| おながわちょう 女川町 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| |||||
| 国 | |||||
| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 宮城県 | ||||
| 郡 | 牡鹿郡 | ||||
| 市町村コード | 04581-1 | ||||
| 法人番号 | 7000020045811 | ||||
| 面積 | 65.35km2 | ||||
| 総人口 | 5,890人[編集] (推計人口、2026年1月1日) | ||||
| 人口密度 | 90.1人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 石巻市 | ||||
| 町の木 | スギ | ||||
| 町の花 | サクラ | ||||
| 他のシンボル | 町の魚:カツオ 町の鳥:ウミネコ | ||||
| 女川町役場 | |||||
| 町長 | 須田善明 | ||||
| 所在地 | 〒986-2265 宮城県牡鹿郡女川町女川1丁目1-1 北緯38度26分43秒東経141度26分35秒 / 北緯38.44522度 東経141.443度 /38.44522; 141.443座標:北緯38度26分43秒東経141度26分35秒 / 北緯38.44522度 東経141.443度 /38.44522; 141.443 女川町庁舎 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
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女川町(おながわちょう)は、宮城県牡鹿郡に属する太平洋沿岸に位置する町。牡鹿半島に位置しており、町の東側は太平洋に面する[1]。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。


町域は、三陸復興国立公園地域に指定されている[2]。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く扱われる。中でもサンマの水揚げ量は全国でも有数であり、大漁を祈る「サンマdeサンバ」という曲が地域の祭りや運動会で踊られることもある[3]。
また、町の南には石巻市にまたがって東北電力の女川原子力発電所が立地する。
女川町の公式マスコットは「シーパルちゃん」。
女川町は町域の三方を北上山地に囲まれ、総面積の83%を林野がしめており、平地は少ない。また、ケッペンの気候区分によると、温暖湿潤気候であり、そのバイオームは夏緑樹林が分布している[4][5]。
宮城県内の地勢的な地方区分である、北部・中部・南部のうち、中部地方に属し、その北東部に位置する。
現在の宮城県の広域行政圏としては、石巻市・東松島市とともに、広域石巻圏を形成する[6]。
震災後の区画整理事業により町名が新設され、住所変更が行われた(2019年12月28日実施)。
ケッペンの気候区分によると、女川町の気候は温暖湿潤気候(Cfa)に属する。
年平均気温は11.7℃である。平年値では猛暑日が0.4日、真夏日が18.8日、夏日が67.2日、真冬日が2.9日、冬日が97.7日となっている[9]。
年平均降水量は1432.5mmである。
| 極値[10] | 観測値 | 観測年月日 |
|---|---|---|
| 日最高気温 | 36.9℃ | 2023年8月28日 |
| 日最低気温 | -10.5℃ | 2012年2月3日 |
| 女川(標高38m)(2011年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録°C (°F) | 13.3 (55.9) | 19.0 (66.2) | 21.5 (70.7) | 27.9 (82.2) | 31.4 (88.5) | 34.4 (93.9) | 36.1 (97) | 36.9 (98.4) | 35.8 (96.4) | 28.5 (83.3) | 23.0 (73.4) | 17.3 (63.1) | 36.9 (98.4) |
| 平均最高気温°C (°F) | 4.9 (40.8) | 5.6 (42.1) | 10.0 (50) | 14.6 (58.3) | 20.1 (68.2) | 22.7 (72.9) | 26.3 (79.3) | 28.0 (82.4) | 24.6 (76.3) | 19.2 (66.6) | 13.5 (56.3) | 7.4 (45.3) | 16.4 (61.5) |
| 日平均気温°C (°F) | 0.9 (33.6) | 1.2 (34.2) | 4.9 (40.8) | 9.4 (48.9) | 14.8 (58.6) | 18.0 (64.4) | 21.8 (71.2) | 23.5 (74.3) | 20.3 (68.5) | 14.5 (58.1) | 8.7 (47.7) | 3.1 (37.6) | 11.7 (53.1) |
| 平均最低気温°C (°F) | −2.9 (26.8) | −2.8 (27) | 0.1 (32.2) | 4.4 (39.9) | 9.9 (49.8) | 14.2 (57.6) | 18.7 (65.7) | 20.3 (68.5) | 16.8 (62.2) | 10.2 (50.4) | 4.1 (39.4) | −0.9 (30.4) | 7.6 (45.7) |
| 最低気温記録°C (°F) | −9.0 (15.8) | −10.5 (13.1) | −5.6 (21.9) | −2.4 (27.7) | 1.9 (35.4) | 6.5 (43.7) | 13.2 (55.8) | 12.4 (54.3) | 6.0 (42.8) | 2.2 (36) | −4.1 (24.6) | −6.9 (19.6) | −10.5 (13.1) |
| 降水量 mm (inch) | 54.6 (2.15) | 38.3 (1.508) | 98.6 (3.882) | 125.7 (4.949) | 119.7 (4.713) | 145.2 (5.717) | 130.9 (5.154) | 142.5 (5.61) | 234.1 (9.217) | 220.6 (8.685) | 57.4 (2.26) | 62.3 (2.453) | 1,432.5 (56.398) |
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 5.1 | 6.3 | 7.1 | 8.7 | 9.1 | 9.7 | 11.4 | 10.9 | 10.7 | 9.3 | 6.2 | 6.2 | 101.9 |
| 出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
| 出典2:気象庁[11] | |||||||||||||
女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。伝承によれば、平安時代に起こった前九年の役の際に安倍貞任の軍勢が隣村の稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになったという[12][13]。
江戸時代は仙台藩領だった。仙台藩では領内を南方、北方、中奥、奥の四つに区分していて、女川がある牡鹿郡は中奥に属した。牡鹿郡は陸方と浜方に区分され、さらに浜方はその内部で狐崎組、十八成組、女川組に分けられ、それぞれに大肝入が置かれた[12]。
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行された際、藩政時代の女川組20浜の各村が合併して女川村となった。村名に女川が選ばれたのは、女川浜が藩政時代に女川組の大肝入の居住地であったこと、全地域が女川組としてまとめられていたこと、また地の利を得ていたことに由来するのだろうと『女川町誌』は記している[12]。1926年(大正15年)4月1日に町制へ移行し、女川町となった。
女川湾は比較的水深が深く、宮城県に寄港する大型船舶の碇泊地になることが多かった[14]。塩釜港や石巻港が浚渫整備される以前は、日本海軍の艦船が女川湾に停泊しており、女川湾の商港の整備に当たって軍港誘致の請願が行われた[14]。第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空・対潜任務のため、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」がここに設置され、艦艇が配置された[15]。また、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月9日には連合国軍機による空襲を受けて海軍艦艇7隻が撃沈された[16][15]。

