この項目「奄美大島」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。 加筆の要点 - 他の記事にあるように大島の気候統計 (貼付後はWikipedia:加筆依頼のページに依頼内容を記述してください。記述が無いとタグは除去されます) (2019年12月) |
| 奄美大島 | |
|---|---|
| 所在地 | |
| 所在海域 | 周囲はすべて東シナ海 |
| 所属諸島 | 奄美群島 |
| 座標 | 北緯28度19分35秒東経129度22分28秒 / 北緯28.32639度 東経129.37444度 /28.32639; 129.37444座標:北緯28度19分35秒東経129度22分28秒 / 北緯28.32639度 東経129.37444度 /28.32639; 129.37444 |
| 面積 | 712.35km² |
| 海岸線長 | 461.1km |
| 最高標高 | 694m |
| 最高峰 | 湯湾岳 |
| 人口 | 59,197(2022年4月) |
| 最大都市 | 奄美市 |
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奄美大島(あまみおおしま)は、九州南方海上、鹿児島市と沖縄本島のほぼ中間に位置する鹿児島県奄美群島の主要な島。他の島と混同されない場合には単に大島(おおしま、奄美方言でうーしま)[1]ともいう。また、奄美群島内の他の島々との対比で大島本島と表現される場合もある。本土四島と陸路で繋がれていない離島としては沖縄本島に次いで人口が多い。
ウミガメが産卵に訪れる砂浜、アマミブルーとも称される透明度の高い青い海や、太古の森のようなイメージの原生林が広がっており、大島海峡沿岸、ホノホシ海岸などの周辺海域や湯湾岳などの山地は奄美群島国立公園の一部となっている。特に南部の自然は豊かで、希少な生物も多種見られる他、養殖クロマグロの出荷日本一の瀬戸内町では、本マグロや、リュウキュウイノシシの料理なども賞味できる。2021年7月26日に動植物の多様性が認められ徳之島、沖縄島北部及び西表島と共に国内5件目の世界自然遺産として登録が決定された。
面積712.35 km2[2] であり、東京都23区部や琵琶湖の面積よりも広く、本州など本土4島を除くと佐渡島に次ぎ日本で面積5位の島である[3](大きい順に、択捉島-国後島-沖縄本島-佐渡島-奄美大島)。北東端の笠利崎から南部の町古仁屋まで、幹線道路での距離は80kmほどで車で2時間以上かかる。奄美大島の海岸は、海水が青く透明度の高いうえにサーフィンに適した波があるため、手広海岸をはじめ、サーファー達に人気がある。
標高400m以上かつ国土地理院2.5万分の1図に名前表記あるもののみ
湯湾岳694.4m、小川岳(おごだけ)528.1m、金川岳(かねんごだけ)528.0m、タカバチ山485.2m、油井岳482.6m、滝ノ鼻山482m、鳥ヶ峰467.5m、松長山455m、ヤクガチョボシ岳440.5m、冠岳434.7m、キヤンマ山414.8m、高知山411m、戸倉山410.9m
浜辺・海礁上の小岩、無名の岩を除く。

年間の日照時間が日本一短く、特に冬場は曇りがちでカンヒザクラが咲く1月-2月頃は小雨の日が続く。1901年2月12日には降雪が記録されており、2016年1月24日にも、115年ぶりに降雪が記録された[4][5]。
台風の通過が多く、毎年のように崖崩れや農作物などへの被害が発生するほか、2010年10月には記録的な豪雨が島を襲い3名が死亡した(平成22年10月18日から21日にかけての奄美地方の大雨)。


