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増位山太志郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避第179代大関の「増位山大志郎」とは異なります。
増位山 太志郎
基礎情報
四股名瑞竜 → 増位山 昇吾 → 増位山 太志郎
本名澤田 昇(さわだ のぼる)
生年月日 (1948-11-16)1948年11月16日
没年月日 (2025-06-15)2025年6月15日(76歳没)
出身兵庫県姫路市
身長182cm
体重116kg
BMI35.02
所属部屋三保ヶ関部屋
得意技右四つ、上手出し投げ内掛け
成績
現在の番付引退
最高位大関
生涯戦歴597勝538敗18休(86場所)
幕内戦歴422勝435敗18休(59場所)
優勝十両優勝1回
技能賞5回
データ
初土俵1967年1月場所
入幕1970年3月場所
引退1981年3月場所
引退後年寄・小野川(のち三保ヶ関に名跡変更)
他の活動歌手(ムード歌謡演歌
趣味カラオケ・ゴルフ
備考
金星4個(北の富士1個、輪島3個)
2013年11月24日現在

増位山 太志郎(ますいやま だいしろう[1]、歌手活動時は「たいしろう」[2]1948年11月16日[2] -2025年6月15日[3][4])は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身の元大相撲力士で、最高位は東大関

引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手ムード歌謡演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。

来歴・人物

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7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。日大一中・一高では水泳部(競泳)に所属し、インターハイ出場の経験がある。

大相撲・現役時代

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小学生の頃から相撲が好きで、入門前から三保ヶ関部屋の大部屋に入り浸る内に力士生活への憧れが芽生えた[5]。中学2年のときに実父に相撲界への入門を志願したが断わられた。しかし、どうしても入門したかったため「ここで許されないなら他の部屋に入る!」と切り出し、父親も折れて入門を許し[注 1]1967年1月場所、瑞竜の四股名で初土俵。北の湖と同期であった。

三段目にいた1968年5月場所から父の四股名である増位山を継ぎ、1969年7月場所新十両と2年余りで関取の座を掴む。1970年3月場所に入幕したが負傷で何度か往復した。その後上位に進んでは大負けして落ちる繰り返しであったが、1979年9月場所(小結)より躍進、翌11月場所関脇で11勝4敗と三役で初の2桁勝利を達成し、2場所連続で三賞(技能賞)を獲得。

1980年1月場所は年齢的に最後のチャンスという覚悟で[6]大関昇進に挑み、初日に対戦成績で18連敗中だった苦手の横綱輪島外掛けで破り[7]勢いに乗った。この場所を12勝3敗で終え、高砂審判部長(元横綱朝潮)は「今場所の十二勝の成績や大関が現在一人である点を考慮する」[8]と述べ、場所後の理事会で増位山の大関昇進を決定した。この前場所から大関は貴ノ花1人しかいない番付上の状況が増位山には有利に働き、この3場所合計31勝で直近の大関昇進の事例と比較すると勝率で劣ることや、副業(歌手)によるイメージダウンも「反対意見として押し切るには至らないとみられる」[9]とされた。春日野理事長(元横綱・栃錦)は「増位山は多彩な技の持ち主だから、いかに自分を有利な体勢に持ち込むかが今後の課題」「優勝をねらえる大関になってほしい」[10]とエールを送った。年6場所制が定着した1958年1月場所以降初土俵の力士では、旭國の28歳11ヶ月を上回る31歳2ヶ月の当時最年長(現在では琴光喜の31歳3ヵ月に次ぐ2番目)。新入幕から所要52場所での昇進は当時の最長記録で、史上初の親子大関が実現した。昇進に際し増位山は「今後は栄誉ある大関の地位を汚さぬよう努力していきたい。(中略)ここ三場所は自分の相撲が取れたので、それを忘れず、さらに上(横綱)をめざす気持ちでがんばる。番付ではおやじに追いついたが、本当はまだまだと思っている」[11]と述べた。

しかし新大関の1980年3月場所は、右ヒジ関節挫傷で途中休場。場所後に昇進披露宴が行われ、俳優・歌手も含めた1500人余りが出席したが、昇進場所での不振との対比で「一億円の角番披露」と揶揄された。いきなり大関角番となった翌5月場所は、8勝7敗と勝ち越して角番脱出。その後も2場所連続の9勝6敗と1桁勝ち星がやっとで、1980年11月場所は3勝12敗と大きく負け越した。2度目の角番となった1981年1月場所は、10勝5敗と増位山自身大関として唯一の二桁勝利を挙げたが、これが大関としての最高成績だった。

