宜野湾市 (ぎのわんし、沖縄語 :ジノーン[ 1] )は、沖縄本島 中南部の中央に位置する沖縄県 の市 。
キャッチフレーズは「ねたての都市 (まち)ぎのわん 」で、本市の広報紙の題名にもなっている。「ねたて」とは「おもろさうし 」にも表された言葉で、「物事の根元」、「共同体の中心」を意味する[ 2] 。
普天間飛行場 (左下)と飛行場北側の市街地の航空写真(1977年 )。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成普天間飛行場 (右上)と飛行場南西側の市街地の航空写真(1977年 )。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成沖縄本島の中部、那覇市 の北東約10 km に位置する。市の中央部の台地を普天間飛行場 (英 :Marine Corps Air Station Futenma )、北部をキャンプ・フォスター が占める基地の街である。この二つの施設を挟む様にして国道58号 と国道330号 が通っている。国道58号の東側から緩やかな台地となり、西原町と中城村に接する市南部から市東部にかけて小高い丘が点在する。市西部は東シナ海 に面し、海岸線は出入りが少なく遠浅である。その周辺の西海岸地域では沖縄コンベンションセンター と宜野湾海浜公園 を中心に、観光・商業地域としての発展を目指している。また、国道58号宜野湾バイパス 沿いには大山タイモ畑 が広がっている。宜野湾市役所から那覇市役所までは直線距離でおよそ10 km、浦添市と沖縄市からはそれぞれおよそ6 kmの距離にある。
主な川 アメリカ海兵隊 の普天間飛行場 (英 :Marine Corps Air Station Futenma 、略してMCAS FUTENMA)が占めている。面積は4.83 km2 で、市面積の約25%にあたる。ほとんどが民有地で、土地使用の見返りとして約2,800人の地権者へ軍用地料が支払われている。一般的には「普天間基地」と表記・呼称される事が多い。また、「普天間」と略称する事もある(「普天間 」は宜野湾市北東部の地名であるため飛行場の周辺住民 、とりわけ地元宜野湾市民は単に「基地」と呼ぶ事が多い)。1945年 (昭和20年)にアメリカ陸軍 工兵隊が日本本土への攻撃に備えて土地を強制接収し飛行場を建設して以来、60年以上米軍 施設として使用されている。1960年 (昭和35年)にアメリカ陸軍からアメリカ海兵隊に管理が移され、1972年 (昭和47年)の沖縄返還 の際に普天間海兵隊飛行場、普天間陸軍補助施設、普天間海兵隊飛行場通信所が統合し現在の普天間飛行場となった。
宜野湾市伊佐 と北中城村 渡口を結ぶ沖縄県道81号宜野湾北中城線 を東西軸とする。県道81号の北側では沖縄市 ・北谷町 ・北中城村 にもまたがるキャンプ・フォスターが占めており、市内での面積は1.6 km2 となっている。上記の中央部同様、土地使用の見返りとして地権者へ軍用地料が支払われている。キャンプ・フォスターの普天間ハウジング地区にはキャンプ桑江 (英 :Camp Lester )にある沖縄海軍病院(在沖縄アメリカ海軍 病院)が移転する予定がある。
市の行政の中心地。宜野湾市役所、宜野湾市第二庁舎(消防本部 ・水道局 )、宜野湾市民会館などがある。
那覇市 と沖縄市 を結ぶ国道330号 を軸とする。志真志から野嵩にかけての約4 kmの国道330号沿いには30余りの自動車 販売業者が点在し、その殆どが中古車販売店であることから宜野湾中古車街道 (ぎのわんちゅうこしゃかいどう)と呼ばれる事もある。
嘉数地域の丘陵(嘉数高台、嘉数高地)周辺は沖縄戦 で最大の激戦地となった(詳細は嘉数の戦い を参照)。現在は嘉数高台公園として整備されている。高台頂上の地球を模した展望台からは普天間飛行場を一望でき、景観が抜群であるために報道機関 の取材や反戦 教育などによく利用されている。閣僚 ・国会議員 などが沖縄を訪れる際にもここから普天間飛行場の状況を視察する事が多い。また、アメリカ 総領事 公邸が立地している。