女川町の財政は、東北電力の女川原子力発電所の立地による固定資産税や「原子力発電施設等周辺地域交付金」および「電力移出県等交付金」からなる「電源立地特別交付金」が交付されるため、近隣の市町村と比べると潤沢な財政を持つ。2012年度までは地方交付税不交付団体であった。そのため、石巻市など周辺市町村との合併には消極的である。
女川町の歴代町長および女川村の歴代村長は以下の通りである[27]。
| 歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
? | 須田善明 | 2011年(平成23年)11月13日 | (現職) | 平成11年〜宮城県議会議員 |
? | 安住宣孝 | 1999年(平成11年)9月19日 | 2011年(平成23年)11月12日 | 東日本大震災が発生。 |
18〜22代 | 須田善二郎 | 1983年(昭和58年)6月12日 | 1999年(平成11年) | 在任中に他界。2人目の名誉町民。 |
8〜17代 | 木村主税 | 1947年(昭和22年)1月31日 | 1983年(昭和58年)5月4日 | 1983年2月、初当選以来十期連続での当選を果たす。しかし、体調を崩しながらの選挙で無理をしたことがたたり、当選後間もなく入院。同年5月、他界する。初めての名誉町民。 |
6〜7代 | 須田金太郎 | 1942年(昭和13年)年8月5日 | 1946年(昭和21年)11月21日 | 再選 |
5代 | 松川豁 | 1938年(昭和13年)年8月5日 | 1942年(昭和17年)8月4日 | 再選 |
4代 | 木村喜太郎 | 1938年(昭和13)年4月13日 | 1938年(昭和13年)7月21日 | |
3代 | 須田金太郎 | 1934年(昭和9年)3月25日 | 1938年(昭和13年)3月24日 | 女川村が町制を施行。 |
初〜2代 | 松川豁 | 1926年(大正15年)3月17日 | 1934年(昭和9年)3月16日 |
以下は2020年10月19日現在での町議会議員の一覧である。
| 会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
|---|---|---|
| 日本社会党 | 1 | 阿部律子 |
| 無所属 | 11 | 隅田翔、髙野晃、鈴木良徳、佐藤誠一、宮元潔、阿部美紀子、阿部薫、平塚勝志、木村公雄、鈴木公義、佐藤良一 |

| 女川町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 女川町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 女川町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
女川町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||




2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した[37][38](町内の検測所は津波で流失)。さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った[39](東日本大震災)[40][注釈 1][注釈 2]。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高[注釈 3])は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8 mを記録した[41][42]。
津波で3階建ての町庁舎も冠水した[39]が、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システム[注釈 4]が壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った[43]。
女川湾から約100 mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10 mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた[44]。
東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13 mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した[45]。女川原発の敷地の標高は14.8 mであるが、地震で約1 m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80 cmの高さにまで迫っていたことが判明した[45]。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた[45]。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3 - 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという[45]。
町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた[40][46]。また、女川 -石巻間では線路が損傷した[47]。
更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている[48][49]。
復興に際しては将来の津波被害に備えて、住宅は津波が遡上しにくい高台に、商業施設などを低地に整備する街づくりを進めている。日本の他地方同様、震災前から少子高齢化が進んでいたうえに、復興計画づくりや宅地造成に時間がかかり、町外へ転出した住民も多い。2018年3月15日付『日本経済新聞』朝刊によると、人口は約6600人で震災前と比べ約34%減少。企業や工場、商店といった事業所数は約360で震災直後(2012年)の約190より増えたが、震災前の約660(2009年)には及ばない[54]。
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