1981年3月場所、2連勝の後2連敗したところで左ヒジ痛の悪化を理由に、同3月場所5日目限りで現役引退を表明した(取組相手の予定だった隆の里は不戦勝となる[注 2])。

増位山の大関在位はわずか7場所で、「短命大関」としては年6場所制以降、大受(在位5場所・関脇陥落)に次ぐ当時2位の最短記録となった[注 3]。大関の地位で引退した力士としては、現在でも増位山が歴代1位の短命大関である。現役引退後は18代小野川を襲名するとともに、三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。

取り口はふわっとした立合いで相手の突進をそらし、右で廻しをつかむと投げや内掛け・外掛け内無双と多彩な技を繰り出した。中でも相手を引きずるように打つ上手投げ・上手出し投げは増位山独特のものであった[注 4]

大相撲・親方時代

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1984年11月に実父である9代三保ヶ関が定年退職し、10代三保ヶ関を襲名して部屋を継承した。親方としては、名門・日本大学相撲部で活躍した学生相撲出身者を数多く入門させ、小結濱ノ嶋幕内肥後ノ海十両増健などをはじめ、エストニア出身の把瑠都、ロシア出身の阿覧らをスカウトして関取に育てた。一方で先代三保ヶ関と同じく運営方針として所属力士の個人後援会を認めなかったことで「けち」と指摘されることもあった。

なお、三保ヶ関部屋からは2003年12月に11代木瀬が7人の内弟子を連れて分家独立、2006年8月に17代尾上が6人の内弟子(幕内・把瑠都、十両・里山など)を連れて分家独立している。また多趣味で、父と同様に絵画は二科展入選の常連である。

大相撲野球賭博問題に揺れていた時期には11代木瀬と10代清見潟が暴力団と交際していることを暴露し[12]、結果としてこの2人は維持員席問題により協会から処分を受けた。23歳から50歳くらいまでは1日に150本くらい吸うヘビースモーカーだったが、病気をしてから一切吸えなくなった。

日本相撲協会では、美声であるため審判委員を長期間務め、物言いがついた場合場内説明を任されるケースが審判部副部長就任前から多かった。2002年2月に監事(2008年に副理事に改称)に就任し、2012年1月まで5期10年務めた。在任中は審判部副部長を長く務めた。停年退職が近くなったため2012年2月に退任し、最後は役員待遇委員として監察委員会副委員長を務めた。

2013年11月場所限りで65歳の停年退職を迎えたものの、後継者がいないことから同年9月場所限りで三保ヶ関部屋の消滅が決定。三保ヶ関部屋消滅時に所属していた部屋関係者のうち床山だけは北の湖部屋へ、自身を含む親方2人と力士6人、世話人・行司各1人、呼出2人は春日野部屋へ、それぞれ10月3日付で移籍した[13]。停年に際して1980年1月場所の初日に輪島を破った一番を思い出の相撲として挙げ「これまで十八連敗中でしたから、輪島関に勝って親子二代で大関昇進も決まりうれしかったです」と語っていた。[14]

ムード歌謡・演歌歌手として

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師匠でもある実父から「相撲ばかりやっていては幅が出てこないし、色々な芸を経験して一芸に幅や奥行きが生まれる。何でもいいから大相撲以外で懸命にやってみろ」とアドバイスされため、現役力士時代の頃からムード歌謡・演歌歌手としても活動、レコードを多数リリースしている。1972年に「いろは恋唄」で歌手デビュー。その2年後の1974年に発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」が120万枚を超える売上を記録し[15]初ヒットとなる[15]。1977年8月に発売した「そんな女のひとりごと」は130万枚を超える売上を記録して[15]、1978年に行なわれた「第11回日本有線大賞」では同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を獲得した。リリースしたアルバムの中には、師匠・実父と共に吹き込んだ相撲甚句のレコードもあった。力士が出場する歌番組では審査員も務めたこともある。

本人は現役時代当時、印税のために歌手活動を行っていたわけではないとし、周囲が「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と勘違いすることに対しては釈然としなかったという[16]。もっとも増位山の大関昇進を諮る理事会で師匠の三保ヶ関は「今後はキャバレーなどで一切歌わせない、レコーディングやテレビ出演は協会の許可を得てからにする」と公約し[11]、協会内に根強かった歌手活動への批判をかわしている。

