Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

大倉英貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大倉 英貴
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地広島県佐伯郡廿日市町(現:廿日市市
生年月日 (1944-07-01)1944年7月1日(81歳)
身長
体重
180 cm
74 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手
プロ入り1966年 第2次ドラフト2位
初出場1967年
最終出場1973年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  テンプレート

大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は、日本の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

[編集]

広島県佐伯郡廿日市町(現:廿日市市[1]出身。広島商業高校時代はエースピッチャー[1]1962年春季中国大会決勝に進み、松江商を降し優勝するが、夏は県予選で敗退し甲子園には出場できなかった。高校同期に大下剛史上垣内誠がいる。

卒業後は芝浦工業大学に進学し、野手に転向。東都大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1965年秋季リーグと1966年春季リーグに2季連続で首位打者を獲得[1]。リーグ通算73試合出場、244打数69安打、打率.283、6本塁打、23打点。ベストナイン2回(三塁手)受賞。

1966年2次ドラフト2位で阪神タイガースに入団[1]。第二次選択会議では阪神のほか八球団からリストアップされていた。1年目の1967年から一軍で起用され、三塁手として10試合に先発出場。1969年には小玉明利らを抑え、レギュラーの座を獲得する。しかし翌1970年のシーズン後半には藤田平が三塁に回り、後藤和昭の台頭もあってポジションを失う。その後も準レギュラーとして起用され、1972年には38試合に先発出場、打率.265を残す。しかし1973年には出場機会が減少し、同年限りで引退[1]

打撃は大学時代から中距離打者として評価が高く期待されたが、守備が苦手で1969年には19失策を記録した。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1967阪神21343028101121010020270.267.353.400.753
19688660000000000000011.000.000.000.000
1969119365336288011171142632122026704.238.291.339.630
1970511281129225113271131428231.196.272.286.558
197180119103112140334321201004271.204.299.330.629
1972641311131530102371210211322164.265.349.327.676
197334675538000831330613114.145.266.145.411
通算:7年377850755681692221423752881145572515515.224.297.314.611

背番号

[編集]
  • 13 (1967年)
  • 1 (1968年 - 1973年)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^abcdeプロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、100ページ

外部リンク

[編集]
第1次ドラフト
第2次ドラフト
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=大倉英貴&oldid=105407062」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp