大阪市24区 色分け地図 大阪市 (おおさかし)は、大阪府 中部に位置する市 。大阪府の府庁所在地 および近畿地方 で最多の人口を有する市であり、政令指定都市 に指定されている。
西日本 および近畿地方 の首位都市 であり、経済 ・文化 ・交通 の中心都市。また、近隣の京都市 や神戸市 と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏 の都市中枢を成す。市域は24の行政区 からなり、市庁 所在地は北区 中之島 。市域に多数の河川 や堀 を有し、歴史的にも港湾 機能や河川交通が発達していたことから「水都 」の異名を持つ。
古墳時代 から昭和時代 後期に至るまで、日本経済の中心として機能してきた。また古代よりアジア 広域からヒトやモノを惹き付けてきた都市であり、現代ではアジアで最も住みよい街と国際的に評され、求心力を保持している[ 1] 。現在では、日本の商都 として商業 や国際観光 などが盛んな[ 2] 、アジア屈指の世界都市 である。
大阪市の都市 としての源流は、古代 に遡る。神武天皇 は即位前、上町台地先端の難波埼に生國魂神社 を創建。日本書紀 によると、応神天皇 は難波大隅宮を行宮 にした。河内王朝 の始祖である仁徳天皇 は難波高津宮 を皇居 とした。その後、国内流通の中心である住吉津 や難波津 が開港し、都市として本格的なスタートを切る。後に日本 国の最初の首都として難波宮 が置かれる。これは天皇 の住まい、政治、儀式の場を明確な構造として持つ初の宮城であり、後の宮にも採用された。また、難波宮から日本という国号とともに元号 の使用が開始された。なお、その後の度重なる遷都 により、首都は現在の奈良市 や京都市 などに移ったため、その後は主に商都 として歩むことになる。
市域を中心として、大阪都市圏 /阪神都市圏 /京阪神 大都市圏 を形成。大阪市の市内総生産は約20兆円で[ 3] 、国内では東京区部 に次ぐ規模であり、政令指定都市 (以下、政令市)中最大である。これは、北海道 、兵庫県 、千葉県 など1つの道府県 の県内総生産 に匹敵する規模であり約370万人の人口を持つ横浜市 の約1.5倍の市内総生産である[ 4] 。また、京阪神大都市圏としては圏内総生産約80兆円、世界7位の経済規模を有する[ 5] 。夜間人口 は約280万人、人口密度 は約12,400人/km2 、昼間人口 は市外から多くの通勤・通学者が流入するため約360万人(行政単位として全国1位)である。面積 は、政令市(全20市)の中では川崎市 、堺市 、さいたま市 に次ぎ4番目に小さい。これは横浜市のおよそ半分、名古屋市 の3分の2程度であるが、行政区 が24区と政令市中最多であるため、面積が10km2 に満たない行政区が多い。近年では都心回帰 が顕著で、大阪都心6区 や都心9区を中心に人口が増加しており、西区 や城東区 では人口密度が2万人/km2 を超えている[ 6] 。
古代より瀬戸内海 ・大阪湾 に面した立地から、住吉津や難波津などの港を持ち、港湾都市、国内流通の中心として栄え水の都 と称された。中世には、渡辺津 や浄土真宗 の本山 であった石山本願寺 が置かれ、寺内町 として商工業が発展。近世初期には豊臣秀吉 が大坂城 を築城し、城下町 が整備された。江戸時代 には天領 となり、経済・交通・金融・商業の中心地として発展。世界初の先物取引 市場である堂島米市場 が置かれ、当時の経済の中心であった米の中央市場として機能した。大坂 は経済の中心地として天下の台所 と称され、商業の町で豊かな町人 文化(上方文化 )を育んだ。京 ・江戸 とともに三都 に数えられた。
明治 期に入ると、東洋紡 など繊維工業 を中心とした工業都市 へと発展し(→船場 の繊維問屋街)、「東洋のマンチェスター 」「煙の都 」と称された。大正 初期に池上四郎 が第6代大阪市長 に就任し、1925年 に第2次市域拡大を実施。人口は当時の東京市 を上回る211万人に到達し、面積・人口・工業出荷額で一時的に国内1位[ 7] [ 8] 、世界6位の人口を有する大都市へと成長した[ 9] (大大阪時代 [ 10] [ 11] [ 12] [ 13] )。1923年 には都市計画学者である關一 が第7代大阪市長に就任。關は堺筋 に代わる市のメインストリートとして、御堂筋 の拡張整備を行い[ 14] 、その地下に日本初の公営地下鉄 である大阪市営地下鉄 (現:Osaka Metro )御堂筋線 (梅田駅 -心斎橋駅 間)を建設するなど、現在につながる大阪の都市インフラを作り上げた。他方、古来より卸売業を中心に商業活動も活発であり、道修町 (薬種)、松屋町 (玩具)、本町 ・船場 (繊維)など市内各所に江戸時代からの歴史を持つ問屋街 が発達している。
現代では商都 として、国内のみならず世界より訪問者が訪れる国際集客都市として、主に商業が繁栄。梅田 ・北新地 ・難波 ・心斎橋 といった世界水準の繁華街 を有している。他にも天王寺 や新世界 、京橋 、上本町 、十三 など複数の繁華街を擁し、阿倍野・天王寺エリアにあるあべのハルカス は日本初のスーパートール (高さ300m 以上のビル)である。中之島 ・淀屋橋 や北浜 界隈の伝統的なオフィス街 には、金融街 が形成。北浜の一部界隈は戦前から旧住友財閥 (住友グループ )各社が拠点を構えるていることから「住友村 」とも呼ばれている。また、梅田 ・堂島 ・中之島 一帯や、京橋に近い大阪ビジネスパーク (OBP)には超高層ビル が林立しており、華やかな都市景観(スカイライン)を形造る。大阪市役所 が所在する中之島や、大阪府庁 が所在する大手前 周辺には、官公庁や公的機関が数多く立地している。
イギリス の調査機関、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット による「最も住みやすい都市 」ランキング(2019年度版)において、大阪市は、ウィーン 、メルボルン 、シドニー に次ぐ世界4位、アジア1位の都市と評価され、2023年度版でも、ジュネーブ 、トロント に次ぐ世界10位、アジア1位の都市と評価されている[ 1] 。評価理由としては、合理的な都市設計、治安、物価、高度な教育・医療・交通、テロの脅威の少なさ、などが挙げられている。アメリカ のシンクタンク が発表している世界都市ランキング 「2020 Global Cities Index(世界都市 の指標)」において、世界7位の都市と評価された[ 15] 。イギリスのシンクタンクが発表した2025年9月の報告書「The Global Financial Centres Index(世界金融 センター指標)」によると、世界36位の金融センター と評価されている[ 16] 。
2020年 10月1日時点での大阪府域に占める大阪市域の割合は、面積 :11.8%、人口 :31.1%[ 17] [ 18] 。
大阪市の最新の推計人口は2,815,724人(2026年1月1日現在)となっている。