コンベンションエリアを含む西海岸地域。沖縄の大動脈国道58号 とそのバイパス道路 である宜野湾バイパス を軸とする。真志喜 ・宇地泊地域の宜野湾バイパス沿い(通称コンベンションエリア)には沖縄コンベンションセンター、宜野湾海浜公園 (総合運動公園)、トロピカルビーチ (海水浴場)、宜野湾マリーナ(宜野湾港)、ラグナガーデンホテル(全日空ホテルズ )など様々な施設が集積しており、那覇市 の奥武山町(沖縄県営奥武山公園 )と並んで沖縄県のイベントの中心地的な役割を担っている。有名アーティストのコンサートはコンベンションエリアで行われる事が多い。また、宜野湾海浜公園内のスポーツ施設群はプロ野球 の横浜DeNAベイスターズ が春季・秋季のキャンプ 地として使用している。更なる発展を目指して宜野湾市は観光関連企業の誘致を行っており、過去にはプリンスホテル やDFSギャラリア・沖縄 の建設計画があった。現在はインターコンチネンタル東京ベイを運営するホスピタリティ・ネットワーク社、サイバーファーム の子会社サイオン、不動産業のジョイント・コーポレーション、ボウリング・アミューズメント企業のラウンドワン 進出が決定し、「沖縄インターコンチネンタルホテル(仮称)」や「沖縄宜野湾BAYリゾート計画」などの開発が予定されている。
大山地域は豊富な湧き水を利用したタイモ 栽培が盛んで、国道58号と宜野湾バイパスの間にはタイモ畑(大山タイモ畑 )が広がっている。
現行行政町名一覧
宜野湾市では、一部の区域で住居表示に関する法律 に基づく住居表示 が実施されている。
町名一覧(76町丁)
町名 町名の読み 新設年月日 廃止年月日 新設前の町名等 備考 字野嵩 のだけ 1908年4月1日 現存 字普天間 ふてんま 1908年4月1日 現存 字新城 あらぐすく 1908年4月1日 現存 字喜友名 きゆうな 1908年4月1日 現存 字伊佐 いさ 1908年4月1日 現存 字大山 おおやま 1908年4月1日 現存 字真志喜 ましき 1908年4月1日 現存 字宇地泊 うちどまり 1908年4月1日 現存 字大謝名 おおじゃな 1908年4月1日 現存 字嘉数 かかず 1908年4月1日 1991年11月18日 字我如古 がねこ 1908年4月1日 現存 字宜野湾 ぎのわん 1908年4月1日 現存 字神山 かみやま 1908年4月1日 現存 字安仁屋 あにや 1908年4月1日 現存 字真栄原 まえはら 1947年 現存 字佐真下 さました 1947年 現存 字志真志 しまし 1947年 1999年11月22日 字長田 ながた 1947年 2014年2月3日 字愛知 あいち 1947年 2014年2月3日 字赤道 あかみち 1947年 現存 字上原 うえはら 1947年 現存 新城一丁目 あらぐすく 1984年11月5日 現存 字新城、字普天間、字野嵩の各一部 新城二丁目 1984年11月5日 現存 字新城、字普天間、字野嵩、字喜友名の各一部 野嵩一丁目 のだけ 1985年11月5日 現存 字野嵩、字上原の各一部 野嵩二丁目 1985年11月5日 現存 字野嵩、字普天間の各一部 野嵩三丁目 1985年11月5日 現存 字野嵩の一部 野嵩四丁目 1986年12月15日 現存 字野嵩、字普天間の各一部 普天間一丁目 ふてんま 1986年12月15日 現存 字普天間、字野嵩の各一部 普天間二丁目 1986年12月15日 現存 字普天間、字野嵩の各一部 喜友名一丁目 きゆうな 1988年8月22日 現存 字喜友名、字新城の各一部 喜友名二丁目 1988年8月22日 現存 字喜友名、字伊佐の各一部 伊佐一丁目 いさ 1988年8月22日 現存 字伊佐の一部 伊佐二丁目 1988年8月22日 現存 字伊佐、字大山の各一部 伊佐三丁目 1988年8月22日 現存 字伊佐の一部 伊佐四丁目 1988年8月22日 現存 字伊佐の一部 大山一丁目 おおやま 1989年2月27日 現存 字大山の一部 大山二丁目 1989年2月27日 現存 字大山の一部 大山三丁目 1989年2月27日 現存 字大山、字伊佐の各一部 大山四丁目 1989年2月27日 現存 字大山の一部 大山五丁目 1989年2月27日 現存 字大山の一部 大山六丁目 1989年2月27日 現存 字大山、字真志喜の各一部 大山七丁目 1989年2月27日 現存 字大山の一部 真志喜一丁目 ましき 1990年1月22日 現存 字真志喜、字大山、字大謝名の各一部 真志喜二丁目 1990年1月22日 現存 字真志喜の一部 真志喜三丁目 1990年1月22日 現存 字真志喜の一部 真志喜四丁目 1990年1月22日 現存 字真志喜の一部 嘉数一丁目 かかず 1991年2月18日 現存 字嘉数の一部 嘉数二丁目 1991年2月18日 現存 字嘉数の一部 嘉数三丁目 1991年2月18日 現存 字嘉数の一部 嘉数四丁目 1991年2月18日 現存 字嘉数の一部 真栄原一丁目 まえはら 1991年11月18日 現存 字真栄原、字嘉数、字我如古の各一部 真栄原二丁目 1991年11月18日 現存 字真栄原の一部 真栄原三丁目 1991年11月18日 現存 字真栄原、字大謝名、字佐真下の各一部 我如古一丁目 がねこ 1992年11月16日 現存 字我如古、字佐真下の各一部 我如古二丁目 1992年11月16日 現存 字我如古、字志真志の各一部 我如古三丁目 1992年11月16日 現存 字我如古の一部 我如古四丁目 1992年11月16日 現存 字我如古の一部 赤道一丁目 あかみち 1994年2月21日 現存 字赤道の一部 赤道二丁目 1994年2月21日 現存 字赤道の一部 上原一丁目 うえはら 1994年2月21日 現存 字上原、字赤道の各一部 上原二丁目 1994年2月21日 現存 字上原、字赤道の各一部 大謝名一丁目 おおじゃな 1995年10月23日 現存 字大謝名の一部 大謝名二丁目 1995年10月23日 現存 字大謝名、字真栄原の各一部 大謝名三丁目 1995年10月23日 現存 字大謝名の一部 大謝名四丁目 1995年10月23日 現存 字大謝名の一部 大謝名五丁目 1995年10月23日 現存 字大謝名、字字地泊の各一部 宜野湾一丁目 ぎのわん 1998年2月9日 現存 字宜野湾、字長田の各一部 宜野湾二丁目 1998年2月9日 現存 字宜野湾、字長田、字志真志、字佐真下の各一部 宜野湾三丁目 1998年2月9日 現存 字宜野湾、字長田、字志真志の各一部 志真志一丁目 しまし 1999年11月22日 現存 字志真志の一部 志真志二丁目 1999年11月22日 現存 字志真志の一部 志真志三丁目 1999年11月22日 現存 字志真志の一部 志真志四丁目 1999年11月22日 現存 字志真志、字我如古の各一部 長田一丁目 ながた 1999年11月22日 現存 字長田、字愛知の各一部 長田二丁目 1999年11月22日 現存 字長田の一部 長田三丁目 1999年11月22日 現存 字長田の一部 長田四丁目 1999年11月22日 現存 字長田の一部 神山一丁目 かみやま 2014年2月3日 現存 字神山、字愛知、字宜野湾の各一部 愛知一丁目 あいち 2014年2月3日 現存 字愛知、字赤道、字神山の各一部 愛知二丁目 2014年2月3日 現存 字愛知、字赤道の各一部 愛知三丁目 2014年2月3日 現存 字長田の全部と字愛知の一部
宜野湾市と全国の年齢別人口分布(2005年) 宜野湾市の年齢・男女別人口分布(2005年) ■ 紫色 ― 宜野湾市■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
宜野湾市(に相当する地域)の人口の推移1970年 (昭和45年)39,390人
1975年 (昭和50年)53,835人
1980年 (昭和55年)62,549人
1985年 (昭和60年)69,206人
1990年 (平成2年)75,905人
1995年 (平成7年)82,862人
2000年 (平成12年)86,744人
2005年 (平成17年)89,769人
2010年 (平成22年)91,928人
2015年 (平成27年)96,423人
2020年 (令和2年)100,125人
総務省 統計局 国勢調査 より
北から時計周り、町村は中頭郡 。
北谷町 :市の北部及び北東部、伊佐・喜友名・安仁屋・普天間の各地域で接する。北中城村 :市の北東部、普天間・野嵩の両地域で接する。戦前 までは中城村の一部だった。中城村 :市の東部、野嵩・上原・赤道・愛知・長田・志真志の各地域で接する。西原町 :市の南部、志真志・我如古の両地域で接する。浦添市 :市の南部及び南西部、我如古・真栄原・嘉数・大謝名・宇地泊の各地域で接する。13世紀 -察度 王の時代には根の島(ニーのシマ)と呼ばれ、政治・経済・文化の中心であった。16世紀 頃 - 浦添間切 北部10村、中城間切野嵩村と普天間村、北谷間切安仁屋村から宜野湾間切となる。1922年 (大正 11年)- 宜野湾村内に軽便鉄道 那覇・嘉手納線が開通。2019年 (令和元年)8月 - 宜野湾市立志真志小学校の新設校舎が完成[ 6] 。2020年 (令和2年)6月 - 宜野湾海浜公園内に「宜野湾市立多目的運動場」が供用を開始した[ 7] 。2021年 (令和3年)3月 - 宜野湾市道11号が開通[ 8] 。宜野湾市道11号は国道330号の渋滞緩和も期待されている。総事業費は約32億円。防衛省補助を活用した[ 9] 。市長の松川正則 は、米軍普天間飛行場の閉鎖・返還を訴えるため、訪米を表明した[ 8] 。 11月 -福徳岡の場 の噴火 から生じた大量の軽石 が漂着。宇地泊港やトロピカルビーチなどに押し寄せた[ 10] 。 歴代首長