1985年から日本相撲協会が親方・力士のレコード発売やCM出演等の副業を原則的に禁止したため歌手活動は行っていなかったが、協会は旧譜の再発売については認めていた。その後、副業規制が緩和され、2007年10月、ともに横綱審議委員会の委員を務める内館牧子作詞、船村徹作曲の「水玉のスカーフ」で歌手として再デビューした。しかし、時津風部屋力士暴行死事件を受け公開レコーディングは中止となった。[17]2008年6月、NHK・BS2で放送された『シリーズ 昭和の歌人たち「中山大三郎〜“人生いろいろ”から“珍島物語”〜」』に特別ゲストとして登場、生バンドをバックにかつてのヒット曲「男の背中」をテレビで久々に歌唱した。

上述の通り2013年11月場所で日本相撲協会を定年退職。同年12月4日、現役時代のしこ名である「増位山太志郎」の名義で、新曲「夕子のお店」の発表会を開催。「これからは歌一本。大相撲では大関止まりでしたが、今後は歌手で横綱を目指します」と改めて歌手として再出発の決意をコメントした[18]。同曲および次作の「冬子のブルース」で、翌2014年の「第56回日本レコード大賞」企画賞を受賞した。

甘く囁くような歌声が持ち味。ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)では「小スケベ声」と呼ばれてネタにされた。鳩レースが趣味で、同じくレース鳩の飼育で知られる演歌歌手の同業・新沼謙治と意気投合している(ただし新沼は現在鳩を飼っていない)。またサックスも好きで、1日に4時間から5時間演奏していた[19]

死去

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2025年6月15日、肝不全のため死去。76歳没[3][4][20]。2022年12月に体調不良を訴え、敗血症と診断された[3]。以降は活動を休止し、療養とリハビリを続けていた。死去に際しての弟子・関係者のコメントは以下のとおり[21]

  • 17代尾上(元小結・濱ノ嶋)「お世話になり、感謝しかないです。厳しい時は厳しいが、オンとオフがはっきりしている、やることをやっていればうるさく言わないオヤジだった。あのオヤジじゃなければ、今の自分はいません」
  • 11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)「怒られたことはあまりない。自由にさせてもらいました。ガミガミ言うタイプではありませんでした。入門した時、(師匠の)現役の相撲は見たことがなかったので、歌っている姿しか知らなかった。(入門後)歌を生で聴いて、テレビで聴いてた歌だと思いました」
  • 12代待乳山(元小結・播竜山)「いろいろお世話になりました。どちらかといえばうるさくはないタイプで、自由にやらせてくれた。やっていることをやっていれば、何も言わなかったので、やりやすかったです」
  • 22代千賀ノ浦(元幕内・里山)「稽古場では一切言わないけど、1回だけ言われたことがあります。大阪場所前の稽古で気合が入らない日があって、それを見抜かれました。『待乳山親方、胸を出してやってください』と言って、ぶつかり稽古で転がされました。そこから気合が入りました。稽古場は、師匠がいるだけでピリッとした雰囲気になったけど、ちゃんこの時はレコードにまつわるエピソードとか、思い出話をしてくれました。すごい楽しかった」
  • 若者頭虎伏山(元幕下)「温厚な方でした。例えば場所前の部屋の激励会の時。若い衆はちゃんこを作ったり、引き出物を準備したりします。でも、パーティーの前に、まずは食べてから働こうかと言って、食事を準備して食べさせてくれました。(2013年10月に三保ヶ関部屋は閉鎖したが)今でもOB会があります。OBが集まりやすい部屋なんです。それがすべてを物語っているんじゃないですか」

主な成績

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  • 通算成績:597勝538敗18休 勝率.526
  • 幕内成績:422勝435敗18休 勝率.492
  • 大関成績:44勝44敗7休 勝率.500
  • 現役在位:86場所
  • 幕内在位:59場所
  • 大関在位:7場所
  • 三役在位:10場所 (関脇4場所、小結6場所)
  • 三賞:5回
    • 技能賞:5回(1972年11月場所、1974年5月場所、1979年9月場所・11月場所、1980年1月場所)
  • 金星:4個(北の富士1個、輪島3個)
  • 各段優勝:十両優勝:1回(1972年1月場所)