1920年 の第1回国勢調査 では1,252,972人と全国2位の人口であったが、1925年 4月に第2次市域拡張を実施し、同年10月の第2回調査で2,114,804人(旧市域:1,331,984人、新市域:782,820人)と全国1位になった(「大大阪時代」)。その後は東京市の市域拡張により全国2位になったものの、第2次市域拡張以降も大阪市の人口は著しい増加が続き、1940年 の第5回調査で3,252,340人とピークに達した。戦災によって1945年11月の人口調査で1,102,959人と激減したが、1965年 の第10回調査で3,156,222人にまで回復した。以降はドーナツ化現象 によって再び減少に転じ、1978年 には横浜市 に抜かれ全国3位に転落。2000年 の第17回調査で2,598,774人にまで減少した。しかし21世紀に入ると都心回帰により再び増加に転じ、2020年 の第21回調査では2,752,412人となり[ 19] 、近年は全国トップクラスの人口増加を記録している。
大阪市は少子化 により自然動態(出生数-死亡数)が減少する一方、地方や外国からの人口流入により社会動態(転入数-転出数)は増加しており、人口が増加している。2017年・2018年には全国2位(市町村別)の人口増加となった[ 20] 。また2020年の人口移動報告より、大阪市は16,802人の転入超過(転入者が転出者を上回る)となり、同年の東京23区(13,034人の転入超過)を上回り、全国最多の人口流入を記録している[ 21] 。
2021年は自然減少数の拡大およびコロナ禍における地方および外国からの人口流入の減少等に起因し、十数年ぶりの(対前年比)人口減少となった。コロナ禍の終息後は再び増加に転じた。
2024年は市町村別で全国最多の人口増加数を記録した[ 22] 。
2025年4月に280万人を超え、およそ半世紀前の水準に回復した[ 23] 。
2024年の大阪市の推計人口年報によると、全24行政区のうち20区で(対前年比)人口増加となった。人口増加率の上位を大阪都心6区 (中央、北、西、天王寺、浪速、福島)が占めており、都心回帰の傾向が続いている。人口減少となった4区は、平野、此花、住之江、鶴見であった[ 24] 。旭、生野、西成の3区は1965年から、大正区は1970年からそれぞれ減少が続いており、特に西成区は1960年のピーク時から概ね半減している。
都心6区のエリアを中心に、オフィスビルの容積率 が緩和されたためオフィスビルの建て替えが進み、老朽化したオフィスビル跡地での高層マンションの建設が増加した。その結果人口が増加し、都心部の小学校などでは教室の数が足りず増築工事などを行っている小学校もある[ 25] 。北区では、さらなる児童数の増加を見越して、令和6年度に中之島小中一貫校が新設された。
大阪市は一世帯当たりの人員が約1.79人であり、政令指定都市 の中で最も少なくなっている[ 26] 。1世帯あたりの世帯人員の多い行政区は鶴見区(2.21人)で、阿倍野区(2.00人)、城東区(1.97人)と続き、子育て世帯が多く暮らしている。一方、世帯人員の少ない行政区は浪速区(1.35人)で、中央区(1.51人)、西成区(1.55人)と続き、単身世帯が多く暮らしている。
市内の外国人 の人数は、およそ19万人となっており、国籍 は160カ国に及ぶ。これは人口、比率ともに、日本の政令指定都市の中で最多[ 27] であり、国際都市ならではの人口構成となっている。
大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年) 大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年) ■ 紫色 ― 大阪市■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
大阪市(に相当する地域)の人口の推移1950年 (昭和25年)2,015,350人
1955年 (昭和30年)2,547,316人
1960年 (昭和35年)3,011,563人
1965年 (昭和40年)3,156,222人
1970年 (昭和45年)2,980,487人
1975年 (昭和50年)2,778,987人
1980年 (昭和55年)2,648,180人
1985年 (昭和60年)2,636,249人
1990年 (平成2年)2,623,801人
1995年 (平成7年)2,602,421人
2000年 (平成12年)2,598,774人
2005年 (平成17年)2,628,811人
2010年 (平成22年)2,665,314人
2015年 (平成27年)2,691,185人
2020年 (令和2年)2,752,412人
総務省 統計局 国勢調査 より
大阪の衛星画像(2018年) 古くからの港湾都市 であるが、難波津・住吉津といった古代 の海港は土砂の堆積により衰退し、渡辺津 という河港 に姿を変えた。河港であることは豊臣 ・徳川 の両政権によって水運 の発達した大坂市街が形成されても変わらず、再び海港となるのは1897年 の大阪港第一次修築工事以降、実質的に20世紀 以降である。
江戸時代 には江戸 と並んで経済 の中心を担った。現在も京都市 ・神戸市 ・堺市 とともに近畿大都市圏(京阪神 )の中心市である。阪神工業地帯 の一角を担い、市内総生産は約19兆円となっている。
瀬戸内海 の東端である大阪湾の最奥部に面する。市の南端を流れる大和川 を除いて、市域を流れる河川 の多くは淀川 水系であるが、1704年 の大和川付替え 以前は大和川も淀川水系であり、大量の土砂が堆積して形成された低地 が大阪平野 である。
大阪平野の形成以前から市域の中央やや東寄りに存在する台地 が上町台地 で、南北に細長く伸びる上町台地の西側に難波砂堆 、北側に天満砂堆といった微高地が形成されている。
上町台地および付随する難波砂堆・天満砂堆を境にして、西側の低地は大阪海岸低地、東側の低地は河内低地とも区分される。大阪海岸低地は三角州 性の低地、河内低地は河内湖 が陸地化した潟湖 性の低地となる。
最高点は鶴見区 の鶴見新山 (T.P. 37.5m )、最低点は西淀川区 の大阪市立大和田小学校 内(T.P.-2.21m)[ 28] 。北から南へ低くなる上町台地の北端に位置する大坂城 本丸 が長らく大阪市の最高点だったが[ 29] 、1970年 に昭和山 (大正区 )、1983年 に鶴見新山がそれぞれ「造山」された。一方、地下水 の過剰摂取により、昭和 初期から中期にかけて地盤沈下 が深刻化し、市域の北西部に海抜ゼロメートル地帯 が広がっている[ 30] 。
河川 淀川 神崎川 、左門殿川 、中島川 、西島川 、安威川 旧淀川(大川、堂島川、安治川) 寝屋川 、第二寝屋川 、城北川 、平野川 、平野川分水路 、今川 、駒川 土佐堀川 、尻無川 、木津川 、東横堀川 、道頓堀川 大和川 正蓮寺川 、六軒家川 、住吉川 、細江川 、十三間川 、三軒家川 大阪市 雨温図 (説明 )1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 気温(°C ) 総降水量(mm) 出典:気象庁
インペリアル 換算1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 気温(°F ) 総降水量(in)
瀬戸内海式気候 となり、年間を通して温暖であるが、夏は非常に蒸し暑く、全国有数の酷暑地帯である。大阪湾に西面し、日中は海風が吹くが、夜間の陸風は風速が弱く風向もばらつきが大きい[ 31] ため、特に夜が寝苦しい。年平均熱帯夜 日数は本土の官署では鹿児島市 (55.8日)・神戸市(46.8日)に次いで3番目に多い41.5日で、7月から8月にかけての1か月以上は平年値でも熱帯夜となっている。なお、近隣の神戸地方気象台 (旧・神戸海洋気象台)は1999年に山麓の高台から海岸の低地へ移転し、熱帯夜日数が増加した経緯がある[ 32] 。一方、大阪管区気象台 は海から離れた上町台地に所在している。8月の平均気温は29.0℃であり、都道府県庁所在地の中では、那覇市 (最暖月は7月)と並んで最も高い。
