土屋 敏男(つちや としお、1956年9月30日 - )は、日本のテレビプロデューサーで映画監督。日本テレビ放送網日テレラボシニアクリエイター、一般社団法人1964 TOKYO VR代表理事、東京大学大学院情報学環教育部非常勤講師。元LIFE VIDEO株式会社代表取締役社長。
バラエティ番組『電波少年シリーズ』の「Tプロデューサー」、「T部長」などとして知られる。
ハンドルネームはドラゴン、愛称は苗字のツッチー、苗字のイニシャルを取ってT。佐藤孝吉から大きな影響を受けており[1]、また萩本欽一とテリー伊藤を演出の師匠と呼んでいる。
- 生い立ち
- 警視の階級で静岡県警察下田警察署の署長を務めた警察官(1984年3月、警視正に退職日昇任)、土屋久の二男として生まれる[2]。
- 小学校時代にプロ野球選手、中学校時代に古典落語家、静岡高校[3]時代に新聞記者を志すが、大学時代からテレビマン志望となった[4]。
- 日本テレビ
- 1979年、日本テレビ(旧法人。現・日本テレビホールディングス)に入社。ワイドショーの現場を経て、バラエティ番組制作に携わるようになったが、低視聴率が続き、編成に異動となる。その後再び制作に戻って作った『電波少年シリーズ』が高視聴率となる。編成部長(2001年7月 - 2003年7月)として行った各局の視聴率分析の結果、さまざまな意味で世代交代の必要性を感じ、テレビ番組制作からも離れ、2003年6月コンテンツ事業局コンテンツ事業推進部長、2004年6月コンテンツ事業局次長兼コンテンツ事業推進部長兼PR局日テレイベント事務局長、2005年6月PR局次長、2005年9月第2日本テレビ事業本部VOD事業部長兼コンテンツ事業局次長兼PR局次長、2006年7月第2日本テレビ事業本部ED(エグゼクティブディレクター)、2008年6月編成局ED・P兼AXON出向、2012年6月編成局専門局長、2015年5月付で編成局ゼネラルプロデューサー[5]、2016年6月1日日テレラボ室ゼネラルプロデューサーを経て、現職[6]。
- 社外では、テレビ番組制作ではない新規事業として「人生の映像化」を提案し、日本テレビと日テレアックスオンが設立した新会社「LIFE VIDEO」代表取締役社長(2012年7月2日-2016年3月31日)に就任。個人・法人・団体等の「自分史ビデオ」のプロデューサー・ディレクターとして活動する[注 1][7][8]。2016年6月環境省COOL CHOICE推進チーム チーム員に就任[9]。2017年10月、1964年東京オリンピックが開催された年の東京の街を3Dバーチャルリアリティで再現するプロジェクトを開始し、一般社団法人1964 TOKYO VRを設立、同代表理事に就任。2020年東京オリンピック開催年までの公開を目指すとした[10]。2018年4月東京大学大学院情報学環教育部非常勤講師。その後、情報経営イノベーション専門職大学の情報経営イノベーション学部にて超客員教授に就任。
- 2022年9月30日、66歳の誕生日に日本テレビ放送網を満期退社。個人事務所「Gontents合同会社」を設立する。「日本テレビ放送網 社長室R&Dラボ」には退社後も社外アドバイザーとしてかかわる。
- 2022年11月1日、日本テレビ系列の芸能事務所であるニチエンプロダクションに文化人として所属。
既婚で、一男一女がいる。
- 社長になりたい!あなたの社長力テスト(BS日テレ 2013年8月25日)
- 100時間うらどりプレス(Youtube、2013年9月18日 - 2013年9月23日)
Gontents合同会社(ゴンテンツ)は土屋敏男が設立した合同会社。
日本テレビ放送網に43年半在籍したテレビプロデューサーの土屋敏男が2022年10月1日に設立したエンターテインメントの企画演出会社。
社名の由来は「Contents」の頭文字「C」に土屋敏男のイニシャル「T」を組み合わせて「Gontents」。
- 公式ホームページの総合演出を担当(第2日本テレビ担当のため)。企画進行中に編成局EDに復帰したため、ゴール生放送特番の総合演出を担当した。
- 1985年にスタートした『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』では、演出に抜擢される。この期間は『元気が出るテレビ』の制作会社、IVSテレビ制作に出向しており、日本テレビ社員としての役職よりも立場が上となっている。この番組でテリー伊藤(総合演出)と出会い、バラエティ番組にドキュメンタリー風の味付けをする演出手法を習得。
- 土屋は東京本格進出前のダウンタウンの東京での世話人で、他局の仕事の送り迎えもしていた。『笑っていいとも!』や『夢で逢えたら』の収録現場に日本テレビの社員にもかかわらず潜入していたが、フジテレビ側にはマネージャーと勘違いされており、問題にならなかった。
- 編成担当として、とんねるずの日テレ新番組交渉をする際、『ねるとん紅鯨団』のロケ現場をテリー伊藤から聞き出し2年間に渡り同行、収録終了後にゲリラ的に交渉した。新番組決定と同時に番組制作に異動、『生ダラ』の演出兼サブプロデューサーとして、最初の1年間のみ担当した。
- 1980年代に低迷した日テレバラエティーを再建するために「フジテレビに奪われた(日本テレビ『お笑いスター誕生!!』出身の)とんねるず、ウッチャンナンチャンを取り戻すのが仕事だった」と語っている。