宜野湾村 村長[ 12] 代 氏名 就任 退任 備考 1・2 桃原正裕 1909年(明治42年)4月1日 1916年(大正5年)9月30日 3-6 山城五郎 1916年(大正5年)10月1日 1929年(昭和4年)4月30日 7 宮城武真 1929年(昭和4年)5月1日 1931年(昭和6年)1月31日 8 島袋盛春 1931年(昭和6年)2月1日 1932年(昭和7年)3月10日 9 高江洲英吉 1932年(昭和7年)3月11日 1935年(昭和10年)2月20日 10 天久流水 1935年(昭和10年)2月21日 1939年(昭和14年)2月20日 11・12 仲村渠春壽 1939年(昭和14年)2月21日 1945年(昭和20年)5月8日 13 久保田盛春 1946年(昭和21年)5月1日 1947年(昭和22年)3月11日 旧姓島袋、第8代村長 14 桃原亀郎 1947年(昭和22年)3月12日 1948年(昭和23年)2月29日 15 1948年(昭和23年)3月1日 1950年(昭和25年)9月17日 公選初代 16・17 知念清一 1950年(昭和25年)9月18日 1958年(昭和33年)9月17日 18 仲村春勝 1958年(昭和33年)9月18日 1962年(昭和37年)6月30日
宜野湾市 市長[ 12] [ 13] 代 氏名 就任 退任 備考 1 仲村春勝 1962年(昭和37年)7月1日 1962年(昭和37年)9月17日 2 1962年(昭和37年)9月18日 1965年(昭和40年)6月26日 3 島袋全一 1965年(昭和40年)8月16日 1969年(昭和44年)8月12日 4 崎間健一郎 1969年(昭和44年)8月13日 1973年(昭和48年)8月12日 1972年5月15日、本土復帰 5 米須清與 1973年(昭和48年)8月13日 1977年(昭和52年)8月12日 6 安次富盛信 1977年(昭和52年)8月13日 1981年(昭和56年)8月12日 7 1981年(昭和56年)8月13日 1985年(昭和60年)8月12日 8 桃原正賢 1985年(昭和60年)8月13日 1989年(平成元年)8月12日 9 1989年(平成元年)8月13日 1993年(平成5年)8月12日 10 1993年(平成5年)8月13日 1997年(平成9年)8月12日 11 比嘉盛光 1997年(平成9年)8月13日 2001年(平成13年)8月12日 12 2001年(平成13年)8月13日 2003年(平成15年)3月6日 違法献金事件で辞職 13 伊波洋一 2003年(平成15年)4月27日 2007年(平成19)4月26日 14 2007年(平成19)4月27日 2010年(平成22年)10月18日 県知事選出馬のため辞職 15 安里猛 2010年(平成22年)11月28日 2011年(平成23年)12月28日 病気のため辞職 16 佐喜眞淳 2012年(平成24年)2月12日 2016年(平成28年)2月11日 17 2016年(平成28年)2月12日 2018年(平成30年)8月18日 県知事選出馬のため辞職 18 松川正則 2018年(平成30年)9月30日 2022年(令和4年)9月29日 19 2022年(令和4年)9月30日 2024年(令和6年)7月26日 任期満了前に死去 20 佐喜眞淳 2024年(令和6年)9月8日 現職
衛生 :沖縄市 ・宜野湾市・北谷町 の2市1町で「倉浜衛生施設組合」を組織し、沖縄市字池原3394番地にゴミ処理施設を有している。
宜野湾市・西原町 ・中城村 で任意合併協議会を設立したが合併には至らず解散。沖縄県は宜野湾市・中城村 ・北中城村 の枠組みを提唱している。
選挙区:宜野湾市選挙区 定数:3人 任期:2020年6月25日 - 2024年6月24日 氏名 会派名 当選回数 備考 玉城健一郎 てぃーだ平和ネット 1 立憲民主党・国民民主党が推薦 又吉清義 沖縄・自民党 3 公明党が推薦 呉屋宏 沖縄・自民党 3 公明党が推薦
衆議院
選挙区:沖縄2区 (宜野湾市、浦添市 、中頭郡 ) 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日 当日有権者数:294,848人 投票率:54.82% 本部 本部 消防署 主な病院
国立病院機構沖縄病院 医療法人緑水会 宜野湾記念病院内科・外科・循環器科・呼吸器科・眼科・心臓血管外科・整形外科・皮膚科・消化器科・心療内科・リハビリテーション科 医療法人球陽会 海邦病院内科・小児科・外科・整形外科・脳神経外科・泌尿器科・耳鼻咽喉科・リハビリテーション科・放射線科 医療法人宇富屋 玉木病院 主な福祉施設
