| 国府津駅 | |
|---|---|
駅舎(2022年4月) | |
| こうづ Kōzu | |
![]() | |
| 所在地 | 神奈川県小田原市国府津四丁目1-1 |
| 所属事業者 | |
| 電報略号 | コツ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 3面5線 |
| 乗車人員 -統計年度- | 5,118人/日(降車客含まず) -2024年- |
| 開業年月日 | 1887年(明治20年)7月11日[1] |
| 乗入路線 2 路線 | |
| 所属路線 | ■東海道本線(JR東日本) |
| 駅番号 | JT14 |
| キロ程 | 77.7 km(東京起点) |
◄JT 13二宮 (4.6 km) (3.1 km)鴨宮 JT 15► | |
| 所属路線 | ■御殿場線(JR東海) |
| 駅番号 | CB00 |
| キロ程 | 0.0 km(国府津起点) |
(3.8 km)下曽我 CB01► | |
| 備考 | 直営駅(管理駅) |
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国府津駅(こうづえき)は、神奈川県小田原市国府津四丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。JRの境界駅の一つ。
東海道本線と御殿場線が乗り入れている。JR東日本横浜支社がホーム・駅舎の管理および駅業務を行っている。
1987年4月の国鉄分割民営化までは東海道本線、御殿場線(旧東海道本線)ともに日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、この分割民営化によって東海道本線東京 - 熱海間はJR東日本、御殿場線はJR東海に分割して移管された。御殿場線沿いにJR東日本国府津車両センターが位置していることから、当駅を起点終点とする列車が設定されている。
東海道本線にはJT 14、御殿場線にはCB00の駅番号が設定されている。
1887年、初代横浜駅(1915年以降は桜木町駅)から当駅までの鉄道路線の開通に伴い、国府津駅は開業した。その2年後の1889年には当駅から御殿場駅・沼津駅を経て静岡駅までが開通したが、国府津駅から御殿場駅までの区間は勾配がきついため、列車を後押しする機関車を連結することとなり、当駅は機関車の基地として重要な役割を有することとなった。1888年には、駅前から小田原・湯本までを結ぶ小田原馬車鉄道も発着するようになったが、後に小田原電気鉄道と社名を改め、1900年には日本で4番目の電気鉄道(路面電車)となった。1925年には、横浜駅から当駅までが電化され、電気機関車と蒸気機関車を付け替える駅としての役割も担うようになる。
しかし、御殿場回りのルートは勾配がきついため、速度向上のネックとなっており、また、トンネル掘削技術が向上したことにより、熱海を経由する新しい路線を建設しようとの機運が高まった。まず、1920年に熱海線として当駅から小田原駅までが開業。これに伴い並行する小田原電気鉄道は起点を小田原駅に変更する形で廃止された。熱海線はその後、1922年には真鶴駅まで、1924年には湯河原駅まで、1925年には熱海駅までと次々に延伸が重ねられた。1934年12月になると丹那トンネルが完成し熱海 - 沼津間が開通、これを機に新線と熱海線が東海道本線に編入され、東海道本線は御殿場駅経由から熱海駅経由に変更された。
国府津 - 沼津間全通までは、「燕」や「櫻」といった当時最速とされた列車でさえも機関車連結のために停車していたが、東海道本線のルートが熱海経由になったことにより当駅は本線の後押し機関車の連結駅としての役割を終え、また新ルートは当初から電化されていたため機関車を付け替える駅としての役割をも終えることとなった。
国府津 - 御殿場 - 沼津のルートはこの時に御殿場線として分離され、1943年には戦時中の金属供出により単線となった。以後、国府津駅は東海道本線から御殿場線の分岐する小さな接続駅としての役割のみを持つ駅となった。また、1968年の御殿場線無煙化により、国府津機関区は車両無配置となった。
1979年には、下曽我駅寄りに開設されていた国府津機関区電車基地に湘南電車が配属されることになった。また、1987年の国鉄分割民営化により、東海道本線の東京駅から熱海駅までがJR東日本の管轄、御殿場線がJR東海の管轄となり、当駅は両者間の分界駅ともなった。