- メインプロデューサー兼演出を担当した『進ぬ!電波少年』や『雷波少年』では、「Tプロデューサー」や「T部長」として、『インペリアル・マーチ[注 4]』をBGMに、「Tプロデューサー」時代は革ジャンを着て、「T部長」時代はブロンド美人秘書を従えスーツを着て、いずれも後ろ姿で番組に登場。なるべく顔は映らないようにしていたが、顔にモザイクをかけるなどの処理は一切なし。また、「朋友」として「アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイク」に参加した伊藤高史は出演終了後、同曲に怯えるようになり、しばらくトラウマになったと証言している[16]。『電波少年』では同僚でチーフプロデューサーの吉川圭三と共にアイマスク、ヘッドフォンを無名芸能人に付けさせてその挑戦させる場所へ連れて行く手法(脱走しない様にスタッフが手錠を付けた説もある)や、好評だった懸賞生活やスワンボートの旅がせっかくゴールしたのに企画をエスカレートしてさらに続行させた事で、「無名芸能人の挑戦」路線を続けさせるなど、冷酷な一面を見せていた。ただし、スワンボートの場合は第1弾で東京での到着が遅れてしまったペナルティで仙台に行かせた。後年、企画によって人生が激変し人間不信やトラウマを背負ったなすびに対して「僕も頭がおかしくなってたんだろうね。」「ずっと悪いことしたなって思ってて。贖罪を続けていきたいって思ってたの。」と語っている。
- 2000年末の『年またぎ番組』で、21世紀を迎えるカウントダウンを2分間フライングする「演出」をして、視聴者から顰蹙を買う。
- 「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里と対談。「おもしろ魂。」という対談集連載もした。
- 『進め!電波少年』でフジテレビ在籍時の横澤彪にアポなしロケを行い、横澤の吉本興業への移籍を祝った。後に横澤とは講演会やフォーラム等で共演を果たしており、2011年の横澤の死去時にはツイッターで故人を偲んだ。
- 編成部長時代の2001年に『おはよう日本』の視聴率上昇の影響を受けて、朝時間帯の大改革として『ズームイン!!SUPER』をスタートさせた。
- 横澤の部下であり、フジテレビエグゼクティブディレクターの三宅恵介とは、萩本欽一と師弟関係であるという共通点があり、古くから親交がある。三宅とはフジテレビの特番『悪いのはみんな萩本欽一である』(2010年3月17日放送)でテレビ初共演を果たした。なお、「ほぼ日刊イトイ新聞」など、テレビ以外のメディアで対談を行った事は過去にもある。
- 業界内の正直な意見として「実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。ものすごく悪い言い方をすると、もう『馬鹿にどう見せるか』と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね」と述べている[17]。
- 元フジテレビアナウンサーで女優の山村美智は大学時代からの友人であり、この縁で山村は当時フジテレビの局アナという立場ながら、日本テレビ社員である土屋の結婚式の司会を白岩裕之(当時日本テレビアナウンサー、現・テレビ信州代表取締役社長)と共に務めている。
- 元日本テレビアナウンサー、小熊美香の高校時代の恩師と従兄弟関係にある[18]。
- 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』
- 2014年3月31日の『有吉反省会』2時間スペシャルに反省人として出演[19][20]。有吉に「ニコニコ生放送で新ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」という企画を提案するが、有吉から禊として「一人で日本縦断ヒッチハイク」を言い渡され、決行することになった[20]。
- 2014年7月28日、『SKE48 エビショー!』収録中に登場。松村香織と谷真理佳にアイマスクとヘッドフォンを装着させ、宗谷岬へ連れ去った。2人は宗谷岬から名古屋のSKE48劇場までの道程を、ヒッチハイクだけで踏破することになった[21]。
- 『SENSORS』にデジタルコンテンツコメンテーターとして不定期出演していた。[22]
- 2010年代に入り、映像審査員として呼ばれる場合がある。
- 電波少年最終回(日本テレビ放送網,2001年)
- 一歩60cmで地球を廻れ 間寛平だけが無謀な夢を実現できる理由(共著:比企啓之,ワニプラス,2009年)
- 誰も知らない、萩本欽一。 We Love Television?(共著:木村俊介,ぴあ,2017年)ISBN 978-4835638362
- ^2016年3月31日付けでLIFE VIDEO株式会社は消滅し、日テレアックスオンの1セクションとして事業を継続している。
- ^『進め!電波少年』から松村邦洋と松本明子が「お手伝い」として出演
- ^深夜枠第1部「ウッチャンナンチャンの人間をもう一度信じて見たいスペシャル!」
- ^初期は別のBGMが使用されていた。テーマ曲として定着したのは番組中期から。
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