大阪市 (大阪管区気象台 、標高23m)の気候月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 最高気温記録°C (°F ) 19.1 (66.4) 23.7 (74.7) 26.1 (79) 30.7 (87.3) 32.7 (90.9) 36.1 (97) 38.7 (101.7) 39.1 (102.4) 36.5 (97.7) 33.1 (91.6) 27.9 (82.2) 24.5 (76.1) 39.1 (102.4) 平均最高気温°C (°F ) 9.7 (49.5) 10.5 (50.9) 14.2 (57.6) 19.9 (67.8) 24.9 (76.8) 28.0 (82.4) 31.8 (89.2) 33.7 (92.7) 29.5 (85.1) 23.7 (74.7) 17.8 (64) 12.3 (54.1) 21.3 (70.3) 日平均気温°C (°F ) 6.2 (43.2) 6.6 (43.9) 9.9 (49.8) 15.2 (59.4) 20.1 (68.2) 23.6 (74.5) 27.7 (81.9) 29.0 (84.2) 25.2 (77.4) 19.5 (67.1) 13.8 (56.8) 8.7 (47.7) 17.1 (62.8) 平均最低気温°C (°F ) 3.0 (37.4) 3.2 (37.8) 6.0 (42.8) 10.9 (51.6) 16.0 (60.8) 20.3 (68.5) 24.6 (76.3) 25.8 (78.4) 21.9 (71.4) 16.0 (60.8) 10.2 (50.4) 5.3 (41.5) 13.6 (56.5) 最低気温記録°C (°F ) −7.5 (18.5) −6.5 (20.3) −5.2 (22.6) −2.6 (27.3) 3.5 (38.3) 8.9 (48) 14.8 (58.6) 13.6 (56.5) 10.4 (50.7) 3.0 (37.4) −2.2 (28) −4.5 (23.9) −7.5 (18.5) 降水量 mm (inch)47.0 (1.85) 60.5 (2.382) 103.1 (4.059) 101.9 (4.012) 136.5 (5.374) 185.1 (7.287) 174.4 (6.866) 113.0 (4.449) 152.8 (6.016) 136.0 (5.354) 72.5 (2.854) 55.5 (2.185) 1,338.3 (52.689) 降雪量 cm (inch)0 (0) 1 (0.4) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 1 (0.4) 平均降水日数(≥0.5 mm) 6.4 7.3 10.3 10.0 10.4 12.3 11.3 7.8 10.6 9.2 7.0 7.1 109.7 平均降雪日数(≥0 cm) 4.7 5.5 1.9 0 0 0 0 0 0 0 0 1.8 13.9 % 湿度 61 60 59 58 61 68 70 66 67 65 64 62 63 平均月間日照時間 146.5 140.6 172.2 192.6 203.7 154.3 184.0 222.4 161.6 166.1 152.6 152.1 2,048.6 出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年[ 33] 、気温極値:1883年-現在[ 34] )
最高気温・最低気温・湿度の推移 平均最高気温 最高気温(最高値) 最高気温(最低値) 平均最低気温 最低気温(最低値) 最低気温(最高値) 各階級の日数 平均湿度の推移
出典:気象庁[ 35] [ 注 1]
大阪府 大阪府
兵庫県 兵庫県
上町台地は約12万年前の間氷期 (リス・ウルム間氷期)に海底に堆積した地層である。そこには河内湾より一回り大きな上町海が存在した。気候が涼しくなり始めた約11万年前に陸地が現れ始めた。この出来たばかりの陸地にはナウマンゾウ やヤベオオツノジカ やムカシニホンジカの群れがやってきていた。氷期に移り変わる約7万年前には、上町海が退いて古大阪平野が広がり、そこには針葉樹 と広葉樹 が混じる林が繁り、その木々の間を川が丘陵から低地へと網目状になって流れ下っていた。この川を渡るゾウやシカの群れの足跡の化石として残っている。ゾウの遺体としては臼歯が1個であるが、足跡化石は千個以上見つかっている[ 36] 。大阪で最も古い旧石器は、大阪市平野区の長原遺跡から出土した石器群110数点で、約3万数千年前の後期旧石器時代 の初期と考えられる。それは、これらの石器の出土層より上位層の火山灰層が姶良Tn火山灰 であったことから年代の推定ができる。石器群はサヌカイト 製の2 - 3cm の小石器と削器・掻器などの加工具であった[ 37] 。
縄文海進 により大阪湾が発生、南部から突き出た上町台地を砂嘴 とする半島ができ、東部は河内湾となる。縄文時代中期には既に人が集住し、漁撈・採集などの生活を営んでいたことが、森之宮 付近の遺跡から明らかになっている。弥生時代 になると半島は砂州 となり河内湾は淡水化、やがて河内湖 となる。河内湖周辺は自然環境に恵まれており、農耕の発展により大規模集落が出現し、海運や大陸との交易の拠点となる。
住吉大社 四天王寺 難波宮 跡公園(2017年)大阪湾の奥、淀川・大和川の河口に突き出た上町台地が大阪市の町の原点である。天忍日命 を始祖とする大伴氏 や天忍人命 を始祖とする津守氏 が本拠を置いた場所である。神武天皇即位前、天皇が上町台地の先端付近、難波埼(なにわさき)に生國魂神社 を創建。古墳時代 、応神天皇は行宮として難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を置いた。大王と呼称された倭国の首長で河内王朝 の始祖である仁徳天皇は難波(なにわ)の上町台地の先端付近に都を定め宮居を難波高津宮 (なにわのたかつのみや)[ 注 2] とし、欽明天皇 の難波祝津宮(なにわのはふりつのみや)も営まれた。飛鳥時代 、再び難波に都が戻り日本で最初の首都となる孝徳天皇 や聖武天皇 の難波宮(なにわのみや)などが営まれた。仁徳天皇の難波高津宮は難波宮が造られた周辺にあったとする説が最も有力な説とみなされている。645年 、難波宮で大化の改新 が行われ、以後、日本という国号の使用とともに元号 の使用が始まったとされる。後には難波京が置かれ、古代に住吉津や難波津、中世に渡辺津 と大阪平野 や奈良盆地 の政治勢力の瀬戸内海における港湾都市、国内流通の中心であり、首都 や副都 が置かれた。律令国 では摂津国 の範囲。
中世には京都に政治 の拠点が移動したため、その瀬戸内海の外港の地位も大輪田泊 や神崎 などに移ったが、その間も四天王寺や住吉大社周辺は宗教的な要地として、また渡辺津は熊野や住吉巡礼の拠点・淀川河口の拠点としてある程度栄えていた。南北朝時代 には後村上天皇 の皇宮(住吉行宮 )が約10年間、住吉大社宮司の津守氏 の住之江館(正印殿)に置かれ、次の長慶天皇 もここで即位。その後蓮如 により上町台地の先端付近に石山本願寺 が開かれ、全国の浄土真宗 の本山 となった。その寺内町 では商工が発展した。