宜野湾市保健相談センター 社会福祉法人 宜野湾市社会福祉協議会 宜野湾市社会福祉センター老人福祉施設
宜野湾市老人福祉センター 特別養護老人ホーム(デイサービスセンター)福寿園 特別養護老人ホーム (在宅介護支援センター)愛誠園 障害者福祉施設
蒼生学園 社会福祉法人はごろも福祉会 アップドゥぎのわん、エデュカーレ、 児童福祉施設
赤道児童センター 大謝名児童センター 大山児童センター 新城児童センター 我如古児童センター 保育所
2004年4月1日時点で公立保育園が3か所、認可保育園が10か所、認可外保育園が54か所ある。
宜野湾市立野嵩保育所(野嵩2-22-12) 宜野湾市立うなばら保育所(大山3-30-1) 宜野湾市立宜野湾保育所(宜野湾3-13-10) 社会福祉法人泉福祉会 しいの実保育園 など 宜野湾郵便局 が市内全域の集配を担当する。
無集配局
宜野湾市は教育行政に力を入れている。そのため、美術館 、博物館 、図書館 を始め、IT時代に先駆け宜野湾ベイサイド情報センター をオープンした。
領事館 外国政府機関 ショッピングセンター 基地不動産業
基地不動産業は、本市においては活発である。市域の中央部と北部のかなりの面積を普天間飛行場(Marine Corps Air Station Futenma)およびキャンプ・フォスター(Camp Foster)等としてアメリカ海兵隊へ賃貸し、市民 らの不動産 収入となっている。
株式会社サンエー 本社・・・沖縄県内で大型小売店や食品 、衣料品店を展開するスーパーの本社。株式会社サンシャイン本社・・・沖縄県内でパチンコ等遊技事業を展開するアミューズメント企業。 株式会社ジミー 本社・・・沖縄県内で精肉、食料品を販売する専門スーパーの本社。株式会社野嵩商会・・・沖縄県内でスーパー「フレッシュプラザ ユニオン 」を展開する。 株式会社光貴本社・・・沖縄県内でKDDI の代理店として携帯電話 の販売を行っている。 株式会社A&W 沖縄 本社・・・沖縄県内で全26店舗を所有するファーストフードレストランの本社。アメリカンエンジニアコーポレイション本社(American Engineering Corporation)・・・日本国内の米軍基地向け建設業等を手がける。 コミュニティ放送局 国立 私立 県立 私立 市立 私立 市立 私立 市立 宜野湾市立嘉数幼稚園 宜野湾市立宜野湾幼稚園 宜野湾市立志真志幼稚園 宜野湾市立大山幼稚園 宜野湾市立大謝名幼稚園 宜野湾市立普天間幼稚園 宜野湾市立普天間第二幼稚園 宜野湾市立長田幼稚園 宜野湾市立はごろも幼稚園 私立 学校法人カトリック沖縄学園 真栄原カトリック幼稚園 国道58号 (宜野湾バイパス )宜野湾市内に、在日米軍の飛行場は存在するが、定期旅客便のある空港は存在しない。最寄りの空港は那覇空港
市内には鉄道 は運行しておらず、駅 なども存在しない[ 注釈 1] 。
最も市内から近い駅は沖縄都市モノレール線 の浦添前田駅 もしくはてだこ浦西駅 であるが、浦添市内にあり、かなりの距離がある。また、鉄道駅が存在しない市としては人口密度が全国で最も高い(かつては隣の浦添市が人口密度を上回っていたが沖縄都市モノレール の鉄道駅が設置されたため)。下記「路線バス 」の項目に解説する通り、市内各地へ通ずる路線バスが多数運行されている。
第二次世界大戦 以前は沖縄県営鉄道 嘉手納線 という軽便鉄道 線が通っていた。この線は、ガソリン タンク車 爆発炎上により不通となり戦後 も復旧せず、1945年休止(事実上廃止 )され、現存しない。通称は「軽便(けいびん・ケービン)」[ 14] [ 15] 。 宜野湾市内には大謝名駅 ・真志喜停車場 ・大山駅 があった。
琉球バス交通 ・沖縄バス ・那覇バス ・東陽バス ・やんばる急行バスの5社が市内を運行しており、一般道経由の路線バスと、沖縄自動車道 経由の高速バスがある。宜野湾市内は、那覇市内 - 中・北部間を結ぶほとんどの路線の通過地点となっており、国道58号、330号を中心にかなりの数の路線が運行している。また、琉球バス交通と沖縄バスが市内に出張所・駐車場 を構えており、市内を起終点とする路線も多い。
本市内には鉄道路線はないため、市内への公共交通によるアクセスは専ら路線バスを利用することになる。宜野湾市内の路線バスは那覇バスターミナル を中心に運行されているが、200番台の系統はおもろまち駅 前広場を起点としており沖縄都市モノレール線 との乗り換えが可能である。それ以外にも沖縄都市モノレール線の駅で乗り換えられる路線がある。
