| 「二股ソケット」とは異なります。 |
国民ソケット(こくみんソケット)は、パナソニック エレクトリックワークス社[注 1]から販売されているソケットである。白熱電球、電球形蛍光灯、LED電球の3種類の電球に対応する[7]。


昭和初期の一般家庭では、壁埋込み式のコンセントが一般的でなく、頭上の電灯笠からト型クラスターなどで電気を分岐させて、電化製品につないでいる家庭が多かった[8]。ト型クラスターには電球の差し込み口が主灯と副灯の2つしかついておらず、電化製品をつける際は電球を取り外さねばならなかった。また、当時は電気のスイッチとして「3段・4段点滅器」を使用しており、これを用いた電気の切り替え操作は煩雑であった[9]。
そのような中、「すぐれた配線器具の開発と大量生産」[10]を創業当初より目標に掲げてきた松下電気器具製作所[注 2]の第3事業部から、1935年(昭和10年)7月に「国民ソケット」が発売される。この「国民ソケット」は、のちに「1号国民ソケット」とよばれ、主灯と豆球の副灯をひもを引くことで点滅させることができ[11]、さらに電化製品用の差し込み口が付いているものである[12]。国民ソケットは電気の需要家らに大変重宝され、デザインの面においても当時としては斬新だったため、いままでにはない売れ行きであった[8][13]。当時の一般規格では5000回の使用に耐えうることを求められていたが、国民ソケットは数万回の使用に耐えうるものだった[9]。
| 製品名 | 1937 (昭和12) 年度 | 1938 (昭和13) 年度 | |
|---|---|---|---|
| 生産個数 | 生産個数 | 金額 | |
| 1号国民ソケット | 11万0200個 | 01万4584個 | 04万1102円 |
| 2号国民ソケット | 28万6800個 | 33万8027個 | 12万1690円 |
| 3号国民ソケット | - | 01万2100個 | 02万2973円 |
第3事業部は同年10月に主灯と副灯だけの「2号国民ソケット」を発売し[14]、こちらは1号国民ソケットよりも安価であったために1号以上の売れ行きをみせた[15]。同年12月、配線器具を取り扱っていた松下電気器具製作所第3事業部を母体として松下電器株式会社が設立される[16][17]。国民ソケットも松下電器が引き継ぎ、1938年(昭和13年)5月には主灯のみの3号国民ソケットが発売される[14][18]。
1号・2号国民ソケットは1938年3月に帝国発明協会からの有功賞を得、国民ソケットは松下電器の当時の主力商品となった。3号国民ソケットは、戦時中の電気節約に一役買うこととなる[18]。
松下電器株式会社は戦時中航空機を製造し[19]、そののち「松下電工株式会社」と名前を改め配線器具の製造を再開[20]。松下電工株式会社は2008年にパナソニック電工株式会社に社名を変更した。3号以外は新型になった[13]ものの、パナソニック電工株式会社がパナソニック株式会社[注 2]に吸収合併された2012年においても、国民ソケットを販売している[7]。

| 持株会社 | |
|---|---|
| パナソニック | |
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