| 国体の本義 國體の本義 | ||
|---|---|---|
| 著者 | 文部省 編纂 | |
| 発行日 | 1937年(昭和12年)3月30日 | |
| 発行元 | 文部省 | |
| ジャンル | 思想 | |
| 国 | ||
| 言語 | 日本語 | |
| 形態 | パンフレット | |
| ページ数 | 156頁 | |
| 公式サイト | NDLJP:1156186 NDLJP:1219377 NDLJP:1880826 NDLJP:1111807 | |
| コード | ISBN 4-8205-8837-0 ISBN 978-4-284-30618-8 | |
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『国体の本義』(こくたいのほんぎ)とは、日本の国体に関する正統的な解釈書として1937年(昭和12)に文部省思想局が発行した教科書、冊子[1]。国体明徴運動の中で編纂され、神勅や万世一系が冒頭で強調されている。1945年連合国占領軍により『臣民の道』とともに発禁となった[1]。
[2]『国体の本義』は昭和12年(1937)に文部省が刊行し、毎年各種学校に配布された副読本である。特定の教科として扱うべきものではないが、修身・国史・国語その他の授業で言及すべきものと文部省より指示が出され、旧制高等学校や高等師範学校、士官学校、兵学校、医学・薬学・商学などの専門学校の入学試験問題に出題されるものとなったため、進学を考える中学生には必修の読本となり、これを解説する受験参考書がいくつも出版された。国体明徴運動が激化するなかでほとんど突貫工事のように編纂された公的な書物であり、古事記・日本書紀が強調され、一方でその読解において本居宣長の国学的な理解で読むことを含意しながらも彼が排撃した日本書紀からも多くを採用するなど、この時期の国定教科書が抱える矛盾も見られる。国体とは天皇の事であり、政体の根本原則は君民共治でも三権分立でも法治主義でもなく、一に天皇の御親政であるとし、美濃部の天皇機関説を徹底して排除する内容となっている。「古事記・日本書紀の都合のいいところだけを恣意的に寄せ集め、都合の悪い所については徹底して無視あるいは隠蔽している」との批判がある[3]。
荻野富士夫によれば、巻頭で国体の本義を明らかにする事が個人主義の行き過ぎた世界人類のため世界史的使命であると飛躍した論理を展開し、本文では西欧近代思想における個人主義・自由主義・民主主義から共産主義・社会主義・無政府主義に至るまで、全てが日本の国体に容認されないことを繰り返し強調する一方で、結語では国体を基礎に西欧文化を摂取すべき点を繰り返しており、実質的意味をもたないこのような結語の不整合が生じている原因は、原案の段階で複数の執筆案があり、またあるべき結論を先に決めて、そこに向けて分担で各部を執筆したからであると説明する。さらに草案の段階ではかなり具体的・解説的に記述してある箇所が改稿を受けるたびに抽象化され、原案の段階で削除されたアイデアが盛り込まれたり、逆にいくつもの記述が削除され改変され整理されており[4]、結果として「此の本は中々難しくて、一般の人々には解りにくい点が多い[5]」と当時の研究者からも見なされていた。
国体については別に帝国学士院より『帝室制度史 第1巻国体総説』[4](ヘラルド社、1938年)が出版されたが、内容に関して『国体の本義』と矛盾抵触する記述が多くみられる。こちらは論旨に顕著な飛躍はなく、解説として多数の出典原文が付与されており初学者には読みやすい出来となっている。
『国体の本義』 編纂の発端は天皇機関説問題への対応としての「国体明徴・日本精神闡明」であった[6]。1933年の思想対策協議委員幹事会で「国民精神文化研究所研究部ヲシテ日本精神ノ聖書経典トモ称スベキ簡明平易ナル国民読本ヲ編纂シ之ヲ広ク普及セシムルコト」 とあり、1935年9月には「国体本義」の編纂頒布が予算要求に盛り込まれた[6]。
文部省思想局長伊東延吉と近藤寿治督学官による人選で、吉田熊次・紀平正美・和辻哲郎・井上孚麿・作田荘一・黒板勝美・大塚武松・久松潜一・山田孝雄・飯島忠夫・藤懸静也・宮地直一・河野省三・宇井伯寿の14人が編纂委員として委嘱された[6]。編纂調査嘱託には国民精神文化研究所から山本勝市・大串兎代夫・志田延義が指名され、文部省からは思想局調査課長小川義章、督学官の近藤寿治・横山俊平・志水義暲、図書監修官の藤岡継平・藤本万治・佐野保太郎が指名され、小川義章と志田延義が草案と推敲に当たったと推測されている[6]。
前田一男[7]によれば、『国体の本義』 の草稿を書いたのは久松潜一とその弟子志田延義が中心である[8]。
文部省は 『国体の本義』の普及徹底を図り、30万部を全国教育関係者に配布し、市販版は1943年には190万部に達した[9][6]。
昭和12年7月31日の第71帝国議会で政友会の原惣兵衛は、『国体の本義』にある「君民共治でもなく、三権の分立主義でも法治主義でもなくして、一に天皇の御親政である」という一節について、「法治主義でもなく」と云うことは、西洋流法治主義でないというのなら、日本流法治主義というのはどこにある、苟も憲法という所の国家統治の大法典が存在するということになったら、法治国ではありませぬか、と文相安井英二を追及し、文相は検討を凝らしたいと答弁するなど、この時点では「聖典」化していなかった[6]。また、閣僚の多くも、『国体の本義』をこの時点までに読んでいなかった[6]。