島の大部分を占める山地には、スダジイ[6]が優占する亜熱帯照葉樹林が広がり、ごく一部原生林もある。高さ10m以上にもなる木生シダのヒカゲヘゴは、低地の沢筋から、霧のかかることの多い山地では日向でも生育しており、巨大な葉のクワズイモとともに、南の島らしい景観を作っている。林道沿いには、アマシバ、サクラツツジ、イジュ、クチナシ、コンロンカ、ノボタン、ハシカンボク、サキシマフヨウ、ヤマヒヨドリ、ツワブキの花や、シマウリカエデやイヌビワの黄葉、ハゼノキの紅葉が目立つ。標高600m付近以上は雲霧林となり、樹幹や枝がコケやシダなど着生植物で覆われる。森の中を流れる川の上・中流には、ヒメタムラソウ、サイゴクホングウシダ、アマミクサアジサイ、アマミサンショウソウ、アマミアワゴケ、アマミカタバミ、コケタンポポ、アマミデンダなどの渓流植物が生育する。低地には、ガジュマル、アコウ、ビロウが生育し、海岸付近の森にはオオハマボウ、オオバギ、アカテツ、ハマビワなどにくわえ、特にソテツやイトバショウが過去には植栽されたこともあり群落をなす場所もある。砂浜には、アダン、クサトベラ、モンパノキなどの木や、キダチハマグルマ、ハマユウ、シマアザミ、グンバイヒルガオなどの草本が目立つが、現在は南西諸島の他の島々同様、かつて防砂防潮のため植林された外来種のモクマオウが逸出し広範囲に広がっている。ほかにも農地周辺や沿道にはギンネムやセンダングサ類、アメリカハマグルマ、ムラサキカッコウアザミなど、水辺にはセイヨウミズユキノシタやボタンウキクサなどの外来植物も蔓延している。奄美市住用町に、日本では西表島に次ぎ第2位の広さのマングローブ林(約71km2)があり、夏の夜に一夜限り咲いて散るサガリバナも見られる。

森にはアマミノクロウサギ、リュウキュウイノシシ、アマミトゲネズミ、ケナガネズミ、リュウキュウテングコウモリ、ヤンバルホオヒゲコウモリ、オリイジネズミなどの固有の哺乳類が生息する。その一方、ノヤギ(野生化したヤギ)が増え、近年は島中央部の世界遺産地域にまで侵入してきた。またノネコによるケナガネズミやアマミトゲネズミなどの捕食被害も多く[7]、これら外来種問題が課題となっている。なお、1980年代以降、在来小動物の脅威となっていた外来種フイリマングースは2018年でほぼ根絶され、2024年9月には絶滅宣言が出されるに至り[注釈 1]、一時期減っていた在来種が次第に回復してきた[8]。しかし、回復に伴い、アマミノクロウサギとケナガネズミの交通事故死(ロードキル)や、アマミノクロウサギによる農業被害[9]も増加しており、その対策が課題となっている。
哺乳類以外には、ミミズを主食とするオオトラツグミ、アマミヤマシギ、リュウキュウアオヘビ、アマミタカチホヘビといった奄美の、あるいは中琉球の固有種が生息する。ハブは大きな個体は2.4mを超える大型の毒蛇で、森の生態系の頂点捕食者である[10]。浜辺から湯湾岳山頂まであらゆる場所で遭遇する可能性があるが、夜間に林道で見かける確率はアマミノクロウサギやケナガネズミを見るよりもずっと低い。また、夏鳥としてリュウキュウアカショウビンやリュウキュウサンコウチョウが、秋から翌年春まではサシバが冬鳥として渡ってくる。渓流ではアマミイシカワガエル、アマミハナサキガエル、キバラヨシノボリ、サカモトサワガニ、リュウキュウハグロトンボ、オオハシリグモといった奄美のあるいは中琉球の固有種が生息する。
しかし他方で、かつての池や湿地、それに代わる水田などの水辺環境が、埋立や昭和時代の減反政策などによりほとんどなくなってしまった結果、シリケンイモリやヒメアマガエル、リュウキュウカジカガエル、オオウナギなど一部の種を除き、ミナミメダカ、タウナギ、シノビドジョウ、ガムシ、タイコウチなどの止水環境に棲む水生生物が絶滅に瀕している[11][12][13]。ハネナガチョウトンボ、リュウキュウヒメミズスマシ、ヒメフチトリゲンゴロウ、フチトリゲンゴロウは法令により採集が禁じられているが、それ以上に農薬汚染のない良好な生息地の確保が課題となっている。
