小田原市(おだわらし)は、神奈川県の西部に位置する市。施行時特例市に指定されている[1]。
人口は約19万人。
小田原市のスカイライン(西から東に撮影)
市の中心部
関東地方の南西端に位置し、戦国時代には後北条氏の城下町として栄えた。また、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里である。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として盛えた。箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市である。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった。西湘地域の中心的な都市である。
小田原提灯とかまぼこ、梅、オシツケ等の特産地として全国的に有名である。最近では小田原バーガーや小田原どん、かまぼこドッグ、スミヤキ、オリーブを販売している。
バブル期には東京のベッドタウン化したとも言われたが、バブル崩壊後の長期不況や都心回帰による遠距離通勤の減少などもあって、人口動態が減少に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保のための政策を実施している(ただし、2008年(平成20年)3月31日までに転入した対象者をもって新規受付は終了)。また駅周辺の再開発、および郊外での住宅、都市開発も少しずつ進んでいる。
『多様性を持つ小田原は、癒しや元気といった、人間本来の持つ生きるチカラを与えてくれて、強くしてくれるまち』であるというブランディングアイディアをもとに、「小田原のチカラ」というブランドロゴを使用している。[2]
小田原市の月ごとの平年気温
小田原市の月ごとの平年降水量神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根山の外輪山となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。
小田原市中心部の空中写真。2019年10月2日撮影の30枚を合成作成。国土交通省国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。相模トラフ巨大地震の震源域直上に位置していることや、その分岐断層である国府津−松田断層などの活断層が分布していること、歴史上小田原周辺を震源とする被害地震が発生していることなどから、地震対策に力が入れられている。
気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖である。
| 小田原市(1991年 - 2020年)の気候 |
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| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 20.1 (68.2) | 26.1 (79) | 28.8 (83.8) | 29.7 (85.5) | 32.3 (90.1) | 38.0 (100.4) | 37.9 (100.2) | 39.2 (102.6) | 36.3 (97.3) | 33.2 (91.8) | 28.1 (82.6) | 26.0 (78.8) | 39.2 (102.6) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 10.6 (51.1) | 11.3 (52.3) | 14.1 (57.4) | 18.9 (66) | 22.8 (73) | 25.2 (77.4) | 29.0 (84.2) | 30.6 (87.1) | 27.2 (81) | 22.2 (72) | 17.4 (63.3) | 13.0 (55.4) | 20.2 (68.4) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | 5.3 (41.5) | 6.1 (43) | 9.2 (48.6) | 14.0 (57.2) | 18.2 (64.8) | 21.3 (70.3) | 25.2 (77.4) | 26.4 (79.5) | 23.0 (73.4) | 17.8 (64) | 12.6 (54.7) | 7.8 (46) | 15.6 (60.1) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | 0.6 (33.1) | 1.3 (34.3) | 4.4 (39.9) | 9.2 (48.6) | 13.8 (56.8) | 18.0 (64.4) | 22.0 (71.6) | 23.0 (73.4) | 19.6 (67.3) | 14.1 (57.4) | 8.3 (46.9) | 3.1 (37.6) | 11.4 (52.5) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −5.7 (21.7) | −8 (18) | −4.4 (24.1) | −0.4 (31.3) | 4.8 (40.6) | 11.1 (52) | 14.1 (57.4) | 16.0 (60.8) | 10.4 (50.7) | 4.2 (39.6) | −0.4 (31.3) | −3.8 (25.2) | −8 (18) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 83.7 (3.295) | 89.5 (3.524) | 175.6 (6.913) | 181.7 (7.154) | 182.2 (7.173) | 219.3 (8.634) | 216.0 (8.504) | 167.2 (6.583) | 248.7 (9.791) | 238.7 (9.398) | 119.5 (4.705) | 74.7 (2.941) | 1,996.5 (78.602) |
