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天野光晴

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(2016年10月)
天野 光晴
あまの こうせい
生年月日 (1907-03-26)1907年3月26日
出生地日本の旗福島県双葉郡長塚村(現双葉町
没年月日 (1995-03-24)1995年3月24日(87歳没)
所属政党(新生同志会→)
(福島県民主クラブ→)
自由民主党河野派中曽根派
称号正三位
勲一等旭日大綬章
日本の旗 第50代建設大臣
内閣第3次中曽根内閣
在任期間1986年7月22日 -1987年11月6日
内閣三木改造内閣
在任期間1976年9月15日 -1976年12月24日
選挙区旧福島1区
当選回数11回
在任期間1958年5月23日 -1990年1月24日
当選回数3回
在任期間1947年 -1958年
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天野 光晴(あまの こうせい、1907年3月26日-1995年3月24日)は、日本政治家建設大臣(第50代)、国土庁長官(第4代)、衆議院議員(11期)。

来歴・人物

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福島県双葉郡長塚村(現双葉町)に、農業・天野辰記の二男として生まれる。高等小学校を卒業後、セメント瓦工場経営、巡査、保険外交員、果ては活動弁士まで様々な職業を経験する。仕事のかたわら青年団運動にも取り組み、一時期は左翼運動にも関わったことがある。

第二次大戦後は、青年団の仲間を集めて、新憲法啓蒙運動のため「新生同志会」を結成し、幹事長となる。「同志会」を基盤として、1947年福島県議会議員に当選し、3期11年務める。1950年代には、福島県出身という縁で当時東京電力の常務だった木川田一隆(出身地は中通り梁川)と親密になり、故郷たる長塚への原子力発電所の誘致に奔走した[1]

1958年第28回衆議院議員総選挙で、旧福島1区より前福島県知事大竹作摩河野一郎の支援の下、立候補し初当選。当選後は自由民主党に加わる。河野派中曽根派に所属し、三木内閣国土庁長官も務めた。1976年第34回衆議院議員総選挙後には、選挙違反の容疑で資金管理を行っていた妻のほか県議会議員が捜索を受けるが[2]、後援会組織の結束に緩みは起こらず、当選回数は10回を数えた。

その後は、衆議院予算委員長第3次中曽根内閣建設大臣を歴任する。しかし、1988年に行われた福島県知事選挙では渡部恒三らと共に、元建設官僚の広瀬利雄を擁立するが、伊東正義らが推した参議院議員佐藤栄佐久が圧勝したため、福島県政界における影響力が低下する。

1990年第39回衆議院議員総選挙では、高齢を押して立候補するも、保守系候補で増子輝彦佐藤剛男亀岡偉民らが乱立した影響をまともに受け落選し、引退した。その直後には、金丸信竹下登らと並ぶ道路族議員のドンだったこともあり、日本道路公団最高顧問に就任する。

1986年4月の春の叙勲勲一等に叙され、旭日大綬章を受章する[3]

1995年3月24日、死去した。87歳没。同月31日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正三位に叙され、銀杯一組を賜った[4]

脚注

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  1. ^47NEWS 立地の迷路(1)原子の火が点った
  2. ^天野前国土庁長官の妻に逮捕状 総選挙裏資金の元締め?『朝日新聞』1977年(昭和52年)1月14日夕刊、3版、11面
  3. ^『官報』号外第59号11頁 昭和61年4月30日
  4. ^『官報』第1622号10-11頁 平成7年4月11日号

関連項目

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公職
先代
江藤隆美
日本の旗建設大臣
第50代:1986年 - 1987年
次代
越智伊平
先代
金丸信
日本の旗国土庁長官
第4代:1976年
次代
田沢吉郎
議会
先代
倉成正
日本の旗衆議院予算委員長
1984年 - 1986年
次代
小渕恵三
先代
中野四郎
日本の旗衆議院懲罰委員長
1982年 - 1983年
次代
春日一幸
先代
亀山孝一
木村武雄
日本の旗 衆議院建設委員長
1972年
1975年 - 1976年
次代
服部安司
渡辺栄一
日本の旗建設大臣 (1986年-1987年)
統合前
運輸大臣
建設大臣
建設院総裁
建設大臣
北海道開発庁長官
国土庁長官
統合後
2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。
日本の旗国土庁長官 (1976年)
統合前
運輸大臣
建設大臣
建設院総裁
建設大臣
北海道開発庁長官
国土庁長官
統合後
2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。
日本の旗衆議院予算委員長 (1984年-1986年)
帝国議会
国会
日本の旗衆議院懲罰委員長 (1982年-1983年)
帝国議会
国会
日本の旗 衆議院建設委員長 (1972年/1975年-1976年)
定数4
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。
設備・建設経緯
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事故・不祥事
社会的反応
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関連項目
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