奄美大島や徳之島は元々ユーラシア大陸の揚子江プレートの一部であったが沖縄プレートと共に南東へ移動した結果、大陸と切り離され、島に生き残り、あるいは島で独自に進化した固有種や亜種が多く生息していることが評価され、徳之島、西表島、沖縄本島北部と共に世界自然遺産に選定された。
特別天然記念物(国指定)
天然記念物(国指定)
以上の天然記念物は地域を定めず指定されている。
鹿児島県指定天然記念物
ホエールウォッチング
近年ザトウクジラの回復が進んだことで、海岸から潮吹きが見えることもあり、本種を中心としたホエールウォッチングの沖縄諸島に次ぐ、基地としての可能性が注目され始めている。専用の観光協会やネットワークも結成され、商業的展開と環境保護の両立が模索されている[15]。ニタリクジラやマッコウクジラ、オキゴンドウ、ハシナガイルカやマダライルカなども島の湾内や周辺で確認されている。捕鯨時代には、シロナガスクジラやナガスクジラなども大島海峡に現れていた[16]。
絶滅危惧種
2017年、それまでの奄美群島国定公園より陸域部分を大幅に拡充して奄美群島国立公園が設定された[19]。ビジターセンターとして奄美野生生物保護センターが大和村にある[20]。2021年には国立公園の特別保護地区と第一種特別地域の大部分が世界遺産に登録され、奄美大島世界遺産センターが2022年に開設した[21]。
しかし国立公園の特別保護地区や第一種特別地域として伐採が禁止されている地域は林野面積の17%程度に過ぎず、大部分の地域では今後の社会的状況の変化によっては再び皆伐される可能性がある[22]。さらに、生物多様性に悪影響を与えている可能性が高い間伐[23]は理論的には特別保護地区以外ではどこでも可能であり、実際、複層林改良事業等によりスカスカの森となっている地域が広がっている[22]。また上述のように水辺環境、特に止水環境の減少による水域の生物多様性の悪化も課題である[12]。

奄美大島を含む奄美群島は、大東諸島を除く沖縄県と共に琉球文化圏を構成する。奄美語は琉球語の一部であり、基本的語彙や表現などの共通点も多い。日本語話者との意思疎通が困難なため、これらは国際的には独立した言語とみなされることが多いが、同系の語彙、祖語と標準語を持つ事などから、日本語の方言とする研究者もいる。なおかつ奄美群島、とりわけ奄美大島の文化は沖縄県よりも九州以北に近い部分も少なからずあり、中間的である。独自の文化を基層に、時代により九州以北や沖縄本島以南、また中国大陸や東南アジア方面などの影響も受けてきた。島を代表する生産品である黒砂糖や大島紬、黒豚は中国大陸方面から伝えられ、焼酎(奄美黒糖焼酎)やチヂン(日本では奄美群島など極限られた土地だけに残るクサビ締め太鼓)、高倉(高床倉庫)は東南アジア方面から伝えられたとも言われる。
また、1185年の壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びてきた平家の落人たちにより、本土の文化が伝えられ、幾つかの城砦やグスク)が築かれたとの伝承も残り、平家ゆかりの有盛神社、行盛神社がある他、南隣の加計呂麻島では平資盛を祀る大屯神社に重要無形民俗文化財指定の諸鈍芝居(諸鈍シバヤ)が伝えられている。
