Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

定安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"定安" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2019年9月)
曖昧さ回避この項目では、歴史上の国について説明しています。中国海南省の県については「定安県」を、中華民国海軍の輸送艦については「定安 (輸送艦)」をご覧ください。
満洲の歴史
箕子朝鮮東胡濊貊
沃沮
粛慎
遼西郡遼東郡
遼西郡遼東郡
前漢遼西郡遼東郡衛氏朝鮮匈奴
漢四郡夫余
後漢遼西郡烏桓鮮卑挹婁
遼東郡高句麗
玄菟郡
昌黎郡公孫度
遼東郡
玄菟郡
西晋平州
慕容部宇文部
前燕平州
前秦平州
後燕平州
北燕
北魏営州契丹庫莫奚室韋
東魏営州勿吉
北斉営州
北周営州
柳城郡靺鞨
燕郡
遼西郡
営州松漠都督府中国語版饒楽都督府中国語版室韋都督府中国語版安東都護府渤海国黒水都督府中国語版靺鞨
五代十国営州契丹渤海国靺鞨
上京道 東丹女真
中京道定安
東京道
東京路中国語版
上京路中国語版
東遼大真国
遼陽行省
遼東都司中国語版奴児干都指揮使司中国語版
建州女真海西女真野人女真
満洲
 

東三省
ロシア帝国
外満洲/緑ウクライナ
ロシア国
中華民国
東三省
極東共和国
ソ連
極東地方ユダヤ自治州
満洲国
ソ連占領下の満洲
中華人民共和国
中国東北部
ロシア連邦
極東連邦管区/極東ロシア
Portal:中国
定安

定安(ていあん)は渤海の貴族、烈万華が渤海遺民を結集して建国した国(938年 -1003年)。独自の年号を有した。

歴史

[編集]
  • 938年、烈万華(在位936頃 − 976〜9頃)が「定安国」を建国(これ以前の烈万華の動向については後渤海(復興)の項も参照)。この年渤海人の朴昇及び三千戸(反烈氏派か?)が高麗に亡命。
  • 970年、定安国王烈万華は、建国後間もない北宋に使者を送った。
  • 976年979年頃、定安国第二代王、烏玄明(在位976〜9頃 −986〜9頃)即位。旧渤海の大臣、烏氏のひとり。前王と姓が異なり何らかの政変があったものと思われるが詳細は不明。独自元号である「元興」が使用される。
  • 976年〜984年頃、北宋は定安国に詔を下し、対契丹同盟が成立。
  • 979年、宋が晋陽を平定して兵を幽州に移すと渤海の酋帥・大鸞河が小校・李勛ら十六人・部族三百騎を率いて来降、宋は大鸞河を渤海都指揮使とする。
  • 979年、高麗史に「是歳渤海人数万来投」との記述がある。恐らくは烈氏から烏氏への政権交代に関係するものと推察される。
  • 981年、定安国王烏玄明、女真の使者に託して再び北宋に上表した。「高麗の旧壌と渤海の遺黎を以て方隅に保拠す云々、扶餘府が契丹に背いて帰順し、契丹の脅威が迫っているから宋に救援を依頼したい」等と述べる。宋も詔をくだし宋・高麗・定安の三国による契丹包囲網ができる。
  • 983年以降、契丹、定安国を攻める。
  • 984年、渤海の豪帥・大鸞河、北宋に召し出され、宴と銭十万、酒を賜る。
  • 985年高麗と定安国による契丹)包囲網が形成されたため、契丹は定安を攻撃を開始した。
  • 986年、定安国は契丹(遼)の攻撃のため一旦壊滅。契丹、鴨緑江・渾江に達する。高麗も一時鴨緑江に達し、契丹と高麗の間で和平が締結。
  • 989年頃、定安国第三代国王に大元(在位979〜89頃 −1018頃)が即位、定安国を「後渤海国」と改名。(定安国と後渤海国の連合体か?)
  • 1003年、契丹(遼)、後渤海=定安国を攻撃、定安国滅亡。

定安の王

[編集]

中国名と在位年を示す。

  1. 初代烈万華936年938年頃即位 -976年979年頃退位)
  2. 第二代烏玄明976年979年頃即位 -986年退位)
  3. 第三代大元(989年即位 -1003年退位)(※「後渤海国王」としての在位は後渤海国の項を参照)

定安の元号

[編集]

関連項目

[編集]
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=定安&oldid=105564507」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp