| 太田駅 | |
|---|---|
北口(2017年4月) | |
| おおた Ota (株式会社SUBARU前) | |
![]() | |
| 所在地 | 群馬県太田市東本町15[1] |
| 駅番号 | TI18 |
| 所属事業者 | 東武鉄道 |
| 電報略号 | オタ |
| 駅構造 | 高架駅 |
| ホーム | 3面6線[2] |
| 乗降人員 -統計年度- | [東武 1]10,599人/日 -2024年- |
| 開業年月日 | 1909年(明治42年)2月17日[3][4][5] |
| 乗入路線 3 路線 | |
| 所属路線 | ■伊勢崎線 |
| キロ程 | 94.7 km(浅草起点) |
◄TI 17韮川 (2.9 km) (3.1 km) TI 19細谷► | |
| 所属路線 | ■桐生線 |
| キロ程 | 0.0 km(太田起点) |
(3.4 km) TI 51三枚橋► | |
| 所属路線 | ■小泉線(支線) |
| キロ程 | 0.0 km(太田起点) |
(4.7 km) TI 47竜舞► | |
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太田駅(おおたえき)は、群馬県太田市東本町にある東武鉄道の駅である。駅番号はTI 18[1]。
伊勢崎線・桐生線・小泉線の3路線が乗り入れており、桐生線は当駅が起点、小泉線は当駅が終点となっている。
1909年2月17日に東武伊勢崎線が足利町駅(現・足利市駅)から当駅まで延伸したのに伴い、開業したのが始まりである[3][4][5]。開業当日は駅前広場で三横綱を招請して大相撲が行われるなど記念行事が行われ、盛況となった[3]。その後、1910年3月27日に伊勢崎線が新伊勢崎駅まで延伸し、中間駅となった[6][7]。
人車軌道を運営していた藪塚石材軌道が太田軽便鉄道に改称して建設を進めていた路線を1913年3月5日に東武鉄道が買収し、同年3月19日に東武桐生線として当駅から相老駅間が開通した[8][注釈 1]。
1927年10月1日に伊勢崎線の館林駅 -伊勢崎駅間、1928年3月1日には桐生線の当駅 -相老駅間が相次いで電化された[10]。
太田は、中島飛行機を中心に、工業都市として急速に発展していった[4]。1941年4月には総工費16万円を掛けた2階建て延べ建坪585坪の新駅舎が竣工した[4][11]。新駅舎の2階には貴賓室、大衆食堂が配置され、当時東武線随一とも言われた[4]。同年6月1日には小泉線が中島飛行機小泉製作所への輸送を目的として当駅から小泉町まで開通するなど整備が進められた[12]。
中島飛行機がアメリカ軍による空爆の主要な対象の一つとなっており、1945年4月4日に空襲を受けた[10][13][14]。この空襲では、駅舎などの建物約1,067坪が全焼し、線路約350 mに加えて電車線が約250 m、送配電線約2,600 m、通信線約23,000 mが破壊された[14]。その後、バラックの駅舎で仮復旧し、1954年2月に新駅舎を開設して本格的に復旧した[10][15]。
当駅の南側は水田地帯であったが、「九合地区土地区画整理事業」として整備が進められ、1966年12月に南口を開設した[10]。
高架化される前は、当駅の北側と南側は立体交差する車道と地下歩道のみで接続しており、町が分断される形となっていた[16]。
高架化当初は、1・2番線ホームの伊勢崎寄りを7・8番線、3・4番線ホームの伊勢崎寄りを9・10番線として区切っていた[24][注釈 2]。7 - 10番線は伊勢崎・館林方面のワンマン列車が使用していたが、2017年4月21日のダイヤ改正以降は発着列車がなくなり、案内表示からも除去されている。7・8番線、9・10番線の入口には、中間改札を行う「ご案内カウンター」があった[24]。ただし無人である時間帯もあり、その場合精算などは改札口で行っていた。2026年現在、ホーム上の中間改札があった場所は、当日販売分の特急券売機(下り方面は3・4番線ホームのみ)が設置されている。かつては5・6番線へ通じる階段の手前にも「ご案内カウンター」があった。
地上駅時代は2面4線の構造であった。0番線が存在しており、当駅始終着列車専用で使用されていた。
トイレは改札内コンコース奥及び改札外の観光案内所付近に設置されており、いずれも多目的トイレを併設している。
当駅東側にある伊勢崎線と小泉線の分岐点から、当駅西側にある伊勢崎線と桐生線の分岐点までは単線並列となっており、西側の分岐点にはシーサスポイントがある。また、双方向に留置線がある。
太田駅管区として、伊勢崎線韮川駅 -伊勢崎駅間、桐生線全駅、小泉線の竜舞駅を統括管理している。
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 上り | 館林・久喜・ とうきょうスカイツリー・浅草方面 | ||
| 2 | ||||
| 3 | ||||
| 下り | 伊勢崎方面 | |||
| 新桐生・赤城方面 | 特急のみ発着 | |||
| 4 | 上り | 館林・久喜・ とうきょうスカイツリー・浅草方面 | ||
| 下り | 伊勢崎方面 | |||
| 5 | 東小泉方面 | 一部は6番線から発車 | ||
| 6 | 新桐生・赤城方面 | |||
| ↑ 伊勢崎方面 | ||
| ← 東小泉 方面 | → 赤城 方面 | |
| ↓ 浅草方面 | ||
| 凡例 出典:[25][26] | ||