大島での稲作は既に神事専用程度にまで縮小しているが、稲の収穫を祝う八月踊は依然各集落で夏(旧盆頃)に行われており、チヂンという太鼓を打ちながら民謡を歌い踊られる。集落(シマ)ごとに異なる民謡はシマ唄と呼ばれ、唄を多く知り奄美方言で即興的に歌うことにも熟達した歌い手を唄者と呼ぶ。沖縄民謡と同じく三線が使われるが、弦やバチ、調音が沖縄とは異なり、より高く、装飾音を多く使った演奏が行なわれ、奄美大島では三味線(しゃみせん)や蛇皮線(じゃみせん)と呼ばれることが多く、また、琉球音階ではなく九州以北の民謡と同じ民謡音階(ヨナ抜き音階)が使われている。八月踊り唄や神事のための神唄ではない、日常の娯楽としてのシマ唄(なぐさみ唄)は、三線の伴奏で、屋内で歌われ、即興で叙事、叙情の歌詞が付けられ、文字化されない、昔の出来事も口伝で伝えられてきた。他に労働歌としてのシマ唄もある。名瀬の繁華街などにはシマ唄を聞きながら奄美料理が食べられる飲食店も複数ある。
奄美の伝統的な船舶には板付き舟(イタツケ)と呼ばれる構造船がある。のちに沖縄本島式のサバニと、奄美の板付き舟の折衷形であるアイノコが考案された。
地場の海産物、野菜、黒豚、鶏肉、ヤギ肉、素麺などに粒味噌、蘇鉄味噌、甘みのある醤油、酢味噌、黒砂糖などを多用した味付けを施した奄美料理が郷土料理として食べられている。奄美黒糖焼酎、乳酸菌発酵食品のミキなどの独特の飲み物も愛用されている。西郷隆盛が島流しされた時に出会った愛加那と付き合ったその名前の煎餅がある
島内には各集落ごとに複数の神社が見られるが、仏教寺院は極少ない。ただし神社のほとんどは、江戸時代(薩摩藩政時代)頃に琉球神道の御嶽から移行し設立された比較的新しいもので、高千穂神社などでは薩摩と共通する六月灯行事が行われる。
ほかに、島北部を中心にカトリック教会が多く見られ、明治以降に設立されている。1892年(明治25年)3月よりフランス人神父によって奄美大島でのカトリック宣教が開始された。人口に対するカトリック信者の割合が、国内でも信者の多いとされる長崎県以上と言われる。列聖調査中のドミンゴス中村長八神父という海外に渡った初邦人宣教師が1923年(大正12年)にブラジルに移住する前に奄美大島での布教を担当し、活躍した[24]。しかし1933年(昭和8年)、軍部は国防青年団や在郷軍人会などの組織を動員してカトリック排撃運動を展開し、翌年12月全宣教師が奄美退去を余儀なくされるという苦難を味わった(奄美カトリック迫害)[25]。
現在の多くの墓形式は本土と同じであり、沖縄県の亀甲墓は見られない。ただし「城間トフル墓群」(笠利)に代表されるトフルやムヤと呼ばれる亀甲墓の前時代形式の墓所が存在する(風葬など南西諸島の墓制の北限と言われる)。これは隆起サンゴ礁が形成する崖に横穴を掘り、風葬したり厨子甕などに遺骨を入れて保管するものである。隆起した砂丘に十数基の横穴墓があり、400年以上前に構築されて以来そのすべてがほぼ完全な形で残り、うち9基が現役の墓として使われている。公的行事を取り仕切るノロは存在しなくなったが、巫や巫女と比較されるユタによる民俗信仰は残存している。
鹿児島県に属し、以下の市町村からなる。
奄美市以外の町村は全て大島郡に属する。
鹿児島県の出先機関として大島支庁が奄美市名瀬にある。また、南西諸島の防衛強化の観点から、2019年3月に陸上自衛隊の奄美駐屯地(奄美市)とその瀬戸内分屯地(瀬戸内町)が設置された。
金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
| 自治体 1980年 (昭和55年) | 1980年 (昭和55年) | 1990年 (平成2年) | 2000年 (平成12年) | 2010年 (平成22年) | 2015年 (平成27年) | 自治体 (現在) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 住用村 | - | - | 名瀬都市圏 5万9676人 | 奄美都市圏 5万3964人 | 奄美都市圏 5万0492人 | 奄美市 |
| 笠利町 | - | - | ||||
| 名瀬市 | 名瀬都市圏 4万9021人 | 名瀬都市圏 5万4524人 | ||||
| 龍郷町 | - | 龍郷町 | ||||
