田淳子
絶唱1975年12月20日 西河克己三浦友和大江賢次配給収入:9億1800万円
配給順位:1976年第5位
エデンの海1976年04月24日 南條豊若杉慧配給収入:
配給順位:
風立ちぬ1976年07月31日 若杉光夫三浦友和堀辰雄配給収入:7億9200万円
配給順位:1976年第6位
春琴抄1976年12月25日 西河克己谷崎潤一郎配給収入:8億8400万円
配給順位:1977年第8位
泥だらけの純情1977年07月30日 富本壮吉藤原審爾配給収入:9億8500万円
配給順位:1977年第7位
昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜
1977年11月19日 根本順善森昌子
桜田淳子
花の高3トリオ卒業コンサート
ライブ・ドキュメント
霧の旗1977年12月17日 西河克己三浦友和松本清張配給収入:8億8900万円
配給順位:1978年第8位
ふりむけば愛1978年07月22日 大林宣彦ジェームス三木(原案)配給収入:8億6100万円
配給順位:1978年第9位
サンフランシスコ・ロケ
炎の舞1978年12月16日 

[注釈 3]

河崎義祐加茂菖子執炎配給収入:9億2000万円
配給順位:1979年第8位
ホワイト・ラブ1979年08月04日 小谷承靖中川美知子(原案)配給収入:8億6000万円
配給順位:1979年第10位
スペイン・ロケ
天使を誘惑1979年12月22日 藤田敏八高橋三千綱配給収入:
配給順位:
古都1980年12月06日 

[注釈 4]

市川崑川端康成配給収入:10億5000万円
配給順位:1981年第10位
引退記念作品、百恵一人二役

テレビドラマ(※ゲスト出演は含む)

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タイトル放送局放映期間共演者備考
顔で笑ってTBS1973年10月05日 - 1974年03月29日宇津井健
水谷豊
銀河テレビ小説
灯のうるむ頃
NHK総合1974年07月08日 - 07月22日
事件狩りTBS1974年4月3日石立鉄男第1話「なぜ死を急ぐ!若者たち」※女子高校生役
夜明けの刑事TBS1975年4月2日
1976年8月11日
石立鉄男第27話「夢の新幹線殺人事件」※女子高校生役
第81話「横須賀ストーリー殺人事件」※歌手(本人)役
赤い迷路[1]TBS1974年10月04日 - 1975年03月27日宇津井健
松田優作
中野良子
平均視聴率:18.9%
最高視聴率:22.7%
赤いシリーズ第1作目
赤い疑惑[1]1975年10月03日 - 1976年04月16日宇津井健
三浦友和
平均視聴率:23.4%
最高視聴率:30.9%
赤い運命[1]1976年04月23日 - 10月29日宇津井健平均視聴率:23.6%
最高視聴率:27.7%
赤い衝撃[1]1976年11月05日 - 1977年05月27日三浦友和平均視聴率:27.0%
最高視聴率:32.6%
赤いシリーズで初の単独主演
赤い激流[1]1977年06月03日 - 11月25日平均視聴率:25.5%
最高視聴率:37.2%
大沢紀子役(第1話ゲスト・特別出演)
土曜ワイド劇場
野菊の墓
テレビ朝日1977年07月09日
東芝日曜劇場
美しい橋
TBS1977年10月02日石井ふく子プロデュース
赤い絆[1]1977年12月02日 - 1978年06月09日国広富之平均視聴率:29.5%
最高視聴率:32.4%
風が燃えた1978年03月06日三浦友和日立スペシャル
人はそれをスキャンダルという1978年11月21日 - 1979年04月17日永島敏行
日本のおんなシリーズI
北国から来た女
フジテレビ1979年04月25日 脚本: 平岩弓枝
ご近所の星1979年10月13日 - 1980年03月08日三浦友和ゲスト主演:川本千恵(第10話)
毎朝新聞の婦人記者で、三浦友和の後輩
土曜ナナハン学園危機一髪
もうさみしくなんかないぞ
1980年05月03日
花王名人劇場
さらわれたスーパースター
関西テレビ1980年10月19日
赤い死線[1]TBS1980年11月07、14日三浦友和山口百恵引退記念スペシャルドラマ

NHK紅白歌合戦出場歴

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年度放送回曲目出演順対戦相手備考
1974年第25回ひと夏の経験01/25西城秀樹紅組トップバッター
1975年第26回2夏ひらく青春14/24三橋美智也
1976年第27回3横須賀ストーリー01/24野口五郎紅組トップバッター(2)
1977年第28回4イミテイション・ゴールド13/24加山雄三
1978年第29回5プレイバックPart224/24沢田研二紅組トリ
1979年第30回6しなやかに歌って14/23沢田研二(2)

ラジオ(※放送局はすべてニッポン放送

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タイトル放送期間
山口百恵のモモモモ30分1974年04月 - 1975年10月
山口百恵のラブリータイム1975年11月 - 1976年03月
ねらえ!サウンドライフ 山口百恵と大石悟郎のフォーエバー・フォーク1976年10月 - 1977年03月
フレッシュ・サウンド大進撃 山口百恵のスーパー・ライブ・カンパニー1977年10月 - 1978年03月
激突!サウンド・フィーバー 山口百恵のカラフル・ポップコーン1978年10月 - 1979年03月
独占!サウンドヒーロー 山口百恵と宇崎竜童のトヨタ・ローリングタウンNo.11979年10月 - 1980年03月
山口百恵 夢のあとさき1980年04月 - 1980年10月

CM

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書籍

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著書

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関連書籍

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脚注

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[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^百恵の大ファンと公言している松本人志は、自身の街ブラ番組「松本家の休日」で、番組中のOP・ED曲含め、BGMはほとんどが百恵の曲である。
  2. ^ab1978年に百恵自身の歌唱で発表しており、厳密には楽曲提供のみ行ったわけではない。
  3. ^多くのデータベースで「11月23日公開」と記されているが全くの誤りである。
  4. ^有楽座にて特別先行上映。全国公開は12月20日から。

出典

[編集]
  1. ^abcdefghijk『別冊宝島2551 日本の女優 100人』宝島社、2017年、98頁。ISBN 978-4-8002-6889-1 
  2. ^abc“山口百恵…70年代を代表するアイドル”. 日刊スポーツ. (2009年1月15日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090115-450447.html 2020年10月4日閲覧。 
  3. ^ab大林, 欠端 (2021年10月9日). “「カーテンを開けると上半身をあらわにした19歳の山口百恵が…」 昭和アイドルとの“秘蔵エピソード”に見る名プロデューサー・酒井政利伝説”. 文春オンライン. 文藝春秋. 2024年11月10日閲覧。
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