場所別成績

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増位山大志郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1967年
(昭和42年)
(前相撲)西序ノ口8枚目
6–1 
東序二段81枚目
4–3 
西序二段41枚目
6–1 
東三段目92枚目
6–1 
東三段目49枚目
4–3 
1968年
(昭和43年)
西三段目38枚目
5–2 
西三段目14枚目
4–3 
東三段目4枚目
5–2 
東幕下46枚目
5–2 
西幕下31枚目
3–4 
西幕下36枚目
5–2 
1969年
(昭和44年)
東幕下20枚目
6–1 
東幕下5枚目
4–3 
西幕下2枚目
6–1 
東十両12枚目
7–8 
西十両13枚目
9–6 
東十両10枚目
9–6 
1970年
(昭和45年)
東十両5枚目
11–4 
西前頭11枚目
7–8 
東十両筆頭
9–6 
西前頭12枚目
7–8 
東十両2枚目
8–7 
西十両2枚目
7–8 
1971年
(昭和46年)
西十両2枚目
9–6 
西前頭11枚目
9–6 
西前頭7枚目
9–6 
東前頭2枚目
3–11–1[注 5] 
東前頭11枚目
1–4–10[注 6] 
東十両7枚目
7–8 
1972年
(昭和47年)
西十両8枚目
優勝
12–3
西前頭13枚目
6–9 
東十両4枚目
9–6 
東十両2枚目
9–6 
東前頭13枚目
10–5 
西前頭4枚目
9–6
1973年
(昭和48年)
西小結
5–10 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭10枚目
8–7 
西前頭7枚目
10–5 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭5枚目
8–7 
1974年
(昭和49年)
東前頭2枚目
5–10
西前頭7枚目
8–7 
東前頭4枚目
12–3
東小結
8–7 
東小結
5–10 
西前頭4枚目
6–9 
1975年
(昭和50年)
東前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
8–7
東前頭筆頭
6–9
西前頭4枚目
9–6 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭4枚目
6–9 
1976年
(昭和51年)
東前頭7枚目
8–7 
東前頭5枚目
8–7 
東前頭筆頭
5–10 
西前頭5枚目
5–10 
東前頭10枚目
9–6 
東前頭4枚目
6–9 
1977年
(昭和52年)
西前頭7枚目
10–5 
東小結
5–10 
東前頭5枚目
8–7 
東前頭2枚目
8–7 
東前頭筆頭
5–10 
西前頭3枚目
4–11 
1978年
(昭和53年)
西前頭9枚目
8–7 
東前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
8–7 
東小結
8–7 
東関脇
8–7 
東関脇
6–9 
1979年
(昭和54年)
東前頭筆頭
6–9 
西前頭3枚目
8–7 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭3枚目
8–7 
東小結
8–7
西関脇
11–4
1980年
(昭和55年)
東関脇
12–3
東大関
3–5–7[注 7] 
西大関
8–7[注 8] 
西大関
9–6 
西大関
9–6 
西大関
3–12 
1981年
(昭和56年)
西大関
10–5[注 8] 
西大関
引退
2–3–0
xxxx
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 -十両 -幕下 -三段目 -序二段 -序ノ口
幕内序列横綱 -大関 -関脇 -小結 -前頭(「#数字」は各位内の序列)

合い口

[編集]
  • 元横綱・玉の海には1敗。
  • 元横綱・北の富士には2勝2敗。
  • 元横綱・琴櫻には5敗。琴櫻の大関在位中は3敗、横綱昇進後は2敗。
  • 元横綱・輪島には8勝30敗。輪島の大関在位中は2敗、横綱昇進後は6勝26敗。
  • 元横綱・若乃花(2代)には3勝26敗。若乃花の大関在位中は5敗、横綱昇進後は15敗。
  • 元横綱・三重ノ海には10勝19敗。三重ノ海の大関在位中は5勝9敗、横綱昇進後は1勝3敗。
  • 元横綱・千代の富士には4勝8敗。いずれも千代の富士が大関・横綱に昇進前の対戦である。
  • 元横綱・隆の里には8勝6敗(不戦敗1を含む)。いずれも隆の里が大関・横綱に昇進前の対戦である。
  • 元大関・清國には3敗。
  • 元大関・前の山には2勝3敗。前の山の大関在位中は1敗。
  • 元大関・大麒麟には5勝5敗(不戦勝1を含む)。
  • 元大関・貴ノ花には13勝21敗(不戦勝1を含む)。大関同士の対戦は1勝3敗。
  • 元大関・大受には6勝11敗。大受の大関在位中は1勝2敗。
  • 元大関・魁傑には11勝17敗。魁傑の大関在位中は3勝5敗。
  • 元大関・旭國には8勝19敗。旭國の大関在位中は3勝10敗。
  • 元大関・琴風には3勝7敗。いずれも琴風の大関昇進前の対戦である。
  • 元大関・若島津には1勝。若島津の入幕2場所目の対戦である。
  • 元大関・朝汐(4代)には7勝5敗。いずれも朝汐の大関昇進前の対戦である。