|---|
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 6.0 | 6.6 | 11.1 | 10.3 | 10.6 | 12.8 | 11.9 | 9.2 | 12.0 | 10.9 | 8.0 | 6.3 | 115.7 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 179.9 | 159.5 | 161.2 | 176.9 | 182.2 | 130.5 | 163.2 | 201.8 | 138.3 | 131.0 | 149.4 | 171.0 | 1,945 |
|---|
| 出典1:気象庁 |
| 出典2:観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) |
先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人と渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化と渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学や考古学において貴重な資料を提供している。
古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある[3]。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が長元3年(1030年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。
平安時代の末期治承4年(1180年)に、蛭ヶ小島(伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。
ウィキソースに
北条五代記の原文「早雲寺殿廿一ケ條」があります。
戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲が小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏、関東管領上杉氏、常陸国守護佐竹氏、下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。北条氏が治めた城下町は戦国時代で最も大きく発展したといわれる[4]。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康の江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。
また後北条氏が滅亡するまで、関東一円の被差別民を支配し、皮革業に独占的な権益を持つなど勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。
江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。貞享3年(1686年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿は箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。
2000年頃、人口は20万人を超えていたが、その後は減少傾向となった。2021年の人口は約18万9000人。
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| 小田原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 小田原市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 小田原市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
小田原市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 163,631人 | | | 1975年(昭和50年) | 173,519人 | | | 1980年(昭和55年) | 177,467人 | | | 1985年(昭和60年) | 185,941人 | | | 1990年(平成2年) | 193,417人 | | | 1995年(平成7年) | 200,103人 | | | 2000年(平成12年) | 200,173人 | | | 2005年(平成17年) | 198,741人 | | | 2010年(平成22年) | 198,327人 | | | 2015年(平成27年) | 194,086人 | | | 2020年(令和2年) | 188,856人 | |
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| 総務省統計局国勢調査より |
- 選挙区:小田原市選挙区
- 定数:2人
- 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和5年)4月29日
| 氏名 | 会派名 |
|---|
| 小澤良央(おざわ よしなか) | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
| 佐々木奈保美(ささき なおみ) | 立憲民主党神奈川県議会議員団 |
