尼崎 伊三郎(あまさき いさぶろう、旧姓・松井、旧名・豊太郎[1][2][3]、1868年4月12日(明治元年3月20日)[1] -1955年(昭和30年)12月28日[4])は、日本の政治家・貴族院議員[2]、大阪府多額納税者[1][5][6]、資産家[7]、実業家。尼崎造船会長[8]。勲四等[4][8]。族籍は大阪府平民[1][2]。
現在の兵庫県尼崎市に生まれた[3][注 1]。兵庫県人・松井豊吉の長男[6][8][9]。松井福松の兄[1]。1900年(明治33年)6月、先代の伯父伊三郎の養子となり、1904年(明治37年)1月、家督を相続し襲名する[1][6]。
遺業を継ぎ、土地貸家の管理、炭鉱、鉱山の経営に任じ、傍ら尼崎汽船部を設置して海運業に従事[6]。尼崎造船会長[8]、尼崎汽船、尼崎汽船部(のちの関西汽船)、大阪曹達、中外海上火災保険(SOMPOホールディングスの前身)各社長[6][8][9]、豊国火災保険(日新火災海上保険の前身)、三十四銀行各取締役、播州鉄道、大阪曹達、日本相互貯蓄銀行、大阪商事、共同信託各監査役などを歴任する[1][6]。
この間、大阪市会議員を経て、大阪府多額納税者として貴族院議員に互選され、1911年(明治44年)9月29日[10]から1918年(大正7年)9月まで在任した[4]。
上下和衷協力一致、事業の拡大発展をくわだて、怠らなかった[3]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[11]。
二女君子の夫で養子の康定は子爵・戸田康保の弟で[6]、尼崎汽船部常務[8]。三女の夫は尼崎造船社長田村太郎。大阪府大阪市在籍で、住所は大阪府大阪市此花区下福島三丁目[6][11]、同市福島区鷺洲南[8]。