大阪城 天守閣大阪の地図(1686年) 織田信長 によって破壊された上町台地の先端付近にあった石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築いて再び政治の中心となり、同時に大規模な城普請 で人と物資が集まって再び経済の中心地(本格的に日本経済の中心になったのは近世中期ごろからである)となった。しかし、1615年の大坂夏の陣 で大坂城は落城し、豊臣氏も滅ぼされた。1619年、大坂城下は江戸幕府 の天領 となり復興、幕府の派遣した大坂町奉行 が支配するところとなる。江戸はまだ出来たばかりで商品生産力がない上、参勤交代 で大名 ・家来 などによって大消費地となった。大坂城以前から自治都市 を形成し、朱印船貿易 で活躍した豪商末吉孫左衛門 などを輩出した平野郷 の平野商人の平野や、京都伏見商人の伏見はその後、平野町、伏見町として大坂の町名に残るものとなる。江戸へは当時の工業都市である京などから大坂を経由して菱垣廻船 ・樽廻船 で物資が運ばれた。淀屋 などが活躍した中之島 周辺にはさらに各藩の蔵屋敷 が集積し、北前船 も入港して、大坂は「天下の台所」として経済・商業の中心的役割を担った。付随して、裕福になった町人により、文楽 をはじめとした様々な文化が生み出された。また河川・運河とそれに架かる橋の多さから、江戸の「八百八町」や京都の「八百八寺」に対して「八百八橋 」と称された。
中央公会堂 住友 系のビルが立ち並ぶ住友村 3代目大阪市庁舎 明治 時代から昭和 時代初期は、政府が造幣局 や砲兵工廠を置き、金属工業 や繊維産業 を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業 が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。メセナ が活発に行われた阪神間の「阪神間モダニズム 」と呼ばれた時代には、六大都市 の一つとして幕末から明治時代当初にかけて明治政府による藩債処分 などの影響により大打撃を与えられていた大阪市だが再び日本の中心の一つとなった。関東大震災 後には、周辺の東成郡 ・西成郡 全域の編入と東京 からの移住者(横浜や名古屋や神戸にも移住者あり)も加わって大阪市は、1932年の東京市の市域拡張までの間、日本最大の都市 となり、世界でも第6位となった。そのため、「大大阪 」と称されたこともあった。しかし、昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで[要出典 ] 、相対的地位は低下していった。
中之島 オオサカガーデンシティ あべのハルカス 市章 澪標 ( みおつくし ) が市章として、1894年(明治27年)4月に制定された。澪標住吉神社には澪標のオブジェがあり、市章の元となったという案内板が設置されている。市歌 大阪市歌(インストゥルメンタル 、著作権保護期間 満了) 財政・事業 指定金融機関 は4行の持ち回り。りそな銀行 ・みずほ銀行 ・三菱UFJ銀行 ・三井住友銀行 市長:横山英幸 ( よこやま ひでゆき ) 副市長:高橋徹 ( たかはし とおる ) 副市長:朝川晋 ( あさかわ しん ) 副市長:山本剛史 ( やまもと つよし ) [ 63] [ 64] 2004年から2005年にかけて、大阪市において、カラ残業 ・ヤミ年金・ヤミ退職金・ヤミ専従 など様々な職員厚遇問題 が明らかとなった。これを受けて、大阪市福利厚生制度等改革委員会が設けられ、2012年から本格的な改革が行われるようになった[ 65] 。
勤務時間中の政治活動 大阪市の市本庁舎地下1階には、職員労組の本部事務所が複数入居している。勤務時間中に職場を離れて、政治活動に参加していた職員もいた。しかし、大阪維新の会 の橋下徹はこれを問題視。橋下徹は「職務と政治活動が区別できないのなら、まずは建物から出て行ってもらう」と述べ、退去を求めた。職員労組の事務所の賃料は、家賃もコンビニなどの業者と比べて6割減免されていた[ 66] [ 67] 。
天下り問題 職員の外郭団体 への天下り が、2011年には全国で最多となっていた[ 68] 。しかし、大阪維新の会(当時)橋下徹は、2012年に外郭団体などへの天下りを原則禁止とする職員基本条例 を制定。「大阪市から300万円以上の補助金」などを受ける団体などに、市の職員は原則再就職できなくなった[ 69] 。
生活保護 受給者数の人口比が主要な自治体の中で高い大阪市では[ 70] 、人口の約4.95%(13万5787人。2020年3月現在)が生活保護を受給している。高齢化の進行により高齢者世帯の受給は増加しているがその他の世帯の受給は減少している。2020年度の市の世帯主が日本国籍を有さない生活保護受給世帯は7604世帯で韓国・朝鮮が約9割を占める[ 71] 。2021年3月30日、市は勤務中に職場のパソコンから私用でインターネットサイトに計約2千時間アクセスしていた職員と、部下の女性職員に妊娠・出産に関する嫌がらせ(マタニティハラスメント ・マタハラ)などを行った職員(どちらも課長職)をそれぞれ停職3カ月の懲戒処分にしたと報じられた[ 72] [ 73] 。 2021年3月から4月にかけて、市が3月1日に大阪市内の飲食店に午後9時までの営業時間の短縮を求め、市民には「4人以下でのマスク会食」を呼びかけていたにもかかわらず、市職員が5人以上での会食などを行っていたケースが200件以上、参加職員は1000人を超えるなどと伝えられた[ 74] 。 定数:27名 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日 選挙区 会派名 北区 (1)大阪維新の会 大阪府議会議員団都島区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 福島区 および此花区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 中央区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 西区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 港区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 大正区 および西成区 (2)大阪維新の会大阪府議会議員団 公明党大阪府議会議員団 天王寺区 および浪速区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 西淀川区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 淀川区 (2)大阪維新の会大阪府議会議員団 公明党大阪府議会議員団 東淀川区 (2)無所属 公明党大阪府議会議員団 東成区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 生野区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 旭区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 城東区 (2)大阪維新の会大阪府議会議員団 自由民主党 大阪府議会議員団鶴見区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 阿倍野区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 住之江区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 住吉区 (2)大阪維新の会大阪府議会議員団 公明党大阪府議会議員団 東住吉区 (1)大阪維新の会大阪府議会議員団 平野区 (2)大阪維新の会大阪府議会議員団 公明党大阪府議会議員団