太字は行政上用いられる大まかなブロック分け[15][16]、【】内は自治会連合会の名称[17]。
- 橘ブロック
- 橘(たちばな) - 旧橘町
- 下中(しもなか) - 旧下中村 【橘北】
- 前羽(まえは) - 旧前羽村 【前羽】
- 川東ブロック
- 曽我(そが) - 旧曽我村 【曽我】
- 下曽我(しもそが) - 旧下曽我村 【下曽我】
- 国府津(こうづ) - 旧国府津町 【国府津】
- 上府中(かみふなか) - 旧上府中村 【上府中】
- 下府中(しもふなか) - 旧下府中村 【下府中】
- 豊川(とよかわ) - 旧豊川村 【豊川】
- 酒匂(さかわ) - 旧酒匂町 【酒匂・小八幡】
- 北部ブロック
- 桜井(さくらい) - 旧桜井村 【桜井】
- 足柄(あしがら) - 旧足柄町
- 富水(とみず) - 旧富水村 【富水・東富水】
- 柳新田、小台、新屋、清水新田、北窪、府川、穴部、穴部新田、堀之内、中曽根、蓮正寺、飯田岡
- 足柄ブロック
- 二川(ふたがわ) - 旧二川村 【二川】
- 久野(くの) - 旧久野村 【久野】
- 蘆子(あしこ) - 旧蘆子村 【芦子】
- 中央ブロック
- 小田原市街地 - 旧小田原町周辺
- 扇町 (【二川】)
- 中町、寿町 【足柄】
- 東町 【山王網一色】
- 栄町、浜町(2丁目周辺) 【新玉】※
- 浜町(3丁目周辺) 【万年】※
- 城山 【緑】※
- 城内、本町 【幸】※
- 南町 【十字】※
(※旧小田原町に由来。)
- 西部ブロック
- 大窪(おおくぼ) - 旧大窪村 【大窪】
- 水之尾(みずのお) - 旧水之尾村
- 板橋(いたばし) - 旧板橋村
- 風祭(かざまつり) - 旧風祭村
- 入生田(いりうだ) - 旧入生田村
- 早川(はやかわ) - 旧早川村 【早川】
- 片浦(かたうら) - 旧片浦村 【片浦】
- 小田原税務署
- 小田原拘置支所
- 小田原少年院
- 関東農政局神奈川統計情報事務所小田原出張所
- 関東地方整備局横浜国道事務所小田原出張所
- 県西地域県政総合センター
- 小田原警察署
- 小田原県税事務所
- 小田原児童相談所
- 小田原保健福祉事務所
- 温泉地学研究所
- 酒匂川下水道整備事務所
- 神奈川県産業技術総合研究所工芸技術センター
- 神奈川県広域水道企業団
- 神奈川県広域水道企業団曽我ポンプ場
- 酒匂川流域下水道扇町管理センター
- 酒匂川流域下水道酒匂管理センター
- 水産総合研究所相模湾試験場
- 農業総合研究所根府川試験場
- 西部漁港事務所
- 本社
- 拠点
- 温暖な気候により、山地の斜面を利用したミカン栽培も盛んであったが、近年は減反政策がとられ、その代替産業として、橘地区に西湘テクノパークが造成された。
小田原漁港(早川港)を代表とする漁港では、オシツケやスミヤキ、ナガスミヤキなどの小田原独特の食文化を代表する魚をはじめ、さまざまな魚が水揚げされることにより水産加工品の製造も盛んである。ことにかまぼこは小田原の特産品として各地に販路を広げている。
小田原市漁業協同組合では、神奈川県水産技術センターが技術確立したキャベツウニの養殖に取り組んでいる[18]。2020年は約1,000個を出荷した[18]。
- 小田原駅周辺
- 鴨宮駅周辺
- かつてあった商業施設
地元に本店を置く百貨店、志澤が県内、藤沢、本厚木、平塚などに店を構えていたが、西武百貨店の傘下になり、その後、低迷を続け、現在では全面的に撤退をしている。小田原駅近くの志澤ビルのあった場所には万葉の湯(万葉倶楽部)が建てられている。なお、西武百貨店自体は、2013年3月1日に旧ロビンソン百貨店の業態転換により久々に小田原市に存在することになった。
また、小田原駅前には丸井と箱根登山デパート(1980年に箱根登山ベルジュに業態転換)が出店していたが、前者は2000年代前半に撤退し、後者は2013年(平成25年)3月31日に閉店した。
- 公立
- 私立
その他、各地区の公民館[16]。
- 小田原市立中央図書館(かもめ図書館)(南鴨宮)
- 小田原駅東口図書館(ミナカ小田原6階)
- 小田原文学館(南町)
- 図書室
- 橘タウンセンターこゆるぎ・図書コーナー(羽根尾)
- 生涯学習センター国府津学習館・図書室
- 川東タウンセンターマロニエ・図書室(中里)
- 尊徳記念館・図書室(栢山)
- 城北タウンセンターいずみ・図書コーナー(飯田岡)
- 生涯学習センターけやき・図書室(荻窪)
- 休日診療所
出典:[19]
- 集配局 2局
- 無集配局 23局
- 押切郵便局
- 小田原飯田岡郵便局
- 小田原板橋郵便局
- 小田原扇町郵便局
- 小田原鴨宮郵便局
- 小田原久野郵便局
- 小田原国府津郵便局
- 小田原寿町郵便局
- 小田原栄町郵便局
- 小田原城山郵便局
- 小田原富水郵便局
- 小田原成田郵便局
- 小田原浜町郵便局
- 小田原早川郵便局
- 小田原本町郵便局
- 小田原南町郵便局
- 鴨宮駅前郵便局
- 栢山駅前郵便局
- 酒匂郵便局
- 下曾我郵便局
- 下中郵便局
- 根府川郵便局
- 螢田駅前郵便局
- 簡易郵便局 1局
古くより、交通の要衝として栄え、現在でも小田原駅は数多くの路線が乗り入れるターミナル駅である。80 km離れた東京へは、新幹線・在来線・私鉄路線で結ばれている。なお、小田原市鴨宮は東海道新幹線の開業前に実験線(鴨宮モデル線区、現在は新幹線の路線の一部となっている)が建設された、新幹線発祥の地である。一方道路は近年整備が進んだものの、地理的に箱根や伊豆方面から、東京や横浜に向かう交通が市内で輻輳するため、行楽シーズンの休日は市内の各道路で大渋滞が発生することがある。なお、港町でありながら水上交通は盛んでない。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線・■上野東京ライン・
湘南新宿ライン[注釈 1]- 東海旅客鉄道(JR東海)
東海道新幹線