幕内対戦成績

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力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数
青葉城37青葉山65朝汐(4代)75淺瀬川02
朝登20旭國819天ノ山31嵐山10
荒勢714大潮54巨砲52(1)大錦53
大ノ海10大登11大鷲73魁輝105
魁傑1117和晃10北瀬海59北の富士22
清國03麒麟児98蔵間76黒瀬川81
黒姫山2014高鉄山20琴風37琴ヶ嶽12
琴櫻05琴乃富士22琴若01金剛56
蔵玉錦41佐田の海10白田山11大旺21
大峩15大麒麟5(1)5大豪20大受611
大雪14(1)大文字10大雄42隆の里86(1)
貴ノ花13(1)21高見山116谷嵐20玉輝山43
玉の海01玉ノ富士1211千代櫻20千代の富士48
照櫻21出羽の花64天龍51時葉山32
栃赤城54栃東65栃勇10栃王山12
栃光129栃富士10羽黒岩97長谷川106
福の花75富士櫻1313藤ノ川10二子岳64
双津竜72鳳凰41前の山23舛田山53
丸山10三重ノ海1019三杉磯20陸奥嵐63
豊山910吉の谷30義ノ花11琉王34(1)
龍虎03若獅子36若島津10若浪22
若ノ海102若乃花(2代)326若二瀬41輪島830
鷲羽山89
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

ディスコグラフィ

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シングル

[編集]
#発売日曲順タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番
11972年
7月
A面いろは恋唄小島貞二山路進一キャニオンA-122
B面でっかくゆこうぜ
21974年
7月
A面
[注 9]
両国エレジー不詳[注 10]CBS
ソニー
SOLB-160
31974年
8月10日
A面そんな夕子にほれました海老名香葉子山路進一竜崎孝路マキシム
レコード
MR-2012
B面恋がたみ五月いつか竹田喬
41975年A面雪子海老名香葉子山路進一MR-2017
B面女ひとりに五月いつか伊藤雪彦
51976年A面夜霧が泣いてる悠木圭子鈴木淳京建輔ローヤル
レコード
MR-2025
B面恋ごよみ
6A面誰か夕子を知らないかたかたかし司啓介竜崎孝路オニオン
レコード
MR-3001
B面いいわけいわせ灯詩
71977年
3月25日
A面そんな夕子にほれました海老名香葉子山路進一かみたかしユニオン
レコード
UC-39
B面粋な別れ浜口庫之助
81977年
4月25日
A面今度逢えたら木未野奈大野弘也伊藤雪彦UC-40
B面別れたんだね伊藤雪彦
91977年
8月25日
A面そんな女のひとりごと徳久広司伊藤雪彦UC-46
B面お前が可愛い大野弘也斉藤恒夫
101978年
4月25日
A面お店ばなし徳久広司伊藤雪彦UC-56
B面ゆきずり
111978年
10月25日
A面そんなナイト・パブ水木怜竜崎孝路UC-76
B面だから女は泣くのです池田充男伊藤雪彦
121979年
10月25日
A面いたわりあい石坂まさを中谷昭明竜崎孝路UC-92
B面東京ぐらし山田隼人
131980年
3月8日
A面新宿慕情紺野章伊藤雪彦UC-102
B面待たせてごめんよ初信之介徳久広司
141980年
8月25日
A面別れたそうねたかたかしUC-107
B面一緒になろう木未野奈伊藤雪彦
151981年
8月25日
A面男の背中中山大三郎京建輔UE-507
B面愛のさすらい
161982年
3月25日
A面大大阪音頭滝田常晴遠藤実只野通泰UE-515
B面ちょいと大阪大谷英雄
171983年
1月21日
A面とにかく、あした来生えつこ来生たかお小谷充UE-532
B面明日からふたり藤原典男小谷充
181983年
4月21日
A面雨ふる湖南線初信之介朴椿石小谷充UE-540
B面太田テジョンブルース金富海
19A面釜山港へ帰れ三佳令二黄善友UE-541
B面木浦の涙孫牧人
201983年
8月21日
A面雪虫池田充男弦哲也竜崎孝路UE-551
B面ヨコハマ恋物語はぞのなな岡千秋かみたかし
211984年
6月1日
A面大田テジョンブルース三佳令二金富海小谷充UE-564
B面終列車のひと初信之介徐永恩
221984年
6月21日
A面女の横顔中山大三郎竜崎孝路UE-563
B面あじさいの別れ横山聖仁郎
231985年
2月21日
A面男の真夜中中山大三郎久我山明UE-579
B面愛ある別れ石坂まさを
241985年
9月21日
A面五木恋しや初信之介木村好夫池多孝春UE-583
B面遠きふるさと初信之介
251986年
1月21日
A面そして…男は中山大三郎竜崎孝路UE-585
B面止まり木夢もよう千葉宏子大田かおる山田慧
261986年
4月21日
A面夢酒場中山大三郎竜崎孝路UE-586
B面いつか逢う日を夢みて2[注 11]伊藤雪彦
271988年
9月25日
A面愛・さすらい石坂まさを木村好夫斉藤恒夫ミノル
フォン
7KA-44
B面そんな夕子にほれました(新録)海老名香葉子山路進一かみたかし
281989年
9月25日
A面昭和流行歌三浦弘竜崎孝路7KA-51
B面お馴染みさん石坂まさを高橋直人小谷充
291990年
5月25日
01何処でどうしているだろか横山聖仁郎TKDA-30077
02色はにおえど…水上たかし横山聖仁郎
302007年
10月3日
01水玉のスカーフ内館牧子船村徹蔦将包日本
クラウン
CRCN-1319
02女房に捧ぐ[注 12]
312013年
2月13日
01夢の花 咲かそうたかたかし弦哲也前田俊明テイチクTECA-12410
02男の舞台
322013年
11月20日
01夕子のお店TECA-12485
02女のきもち
332014年
9月17日
01冬子のブルース池田充男TECA-12545
02この指と〜まれ!岡本圭司
342015年
5月20日
01あき子慕情池田充男徳久広司竜崎孝路TECA-13601
02小春酒
352016年
1月20日
01男のコップ酒松井由利夫岡千秋南郷達也TECA-13649
02故郷ふるさとごころ建石一
362016年
9月21日
01白雪草しらゆきそう下地亜記子徳久広司TECA-13708
02奥能登しぐれ
372017年
4月19日
01酒みれん仁井谷俊也叶弦大TECA-13754
02京都二寧坂松井由利夫
382018年
1月17日
01泣き虫久仁京介花岡優平矢野立美TECA-13821
02ほんの小さな過去だから紙中礼子
392018年
9月19日
01港です 女です 涙です山口洋子徳久広司南郷達也TECA-13876
02今日からふたり徳久広司
402019年
5月15日
01ごめんよ麗子麻こよみ徳久広司TECA-13929
02本気で惚れた人
412020年
1月15日
01涙の夜風宮下健治TECA-20009
02北国なみだ雨
422021年
1月20日
01別れの彼方森田いづみTECA-21003
02かならず明日はやってくる
432022年
2月16日
01おとなの春に…石原信一浜圭介猪股義周TECA-22003
02桜よ散るがいい数丘夕彦

