| この項目では、元国会議員について記述しています。元横浜市議会議員の同名の人物については「太田正孝 (市議会議員)」をご覧ください。 |
| 「太田昌孝」とは別人です。 |
| 太田 正孝 おおた まさたか | |
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代議士初当選時の肖像写真 | |
| 生年月日 | 1886年11月13日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | (1982-07-10)1982年7月10日(95歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学法科大学経済学科(現・東京大学経済学部) |
| 所属政党 | (立憲政友会→) (政友会中立派(金光派)→) (議員倶楽部→) (翼賛政治会→) (大日本政治会→) (日本進歩党→) (自由党→) 自由民主党(大野派) |
| 内閣 | 第3次鳩山一郎内閣 |
| 在任期間 | 1955年11月22日 -1956年12月23日 |
| 選挙区 | 静岡県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1959年 -1965年6月1日 |
| 選挙区 | (静岡県第3区→) 旧静岡3区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 | 1930年 -1945年12月18日 1952年 -1953年3月14日 1955年 -1958年4月25日 |
その他の職歴 | |
総裁:岸信介 (1959年8月 -1960年7月) | |
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太田 正孝(おおた まさたか、1886年〈明治19年〉11月13日 -1982年〈昭和57年〉7月10日[1])は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)。
静岡県出身。静岡商業学校、七高を経て、1912年に東京帝国大学法科大学経済学科(現・東京大学経済学部)を卒業し、大蔵省に入省(東京税務監督局兼主税局[2])。後に主計官となる。
1919年退官。政界入りするまでに報知新聞社副社長、中央大学教授等を務める。1924年には経済学博士号を取得。
1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で立候補し初当選。その後大蔵参与官、大蔵政務次官などを歴任。1939年の政友会分裂に際し金光庸夫、犬養健らとともに中立派に属す。1940年大政翼賛会政策局長に就任。その後翼賛政治会常任総務も務める。
終戦後の1945年11月には日本進歩党結成に参加、政調会長に就任する。同年12月2日には連合国軍最高司令官総司令部より日本政府を通じた逮捕命令(第三次逮捕者59名中の1人)[3]があり、A級戦犯容疑で巣鴨拘置所に勾留されるが、1947年に不起訴処分となり釈放。
1951年公職追放解除後、1952年自由党公認で総選挙に立候補して当選し政界復帰。1955年第3次鳩山内閣に自治庁長官として入閣。1959年には第5回参議院議員通常選挙で静岡県選挙区から出馬し、当選。1964年秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章(勲三等からの昇叙)[4]。1期のみで1965年に政界引退。1982年7月10日死去、95歳。死没日をもって正五位から従三位に叙される[5]。
| 公職 | ||
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| 先代 川島正次郎 | 第6代:1955年 - 1956年 | 次代 田中伊三次 |
| 議会 | ||
| 先代 木内四郎 | 1963年 - 1964年 | 次代 寺尾豊 |
| 先代 塚田十一郎 | 1952年 - 1953年 | 次代 尾崎末吉 |
| 党職 | ||
| 先代 (結成) | 自由民主党税制調査会長 初代:1955年 - 1956年 | 次代 植木庚子郎 |
| 先代 (結成) | 日本進歩党政務調査会長 | 次代 木村小左衛門 |
| 中央省庁等改革前 |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 総務大臣 | |||||||||||||||
| 2001年(平成13年)1月6日、郵政大臣、自治大臣、総務庁長官が統合され、総務大臣が置かれた。 | |||||||||||||||