Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

宝永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、日本の元号について説明しています。福井県福井市の町名については「宝永 (福井市)」をご覧ください。

宝永ほうえい旧字体寶永)は、日本元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇東山天皇中御門天皇江戸幕府将軍は徳川綱吉徳川家宣

改元

[編集]

前回の元禄改元の際に霊元上皇が希望して幕府が拒絶した案だったが、今回の改元の際には朝廷の案と幕府の希望が合致しなかったために採用されたと言われている。貞享・元禄の改元の時には朝廷が出した最終案の候補2つが両方幕府から拒絶されて再提出した経緯があったために、今回は最終案の候補を7つとして幕府に提出したが全て拒絶された。このため、再提出の際には候補に挙がった22の案が出され、幕府も最終的には「宝永」を選ぶ事で事態を収拾させた[1]。また、施行時にも京都市中への布告は改元から24日後の4月7日のことになり、近衛基煕を嘆かせた(当時、元号の施行権は幕府にあり、京都の朝廷から江戸の幕府への改元の告知→江戸城における公達→江戸から京都所司代への公達の通知→京都所司代から京都市中への布告の手続きを踏むことになっており、布告前に京都市民が新元号を使うことが禁じられていた)[2]

出典

[編集]
  • 旧唐書』の「祚惟、暉光日新」から。

皇帝の徳が光り輝き、そして世の中を一新するという意味である。

宝永年間の出来事

[編集]

宝永4年(1707年)に南海トラフ巨大地震の一つで歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4 - 8.6)が発生、その49日後には今日までにおける史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が起きている。

※日付はいずれも旧暦。

死去

[編集]

西暦との対照表

[編集]

※は小の月を示す。

宝永元年(甲申一月二月※三月四月※五月六月七月※八月九月十月※十一月十二月※
グレゴリオ暦1704/2/53/64/45/46/27/28/18/309/2910/2911/2712/27
ユリウス暦1704/1/252/243/244/235/226/217/218/199/1810/1811/1612/16
宝永二年(乙酉一月二月※三月※四月閏四月※五月六月※七月八月九月※十月十一月十二月※
グレゴリオ暦1705/1/252/243/254/235/236/217/218/199/1810/1811/1612/161706/1/15
ユリウス暦1705/1/142/133/144/125/126/107/108/89/710/711/512/51706/1/4
宝永三年(丙戌一月二月※三月※四月五月※六月※七月八月九月※十月十一月十二月
グレゴリオ暦1706/2/133/154/135/126/117/108/89/710/711/512/51707/1/4
ユリウス暦1706/2/23/44/25/15/316/297/288/279/2610/2511/2412/24
宝永四年(丁亥一月※二月三月※四月※五月六月※七月※八月九月※十月十一月十二月
グレゴリオ暦1707/2/33/44/35/25/316/307/298/279/2610/2511/2412/24
ユリウス暦1707/1/232/213/234/215/206/197/188/169/1510/1411/1312/13
宝永五年(戊子一月閏一月※二月三月※四月※五月六月※七月※八月九月※十月十一月十二月
グレゴリオ暦1708/1/232/223/224/215/206/187/188/169/1410/1411/1212/121709/1/11
ユリウス暦1708/1/122/113/114/105/96/77/78/59/310/311/112/112/31
宝永六年(己丑一月※二月三月四月※五月※六月七月※八月※九月十月※十一月十二月
グレゴリオ暦1709/2/103/114/105/106/87/78/69/410/311/212/112/31
ユリウス暦1709/1/302/283/304/295/286/267/268/249/2210/2211/2012/20
宝永七年(庚寅一月※二月三月四月※五月六月※七月八月※閏八月※九月十月※十一月十二月※
グレゴリオ暦1710/1/302/283/304/295/286/277/268/259/2310/2211/2112/201711/1/19
ユリウス暦1710/1/192/173/194/185/176/167/158/149/1210/1111/1012/91711/1/8
宝永八年(辛卯一月二月三月四月※五月六月※七月八月※九月※十月十一月※十二月
グレゴリオ暦1711/2/173/194/185/186/167/168/149/1310/1211/1012/101712/1/8
ユリウス暦1711/2/63/84/75/76/57/58/39/210/110/3011/2912/28

脚注

[編集]
[脚注の使い方]
  1. ^久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年)ISBN 4-87294-115-2 P236-238.
  2. ^久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年)ISBN 4-87294-115-2 P241-242.

参考文献

[編集]
  • 震災予防調査会編 『大日本地震史料』 上巻、丸善、1904年
注1:前の数字は番号。南北朝時代の「南」は南朝、「北」は北朝の元号を指す。慣例に従い南朝を正統とする。
注2:後の数字は元年と末年。源氏政権の「寿永」は元年でなく使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年、「観応」は復活の年、「明徳」は統一の年も記す。
注3:明治以前は、改元が布告された年の元日に遡って新元号を適用されたと見なす立年改元が慣例とされていた。赤背景では布告日を西暦に換算すると年が明けているが、元日に遡るのであればそのままである。例えば、安政への改元が布告された嘉永7年11月27日は1855年1月15日であるが、元日は1854年1月29日である。
飛鳥時代
奈良時代
四字元号
平安時代
平氏政権
源氏政権
  • 治承 - 1183
  • 寿永1183 - 1184
  • 106元暦1184 -
鎌倉時代
大覚寺統
持明院統
  • 元徳 - 1332
  • 北1正慶1332 - 1333
南北朝時代
  • 元弘 - 1334
  • 156建武1334 - 1336
南朝
北朝
室町幕府
長門探題
  • 貞和 - 1351
  • 観応 - 1351
  • 正平1351 - 1352
南朝
  • 正平 - 1370
  • 160(南5)建徳1370 - 1372
  • 161(南6)文中1372 - 1375
  • 162(南7)天授1375 - 1381
  • 163(南8)弘和1381 - 1384
  • 164(南9)元中1384 - 1392
北朝
室町時代
  • 165 明徳1392 - 1394
  • 166応永1394 - 1428
  • 167正長1428 - 1429
室町幕府
鎌倉府
  • 正長 - 1431
室町幕府
古河府
  • 享徳 - 1478
安土桃山時代
江戸時代
現代
一覧記事一覧カテゴリ カテゴリ
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=宝永&oldid=98449523」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp