宣命(せんみょう)とは、天皇の命令を漢字だけの和文体で記した文書であり、漢文体の詔勅に対していう。この文体を宣命体(-たい)、その表記法を宣命書(-がき)、また宣命を読み上げる使者を宣命使(-し)、宣命を記す紙を宣命紙(-し)という。宣命体は、漢字仮名交じり文の源泉となった文体で、かなの発達史上、大変重要な文書である。
天皇が宣(の)りたまう大命(おおみこと、命令)の意で、本来は口頭で宣布され、それを宣命体で書記した。奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。
宣命・祝詞[1]などの文体を宣命体といい、その表記法である宣命書とは、体言・用言の語幹を大きな字で書き、助詞・助動詞・用言の活用語尾などは、一字一音の万葉仮名で小さく右に寄せて書く方法である。「を」には「乎」、「の」には「乃」、「は」には「波」などを一定して使っている。ただし、宣命体には2種類ある。助詞なども含めてすべて大字で書かれる宣命大書体(せんみょう だいしょたい)と、上述のように助詞などを小字で書き分ける宣命小書体(せんみょう しょうしょたい)である。
宣命書は、「漢字万葉仮名交じり文」と言えるが、その万葉仮名を平仮名に変えると、「漢字仮名交じり文」とほぼ同じになり、これは日本語表記の展開史の上で注目すべき出来事であった[2]。
古代朝鮮の吏読(りとう)が宣命体を導いたと推測されている。文型上、朝鮮語は日本語とよく似た言語で、助詞や助動詞などの文法的要素を必要とするため、漢文で書かれていた古代朝鮮の公文書にこれらの朝鮮語を書き加えることがおこってくる。これを吏読というが、原則として漢文の各分節の終わりにその要素を送りがなのように漢字で記した。この方法は日本の宣命書と同じであり、ここに吏読が宣命体のモデルという推測が生まれた[3]。ただ、仮名を小さく書く宣命小書体に進展したのは、日本における成果である[4]。
宣命を記す紙で、普通は黄麻紙(おうまし)を用い、伊勢神宮には縹色の紙、賀茂神社には紅色の紙を用いた[5]。
黄麻紙とは、麻を主体に造った紙で、害虫を防ぐために黄檗(おうばく)で染めたため、その色からこの名がある。古来より麻は清浄なものとされていたので、奈良時代の写経にも多く使用された。[6]
『続日本紀』には、697年、文武天皇の即位時のものをはじめとする宣命が62編、収録されている。しかし、いずれも原本は現存しない。天平勝宝9歳(757年)3月25日の孝謙天皇宣命の転写が正倉院文書・正集第44巻に収めされている[7][8]。
| 原文 | 釈文 |
|---|---|
天皇我 大命良末等 宣布 大命乎 | 天皇(すめら)が大命(おほみこと)らまと宣(のりたま)ふ大命を |
後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣(宣命)で践祚して以降、上皇による院宣(宣命)によって新天皇が践祚することができるようになった。次のものは、後醍醐天皇が笠置山に立て籠もったことによって、後伏見上皇が皇太子量仁親王(光厳天皇)の践祚を命じた宣命である[9]。
後伏見上皇宣命案太上天皇乃 詔御命乎 、親王・諸王・諸臣・百官乃 人等、天下公民衆聞食と 宣。先帝不為尓 致謙遊須 、□皇太子乎 天日嗣尓 定賜布 、衆諸此状乎 悟弖 、清直乃 心乎 持弖 輔導支 仕奉弖 、天下乎 平久 令有弖 、詔御命乎 衆聞食と 宣、
— 『壬生家文書』「古宣命」[10]
元弘元年九月廿日
光厳上皇が、豊仁親王(光明天皇)の立太子と践祚を命じた宣命。
光厳上皇宣命案太上天皇乃 詔御命乎 、親王・諸王・諸臣・百官乃 人等天下公民衆聞食と 宣、
建武三年八月十五日 — 『壬生家文書』「古宣命」[10]
先帝事起不図弖 忽京師乎 辞須、皇位者 不可曠尓依弖、某親王(※豊仁親王)乎 皇太子と 定賜比弖、天日嗣乎 定賜布、衆諸此状乎 悟弖、清直乃 心乎 持弖 皇太子乎 輔導支 仕奉弖、天下乎 平介久 令有与、又如此時尓 南都之人人不好留 謀乎 懐弖、天下乎毛 乱利、己加 氏門乎毛 滅人等毛 前前有利、若如此有牟 人□者己加 教(〃)教訓直弖、各乃 己祖乃 門乎□滅須 弥高尓 仕奉利、欲継と 思慎を 无弐心志弖 仕奉倍志止 詔、御命乎 衆聞食と 宣、
崇光天皇即位宣命現神度 大八洲国所知須 天皇我 詔旨良万度 宣勅乎 親王・諸王・諸臣・百官人等・天下公民衆聞食度 宣、掛畏岐 平安宮爾 御宇志 倭根子天皇我 宣、此天日嗣高座乃 業乎、掛畏岐 近江乃 大津乃 宮爾 御宇志 天皇乃 初賜比 定賜倍留 法随爾 仕奉度 仰賜比 授賜布 大命乎、受賜利 恐美 受賜利 慴利、進母 不知爾 退母 不知爾 恐美 坐久度 宣天皇我 勅乎、衆聞食度 宣、
貞和五年十二月廿六日 — 『園太暦』貞和御即位記
然皇度 坐弖 天下治賜君者、賢人乃 良佐乎 得弖之、天下乎者 平久 安久 治賜物爾 在度奈牟 聞食須、故是以大命坐宣久、朕雖拙劣、親王等乎 初弖、王等・臣等乃 相穴奈比 奉利、相扶奉牟 事爾 依弖、此乃 仰賜比 授賜倍留 食国乃 天下之政者、平久 安久 仕奉倍志度奈牟 所念行須、是以正直之心弖、天皇朝廷乎 衆助仕奉度 宣天皇勅乎、衆聞食度 宣、
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