特急「りょうもう/リバティりょうもう」の停車駅で、伊勢崎線浅草方面から桐生線赤城まで乗り入れている。一部の列車は当駅折り返しとなるほか、伊勢崎発着便が上下1本ずつ運転されている。
当駅を発着する普通列車はすべてワンマン運転となっている。伊勢崎線は、館林駅で系統が分割されており、館林から当駅折り返しとなる列車と伊勢崎まで直通する列車に分かれている。朝・夜間は、当駅 - 伊勢崎間の列車も運行される。2006年3月18日のダイヤ改正で、浅草方面の区間急行・区間準急の始発・終着駅となり、伊勢崎方面とは当駅で系統が分割されていたが、2013年3月16日のダイヤ改正により、昼間時は伊勢崎発着のワンマン列車が館林まで乗り入れるようになった。2020年6月6日のダイヤ改正で、館林駅を越える運用がなくなった。
桐生線と小泉線の普通列車は直通運転しているものの、当駅で時間調整をする列車が多く、30分近く停車する列車も存在する。
信号が開通したときに鳴動する信号開通メロディは以下のとおりである。
| 番線 | 路線 | 行先 | 曲名 |
|---|---|---|---|
| 1・2 | 館林方面 | ロッキーのテーマ | |
| 伊勢崎方面 | 春よ、来い※2020年6月6日以降は臨時のみ使用 | ||
| 3・4 | 館林方面 | 負けないで | |
| 伊勢崎方面 | 夜空ノムコウ | ||
| 5・6 | 東小泉方面 | エリーゼのために | |
| 赤城方面 | 草競馬 |
1913年(大正2年)度の年間旅客数は108,331人で、一日平均で約300人となっており、館林駅より利用者が多かった[4]。
2024年(令和5年)度の一日平均乗降人員は10,599人である[東武 1]。この値は東武線各線間の乗り換え人員を含まない。群馬県内の東武線の駅では第1位である。
1991年(平成3年)度時点では一日平均乗降人員が14,000人を上回っていたが、その後2003年(平成15年)度まで12年連続で減少し、2002年(平成14年)度に10,000人を下回った[27]。しかし、その後は横ばいから持ち直し、2012年(平成24年)度に再度10,000人を上回った。
近年の一日平均乗降人員の推移は下表のとおりである。
| 年度 | 1日平均 乗降人員 [28][29] | 出典 |
|---|---|---|
| 2001年(平成13年) | 10,173 | [東武 2] |
| 2002年(平成14年) | 9,675 | [東武 3] |
| 2003年(平成15年) | 9,561 | [広告 1] |
| 2004年(平成16年) | 9,610 | [広告 2] |
| 2005年(平成17年) | 9,574 | [広告 3] |
| 2006年(平成18年) | 9,799 | [広告 4] |
| 2007年(平成19年) | 9,805 | [広告 5] |
| 2008年(平成20年) | 9,901 | [広告 6] |
| 2009年(平成21年) | 9,540 | [広告 7] |
| 2010年(平成22年) | 9,636 | [広告 8] |
| 2011年(平成23年) | 9,792 | [広告 9] |
| 2012年(平成24年) | 10,329 | [広告 10] |
| 2013年(平成25年) | 10,764 | [広告 11] |
| 2014年(平成26年) | 10,819 | [広告 12] |
| 2015年(平成27年) | 11,256 | [広告 13] |
| 2016年(平成28年) | 11,505 | [広告 14] |
| 2017年(平成29年) | 11,756 | [広告 15] |
| 2018年(平成30年) | 11,788 | [広告 16] |
| 2019年(令和元年) | 11,705 | [広告 17] |
| 2020年(令和02年) | 8,058 | [東武 4] |
| 2021年(令和03年) | 8,720 | [東武 5] |
| 2022年(令和04年) | 9,374 | [東武 6] |
| 2023年(令和05年) | 10,112 | [東武 7] |
| 2024年(令和06年) | 10,599 | [東武 1] |
太田の中心地として発展し、最盛期の昭和50年代前半には当駅から半径500 mに大型店が5店舗出店していた[16]。


大光院の門前町で[30]、宿場町として栄えた[16]。本町通り商店街は、太田市の中心商店街として栄え、南一番街ベルタウンができ停滞した時期もあったが道幅を拡張し復活した。1996年8月に最後に残った大型店の十字屋も閉店した[16]。また、受楽寺移転跡地を中心とした商店街は太田銀座とも称する。単に北口といった場合はここを指すこともある。
行政機関も集まる地区であったが[16]、1956年4月19日に落成した太田市役所が移転したのを皮切りに[11]、駅の南側に相次いで移転して行政の中心地でなくなった[16]。
2009年に北口駅前広場が朝日自動車太田営業所(前身は東武バス太田出張所)跡地に移転整備された。移転整備に伴い更地となった旧北口駅前広場は太田市によって2017年に太田市美術館・図書館が開館した。
1956年4月19日に落成した太田市役所が移転したのを皮切りに[11]、行政機関が相次いで移転してきた[16]。店舗の廃業などの影響もあり、1991年から南口の利用者も減少に転じ、風俗店が多く出店している[16]。
北口ロータリーの駅出口から見て左側(西側)より発車。