琉球バス交通の一部の路線が2006年 2月20日 より那覇バスターミナルから豊見城市 我那覇まで延長された。また、99番天久新都心線は2006年 9月1日 より那覇空港 から那覇市 具志三丁目まで延長されたが、2008年 10月8日 より再び空港起点に戻った経緯がある。
また、中城村コミュニティバス「護佐丸バス 」が宜野湾市内の普天間りうぼうと中部商業高校前に乗り入れている。
下表の運行会社の「琉球」は琉球バス交通の路線、「沖縄」は沖縄バスの路線、「那覇」は那覇バスの路線、「東陽」は東陽バスの路線、複数表記は共同運行路線。 ※BT=バスターミナル
番号 路線名 運行会社 起点 終点 市町村 宜野湾市内の主な経由地 市内全区間国道58号経由(那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 各地) 20 名護西線 琉球 沖縄 那覇BT 名護BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 - 恩納村 - 名護市 宇地泊、大謝名、真志喜、大山、伊佐、伊佐浜 28 読谷(楚辺)線 読谷BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 29 読谷(喜名)線 63 謝苅線 琉球 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 沖縄市 - うるま市 120 名護西空港線 琉球 沖縄 那覇空港 名護BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 - 恩納村 - 名護市 228 読谷おもろまち線 琉球 沖縄 おもろまち駅前広場 読谷BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 263 謝苅おもろまち線 琉球 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 沖縄市 - うるま市 国道58号・普天間経由(那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 各地) 23 具志川線 琉球 那覇空港 那覇BT 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 宇地泊、大謝名、真志喜、大山、伊佐、普天間 31 泡瀬西線 東陽 那覇BT 泡瀬営業所 77 名護東(辺野古)線 沖縄 名護BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 223 具志川おもろまち線 琉球 おもろまち駅前広場 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 331 急行バス 東陽 那覇BT 泡瀬営業所 宇地泊、伊佐、普天間(停車地) 777 沖縄 屋慶名BT 国道330号・普天間経由(那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 各地) 24 那覇大謝名線 琉球 那覇BT 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 大謝名、真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間 27 屋慶名(大謝名)線 沖縄 屋慶名BT 52 与勝線 80 与那城線 92 那覇〜イオンモール線 ライカム 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 227 屋慶名おもろまち線 おもろまち駅前広場 屋慶名BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 21 新都心具志川線 琉球 那覇BT 具志川BT 嘉数、真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間 90 知花(バイパス)線 110 長田具志川線 大謝名、真栄原、沖国大、愛知、普天間 190 知花空港線 那覇空港 嘉数、真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間 25 那覇普天間線 那覇 那覇BT 普天間 ライカム 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北中城村 