デュエット・シングル

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発売日デュエット曲順タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番
1975年秋ゆうこA面いつか逢う日を夢みて中山大三郎伊藤雪彦マキシム
レコード
MR-2022
-B面札幌の夜
(歌:増位山太志郎)
関口義明菊池一夫
1979年
10月25日
沢田嘉津枝A面だから今夜は…初信之介徳久広司竜崎孝路ユニオン
レコード
UC-86
-B面あなた任せの私なの
(歌:増位山太志郎)
石坂まさを紺野章
1981年
11月25日
長沢薫A面いつか逢う日を夢みて中山大三郎伊藤雪彦UE-501
-B面ゆうがお慕情
(歌:増位山太志郎)
みなみ修岩崎ヒロシ
1982年
8月21日
長沢薫A面夜の恋の物語吉法かずさ徳久広司竜崎孝路UE-525
-B面こころ酒
(歌:増位山太志郎)
石坂まさを木村好夫斉藤恒夫
1983年
1月21日
川中美幸A面マイク片手にカラオケ人生大高ひさを村沢良介伊藤雪彦UE-536
B面私はあなたの涙です
1984年
12月1日
日野美歌A面大阪恋めぐり幸村リウ小林正二馬飼野俊一UE-574
B面信じあえたら山田孝雄四方章人
2012年
7月25日
松居直美01秘そやかに華やかに建石一徳久広司池多孝春テイチクTECA-12363
02だから今夜は…初信之介竜崎孝路
2013年
7月17日
01男と女のオルゴール建石一池多孝春TECA-12459
-02想い出さがし
(歌:増位山太志郎)
前田俊明
2014年
7月23日
菊地まどか01屋形船岡千秋南郷達也TECA-12535
02駅あかり

