
| 『天工開物』 |
天工開物(てんこうかいぶつ)は中国の明末(17世紀)に宋応星によって書かれた産業技術書。「天工」は造化の巧み(自然の業)、「開物」は人間の巧みを意味する。中国の産業技術史を展望するための書籍として評価されている。
『天工開物』の目次構成は、次の通り。序文で、「五穀を尊び金玉を卑しむ」順序だとしている。
『天工開物』は明末期の1637年に刊行されたと考えられている。続く清の時代にも中国国内ではほとんど評価されず、散逸してしまった。
一方、日本では1708年(宝永5年)に貝原益軒の『大和本草』などに引用され、また木村蒹葭堂が秘蔵していたという[1]。1771年(明和8年)には訓点と添え仮名の施された和刻本が出版された。平賀源内[2]も読んだといわれる。
中国では1912年の中華民国建国後、地質学者の丁文江[3]が探していたところに、日本に留学して地質学を学んでいた章鴻釗(中国語版)が持ち帰ったことが契機となり、再評価されるようになった。
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