真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間 125 普天間空港線 那覇空港 コンベンションセンター経由(那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 各地) 26 宜野湾空港線 琉球 那覇空港 宜野湾出張所 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 宇地泊、浜原、コンベンションセンター 55 牧港線 道の駅豊崎 宜野湾出張所 豊見城市 - 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 32 コンベンションセンター線 沖縄 那覇BT 真志喜駐車場 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 宇地泊、大謝名、真志喜、コンベンションセンター 99 天久新都心線 琉球 那覇空港 宜野湾出張所 43 北谷線 沖縄 那覇BT 北谷町役場 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 宇地泊、大謝名、真志喜、コンベンションセンター、伊佐浜 112 国体道路線 琉球 那覇BT 具志川BT 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 北谷町 - 沖縄市 - うるま市 88 宜野湾線 琉球 道の駅豊崎 宜野湾出張所 豊見城市 - 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 嘉数、真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間、伊佐、コンベンションセンター 沖縄自動車道経由 111 高速バス 琉球 沖縄 那覇 東陽 那覇空港 名護BT 那覇市 - 南風原町 - 西原町 -宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 琉大入口 117 高速バス(美ら海直行) 琉球 沖縄 那覇 ホテルオリオンモトブ 那覇市 - 南風原町 - 西原町 -宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 名護市 - 本部町 113 具志川空港線 琉球 具志川BT 那覇市 - 南風原町 - 西原町 -宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 123 石川空港線 東山駐車場 127 屋慶名(高速)線 沖縄 旭町 屋慶名BT 152 イオンモール沖縄ライカム(高速)線 琉球 那覇空港 ライカム 那覇市 - 南風原町 - 西原町 -宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 888 やんばる急行バス 空港線 運天港 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 名護市 - 本部町 - 今帰仁村 嘉数、琉大入口 その他 56 浦添線 琉球 道の駅豊崎 真栄原 豊見城市 - 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 真栄原 61 前原線 沖縄 真志喜駐車場 屋慶名BT 宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市コンベンションセンター、大謝名、真栄原、我如古、志真志、愛知、普天間 97 琉大(首里)線 那覇 那覇BT 琉大駐車場 那覇市 - 浦添市 - 西原町 - 中城村 -宜野湾市 - 西原町 志真志 98 琉大(バイパス)線 琉球 道の駅豊崎 豊見城市 - 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 浦添市 -宜野湾市 - 西原町 嘉数、真栄原、沖国大、琉大北口 125 普天間空港線(中城経由) 那覇 那覇空港 ライカム 那覇市 - 浦添市 -宜野湾市 - 西原町 - 中城村 -宜野湾市 - 北中城村 真栄原、我如古、野嵩1丁目、普天間 297 キャンパスバス てだこ浦西駅 琉大駐車場 浦添市 -宜野湾市 - 西原町 真栄原、沖国大、琉大北口 護 佐 丸 バ ス 久場琉大線 ひが皮膚科 中部商業高校前 中城村 → 西原町 →宜野湾市 中部商業高校前 伊集普天間線 伊集 普天間りうぼう 中城村 →宜野湾市 野嵩一丁目、普天間りうぼう 伊集回り線 久場回り線 吉の浦会館 中城村 - 西原町 - 中城村 -宜野湾市 - 中城村
