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小泉梧郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小泉 梧郎(こいずみ ごろう、1895年明治28年)8月24日[1] -1974年昭和49年)3月4日[2])は、日本内務官僚実業家。官選県知事位階正四位勲二等瑞宝章

経歴

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鳥取県出身。小泉謙蔵の五男として生まれる[1]第三高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し山梨県属となる[1][3]

以後、内務省社会局事務官山形県書記官警察部長、熊本県書記官・経済部長、広島県書記官・警察部長、福岡県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、国民精神総動員本部常任理事、大政翼賛会協力会議部長などを歴任[4]

1942年1月、島根県知事に就任。中等教育の刷新、浜田港修築工事の着工、食糧増産などに尽力[5]1943年8月、中国地方行政協議会参事官に転任。1944年8月、岡山県知事に転任し終戦を迎えた[1]1945年9月、内務省国土局長となり[6]、同年10月に同警保局長に転じ1946年1月まで在任し退官した[7]。その後、公職追放となる[3]

そして、日本スコッチライト社長、日本ドライケミカル社長を務めた[5]。位階は従四位。1974年死去。死没日付をもって勲二等瑞宝章を追贈された[8]

脚注

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  1. ^abcd『新編日本の歴代知事』817頁。
  2. ^『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』472頁。
  3. ^ab『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』230頁。
  4. ^『人事興信録』第14版 上、コ5頁。
  5. ^ab『新編日本の歴代知事』794頁。
  6. ^『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』94頁。
  7. ^『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』90頁。
  8. ^昭和49年 1974年3月14日付 官報 本紙 第14161号 11頁

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
島根県の旗島根県知事(官選第38代:1942-1943)
官選
参事

寺田剛実未赴任

県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
岡山県の旗岡山県知事(官選第29代:1944-1945)
官選
大参事
参事・権令
県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
日本の旗 内務省警保局長(1945-1946)
内務省警保局長
内事局第一局長
国家地方警察本部長官
警察庁長官
カテゴリカテゴリ
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