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安定郡

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出典検索?"安定郡" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL2019年4月

安定郡(あんてい-ぐん)は、中国にかつて存在した。現在の寧夏回族自治区中南部及び甘粛省平涼市白銀市及び鎮原県一帯に相当する。

漢代

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前114年元鼎3年)、漢朝により北地郡より分割して設置された。郡治は高平県に置かれ、涼州刺史部の管轄とされた。漢代の管轄県については下表を参照。

漢朝の行政区画変遷
漢書』地理志後漢書』地理志
高平県
朝那県
臨涇県
彭陽県
三水県
陰槃県
復累県-
安俾県-
撫夷県-
涇陽県-
鹵県-
烏氏県烏枝県
陰密県-
安定県-
安武県-
参䜌県-
祖厲県-
爰得県-
眴巻県-
鶉陰県-
月氏道-
鶉觚県

魏晋南北朝時代

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のとき、安定郡は、臨涇・朝那・烏氏・都盧・鶉觚・陰密・西川の7県を管轄した[1]北魏のとき、安定郡は涇州に属し、安定・臨涇・朝那・烏氏・石堂の5県を管轄した[2]北周の時代には、安定郡の管轄県は安定・烏枝・臨涇・撫夷の4県まで縮小していたが、更に烏枝・臨涇・撫夷の3県が廃止となり、管轄県は安定県の1県のみとなった。

魏晋南北朝時代の行政区画変遷
晋書』地理志魏書』地形志 涇州『北周地理志』『読史方輿紀要』
臨涇県
朝那県
烏氏県烏枝県
都盧県
鶉觚県
陰密県
西川県
安定県
石堂県
撫夷県

隋代

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583年開皇3年)、が郡制を廃すると、安定郡は涇州と改められた。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、涇州は安定郡と改称された。安定・鶉觚陰盤朝那良原湫谷華亭の7県を管轄した[3]

唐代

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618年武徳元年)、薛仁杲を平定すると、安定郡は涇州と改められた。742年天宝元年)、涇州は安定郡と改称された。756年至徳元載)、安定郡は保定郡と改称され、安定郡の呼称は姿を消した。758年乾元元年)、保定郡は涇州と改称された[4]

脚注

[編集]
  1. ^晋書』地理志上
  2. ^魏書』地形志二下
  3. ^隋書』地理志上
  4. ^旧唐書』地理志一
関中地区
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河北地区
淮漢地区
嶺南地区
 
司隷校尉部
豫州刺史部
兗州刺史部
青州刺史部
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冀州刺史部
幽州刺史部
并州刺史部
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涼州刺史部
益州刺史部
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交阯刺史部
 
司隷校尉部
豫州刺史部
兗州刺史部
青州刺史部
徐州刺史部
冀州刺史部
幽州刺史部
并州刺史部
涼州刺史部
益州刺史部
荊州刺史部
揚州刺史部
交州刺史部
 
(咸熙2年、紀元264年)
司州
幽州
冀州
并州
青州
徐州
兗州
豫州
雍州
涼州
荊州
揚州
梁州
益州
西域長史府
晋朝の行政区分
西晋
司州
豫州
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青州
徐州
冀州
幽州
平州
并州
雍州
涼州
秦州
梁州
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寧州
荊州
揚州
湘州
江州
広州
交州
東晋
揚州
徐州
北徐州
兗州
豫州
北青州
司州
北雍州
荊州
江州
梁州
益州
寧州
広州
交州
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
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