| 小樽築港駅 | |
|---|---|
南口駅舎(2018年9月) | |
| おたるちっこう Otaruchikkō | |
◄S14南小樽 (2.1 km) (3.1 km)朝里 S12► | |
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| 所在地 | 北海道小樽市築港1番4号 |
| 駅番号 | ○S13 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | ■函館本線 |
| キロ程 | 256.2 km(函館起点) |
| 電報略号 | タコ |
| 駅構造 | 橋上駅 |
| ホーム | 1面2線 |
| 乗車人員 -統計年度- | [* 1][注 1]2,008人/日(降車客含まず) -2022年- |
| 開業年月日 | 1910年(明治43年)11月21日[1] |
| 備考 | |
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| 小樽築港駅 | |
|---|---|
1976年の小樽築港駅と小樽機関区、周囲約1.75 km範囲。下側を走るのが本線で、左が小樽駅方面。右下カーブの頂点に当駅の駅舎と島式ホーム1面2線がある。駅舎側は貨物ホームとして使用され、小樽寄りに引込線が3本敷かれている。既に石炭船積駅としての役目は終わっており、海上桟橋の基礎や構内配線はまだそのまま残されているが、左上では現在の勝納埠頭の埋立が始まっており、かつての貯炭ヤードには土木資材が置かれている。また右側の港湾設備には多くの木材が浮かび、木材取扱いが主要になっている。機関区は半円以上閉じた大きな扇形車庫が残り、その外側を左端に向けて浜小樽駅への貨物支線が敷かれている。機関庫の上の青い屋根の建家は小口貨物取扱い上屋で、右端の青い屋根は車扱貨物の上屋であった。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成 | |
| おたるちっこう Otaru-Chikkō | |
(3.2 km)浜小樽► | |
| 所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
| 所属路線 | 函館本線(貨物支線) |
| キロ程 | 0.0 km(小樽築港起点) |
| 開業年月日 | 1932年(昭和7年)7月1日[3] |
| 廃止年月日 | 1984年(昭和59年)2月1日[3] |
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小樽築港駅(おたるちっこうえき)は、北海道小樽市築港にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はS13。電報略号はタコ。事務管理コードは▲130117[4][5]。
その名の通り、小樽港を築く(建設する)ため、建設工事に使用する資材を運び入れるために開業した駅である。かつては操車場(貨物ヤード)・機関区を擁する大規模な駅であった[6]。現在は操車場跡地が商業施設などとして再開発され、特別快速・快速「エアポート」、快速「ニセコライナー」が停車する。
本項では、駅周辺にある日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ集配基地(オフレールステーション)である小樽築港オフレールステーション(小樽築港ORS)についても記載する。
島式ホーム1面2線を有する橋上駅。鉄骨2階建となる駅舎デザインはJR北海道と姉妹提携しているデンマーク国鉄(DSB)との共同で決定し、襖・障子をイメージとして上部をガラス張り、下部を石造りとした近代的なデザインとなっている[13]。総工費13億円のうち7億円を小樽市が負担した[13]。
小樽駅が管理し、北海道ジェイ・アール・サービスネットが駅業務を行う業務委託駅である。みどりの窓口・自動券売機・話せる券売機[2]・自動改札機・エレベーター・エスカレーター設置。駅の南北を自由連絡通路(マリンロード)で結んでいる。
かつて小樽築港機関区のあった駅の北西に、保線車両・除雪車両の留置線や資材基地が置かれている。「C62ニセコ」運転当時は、C62 3はここで整備され運転に向かっていた。
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 | ■函館本線 | 上り | 小樽・倶知安方面 |
| 2 | 下り | 札幌・新千歳空港・岩見沢方面 |
(出典:JR北海道:駅の情報検索)
JR貨物のコンテナ集配基地で、小樽築港駅の西側1 kmほどの場所にある。ここでは12ftコンテナのみを取り扱っている。貨物列車の代替のトラック便が札幌貨物ターミナル駅との間に1日4往復運行する。
国鉄分割民営化前の1986年(昭和61年)11月に小樽築港駅での貨物の取扱いが廃止された。同時に小樽築港コンテナセンターが設置され、トラック代行輸送が開始された。その後、2006年(平成18年)4月に、コンテナセンターからオフレールステーションに改称した。
乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1920年(大正09年) | 100,434 | (275.2) | [18] | ||
| 1921年(大正10年) | 106,522 | (291.8) | |||
| 1922年(大正11年) | 101,692 | (278.6) | |||
| 1923年(大正12年) | 121,321 | (331.5) | |||
| 1924年(大正13年) | 157,941 | (432.7) | |||
| 1925年(大正14年) | 186,973 | (512.3) | |||
| 1926年(昭和1年) | 188,016 | (515.1) | |||
| 1927年(昭和2年) | 197,699 | (540.2) | |||
| 1928年(昭和3年) | 203,034 | (556.3) | |||
| 1929年(昭和4年) | 205,255 | (562.3) | |||
| 1930年(昭和5年) | 137,449 | (376.6) | |||
| 1931年(昭和6年) | 112,780 | (308.1) | |||
| 1932年(昭和7年) | 98,459 | (269.8) | |||
| 1934年(昭和9年) | 96,150 | (263.4) | |||
| 1935年(昭和10年) | 100,089 | (273.5) | |||
| 1936年(昭和11年) | 108,347 | (296.8) | |||
| 1937年(昭和12年) | 105,410 | (288.8) | |||
| 1948年(昭和23年) | 273,872 | (750.3) | |||
| 1949年(昭和24年) | 385,543 | (1056.3) | |||
| 1950年(昭和25年) | 360,425 | (987.5) | |||
| 1951年(昭和26年) | 397,177 | (1085.2) | |||
| 1952年(昭和27年) | 371,557 | (1018.0) | |||
| 1953年(昭和28年) | 327,938 | (898.5) | |||
| 1954年(昭和29年) | 288,394 | (790.1) | |||
| 1955年(昭和30年) | 241,473 | (659.8) | |||
| 1956年(昭和31年) | 209,033 | (572.7) | |||
| 1957年(昭和32年) | 218,665 | (599.1) | |||
| 1958年(昭和33年) | 241,856 | (662.6) | |||
| 1959年(昭和34年) | 245,000 | (669.4) | [19][注 2] | 以下、年間値は千人単位のものを人換算 | |
| 1960年(昭和35年) | 275,000 | (753.4) | |||
| 1961年(昭和36年) | 266,000 | (728.8) | |||
| 1962年(昭和37年) | 245,000 | (671.2) | |||
| 1963年(昭和38年) | 254,000 | (694.0) | |||
| 1964年(昭和39年) | 302,000 | (827.4) | |||
| 1965年(昭和40年) | 312,000 | (854.8) | |||
| 1966年(昭和41年) | 320,000 | (876.7) | |||
| 1967年(昭和42年) | 315,000 | (860.7) | |||
| 1968年(昭和43年) | 341,000 | (934.2) | |||
| 1969年(昭和44年) | 321,000 | (879.5) | |||
| 1970年(昭和45年) | 261,000 | (715.1) | |||
| 1971年(昭和46年) | 257,000 | (702.2) | |||
| 1972年(昭和47年) | 488,000 | (1337.0) | |||
| 1973年(昭和48年) | 453,000 | (1241.1) | |||
| 1974年(昭和49年) | 233,000 | (638.4) | |||
| 1975年(昭和50年) | 246,000 | (672.1) | |||
| 1976年(昭和51年) | 257,000 | (704.1) | |||
| 1977年(昭和52年) | 249,000 | (682.2) | |||
| 1978年(昭和53年) | 247,000 | (676.7) | [19][20] | ||
| 1979年(昭和54年) | 258,000 | (704.9) | [19] | ||
| 1980年(昭和55年) | 263,000 | (720.5) | |||
| 1981年(昭和56年) | 266,000 | (728.8) | |||
