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| 基本情報 | ||||
| 生誕 | (1978-06-07)1978年6月7日(47歳) | |||
| 身長 | 176 cm (5 ft 9 in) | |||
| 体重 | 85 kg (187 lb) | |||
| 出身地 | 福岡県田川市 | |||
| 経歴 | ||||
| プロ転向 | 2000年 | |||
| 成績 | ||||
| 優勝回数 | 日本男子:8勝 | |||
| 初優勝 | カシオワールドオープン (2008) | |||
| 賞金王 | 1回(2014年) | |||
| 賞金ランク最高位 | 日本男子:1位 (2014) | |||
| 2014年12月7日現在 | ||||
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小田 孔明(おだ こうめい、1978年6月7日 - )は、福岡県田川市出身のプロゴルファー。身長176cm、体重85kg。血液型A型。プレナス所属。名前は『三国志』のファンだった父が諸葛孔明にちなんで名付けた。
小学1年生の頃に、同郷の手嶋多一の実家が経営するゴルフ練習場に父に連れられ行った時に、手嶋の父から勧められゴルフを始めた。学校から帰ると、腹筋、腕立て、スクワット、鉄アレイを毎日300回ずつ、トレーニング後に素振り300回という父の厳しい指導を受けて育った[1]。小学校の卒業式で「プロゴルファーになりたい」と将来の夢を発表すると出席者から失笑が漏れ、父と共に「絶対に見返してやる」と決め猛練習したという[2]。
千葉県の東京学館浦安高校に特待生として進学し、高校時代にすでに330ヤードを飛ばしていた。早くプロになるため日本大学など11もの大学からの勧誘を断り、卒業後は福岡県直方市の西日本カントリークラブの研修生となる[3]。3年後の2000年にプロテストに一発合格。父からは「一発で受かるようになるまで受けるな」と言われていた。また、自衛隊に所属していた姉からは「一発で受からないようならゴルフなんか止めて自衛隊に入りなさい」と言われていた。のちに「落ちていたら本当に自衛隊を受験していたかもしれません。体格は良かったですからね」と語っている[4]。
2003年の『マンシングウェアオープン KSBカップ』でツアーデビュー。2004年9月、翌2005年のツアー出場権を得るためのQT(予選会)のエントリーを忘れるというミスを犯し、2005年シーズンを棒に振ってしまった。締切日直前の『サントリーオープン』で海外招待選手として参戦していた南アフリカのスター選手レティーフ・グーセンと同組になり、「すっかり浮かれちゃって、エントリーを完全に忘れていまして…。気が付いたのは次の週でした」と語っている[4]。2005年は地方のオープン大会を中心に出場し、マンデートーナメントから本戦に出場した3試合は全て予選を通過している。
2007年に賞金ランキング9位となり、初めてシード権を獲得[5]。
2008年11月、『カシオワールドオープン』で初日から首位を守り抜く完全優勝でツアー初優勝を果たした[6]。
2009年4月、開幕戦の『東建ホームメイトカップ』で通算2勝目[7]。11月、『カシオワールドオープン』で優勝し、大会史上初となる2連覇を達成[8]。同年、自身初の年間賞金1億円を突破し、賞金ランキングで石川遼、池田勇太に次ぐ3位となった[9]。
2010年4月、『東建ホームメイトカップ』で優勝し、大会史上初となる連覇は、1973年のツアー制度施行後、史上3人目となるツアー開幕戦での連覇であった[10]。
2011年5月、『ダイヤモンドカップゴルフ』で優勝し、ツアー通算5勝目[11]。
2013年の『ANAオープンゴルフトーナメント』で2年ぶりの優勝。ツアー通算6勝目を挙げる[12]。
2014年には『ユーラシアカップ』に出場。同年5月の『関西オープン』で最終日、4打差の3位タイからスタートして1イーグル、5バーディ、2ボギーの67で回り、通算15アンダーとして自身初の逆転での優勝を飾る[13]。さらに10月の『ブリヂストンオープン』でツアー8勝目を挙げると[14]、この年は2位に3度、3位に2度入るなど藤田寛之との争いを制して初の賞金王となる[15]。
2015年シーズンから「やよい軒」などを展開する株式会社プレナスと所属契約を締結し、「やよい軒」のロゴ入りウェアやキャップを着用しトーナメントに出場している[16]。
同じ九州出身の秋吉翔太や出水田大二郎から兄貴分として慕われ「チーム孔明」を結成し、練習ラウンドを共にしている[17]。
2020年7月に地元九州で起きた豪雨災害の復興支援を目的にチャリティオークションを開催し、被害の大きかった福岡県大牟田市、熊本県人吉市、鹿児島県鹿屋市に150万円ずつ寄贈した[18]。
2022年1月、ジャパンゴルフツアー選手会の副会長と、新設された広報委員長に就任[19]。同年『日本オープン』で史上15人目となる生涯獲得賞金が10億円を突破[20]。
2023年は賞金ランク102位に終わり、15季続けた賞金シードから陥落した[21]。
2024年は生涯獲得賞金ランク15位で上位25人以内の資格を行使してレギュラーツアーに参戦したが、シード復帰は叶わなかった[22]。
2025年、下部のACNツアーへ参戦しながら再起をかけたが、膝の怪我などに加えて痛風や心臓に問題を抱えていることで、レギュラーツアー2試合をプレーして47位と52位。下部では3試合に出場して棄権1試合、予選落ち2試合と成績は振るわず、ツアーから一戦を引くことを表明。今後は2年半後のシニアツアーを目指すため休養に入る[23]。
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| No. | 日時 | 大会 | 優勝スコア | 打差 | 2位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2008年11月30日 | カシオワールドオープンゴルフトーナメント | -11 (66-67-72-72=277) | 3打差 | |
| 2 | 2009年4月19日 | 東建ホームメイトカップ | -10 (69-70-67-68=274) | プレーオフ | |
| 3 | 2009年11月29日 | カシオワールドオープンゴルフトーナメント | -21 (67-65-70-65=267) | 3打差 | |
| 4 | 2010年4月15日 | 東建ホームメイトカップ | -1 (74-70-68-71=283) | プレーオフ | |
| 5 | 2011年5月29日 | ダイヤモンドカップゴルフ | -16 (67-65-70-70=272) | 4打差 | |
| 6 | 2013年9月22日 | ANAオープンゴルフトーナメント | -15 (66-68-71-68=273) | 4打差 | |
| 7 | 2014年5月25日 | 関西オープンゴルフ選手権競技 | -15 (71-66-69-67=273) | 2打差 | |
| 8 | 2014年10月26日 | ブリヂストンオープンゴルフトーナメント | −15 (67-65-69-68=269) | 1打差 |
※太字はメジャー大会
| No. | 年 | 大会 | 対戦相手 | 内容 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 2009年 | 東建ホームメイトカップ | プレーオフ2ホール目、金がボギー、小田がパーパットを決める。小田の優勝。 | |
| 2 | 2010年 | 東建ホームメイトカップ | プレーオフ2ホール目、広田が4オンせず脱落、3ホール目、小田がバーディ、丸山がバーディパットを外す。小田の優勝。 |
| 1970年代 | |
|---|---|
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 1970年代 | |
|---|---|
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 |
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