淀屋橋 と中之島 地区(大阪市北区)大阪市は、大阪都市圏 および京阪神大都市圏 における都市中枢地区 として、京都・神戸とともに経済の中心地の一つを成す。大阪市の市内総生産は約20兆円[ 75] 、京阪神大都市圏のGRP(域内総生産)は約80兆円に及び、トルコ やサウジアラビア といった地域大国 と呼ばれる国家のGDP(国内総生産 )に匹敵する。また、都市圏経済規模としては世界7位の規模を有する[ 76] 。
大阪は長い歴史の中で、主に商人 や町人 による民間 資本 で発展してきた、日本では珍しい大都市である。日本では他に堺 や博多 が該当し、海外ではニューヨーク やアムステルダム 、シンガポール などがこれに該当する。このような経済における歴史的背景は、自由闊達・自主独立・進取果敢・反骨精神といった、大阪の豊かな都市精神や商人町人文化を形成する一因となった。
大阪市は、課税 総面積に占める商業地区 の割合が約13%で全国の大都市の中で首位であり(2位の東京区部の約6%を大きく上回る)、歴史的にも商いが盛んであったことから、日本の商都 と呼ばれている。大阪で生まれた住友 、三菱 などの財閥 系企業や都市銀行 が、企業合併や日本政府 の要請に応じる形で本社を東京に移すにつれ、経済の中心地としての影響力は低下したものの、日本第二の都市としての地位は健在である(詳しくは「東京一極集中 」を参照)。
阪神工業地帯 の中核都市として、明治 ・大正 期には「東洋のマンチェスター 」と呼ばれるほどの工業都市 であったが、高度経済成長期 以後は工場の郊外 ・海外への移転が相次ぎ、現在では大阪市の総生産額における製造業 の割合は1割程度である。此花区 や住之江区 、西淀川区 などの西部臨海区には大規模工場が多く立地する一方、東成区 や城東区 、生野区 などの東部内陸区には中小企業の工場が多く立地する。これら中小企業には、高度な技術力を有している企業も数多く存在し、日本経済の影の主役ともいわれている。
現在の経済活動で大きな割合を占めるのは、伝統的に盛んな分野である卸売 ・小売り であり、市内総生産の約4分の1を創出している。その他には科学技術 ・サービス 、情報通信 などの分野が盛んである[ 77] 。
近年では国際観光 産業が大きく興隆し、2019年度には都市別外国人訪問者数で世界25位、都市渡航先者数で世界12位を記録するなど、世界的な競争力を有している。また、この分野におけるさらなる競争力強化のため、此花区 の夢洲 にてカジノ を含む統合型リゾート (大阪IR )が、2030年度の開業を目指し工事が進められている。
大阪市は世界36位、アジア太平洋 地域13位の金融センター (2025年9月/Z/YenG社調査)との評価を受ける[ 16] 一方、国際化の遅れが課題である。市は都市政策として国際金融都市構想を掲げ、国際金融 の育成を目指している。
不動産業 も大阪の重要な産業の一つであり、商業用不動産投資額において世界31位(2020年/JLL 社調査)の規模を有する。また同社の2019年の調査において、商業用不動産モメンタム(不動産市場の成長)において世界1位の都市と評価された[ 78] 。これら不動産投資 をはじめ、不動産開発などの多くは大阪都心6区 および9区に集中している。
また、iPS細胞 に代表されるような医療 産業も世界的な競争力を有しており、再生医療 、医薬品 、医療ツーリズム などを含めたライフサイエンス 産業の興隆が今後期待されている。
大阪の利用空港である関西三空港 (関西国際空港 ・大阪国際空港 ・神戸空港 )の総旅客数は約5177万人(2019年)、海港である阪神港湾 のコンテナ取扱量は約532万TEU(2019年)である。いずれも世界上位に位置するが、首位級の都市と比較すると依然開きがある。
フォーチュン・グローバル500 における、世界的大企業の本社数(2020年/『フォーチュン 』誌調査)において、大阪からは7社がランクインしており、これは都市別で世界11位である。以下には大阪に本社を置く主な企業を挙げる。
中央省庁 の近畿地方を管轄する出先機関 (地方支分部局 )の多くが、中央区 大手前 界隈に集積しており、市内には複数の合同庁舎が所在している(大阪合同庁舎 )。
在大阪ネパール連邦民主共和国名誉総領事館 在大阪セルビア共和国名誉総領事館 在大阪ニュージーランド名誉総領事館 在大阪ミクロネシア連邦名誉総領事館 在大阪ウガンダ共和国名誉領事館 在大阪エストニア共和国名誉領事館 在大阪エチオピア連邦民主共和国名誉領事館 在大阪オマーン国名誉領事館 在大阪カザフスタン共和国名誉領事館 在大阪カナダ名誉領事館 在大阪スペイン名誉領事館 在大阪スリランカ民主社会主義共和国名誉領事館 在大阪スロバキア共和国名誉領事館 在大阪デンマーク王国名誉領事館 在大阪ブータン王国名誉領事館 在大阪フィジー諸島共和国名誉領事館 在大阪フィンランド共和国名誉領事館 在大阪ポルトガル名誉領事館 在大阪ラトビア共和国名誉領事館 在大阪カンボジア王国名誉領事館 在大阪タンザニア連合共和国名誉領事館 在大阪チリ共和国名誉領事館 在大阪ベルギー王国名誉領事館 在大阪メキシコ合衆国名誉領事館 在大阪モロッコ国名誉領事館 在大阪リトアニア共和国名誉領事館大阪市は以下の24区から構成される。区の数は政令指定都市 では最も多い。
この節では
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此花区
住之江区
コード 区 設置日 推計人口 面積 人口密度 設置理由 27102 みやこしま 都島区 1943年4月1日 110,306人 6.08km2 18,142人/km2 (旧)北区と旭区より分区 27103 ふくしま 福島区 1943年4月1日 83,717人 4.67km2 17,927人/km2 (旧)北区と此花区と西淀川区より分区 27104 このはな 此花区 1925年4月1日 63,090人 19.30km2 3,269人/km2 西区と(旧)北区より分区 27106 にし 西区 1889年4月1日 115,707人 5.21km2 22,209人/km2 市制施行時に設置 27107 みなと 港区 1925年4月1日 80,646人 7.86km2 10,260人/km2 西区と(旧)北区より分区 27108 たいしよう 大正区 1932年10月1日 59,285人 9.43km2 6,287人/km2 港区より分区 27109 てんのうし 天王寺区 1925年4月1日 88,889人 4.84km2 18,365人/km2 東区と南区より分区 27111 なにわ 浪速区 1925年4月1日 85,530人 