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| 選手情報 | ||||||||||||
| フルネーム | 山下訓史 | |||||||||||
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| 種目 | 三段跳 | |||||||||||
| 所属 | NEC | |||||||||||
| 生年月日 | (1962-09-10)1962年9月10日(63歳) | |||||||||||
| 生誕地 | 三重県 | |||||||||||
| 身長 | 178 cm | |||||||||||
| 体重 | 66 kg | |||||||||||
| 自己ベスト | 17m15(1986年) | |||||||||||
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山下 訓史(やました のりふみ、1962年9月10日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は三段跳。1988年ソウルオリンピック日本代表。
中学時代は最初、文化部(吹奏楽部)に所属していたが、父親の転勤先の中学校に吹奏楽部がなかったことが、陸上競技を始めるきっかけになった。
1979年4月、三重県立尾鷲工業高等学校に入学。1980年、愛媛インターハイ三段跳において、2年生ながら15m49で優勝。1981年、横浜インターハイ三段跳において、14m87で2連覇を果たした。
1982年4月、筑波大学に入学。コーチは村木征人。社会人時代は日本電気 (NEC) に所属した。
1986年6月1日の日本陸上競技選手権大会(国立競技場)でマークした17m15は、40年近く経った現在も破られていない日本記録である[1][注釈 1]。公認記録で17m以上を跳んだ日本人選手は、山下と杉林孝法(チームミズノアスレティック)、伊藤陸(近畿大学工業高等専門学校)の3人しかいない。日本選手権では1985 - 1988年、1992年、1995 - 1996年の通算7度の優勝を誇る。
| 年 | 大会 | 場所 | 結果 | 記録 |
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| 1986 | アジア大会 | ソウル(韓国) | 1位 | 17m01 |
| 1988 | オリンピック | ソウル(韓国) | 12位 | 15m62 |
| 1991 | 世界選手権 | 東京(日本) | 11位 | 16m26 |
子の山下航平、山下潤、山下桐子は父と同じく陸上競技選手。航平と桐子は父と同じ種目の三段跳の選手であり、航平はリオデジャネイロオリンピック日本代表選手に選出された[3]。
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| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
全日本実業団対抗陸上競技選手権大会男子三段跳優勝者 | |
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Template:1986年アジア競技大会 陸上競技日本代表
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