上記のほか、以下の空港リムジンバスが那覇空港と宜野湾市内のリゾートホテルを結んで運行される。
市域南東部を沖縄自動車道 が通過しているが、IC ・PA などの施設は無い。
地域高規格道路 主要地方道 一般県道 普天満宮 宜野湾海浜公園 歓海門神社 寺院 主な遺跡 主な史跡 大山貝塚 - 地元では心霊スポットとして知られる国の史跡。嘉数高台公園 - 地球を模した展望台から普天間基地を一望できる。 宜野湾中古車街道 - 国道330号沿いに中古車販売店がひしめいている。 宜野湾海浜公園 新町 -真栄原 の歓楽街。ホテル ラグナガーデンホテル カルチャーリゾート・フェストーネ(旧沖縄ハイツ) 沖縄インターコンチネンタルホテル(仮称) 沖縄プリンスホテル オーシャンビューぎのわん ムーンオーシャン宜野湾 ホテル&レジデンス (この節の出典:[ 16] )
喜友名泉(国の重要文化財 ) 大山貝塚 (国の史跡 )小禄墓(県指定有形文化財建造物) 小禄墓内石厨子(県指定有形文化財彫刻) 森の川 (県指定名勝 )我如古ヒージャーガー(市指定有形民俗文化財) 喜友名の石獅子群(市指定有形民俗文化財) 普天間の獅子舞(市指定無形民俗文化財) 大謝名の獅子舞(市指定無形民俗文化財) 我如古スンサーミー(市指定無形民俗文化財) 野嵩石畳道(市指定史跡) 野嵩クシヌカー(市指定史跡) 伊佐「たけたう原」銘の印部土手(市指定史跡) 伊佐浜「新造佐阿天橋碑」(市指定史跡) 大山御嶽碑(市指定史跡) 西森碑記(市指定史跡) 大謝名メーヌカー(市指定有形民俗文化財) 大山マヤーガマ洞穴遺跡(市指定史跡) 普天満宮洞穴 (市指定名勝)大謝名メーヌカー 淡水紅藻(市指定天然記念物) ウデナガサワダムシ(市指定天然記念物 ) 愛知・神山ヌールガー(市登録文化財) 毎年、夏にはごろも祭り が開催され、花火大会などが催される。
^ “首里・那覇方言音声データベース ”. 琉球大学 沖縄言語研究センター. 2012年4月5日閲覧。 ^ “宜野湾市の概要 ”. 宜野湾市. 2012年4月5日閲覧。 ^a b c 「着手42年…宜野湾市道11号、やっと開通の経緯は? 「いじめに近い」国条件と市政」『琉球新報』2021年3月28日。 ^ 「県内1号店開店1,200人が列 ドン・キホーテ宜野湾」『琉球新報』2012年11月10日。 ^ 「宜野湾市長選座談会:佐喜真淳氏と志村恵一郎氏が激論 全文(上)」『沖縄タイムス+』2016年1月11日。 ^ 宜野湾市立志真志小学校HP - 学校の概要 ^ 宜野湾市HP 2020年06月30日 宜野湾市立多目的運動場の供用開始について ^a b 「宜野湾市道11号、28日全線開通 41年かけ整備完了へ」『琉球新報』2021年3月3日。 ^ 「完成に42年かかった 普天間飛行場フェンス沿いの市道11号、全線開通」『沖縄タイムス』2021年3月29日。 ^ “軽石 宜野湾市の港でも 県内ではフェリー欠航続く ”. rbc (2021年11月11日). 2021年11月12日閲覧。 ^ “第20代宜野湾市長プロフィール ”. 宜野湾市 (2024年9月10日). 2025年2月22日閲覧。 ^a b “宜野湾市市勢要覧2018 ”. 宜野湾市. p. 48 (2018年3月). 2025年2月22日閲覧。 ^ 日外アソシエーツ 編『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、12022-07-25 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明 ) 、452頁。ISBN 978-4-8169-2930-4 。 ^ 金城功 『ケービンの跡を歩く』ひるぎ社、1997年、25頁。「人々からはケービンと呼ばれ親しまれていました」 ^ 加田芳英 『図説・沖縄の鉄道』沖縄出版、1986年、16頁。「ケービンは軽便(けいべん)が訛ったものか?」 ^ “宜野湾市要覧2014 ”. 宜野湾市. 2021年2月17日閲覧。 ^ 石山永一郎「南沙織さん 生まれ島へメッセージ - 爆音の中で育った少女 デビュー40年」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社 、2011年1月1日、4面。 2019年2月19日閲覧。ウィキメディア・コモンズには、
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