4.39km2 19,483人/km2 南区より分区 27113 にしよとかわ 西淀川区 1925年4月1日 96,926人 14.21km2 6,821人/km2 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 27114 ひかしよとかわ 東淀川区 1925年4月1日 177,898人 13.27km2 13,406人/km2 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 27115 ひかしなり 東成区 1925年4月1日 89,176人 4.54km2 19,642人/km2 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 27116 いくの 生野区 1943年4月1日 128,575人 8.37km2 15,361人/km2 東成区と住吉区より分区 27117 あさひ 旭区 1932年10月1日 90,823人 6.32km2 14,371人/km2 東成区より分区 27118 しようとう 城東区 1943年4月1日 169,120人 8.38km2 20,181人/km2 東区と東成区と旭区より分区 27119 あへの 阿倍野区 1943年4月1日 113,337人 5.98km2 18,953人/km2 東成区と住吉区より分区 27120 すみよし 住吉区 1925年4月1日 153,242人 9.40km2 16,302人/km2 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 27121 ひかしすみよし 東住吉区 1943年4月1日 130,964人 9.75km2 13,432人/km2 東成区と住吉区より分区 27122 にしなり 西成区 1925年4月1日 105,653人 7.37km2 14,336人/km2 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 27123 よとかわ 淀川区 1974年7月22日 190,654人 12.64km2 15,083人/km2 東淀川区より分区 27124 つるみ 鶴見区 1974年7月22日 111,072人 8.17km2 13,595人/km2 城東区より分区 27125 すみのえ 住之江区 1974年7月22日 116,767人 20.68km2 5,646人/km2 住吉区より分区 27126 ひらの 平野区 1974年7月22日 184,670人 15.28km2 12,086人/km2 東住吉区より分区 27127 きた 北区 1989年2月13日 150,421人 10.34km2 14,547人/km2 (旧)北区と大淀区 が新設合併 27128 ちゆうおう 中央区 1989年2月13日 119,256人 8.87km2 13,445人/km2 東区 と南区 が新設合併
繁華街 大阪には、梅田 ・北新地 を中心とするキタ 、難波 ・心斎橋 を中心とするミナミ の2大繁華街 があり、いずれも国内屈指かつ世界水準の規模を有する繁華街である。
梅田は国内最大の百貨店 面積を有し、摩天楼 ひしめく街区にさまざまな大型商業施設が立ち並んでおり、未来的で洗練 された繁華街の様相である。阪急百貨店 が地域の核であり、大阪駅北側の再開発エリアに誕生した複合施設グラングリーン大阪 は国際的に高い評価を得るなど、再開発 も活発である。
ミナミは心斎橋・難波・道頓堀 ・千日前 などに立地する商店街 を中心に、各街が一体的かつ広大な商業エリアを形成し、その繁華街面積は国内最大と謳われる。商店 の看板 は競うように巨大で迫り出し、所狭しと店が建ち並び活気に満ちた雑多な様は、商人 の街を象徴するかの如くであり、訪れる者を圧倒させる。
ターミナル 大阪は都市の特性上、近隣他都市や他地方、海外より、毎日多くの訪問者を受け入れている。国内からのターミナル は新大阪駅 、海外からのターミナルは関西国際空港 および関空と南海線 で直結している難波駅 であることが多いが、大阪最大のターミナルは梅田駅・大阪駅 (阪急、阪神、地下鉄、JR)である。梅田は大阪における鉄道交通の要所であり、1日約240万人が利用している(詳しくは「梅田地区の鉄道駅 」を参照)。
また、南河内・奈良・和歌山方面からは天王寺駅 、大阪阿部野橋駅 が大阪側のターミナルとして機能している。これら近隣地域、他地方および海外からのターミナルとなっている新大阪駅、梅田駅、淀屋橋駅 、心斎橋駅 、難波駅、天王寺駅などの主要駅はOsaka Metro(旧・大阪市営地下鉄 )御堂筋線 が南北に結んでおり、これは御堂筋線が大阪の大動脈といわれる所以である。
かつては大阪市内にも大学は数多く所在したが、市域が狭い上に、工場等制限法 の影響も受け、大きなキャンパス用地確保のために郊外へ移転した大学が多い(大阪大学・関西大学・近畿大学など)。そのため他の大都市に比べて、市内の大学数は少ない。大学生数も、大阪府下の吹田市、東大阪市より少ない。
最近になり大学の誘致・連携を推進する大阪市は、大阪府内45大学の連合組織大学コンソーシアム大阪 、それに関西社会人大学院連合 との間で連携協定を結び、2007年10月から大阪駅前第2ビル 内に活動拠点「キャンパスポート大阪」を提供している。
大阪市立大学 (1号館)★はメインキャンパス☆は学部が置かれているキャンパス
国立大学 公立大学 大阪経済大学 (C・D館)私立大学 私立 25の大学が、社会人への講義のために、便利な大阪都心にサテライトキャンパス を設置している。
大学とは異なり、広大なキャンパスを必要としないため、交通の便から市内に専修学校は多数ある。大阪市内においては大学の学生数より専修学校専門課程(専門学校)の生徒数の方が多い。大阪市立3校、私立163校(うち休校7校)の専修学校がある。大阪府専修学校一覧#大阪市 参照。
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大阪市の小学校・中学校・高等学校の数は、以下の表の通り(2020年度学校基本調査による)。
設置者 小学校 中学校 高等学校 大阪市立 297校(4分校) 130校(1分校) 22校 国立 2校 2校 1校(2校舎) 大阪府立 - - 39校 私立 7校 25校 37校
このほか、大阪市外に設置している大阪市立学校として、小学校2校・中学校2校がある。 学校名のリストおよび各学校の記事については、各区記事および大阪府小学校一覧 ・大阪府中学校一覧 ・大阪府高等学校一覧 を参照。
大阪市立小学校では第二次世界大戦 終戦直後に戦災を理由に大幅な統廃合が行われた。その後人口の増加に伴い、統合された学校の分離再開校や学校の新設が行われた。しかし1980年代以降は北区・中央区などの都心部を中心に、児童数減少に伴う小学校の統廃合が行われている。 大阪市立中学校では2007年度末をもって学校給食 が全廃された。給食を実施していた学校はいずれも校区に同和地区がある学校・もしくはその周辺の学校で、廃止は同和行政の見直しや財政難に伴う措置である。なお給食実施時でも、実施していた学校が127校中12校のみ(2007年度)と、実施率は全国平均と比較して低い水準にあった。その後2012年度よりデリバリー弁当形式の選択制中学校給食が導入されている。2015年度より自校方式ないしは近隣小学校で調理する親子方式での中学校給食実施への移行が行われ、2020年度の1学期に大阪市内の全中学校で完了した。 大阪市では2021年度まで市立の高等学校を設置していた。