アルバム

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  • LP
発売日タイトルレーベル規格品番
1974年増位山が唄う…夜の盛り場慕情-そんな夕子にほれました-マキシムレコードMM-2001
1975年ヒットムード歌謡熱唱!-雪子-MM-2002
女ごころを唄う ベスト14-いつか逢う日を夢みて〜札幌の夜-MM-2003
1976年増位山が唄う オリジナル艶歌考14オニオンレコードMM-2004
増位山が唄う ヒット歌謡・艶歌14MM-2005
1977年今度逢えたらユニオンレコードGU-9
そんな女のひとりごとGU-13
オリジナル演歌のすべて そんな夕子にほれました〜そんな女のひとりごとGU-16
1978年演歌のすべて・お店ばなしGU-18
オリジナルベストGU-23
1979年だから今夜は…GU-26
熱唱リサイタルGU-28
オリジナルベスト そんな女のひとりごと〜いたわりあいGU-32
1980年演歌のこころ 新宿慕情GU-34
オリジナルベスト16GU-38
1982年夜の恋の物語GU-43
1983年3月21日哀愁の韓国ひとり旅GU-44
1983年5月21日オリジナルベスト とにかく、あしたGU-46
1983年10月21日"ひとつの哀歌"〜木村好夫のギターで綴る〜GU-52
1984年8月21日ベストヒット演歌 女の横顔GU-59
1985年2月21日ふたりのめぐり逢い[注 13]GU-65
1985年10月21日演歌ごころ旅ごころ〜五木恋しや〜GU-69
  • CD
発売日タイトルレーベル規格品番
1985年1月21日オリジナルベストユニオンレコード35CH-18
1985年6月1日ふたりのめぐり逢い[注 13]30CH-30
1985年11月21日演歌ごころ旅ごころ〜五木恋しや〜30CH-127
1988年9月21日オリジナルベスト12テイチク25CH-27
デュエットベスト1225CH-28
ビッグ演歌ベスト1225CH-29
1988年10月25日'88有線演歌ベストヒット〜北の旅人〜ミノルフォン32KCD-148
1988年11月25日巷の流行歌〜城ヶ崎ブルース〜32KCD-151
1988年12月21日男と女の流行歌〜人生いろいろ・港の五番町〜32KCD-154
1989年6月25日夜霧よ今夜も有難う32KCD-165
1990年6月25日ベストヒット演歌16TKCA-30093
1990年10月25日ナレーションで綴る 酒場うた・おんな歌[注 14]TKCA-30158
1991年6月21日ヒット曲集テイチクTECA-30263
1991年10月25日全曲集TECA-30308
1991年11月21日デュエット全曲集TECA-30335
1992年1月25日全曲集'92ミノルフォンTKCA-30498
1992年5月21日男の哀愁 増位山ヒット曲集テイチクTECA-30382
1992年10月25日全曲集TECA-30425
1992年11月21日デュエット全曲集TECA-30456
1993年11月21日全曲集TECA-30502
1994年10月21日BEST SELLER 全曲集TECA-30563
BEST SELLER デュエット全曲集TECA-30564
1995年11月22日増位山大全集TECA-50677〜78
1997年5月21日全曲集TECE-28014
1997年12月26日ふり向けば…増位山〜男の背中・恋の町札幌〜徳間ジャパンTKCA-71324
1999年10月21日全曲集テイチクTECE-32128
2000年9月21日全曲集〜そんな女のひとりごと〜TECE-30188
2004年8月1日定番ベストTECE-1002
2009年8月21日ミリオンシリーズTECE-1042
2011年4月6日ゴールデン☆ベストTECE-1087〜88
2013年5月22日男の浪漫〜ベストアルバム〜TECE-3154
2013年11月20日増位山太志郎〜盛り場・旅情歌謡を唄う〜TECE-3228
2014年11月19日2015年全曲集TECE-3287
2015年11月18日2016年全曲集TECE-3335
2015年12月16日大全集TECE-3346〜47
2016年11月16日2017年全曲集TECE-3409
2017年10月18日2018年全曲集TECE-3446
2018年10月17日2019年全曲集TECE-3512
2019年10月16日2020年全曲集TECE-3545
2020年9月16日2021年全曲集TECE-3593
2021年10月20日2022年全曲集TECE-3644
2022年10月19日2023年全曲集TECE-3677
2023年10月18日全曲集TECE-3707