| 1982年(昭和57年) | 273,000 | (747.9) | |||
| 1983年(昭和58年) | 280,000 | (765.0) | |||
| 1984年(昭和59年) | 281,000 | (769.9) | |||
| 1985年(昭和60年) | 282,000 | (772.6) | |||
| 1986年(昭和61年) | 285,000 | (780.8) | |||
| 1987年(昭和62年) | 264,000 | (721.3) | |||
| 1988年(昭和63年) | 283,000 | (775.3) | |||
| 1989年(平成元年) | 299,000 | (819.2) | |||
| 1990年(平成02年) | 326,000 | (893.2) | |||
| 1991年(平成03年) | 335,000 | (915.3) | |||
| 1992年(平成04年) | 381,000 | (1043.8) | |||
| 1993年(平成05年) | 430,000 | (1178.1) | |||
| 1994年(平成06年) | 432,000 | (1183.6) | |||
| 1995年(平成07年) | 430,000 | (1174.9) | |||
| 1996年(平成08年) | 404,000 | (1106.8) | 同年小樽築港駅周辺地区再開発事業基盤整備着手 | ||
| 1998年(平成10年) | 550,000 | (1506.8) | [* 2] | ||
| 1999年(平成11年) | 1,518,000 | (4147.5) | 新駅舎開業、マリンロード開業、「マイカル小樽」開業。 | ||
| 2000年(平成12年) | 1,325,000 | (3630.1) | |||
| 2001年(平成13年) | 1,219,000 | (3339.7) | |||
| 2002年(平成14年) | 1,026,000 | (2811.0) | |||
| 2003年(平成15年) | 987,000 | (2696.7) | [* 3] | ||
| 2004年(平成16年) | 968,000 | (2652.1) | [* 4] | ||
| 2005年(平成17年) | 955,000 | (2616.4) | [* 5] | ||
| 2006年(平成18年) | 945,000 | (2589.0) | |||
| 2007年(平成19年) | 929,000 | (2538.3) | |||
| 2008年(平成20年) | 913,000 | (2501.4) | |||
| 2009年(平成21年) | 887,000 | (2430.1) | |||
| 2010年(平成22年) | 869,000 | (2380.8) | [* 6] | ||
| 2011年(平成23年) | 855,000 | (2336.1) | |||
| 2012年(平成24年) | 879,000 | (2408.2) | |||
| 2013年(平成25年) | 918,000 | (2515.1) | [* 7] | ||
| 2014年(平成26年) | 923,000 | (2528.8) | |||
| 2015年(平成27年) | 915,000 | (2500.0) | |||
| 2016年(平成28年) | 903,000 | (2474.0) | [* 8] | ||
| 2017年(平成29年) | 913,000 | (2501.4) | |||
| 2018年(平成30年) | 919,000 | (2517.8) | [* 9] | ||
| 2019年(令和元年) | 893,000 | (2439.9) | [* 10] | ||
| 2020年(令和02年) | 585,000 | (1602.7) | [* 11] | ||
| 2021年(令和03年) | 626,000 | (1715.1) | [* 1] | ||
| 2022年(令和04年) | 733,000 | (2008.2) | |||

1980年(昭和55年)の日本国有鉄道(国鉄)貨物ヤード機能廃止による遊休地を有効活用するため[21]、小樽市は小樽築港駅周辺地区の土地利用の見直しを決定し[22] 、魅力あるウォーターフロントを創出するために土地区画整理事業「小樽築港駅周辺地区土地区画整理事業」(ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業)を行い、小樽築港駅も南北の駅前広場と自由通路、新駅舎の建設が決まり[21]、1999年(平成11年)に完成した。駅舎は自由連絡通路(マリンロード)によって「ウイングベイ小樽」に直結している。新日本海フェリー「小樽フェリーターミナル」までは車で約5分の距離に位置している。南口は駅前に「小林多喜二住居跡」碑や国道5号があるほか、北海道小樽水産高等学校への最寄口になっている。
駅南側の国道5号上に「小樽築港駅」停留所、北側のウイングベイ小樽側に「ぱるて築港」停留所がある。