大阪市では歴史的経緯から市立の実業系高等学校を主に設置していたが、普通科系の市立高等学校も設置し、大阪府立高等学校とは異なった方向での特色化・個性化を図る教育活動を行っていた。2000年代以降には市立高校の統廃合・再編も検討されるようになった。既存校の統廃合による市立中高一貫校の設置方針が具体化し、2008年度には大阪市立中高一貫校の大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校 が開校した。また大学との連携で7年教育を行う「新商業高等学校」の設置方針も具体化され、従来の商業系高等学校3校を統合する形で、2012年度には「新商業高等学校」にあたる大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校 が設置された。さらに2000年代から工業高等学校の改編による「総合技術高校」設置の構想が検討され、2020年には「新工業系高等学校」として市立工業系高等学校3校を統合改編することが打ち出された[ 79] 。また2017年には普通科系高等学校の再編による「新普通科系高等学校」の構想が打ち出された[ 80] 。
一方で2010年代以降、大阪市立高校を府立に移管する構想が打ち出され、大阪市・大阪府の両教育委員会で検討された。大阪市立の高等学校は2022年4月1日付で大阪府に移管され、移管時点で存在していた市立高等学校22校は大阪府立高等学校となった。
大阪市教育委員会が検討していた「新普通科系高等学校」は大阪市が設置を準備した上で、大阪府移管と同時の2022年度に大阪府立桜和高等学校 として開校した。また構想中の「新工業系高等学校」については、大阪府教育委員会が計画を引き継いで具体化させる形で、府立高校として再編設置することを検討している。
以下に参考として、2021年度まで大阪市立だった高等学校のリストを記す。2021年以前に閉校となった大阪市立の高等学校については大阪府高等学校の廃校一覧#大阪市 を参照。
大阪市には国立1校、大阪府立16校・1分校の特別支援学校 が設置されている。
大阪市では特別支援教育 の各分野ともに、市としての長い教育実践や研究を有していた。視覚障害教育・聴覚障害教育では、1899年 に五代五兵衛 が設置した大阪盲唖院が1919年 に大阪市に移管され、後年の大阪市立盲学校(現在の大阪府立大阪北視覚支援学校 )、大阪市立聾学校(現在の大阪府立中央聴覚支援学校 )へとつながっている。また知的障害教育の分野では、1940年 に設置された大阪市立思斉学校(現在の大阪府立思斉支援学校 )は日本で初めての知的障害児対象の学校でもある。
しかし大阪市および大阪府の方針により、大阪市立特別支援学校12校は2016年4月1日付で大阪府に移管されることになった。
以下に参考として、大阪市内に立地する特別支援学校の名称を列記する。なお、☆印は2015年度まで大阪市立で、2016年度に大阪府立に移管された学校を示す。
※このほか貝塚市 に大阪市立貝塚養護学校 があったが、2009年3月31日に閉校となった。 自動車教習所 大阪労働局長登録教習機関 生野産業会 全国資格養成協会 ミヤコジマオペレーティングスクール 登録小型船舶教習所 神学校 大阪府立中之島図書館 日本家庭医療 学会 - 西区に主たる事務所を置いている。 日本行動分析 学会 - 中央区に主たる事務所を置いている。 日本脊髄 外科学会 - 阿倍野区に主たる事務所を置いている。 日本がん看護学会 - 西区に主たる事務所を置いている。 意匠学会 - 旭区に主たる事務所を置いている。日本地方自治研究学会 - 北区に主たる事務所を置いている。光化学協会 - 北区に主たる事務所を置いている。大阪圏鉄道網図 市内の鉄道網は、都心部 を地下鉄 (Osaka Metro)が忙しなく縦横に走り、市内交通の要となっている。地下鉄は大阪市民の最も身近な公共交通機関 である。その中でもOsaka Metro御堂筋線 は、市内主要部を結び都市の大動脈として機能している。大阪都心は碁盤の目 状に街区が整備されているため、地下鉄も都心部では碁盤の目状に行き交っている。
一方、大阪都心から京都・神戸および郊外 の都市へ向かっては、私鉄 ・JRが放射状に発達している。「郊外に住み、都心へ通う」といった現代日本の都市生活様式は、阪急電鉄 の創始者である小林一三 が、19世紀後半のロンドン の都市政策をモデルに日本で初めて提唱したもので、箕面有馬電気軌道 (現在の阪急宝塚線 ・箕面線 )は、彼の描く田園都市構想を具現化したものである。のちにこの都市ライフスタイル は全国へと広まり、現代日本人の生活に多大な影響 を及ぼすことになる。
市役所の最寄り駅は御堂筋線 淀屋橋駅 もしくは京阪中之島線 大江橋駅 。
下記に、地下鉄→JR→私鉄の順に市内に立地する全駅を列記する。
大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)御堂筋線 谷町線 四つ橋線 中央線 千日前線 堺筋線 長堀鶴見緑地線 今里筋線 南港ポートタウン線 (ニュートラム)西日本旅客鉄道 (JR西日本 )山陽新幹線 東海道本線 (JR京都線 ・JR神戸線 )おおさか東線 JR東西線 片町線 (学研都市線)大阪環状線 桜島線 (JRゆめ咲線)関西本線 (大和路線 )阪和線 東海旅客鉄道 (JR東海 )東海道新幹線 阪急電鉄 神戸線 宝塚線 京都線 千里線 阪神電気鉄道 阪神本線 阪神なんば線 京阪電気鉄道 京阪本線 中之島線 近畿日本鉄道 A 難波線 A 奈良線 D 大阪線 F 南大阪線 南海電気鉄道 南海本線 高野線 汐見橋線 阪堺電気軌道 阪堺線 上町線 市内主要駅 市内の主要駅は、大阪の都心である船場 からみて、北側に梅田駅・新大阪駅、南側に難波駅・天王寺駅、東側に京橋駅がある。
以下には2社局もしくは3路線以上が乗り入れており、かつ合計の1日平均乗降人員が20万人を越えている駅を列記する。
このほか、2013年3月に廃止された大阪市営バスの赤バス の代替として、区が民間事業者に委託し運行しているバス路線がある[ 81] 。
市域の大部分を大阪シティバスが運行しているが、この経緯については当該項 を参照のこと。乗車方法は後乗り前降り後払いで運賃は均一制だが、一部で異なる方式を採用している事業者や路線もある。大阪シティバスの一部路線と北港観光バスを除き非接触型ICカードのPiTaPa とICOCA [ 注 3] が利用できる。
また、広範な連絡として、大阪駅と名古屋駅 を結ぶ名神ハイウェイバス や、首都圏 などと大阪市内(梅田、難波地区など)を含む京阪神地区を結ぶ高速路線バス 、ツアー 形式の貸切バス (ツアーバス )が多数運行されている。
高速路線バスについては、市内では主に以下の地点に発着する。
飛鳥時代 、徒歩で人が行き交っていた大阪の道路は、現代では自動車 や自転車 、歩行者 が慌ただしく行き交っている。豊臣政権期の安土桃山時代 より中心部の道路が碁盤の目 状に引かれるようになり、南北に走る路は「~筋(すじ)」、東西に走る路は「~通(とおり)」と愛称 を付けて呼んだ。現代でも、市内47の幹線道路 に愛称が付けられており、市民はもっぱらこの愛称で道で呼称している。
