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土屋紘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土屋 紘
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地長野県佐久市平賀
生年月日 (1944-07-10)1944年7月10日(81歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1967年 ドラフト1位
初出場1968年10月15日
最終出場1974年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  テンプレート

土屋 紘(つちや ひろし、1944年7月10日 - )は、長野県佐久市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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臼田高校では2年生の時からエース、1961年秋季北信越大会県予選東信準決勝に進むが、丸子実に敗退。当時から低めにコントロールされた重い速球は定評があり、一試合平均10個以上の三振を奪っていた。

高校卒業後、社会人野球三協精機電電信越に誘われたが、駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1、2年生の時に2度の優勝を経験するが、1年上に盛田昌彦(北海道拓殖銀行)、同期に伊藤久敏といった好投手がおり、活躍の場はなかった。1965年春季リーグで初登板、盛田の卒業後は伊藤と左右の二本柱となり、リーグ通算27試合11勝9敗の成績をあげる。他の大学同期に大下剛史遊撃手後藤和昭三塁手がいる。

大学卒業後は電電東京へ入社。1967年都市対抗では、2回戦で山田久志を擁する富士鐵釜石を完封するなど2勝をあげ、準決勝に進出する。準決勝では日本石油平松政次投手と投げ合い1-2で惜敗したが、優秀選手賞を受賞した。1967年ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。

1968年に一軍に上がるが、その後は一時低迷。1971年4月18日ヤクルトアトムズを相手に初先発。5月12日には2回目の先発で大洋ホエールズ山下律夫と投げ合い7回途中まで好投、初勝利を記録した。1972年には2完投、3勝をマークするが、1973年シーズン途中、水谷則博とともに、佐藤政夫奥田直也との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍。

その後は活躍の機会がなく1975年引退した。その後はアシックスに勤務していた。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1968中日1000000--------153701002004412.002.67
197112300011----.50015035.13851500170017174.371.50
1972281220034----.42936389.278142451340041373.701.14
1974ロッテ30000000------18440200100224.501.50
通算:4年4415200450--.444546132127194251540064604.091.28

背番号

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  • 26 (1968年 - 1973年途中、1974年 - 1975年)
  • 40 (1973年途中 - 同年終了)

脚注

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[脚注の使い方]

関連項目

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外部リンク

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指名選手
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