御殿場線- 小田急電鉄
小田原線- 小田急箱根
鉄道線(箱根登山電車)- 伊豆箱根鉄道
大雄山線
1956年(昭和31年)までは、路面電車として箱根登山鉄道(現:小田急箱根)の小田原市内線も存在した。また1896年(明治29年) -1922年(大正11年)には、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道→熱海鉄道も熱海へ向かう路線を小田原を起点にして保有していた。
以上2社は、小田原市内に、営業所を持つ。
神奈中の路線は秦野営業所の路線が国府津駅まで乗り入れる。
- 小田原アリーナ
- 西湘スポーツセンター
- 酒匂川右岸河川敷
- 酒匂川左岸サイクリング場
- 上府中公園
- マロニエホール(体育館)
- 小田原テニスガーデン
- 小田原市城山陸上競技場
- 小田原城山庭球場
- 小田原城内弓道場
- 御幸の浜プール
- 出初式(1月11日)
- 小田原梅まつり(2月初頭-3月初頭)
- 菓子まつり(2月下旬)
- 小田原桜まつり(3月下旬-4月上旬)
- 小田原城址公園 ぼんぼり点灯
- 本丸広場 桜ライトアップ
- 報徳二宮神社 夜桜詣で
- 小田原かまぼこ桜まつり(3月末)
- 北条五代祭り(5月3日) - 神事でなく観光行事。
- 松原神社・山王神社・居神神社・大稲荷神社例大祭(5月3日 -5月5日)
- 小田原城あじさい花菖蒲まつり(6月上旬)
- 小田原ちょうちん夏まつり(7月最終土日)
- 酒匂川花火大会(8月最初の土曜) - 1990年以降、順延はあるが、中止は東日本大震災の2011年だけ。
- 一夜城まつり(10月下旬)
- 城下町おだわらツーデーマーチ(11月中旬)
- 小田原市農業まつり(11月中旬)
- 過去のイベント
- 御幸の浜花火大会 - かつては8月15日、2000年から数回11月に不定期開催、2008年以降開催なし。
- ときめき小田原夢まつり(1990年4月 - 1991年11月)
- 小田原さかなまつり - 10月下旬。
- 1990年(平成2年)頃(バブル経済崩壊前後)までは小田原城には毎年多くの観光客が訪れていたがその後は減少し、一時期の年間来場者数は29万人を下回った。しかし、2009年(平成21年)頃からの歴史・城ブームや不景気による国内旅行の増加などもあり、2010年(平成22年)4月には15年ぶりに来場者数が40万人台まで復活した。
- 小田原城址公園には2005年(平成17年)ほどまで動物園(無料)があったが、城址は国の史跡に指定されており、歴史的な観点から不適当であると判断されたことに加え、動物園の環境調査で全国最下位の劣悪な環境と格付けされたこともあり、動物たちは順次、市内に新設された小田原こどもの森公園わんぱくらんど等に移された。2009年(平成21年)9月にゾウのウメ子が死んだのを最後に城址公園から動物たちはいなくなった(サルは一時的に引越しという形になっている)。
- 現在の旭丘高等学校の地に、元々蓮池があり、その蓮池再建計画の為に移転を要求した。しかし、移転の為の補助金を一切出さなかったことが仇となり、学校側は全校あげて同地の建て直しの署名活動を起こした。そのことから、当時の文部省(現在の文部科学省)の外局文化庁との3者協議を数回に亘り行った結果、同地の蓮池化計画を断念せざるを得なくなってしまった。
小田原市は、湘南ナンバー(神奈川運輸支局)を割り当てられている。
湘南ナンバー割り当て地域
- 平塚市・藤沢市・茅ヶ崎市・小田原市・秦野市・伊勢原市・南足柄市・高座郡(寒川町)・中郡(大磯町、二宮町)・足柄上郡(大井町、開成町、中井町、松田町、山北町)・足柄下郡(箱根町、真鶴町、湯河原町)
小田原市はテレビ・劇場用映画やテレビCMなどの撮影ロケーションの誘致活動を行っている。フィルム・コミッションと呼ばれるこの活動の一環として、市民の希望者をエキストラに登録し、随時出演を要請している。SeishoCinemaFes、小田原映画祭が開催され、ショートフィルムコンテストが行われる。フィルム・コミッション事業(西さがみ連邦共和国フィルム・コミッション)の実績は年々増加していたが、2020年現在、西さがみ連邦共和国フィルム・コミッションは解散している。[23]
ただしSeishoCinemaFesを主催するSeishoCinemaClubが自主映画のロケ協力をおこなっているため、自主映画の撮影などは行われている。
また、農業・漁業・工業・商業といった産業が多岐にわたっているため、社会科の教育番組の舞台となったり教科書で取り上げられたりすることが多い。
小田原城
生命の星地球博物館
小田原警察署
小田原のみかんと海
国立箱根病院
小田原市立病院
長興山紹太寺のしだれ桜
相模信金
老欅荘, 1946
鈴廣
小田原宿
外郎
小田原郵便局
小田原にあるバス停(2013年9月撮影)
はこね・おだわら昆虫館
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| 中央地域 | |
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| 片浦地域 | |
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| 富水・桜井地域 | |
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| 川東・南部地域 | |
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| 川東・北部地域 | |
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| 橘地域 | |
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