その後、日中戦争が全面化し、国民精神総動員運動が展開されていくなか、批判は次第にタブーとなり、『国体の本義』は聖典化していった[6]。
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。」と国体を定義した上で、共産主義や無政府主義を否定するのみならず、民主主義や自由主義をも国体にそぐわないものとしている。また共産主義、ファシズム、ナチズムなどが起こった理由として個人主義の行き詰まりを挙げている。
(旧字旧仮名版)
第一 大日本國體
一、肇國
大日本帝國は、萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が萬古不易の國體である。而してこの大義に基づき、一大家族國家として億兆一心聖旨を奉體して、克く忠孝の美德を發揮する。これ、我が國體の精華とするところである。この國體は、我が國永遠不變の大本であり、國史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、國家の發展と共に彌〻鞏く、天壤と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇國 ()の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 — 文部省、國體の本義、9頁
(新字新仮名版)
第一 大日本国体
一、肇国
大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いている。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国 ()の事実の中に、この大本が如何に生き輝いているかを知らねばならぬ。 — 文部省、國體の本義、9頁
(旧字旧仮名版)
天皇は統治權の主體であらせられるのであつて、かの統治權の主體は國家であり、天皇はその機關に過ぎないといふ說の如きは、西洋國家學說の無批判的の蹈襲といふ以外には何らの根據はない。天皇は、外國の所謂元首・君主・主權者・統治權者たるに止まらせられるお方ではなく、現御神 ()として肇國以來の大義に隨つて、この國をしろしめし給ふのであつて、第三條に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。外國に於て見られるこれと類似の規定は、勿論かゝる深い意義に基づくものではなくして、元首の地位を法規によつて確保せんとするものに過ぎない。 — 文部省、國體の本義、132-133頁
(新字新仮名版)
天皇は統治権の主体であらせられるのであって、かの統治権の主体は国家であり、天皇はその機関に過ぎないという説の如きは、西洋国家学説の無批判的の踏襲という以外には何らの根拠はない。天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられるお方ではなく、現御神 ()として肇国以来の大義に随って、この国をしろしめし給うのであって、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。外国に於て見られるこれと類似の規定は、勿論かかる深い意義に基づくものではなくして、元首の地位を法規によって確保せんとするものに過ぎない。 — 文部省、國體の本義、132-133頁
(旧字旧仮名版)
明治以來の我が國の傾向を見るに、或は傳統精神を棄てて全く西洋思想に沒入したものがあり、或は歷史的な信念を維持しながら、而も西洋の學術理論に關して十分な批判を加へず、そのまゝこれを蹈襲して二元的な思想に陷り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相當な思想的懸隔を來してゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が發生した。曾て流行した共產主義運動、或は最近に於ける天皇機關說の問題の如きが、徃々にして一部の學者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。 — 文部省、國體の本義、149-150頁
(新字新仮名版)
明治以来の我が国の傾向を見るに、或は伝統精神を棄てて全く西洋思想に没入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の学術理論に関して十分な批判を加えず、そのままこれを踏襲して二元的な思想に陥り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相当な思想的懸隔を来している。かくて、かかる状態から種々の困難な問題が発生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であった如きは、よくこの間の消息を物語っている。 — 文部省、國體の本義、149-150頁
国体の本義が発行される以前、及び以後も、『国体の本義解説叢書』などの解説書が発行され続けた[6]。