1900年5月10日に第1集東海道篇が発表された『鉄道唱歌』(大和田建樹作詞、多梅稚作曲)では、12番に、国府津が小田原電気鉄道との乗換駅(当時)であったことから、「国府津おるれば電車あり 酒匂小田原とおからず…」と歌われているが、初版では歌い始めが「国府津おるれば馬車ありて」となっていた。これは、発表がちょうど小田原電気鉄道が馬車鉄道から電気鉄道へ動力を改めた時期に一致したため、急遽書き直されたものである[15]。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームを持つ地上駅。単式ホームに隣り合って設置された駅舎はコンクリート造り4階建てとなっている。ホーム間は地下道及び跨線橋で結ばれており、原則として1・2・4・5番線をJR東日本の東海道線、3番線をJR東海の御殿場線が使用している。3番線の下曽我方に御殿場線の0キロポストがある。
構内はJR東日本が所有・管理しているが、1番線の事務室付近にJR東海沼津運輸区の国府津詰所がある。両社の財産上の境界(財産境界)は下曽我方にある第一場内信号機(最も外側の信号機、小田原厚木道路の北)に設定されている。
JR東海御殿場線の線路は下曽我方でJR東日本東海道線の上り線を高架橋でまたぎ、御殿場方面につながる。JR東海御殿場線は当駅と下曽我駅の中間までJR東日本国府津車両センター出入区線(出入庫線)が並行するため、ここまでの間は複線のように見える。車両センターへの出入りのため、一部列車は当駅が始発・終点となっている。出入区線には社員輸送車も運行されている。
また、これとは別に御殿場線の線路から駅構内で東海道貨物線へ接続する貨物線もあるが、これは高架橋ができる前の御殿場線のルートを流用している。御殿場線の定期貨物列車がない今では東海道貨物線経由列車の出入庫に使用されている。
JR東日本としては小田原・伊豆統括センター管理の直営駅であり、二宮駅における営業時間外のインターホン対応を行う[16]。指定席券売機と交通系ICカード対応自動改札機・自動券売機とJR東海のロゴが入ったTOICA出場用簡易改札機が設置されている。
駅舎は鉄筋コンクリート4階建てだが、旅客用のスペースは1階の一部のみである。当駅の東京方にあった機関庫は、鉄道関係のものとしては日本で最初の鉄筋コンクリート建造物とも言われる歴史的に貴重なものであったが、解体され現存しない。
交通系ICカードは小田原・東京方面がSuicaエリア、松田・御殿場方面がTOICAエリアである。IC定期券を除いて両カードエリアを跨いでのSF乗車(東京・小田原方面 - 当駅経由 - 松田・御殿場方面)はできない[9][10]。
ICカード入場は改札機で両エリアに対応するが、TOICAエリアからの出場は有人通路横にあるTOICA簡易改札機で対応する。2021年3月13日から2025年3月14日まではTOICAエリアの内、下曽我駅・大岡駅間17駅からの出場に限って[17]簡易機で対応しており、SF通し乗車が不可の小田原・熱海経由沼津方面(熱海駅は当駅と同様にTOICA・Suicaエリアの境界)の経路を「TOICAエリア完結」として誤精算しないようにするためであった。
その後、経路に関する規則改正により2025年3月15日以降はこの制限が撤廃されており、熱海方面からTOICAエリア(御殿場経由)を乗車し当駅の簡易機から出場すると、「TOICAエリアを乗車した」「(東海会社線としては実際には存在しない)最短の小田原経由で運賃計算」と判定[18]されるように変更された。
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1・2 | 下り | 小田原・熱海・伊東・沼津方面 | ||
| 3 | - | 松田・御殿場方面 | 一部は4番線発着 | |
| 4・5 | 上り | 横浜・品川・東京方面 | ||
| 横浜・品川・東京・上野方面 | ||||
| 横浜・渋谷・新宿方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
長らく東洋メディアリンクス制作の汎用の発車メロディを使用していたが、2022年5月2日に、童謡「みかんの花咲く丘」をアレンジしたものに変更している[11]。これは地域活性化の取り組みとして国府津商工振興会が企画した[注釈 1]もので、同曲が当駅付近を走る列車の車窓から見えたみかん畑の景色にインスピレーションを受けて作曲されたものであることにちなんでいる。同振興会副会長の佐藤基は「地元ゆかりのメロディーに変更することで、駅の利用者や市民、観光客に愛着を深めてほしい」としている[20]。
編曲は作曲家の高木文世が手掛けた。アレンジは番線ごとに異なっており、奇数番線は曲の前半部分、偶数番線は後半部分を採用している[11]。高木は変更前日に当駅で行われた記念式典で「『上りホームは明るく、下りは落ち着く感じで、御殿場線はウキウキというイメージで』と提案があり、オルガンをベースにトータルでひとつの曲になるようにした」と解説している[21]。
1888年7月に足柄下郡国府津村で旅館業を営んでいた飯沼ヒデが、国府津停車場構内で販売した「竹の皮に包んだ握り飯に沢庵を添えたもの」が東海道本線最初の駅弁とされる。以後、明治時代には次のような駅弁が売られたという。
