| 大友 康平 | |
|---|---|
| 出生名 | 大友 康平 |
| 生誕 | (1956-01-01)1956年1月1日(69歳) |
| 出身地 | |
| 学歴 | 東北学院大学経済学部卒 |
| ジャンル | J-ROCK |
| 職業 | 歌手 俳優 タレント |
| 担当楽器 | ボーカル ドラムス |
| 活動期間 | 1980年 - |
| レーベル | インディーズ |
| 事務所 | イエホック |
| 共同作業者 | HOUND DOG |
| ザ・タイガース キャロル | |
大友 康平(おおとも こうへい、1956年〈昭和31年〉1月1日 - )は、日本のミュージシャン、俳優、タレント。日本のロックバンド「HOUND DOG」(ハウンド・ドッグ)のボーカル。直木賞作家の長部日出雄は母方の叔父にあたる。身長170cm。血液型A型。妻は元ファッションモデルの木下桂子。
康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平からとられている。
宮城県塩竈市生まれ[1]。実家の「大友材木所」は、宮城県でも三本の指に入るほどの大きさであったが、康平が一歳の時に倒産[1]。両親は乳飲み子の康平を連れて母方の実家・青森県弘前市に移る[1]。そこでは長居することができず、後に千葉県松戸市へと移る[1]。父はそこで一旦サラリーマンになるが、祖父の知り合いが埼玉県入間郡越生町に材木工場を開いてくれて、父はサラリーマンを辞め再び材木商となり、康平が4歳の時、越生町に一家で引越し、19歳で東北学院大学に入学するまで同地で過ごした[1]。幼少時代から、街のカラオケ大会等で熱唱し、その片鱗を見せる。本格的に音楽を始めたのはグループ・サウンズ・ザ・タイガースが好きだった父の影響[1]。一番衝撃を受けたのはキャロルで[1][2]、高校に入って仲間を集めキャロルを真似たバンドを作った[2]。高校は埼玉県立川越工業高等学校建築科へ行き、やんちゃしながらも、武者小路実篤等を愛読する読書家でもあった。その時の経験が後の活動の礎となる。
一浪した後、東北学院大学経済学部に入学、卒業[1]。仙台市長の郡和子とは、東北学院大学の同期生である。社会科の中学・高校教員免許状を持つ。教育実習では仙台市立八軒中学校で教壇に立ったことがあり、テーマは「江戸時代の農民と町人の暮らし」であった。当時は仙台のテレビ局でアルバイトをしていた。大学時代に同級生の今田青春とお笑いコンビ「コント爆弾」を組み活動していた[3]。ある日、コント中に小学生に石をぶつけられて逆上し、「おまえの親を呼んでこい」と迫った。この一件をきっかけにコンビを解散。
大学時代にサークルのメンバーからの誘いでHOUND DOGに加入。結成。1979年(昭和54年)、第1回CBSソニーSDオーディションに合格(同期合格者は堀江淳、五十嵐浩晃、村下孝蔵)[1]。ロックジャムで準グランプリ、最優秀ボーカリスト賞を受賞してソニーレコードと契約、1980年(昭和55年)にプロデビューした。1981年(昭和56年)にはロックンロールオリンピックを開催。バンドのフロントマンとして活動する一方で、俳優としての仕事も行っていた。1980年代後半、光GENJIや男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し、彼らを揶揄するような歌も作詞していたが、近年では、KAT-TUNや関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演。大晦日にももいろクローバーZが主宰する『ももいろ歌合戦』にも出演するなど、アイドルシーンとのコラボにも寛容な姿勢を示すようになっている。
学校側からの依頼を受け、台東区立桜橋中学校(2002年開校)の校歌「永遠の唄 Song of Forever」を作詞した。なお、作曲はHOUND DOGのメンバー八島順一が担当した。
野球とプロレスを愛好し、長嶋茂雄を敬愛している。そのこともあり、元々は大の読売ジャイアンツファンであるが、2005年に自身の地元・宮城県に誕生した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員の会員No.1でもある。第2次UWFのファンだった縁で高田延彦と交流があった。
2005年(平成17年)1月、当時の所属事務所マザーエンタープライズの取締役でありながら独立し、個人事務所イエホックを設立。イエホック移籍に消極的であった蓑輪単志・鮫島秀樹の2名をHOUND DOGのメンバーから外し、4人編制で活動を開始、翌2006年(平成18年)には、待遇に不満を示したという理由により八島順一・橋本章司・西山毅も1年で解雇、その後は自分一人でHOUND DOGを名乗ることを宣言した。これらの経緯や騒動に関してはHOUND DOG#来歴を参照。
2012年11月7日に自身のブログで2011年に突発性難聴にかかっていたことを告白した。聴力については手術も受けたが戻っておらず、また、関係者の話でも、完全な聴力回復はほぼあり得ないという[4]。なお、大友自身は「歌うことに支障はない」「震災で被害を受けた方々に比べたら、俺の問題なんて、ちっぽけなものだ」[5]「手術はしたけれど、片方の耳の聴力は戻っていない。少し安静期間を取ったけれど、状況は変わらなかった。現実をしっかり受け止め、“それ”と正面から付き合うことにした」[4]と発言している。また、どちらの耳が聞こえなくなったかは、共演者や番組関係者に気を遣わせるので公表しないとしている[5]。
原口あきまさや山口智充をはじめとして、独特な歌唱法が多くのものまね芸人に敬意を込めて笑いのタネにされる事も多く、「水曜日のダウンタウン」への出演や「タマホーム」のCMなどで分かるように、近年は大友本人も歌唱法を笑いのタネにしている。
2018年以降、大晦日のももいろ歌合戦(BS日テレ・フジテレビNEXT・ニッポン放送など)に連続出場。
2024年1月18日、腎臓の腫瘍の摘出手術を受けるため当面休養し、3月に開催予定だったバンドのライブツアーを中止することが発表された[6]。
| 大友康平 高橋良秀 -八島順一 -蓑輪単志 - 海藤節生 - 藤村一清 -鮫島秀樹 - 橋本章司 -西山毅 | |||||||
| シングル | 1.嵐の金曜日 - 2.おまえはB-88 - 3.おちょくられた夜 - 4.スクールデイズ - 5.浮気な、パレット・キャット - 6.涙のBirthday - 7.STILL! - 8.Please Please Please - 9.グッバイ・ドリーマー - 10.ff (フォルティシモ) - 11.ROCKS - 12.DIAMOND EYES - 13.AMBITIOUS - 14.Only Love/Destiny - 15.NO NAME HEROES - 16.15の好奇心 - 17.大地の子供たち/KISSで極楽 - 18.TELL ME WHY - 19.でっかい太陽〜Jump Jump Jump!〜 - 20.GLORY - 21.FLY - 22.BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜 - 23.日はまた昇る〜THE SUN ALSO RISES〜 - 24.JEALOUSY - 25.POWER OF LOVE - 26.ROCK ME - 27.銀河のささやき - 28.おまえを決してはなさない - 29.さよならの向こうに/SHINING - 30.ACROSS THE RAINBOW〜虹の彼方へ〜 - 31.SEASON]- 32.Smile For Me - 33.これからの人 - 34.BY MYSELF - 35.JUNCTION - 36.DO IT - 37.BIRD - 38.R★O★C★K★S - 39.POPCORN - 40.泣くなよ - 41.たったひとつの愛のうた - 42.SONGS - 43.アカペラ | ||||||
| アルバム |
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| 関連項目 | |||||||