| 尾道糸崎港 | |
|---|---|
| 所在地 | |
| 国 | |
| 所在地 | 広島県 尾道市 三原市 福山市 |
| 詳細 | |
| 開港 | 1900年6月1日(糸崎港) |
| 管理者 | 広島県 |
| 種類 | 重要港湾 |
| 水域面積 | 被覆内泊地1,472,363m2[1] |
| 統計 | |
| 統計年度 | 2015 |
| 取扱貨物量 | 2,123,086フレートトン[2] |
| 主要輸出品 | その他輸送機器[3] |
| 主要輸入品 | 原木[4] |
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尾道糸崎港(おのみちいとざきこう)は、広島県尾道市・三原市糸崎町・福山市松永地区にある港湾。港湾管理者は広島県。尾道港区・糸崎港区・松永港区からなる。港湾法上の重要港湾に指定されている[5]。このほか港則法上の特定港、関税法上の開港にも指定されている。

尾道市(本州)と向島間の尾道水道と呼ばれる海域にあり、古くから天然の良港として発展した。歴史は古く、聖徳太子が浄土寺を開いたとされる616年頃にはすでに港として機能していたと言われている。1741年より係留施設が築造され、現在の尾道港の原型が出来上がった。1927年(昭和2年)11月に第2種重要港湾に指定され、同年12月10日にはすでに関税法上の開港に指定されていた糸崎港が尾道糸崎港に改称された。2000年(平成12年)12月には、尾道港の再開発事業が完成した[6]。かつて尾道港は、瀬戸内海の島々や今治港に向かう多くの航路があったが架橋(西瀬戸自動車道)などの影響で廃止された。
尾道港一帯は2010年3月21日にみなとオアシスの登録をしていて、ONOMICHI U2(西御所県営上屋2号)を代表施設とするサイクリングポートみなとオアシス尾道として観光交流拠点ともなっている。
「尾道みなとまちづくり」で、平成21年度手づくり郷土賞受賞。


対岸の向島、尾道市浦崎町、百島、福山市沼隈町、因島、佐木島、生口島へ就航している。


古くから海上交通の要衝として発展し、1864年には宇都宮龍山の献策で三原浅野家浅野忠によって松浜に船だまりが築造された。1900年(明治33年)6月1日に糸崎港が関税法上の開港に指定された。1936年(昭和11年)には糸崎町・三原町他が合併して三原市発足、糸崎港と三原港が一体となった。1953年に尾道港と合併。1975年以降、三原内港地区は旅客専用港として整備された。
瀬戸内シーラインが運航する観光型クルーザー(事前予約制 高速船)SEA SPICA(瀬戸内しまたびライン)も発着する[16]。
古くから海上交通が行われ、1600年代からは、この付近の塩田で取れた松永塩の運搬が行われた。明治中期には、下駄など木製履物の製造に用いられるアメリカ産原木の輸入が増加。1956年(昭和31年)に地方港湾の指定を受け、1964年には尾道糸崎港に編入された。
港にはアメリカ合衆国から輸入したベイマツを製材する東亜林業がある。一時はベイマツ製材で国内2位のシェアを有し、活況を呈していた時期もあったが、東亜林業は2018年(平成30年)をもって製材事業の休止を発表。輸入材を満載した船の出入りも見られなくなる[22]。
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