1923年(大正12年)4月20日に、守山乳業が製造した「珈琲牛乳」を扱い始める。これは瓶入りのコーヒー牛乳を店頭で販売した初めての例であるという[22]。
1933年(昭和8年)には個人営業から法人組織へ移行し、飯沼ヒデは、現在小田原駅などで駅弁を販売するこの「東華軒」(神奈川県小田原市)初代経営者とされる[23]。
東華軒は2・3番線ホームの売店で構内営業を行っていたが、2007年に廃止された。JR時刻表の駅弁情報最終掲載号には国府津駅の項に駅弁取扱のマークが付いていたが、売店があるのは改札外(駅前広場向かい)だけとなっている。主な駅弁は下記の通り[24]。
ただし、JTB時刻表 2025年3月号には国府津駅の駅弁の掲載は無い。
JR東日本の2024年度(令和6年度)の1日平均乗車人員は5,118人である。快速停車駅だが、小田原以東の東海道線内の駅では最も少ない。
1995年度(平成7年度)の推移は下記の通り。
| 年度 | 1日平均 乗車人員 | 出典 |
|---|---|---|
| 1995年(平成07年) | 7,576 | [* 1] |
| 1998年(平成10年) | 7,500 | [* 2] |
| 1999年(平成11年) | 7,298 | [* 3] |
| 2000年(平成12年) | [JR 1]6,998 | [* 3] |
| 2001年(平成13年) | [JR 2]6,820 | [* 4] |
| 2002年(平成14年) | [JR 3]6,702 | [* 5] |
| 2003年(平成15年) | [JR 4]6,527 | [* 6] |
| 2004年(平成16年) | [JR 5]6,492 | [* 7] |
| 2005年(平成17年) | [JR 6]6,464 | [* 8] |
| 2006年(平成18年) | [JR 7]6,571 | [* 9] |
| 2007年(平成19年) | [JR 8]6,634 | [* 10] |
| 2008年(平成20年) | [JR 9]6,575 | [* 11] |
| 2009年(平成21年) | [JR 10]6,489 | [* 12] |
| 2010年(平成22年) | [JR 11]6,441 | [* 13] |
| 2011年(平成23年) | [JR 12]6,364 | [* 14] |
| 2012年(平成24年) | [JR 13]6,289 | [* 15] |
| 2013年(平成25年) | [JR 14]6,370 | [* 16] |
| 2014年(平成26年) | [JR 15]6,283 | [* 17] |
| 2015年(平成27年) | [JR 16]6,322 | [* 18] |
| 2016年(平成28年) | [JR 17]6,067 | [* 19] |
| 2017年(平成29年) | [JR 18]5,998 | |
| 2018年(平成30年) | [JR 19]6,000 | |
| 2019年(令和元年) | [JR 20]5,845 | |
| 2020年(令和02年) | [JR 21]4,492 | |
| 2021年(令和03年) | [JR 22]4,604 | |
| 2022年(令和04年) | [JR 23]4,797 | |
| 2023年(令和05年) | [JR 24]4,993 | |
| 2024年(令和06年) | [JR 25]5,118 |
当駅は小田原駅付近から延々と続く市街地の東端に位置している。南側には国道1号線や西湘バイパスが走る。国道1号線沿いの駅前商店街には、洋館や看板建築、「出桁(だしげた)造り」の建物が多く見られたが、商店の衰退とともに姿を消しつつある。駅裏手から御殿場線方面に沿って伸びる丘陵は、みかん栽培が盛んであった。当駅と下曽我駅の中間にはJR東日本の国府津車両センターが広がっている。
国府津という地名は、昔大磯町西部(国府本郷・国府新宿付近:異説もあり)に相模国国府があって、それに近い港ということで付けられたといわれる。戦前は湘南避暑避寒の地として海を見下ろす丘陵地を中心に政財界人の別荘が置かれた。文人達もよく訪れたといた。
「国府津駅」停留所にて、以下の路線バスが発着する。
| のりば | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 箱根登山バス |
| |
| 2 | |||
| 3 | 神奈川中央交通 |
| |
| 4 | 富士急モビリティ |
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)| 東海道貨物線 | |
|---|---|
| 品鶴線 | |
| 高島線 | |
| * | |