出演

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テレビ

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CM

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脚注

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注釈

[編集]
  1. ^『相撲』2013年11月号78頁には具体的に「ウチでやらせてもらえないんだったら、オレは春日野部屋へ行く!」と強い決意を表わしていた様子が記述されていた。実父は当初「数年で芽が出なければちゃんこ屋でもやらせればいい」という感覚で息子の希望を認めかけたが、実母が「ちゃんこ屋でも…ぐらいの感覚でさせるならば止めて下さい!」と意見したことで、父も本気で関取に育て上げる決意をしたという。
  2. ^5日目の対戦力士・隆の里は、右膝の切開手術のために当初不戦敗・休場するはずであったが、増位山の引退報告を聞いて急遽春場所の会場に駆け付け、不戦勝の勝ち名乗りを貰ったという
  3. ^現在は栃ノ心朝乃山と並ぶ史上3位タイ。
  4. ^『相撲』2013年11月号79頁には「右上手からの技であるからこそ相手の後ろ廻しの結び目の先の細く折られた先端部分を効率的に掴むことができ、威力が高まるのだ。廻しの構造上、左ではそのような掴み方は出来ない。」とその「独特の上手出し投げ」の詳細が説明されていた。
  5. ^右胸部挫傷により10日目から途中休場、12日目から再出場。
  6. ^右足首関節骨折、右下腿部下端骨折により初日から休場、6日目から出場、10日目から途中休場
  7. ^右肘関節挫傷により8日目から途中休場。
  8. ^ab角番(全2回)
  9. ^B面は国錦の「相撲甚句 当地興行」。
  10. ^編曲者の表記無し。
  11. ^デュエット:長沢薫
  12. ^デュエット:北の富士
  13. ^ab共演:日野美歌
  14. ^ナレーション:叶和貴子

出典

[編集]
  1. ^蘇る名大関 増位山太志郎 - goo大相撲
  2. ^ab増位山太志郎[プロフィール]」『TEICHIKU RECORDS』。2025年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  3. ^abc訃報(PDF)」『ゴールデンミュージックプロモーション』2025年6月17日。2025年7月17日時点のオリジナル(PDF)よりアーカイブ。
  4. ^ab元大関の増位山が死去 76歳 肝不全 歌手としても「そんな夕子にほれました」ミリオンヒット - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2025年6月17日). 2025年6月17日閲覧。
  5. ^増位山太志郎さんが振り返る、2017年の大相撲その4 おすもうさん 2018年1月13日 (2023年3月9日閲覧)
  6. ^朝日新聞1980年1月4日付朝刊スポーツ面
  7. ^朝日新聞1980年1月7日付朝刊スポーツ面
  8. ^朝日新聞1980年1月21日付朝刊スポーツ面
  9. ^朝日新聞1980年1月23日付朝刊スポーツ面
  10. ^朝日新聞1980年1月23日付夕刊社会面
  11. ^ab朝日新聞1980年1月24日付朝刊スポーツ面
  12. ^スポーツ報知 2010年5月26日
  13. ^三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ nikkansports.com 2013年10月3日
  14. ^『大相撲ジャーナル』2014年2月号102頁
  15. ^abc“美声”の元大関 増位山太志郎さんが感謝する2人の恩師、日刊ゲンダイDIGITAL、2016年8月1日。
  16. ^<2>「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と周囲から勘違いされた 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/08/17 06:00 (2021年8月18日閲覧)
  17. ^22年ぶりも…増位山、時津風暴行事件余波、ZAKZAK、2007年9月28日。
  18. ^増位山「歌手で横綱目指す」新曲「夕子のお店」発表スポニチアネックス 2013年12月5日
  19. ^<1>コロナ禍で運動もしないから1日4、5時間サックスを吹いてます(1/3ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL2021/08/03 06:00 (2021年9月1日閲覧)
  20. ^元増位山が死去、76歳 大相撲:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2025年6月17日). 2025年6月17日閲覧。
  21. ^元大関増位山が死去 元浜ノ嶋の尾上親方「あのオヤジじゃなければ、今の自分はいない」 日刊スポーツ 2025年6月17日 (2025年6月18日閲覧)

参考文献

[編集]
  • 昭和平成 大相撲名力士100列伝(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p111-112

関連項目

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外部リンク

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第212代大関(在位:1980年3月-1981年3月)
161代 - 180代
181代 - 200代
201代 - 220代
221代 - 240代
241代 -
  • 一覧
  • 代数及び四股名は最初の昇進時のもの。
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