御堂筋 谷町筋 曽根崎通 代表的な「筋」
代表的な「通」
高速道路 高速自動車国道 都市高速道路 一般国道 主要地方道 一般府道 大阪港 当市内に空港は存在しないものの、当市近隣に関西三空港 が存在する。関西三空港のうち、最寄は北摂 にある国内線専用の基幹空港の大阪国際空港 (伊丹空港)である。泉州 沖には国際空港である関西国際空港 がある。神戸沖には神戸空港 があり、国内線の一部幹線が就航している。かつては、大阪市は大阪国際空港の地元自治体の連合である大阪国際空港周辺都市対策協議会 (現:10市協)に所属していたが、現在は脱退している。
大阪国際空港 (大阪空港・伊丹空港) - 「大阪第二飛行場」として1939年に開港。府内豊中市と池田市、兵庫県伊丹市にまたがる空港。下記の関西国際空港開港後も“大阪国際 空港”が正式名称だが、わずかな例外[ 注 4] を除いて国際線の就航はなく、国内線専用の基幹空港として利用されている。関西国際空港 (関西空港・関空) - 1994年に泉州 沖に開港。関西三空港で唯一定期国際線が就航しており、関西における日本の空の玄関口として毎年数百万人[ 注 5] の外国人 観光 客が訪れる。国際線が主体であり、大阪国際空港に比べて便数は少ないが、国内線も充実している。なお、国内線はLCC の就航により、大幅に強化された。神戸空港 (マリンエア) - 2006年に神戸沖に開港。上記の両空港に比べると便数は少ないものの、主要路線の国内線が就航している。新聞・通信社
放送 Dは地上デジタルテレビジョン放送 <IDはリモコンキーID >、AM・FMはラジオ放送 のことを指す。全局とも本社は大阪市内にある。民放局の社名は関西テレビ とテレビ大阪 を除き、全てキー局 の親会社にあたる新聞社名が入った社名となっている。
出版 姉妹都市 姉妹都市提携解消 都市 国 提携年月日 解消年月日 サンフランシスコ アメリカ合衆国1957年10月7日 2018年10月2日
友好協力都市 ビジネスパートナー都市 (BPC)
姉妹港 友好港 港湾 国 提携年月日 上海港 中国1981年10月30日
市民交流姉妹都市 都市 国 県 提携年月日 備考 飯山市 日本 長野県 2016年9月25日 1974年12月6日に提携を結んだスポーツ交流スキー姉妹都市を拡充[ 82] 。
ギャラリー 梅田 を中心とした大阪市北区の高層ビル群(2014年5月)
市外局番 原則06だが、大和川 以南に位置する地区のうち東住吉区 矢田 7丁目と平野区 長吉川辺 4丁目は072[ 注 6] となる(平野区瓜破南 1 - 2丁目は06)。 市内局番 急激な電話加入者の増加で、従来の3桁の局番では対応しきれなくなったことを考慮し、日本では東京都区部 (市外局番03地域)に次いで2番目の市内局番 4桁化を、1999年 1月1日 午前2時より行った(携帯電話 ・PHS 番号の11桁化と同時)。その際、CM では桂三枝(現:六代桂文枝 )などの吉本興業所属芸人が「あたまに『6』を付けまして」や「アタマに6やでー!!」などという周知キャンペーンを行った。 市内局番では新規加入のものは4ないしは7で始まる4桁、既存分は6で始まる4桁が割り当てられている。 大阪歴史博物館 国立国際美術館 海遊館 博物館 美術館 動物園・植物園・水族館 施設名の後の「重要文化財」は国指定の重要文化財を示す。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン 梅田周辺 中之島 大坂城周辺 北船場、南船場 下船場(西船場) 心斎橋・難波大丸 心斎橋店 -髙島屋 大阪店(南海難波) - 高島屋東別館(旧:松坂屋大阪店)-三木楽器 本店開成館(登録有形文化財) 大阪港・川口 長居公園 の外観神社 寺院 教会 文楽人形(国立文楽劇場 ) 井原西鶴像(生國魂神社 ) 芸能 近世以来の伝統芸能としては、人形浄瑠璃 (文楽)、歌舞伎 、能楽 、それに上方落語 が有名である。 このうち、人形浄瑠璃は戦後に一時衰亡の危機を迎えたが、文楽協会 の努力や行政の支援もあり、国立文楽劇場 を中心に現在まで公演が続けられてきた。2003年には、「人形浄瑠璃文楽」としてユネスコ の無形文化遺産 に指定されている。 歌舞伎 は、現在道頓堀 の松竹座 が中心の舞台である。能楽 の舞台としては、大阪能楽会館 、大槻能楽堂 、山本能楽堂 がある。上方落語は、戦後に一時廃れたが、桂米朝 をはじめとする「四天王」の活躍が実って復活した。2006年には、市民の寄付によって60年ぶりの定席となる天満天神繁昌亭 が開場し、話題を集めている。 戦後は、落語に代わって漫才 や新喜劇 が大きな人気を得た。現在でも吉本興業 や松竹芸能 出身の多くの芸人が全国区で活躍している。 演劇 大阪には、扇町ミュージアムスクエア や近鉄小劇場 をはじめ、小劇場が多く存在し、多数の個性的な劇団が生まれた。近年では、それらの閉館による劇場文化の衰退が問題視されているが、精華小劇場 などの新たな舞台も生まれている。また、近年誕生した梅田芸術劇場 や大阪四季劇場 などの大規模な劇場では、宝塚歌劇団 や劇団四季 などの有名劇団の公演が行われている。 音楽 大阪市内またはその周辺には複数の楽団が本拠を置き、市内にはザ・シンフォニーホール をはじめとする有名な音楽ホールが存在する。近年では、市民へのクラシック音楽の浸透を目指した動きが活発であり、「大阪クラシック」(大阪フィルハーモニー交響楽団)などのイベントが成功を収めている。 文芸 近世では、井原西鶴 が有名。近代以降も、庶民の生活や大阪の街の風景を生き生きと描いた織田作之助 や直木賞 の由来となる直木三十五 をはじめ、多数の作家を輩出している。戦後では、特に司馬遼太郎 が有名。また、大阪文学学校 からは、田辺聖子 や玄月 らが輩出された。 美術 近世には、文人木村兼葭堂 の周辺で大坂画壇 と呼ばれる画家たちが活躍し、戦前まで引き継がれた。近代の洋画家 としては、佐伯祐三 が大阪出身者として有名であり、大阪市がコレクションを所蔵している。現代美術の分野では、前衛画家吉原治良 らの具体美術協会 が、中之島 に本拠を置いていた。主な美術館は、大阪市立美術館 、国立国際美術館 、大阪府立現代美術センター などである。 活動支援施設 顕彰事業 大阪文化関連雑誌 小説 文楽
映画 漫画 唱歌 『鉄道唱歌 』(第一集東海道篇、作詞:大和田建樹 ・作曲:多梅稚 、1900年5月)作詞者の大和田建樹は全66番の東海道篇において、三府 の一つに数えられた大阪市には、京都市 や近江八景 程ではないが力を入れ、4番を割いて歌った。豊臣秀吉 のことのみでなく、奈良時代 以前の難波京 や四天王寺 についても記している。56.送り迎(むこ)うる程もなく茨木 吹田 うちすぎて はや大阪 につきにけり梅田 は我をむかえたり 57.三府の一に位して 商業繁華の大阪市 豊太閤 のきずきたる城 に師団 はおかれたり 58.ここぞ昔の難波の津 ここぞ高津の宮のあと安治川 口に入る舟の 煙は日夜たえまなし 59.鳥も翔(かげ)らぬ大空に かすむ五重の塔の影 仏法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ 『大阪市街電車唱歌 』(作詞:大和田建樹・作曲:田村虎蔵 、1908年7月) 歌謡曲 ほか多数
アニメ 注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 ウィキポータル :アジア