| 大和村 | - | 大和村 | ||||
| 宇検村 | - | - | - | - | - | 宇検村 |
| 瀬戸内町 | - | - | - | - | - | 瀬戸内町 |

各産業別で売り上げ額が大きいのは、毎年台風の被害などで需要が絶えない土木工事業や建設業である。
農業はサトウキビ、サツマイモの生産が主で、タンカン、ポンカン、スモモ、パッションフルーツ、マンゴードラゴンフルーツなどの果実栽培も盛んである。コメは二期作が可能であるが、減反政策による経済作物への転換によって、神事用を除き、ほとんど稲作は行われていない。
漁業はクロマグロ、カンパチ、真珠、クルマエビ、タイ、モズク等の養殖が行われている。南部の瀬戸内町(大島海峡)には世界で初めて(2002年に和歌山県の紀伊大島にて)クロマグロの完全養殖に成功した近畿大学の水産研究所の実験場があり、同研究所で養殖されたクロマグロは近大マグロと呼ばれている。和歌山県で養殖するよりも早く成長するため他の企業による養殖も合わせて、養殖クロマグロの出荷額は瀬戸内町が日本一となっている。
製造業は、小規模な工場がほとんどであるが、笠利町にはサトウキビから粗糖を製造する富国製糖がある。
奄美群島(熊本国税局大島税務署の管轄区域)でしか製造が認められていない奄美黒糖焼酎が特産品として製造されている。伝統工芸の本場奄美大島紬は和服用の生地として極めて評価が高いが、和服を着る習慣の衰退のほか、島内業者による韓国等での生産指導・奨励もあって、韓国産や中国産の輸入紬に押され気味であり、一時期は業界で300億円以上もあった売り上げが、いまでは1/30以下まで落ち込んでいる。
観光業としては、奄美パーク、田中一村美術館の他、中部の山岳地帯にある金作原原生林のトレッキング、南部の奄美市住用町のマングローブ林のカヌー観光、同じく南部の瀬戸内町の珊瑚礁などが有名である。瀬戸内町内の大島海峡ではシーカヤックも盛んであり、毎年夏には奄美シーカヤックマラソンin加計呂麻が開催されている[26]。奄美市笠利町などではモーターパラグライダーによる観光も行われており、スタンドアップパドルボードが楽しめる場所もある。
大島に本店を置く金融機関として、奄美大島信用金庫、奄美信用組合の2つがある。
3つの火力発電所(龍郷・名瀬・古仁屋)と2つの水力発電所(新住用川・名音川)、計5つの発電所があり、島内に電気を独自供給している。
日本航空(JAL)[注釈 2][27]が発着便のほとんどを占めるが、スカイマーク(SKY)とPeach Aviation(APJ)も本空港との発着便を運航している。なおスカイマークは鹿児島空港との路線のみを運航しているが、鹿児島で羽田空港・中部国際空港・神戸空港への運航便と接続する。



名瀬港(名瀬新港・旧港) - 奄美市
古仁屋港 - 瀬戸内町
一般路線バス
コミュニティバス
括弧内は供用開始年と延長(1000m以上のもののみ)
網野子トンネル(2015年、4243m)、新和瀬トンネル(2001年、2435m)、宮古崎トンネル(2022年、2316m)、三太郎トンネル(1989年、2017m)、和光トンネル(2005年、1822m)、朝戸トンネル(1993年、1725m)、長瀬トンネル(2006年、1432m)、 おがみ山トンネル(2029年予定 1225m)、毛陣トンネル(1998年、1212m)、役勝トンネル(2007年、1133m)、勝浦トンネル(2010年、1122m)、地蔵トンネル(1995年、1065m)、本茶トンネル(1984年、1055m)
奄美大島で多くのミュージシャンがライブで来島している。
日本の有人指定離島 | |
|---|---|
非実効支配下の島は除く。※印は民間人の定住者が居ない島嶼。太字は特定有人国境離島地域に指定されている島嶼。 | |