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坂田 幹太(さかた みきた、1879年(明治12年)12月13日 -1958年(昭和33年)10月18日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。県知事、貴族院議員。旧姓・水谷。
山口県出身。水谷良高の長男として生まれ、伯父・坂田昌熾(海軍軍人、衆議院議員)の養子となる。東京府尋常中学校、第一高等学校を経て、1903年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入り神奈川県属となる。1904年11月、文官高等試験行政科試験に合格。
以後、神奈川県視学官、同事務官第二部長[1]、内閣書記官兼総理大臣秘書官、福岡県事務官・港務部長、農商務大臣秘書官、内務省参事官兼内務大臣秘書官などを歴任。
1916年4月、愛媛県知事に就任。1917年1月、香川県知事に転じた。1919年4月、同知事を休職。同年5月22日、依願免本官となり退官した[2]。同年5月、高松市長となり、1920年5月まで在任。
その後、実業界に転じ、大阪合同紡績取締役、阪神国道自動車社長、川崎重工業監査役、大阪経済会常務理事などを歴任。
1946年6月8日、貴族院勅選議員に任じられ[3]、同和会に属し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。
| 公職 | ||
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| 先代 藤本充安 | 第6代:1919 - 1920 | 次代 佐野久宣 |
| 官選 | |
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| 公選 | |