唱歌(しょうか)は、第二次世界大戦前の日本における尋常小学校、高等小学校の教科の一である。現在の音楽にあたる。

1872年、学制が発布されたとき小学校の一教科として定められた。ただしこれは外国の制度を模倣しただけであり、教員や教材が無いため「奏楽」と併せて「当分之を欠く」という註がされていて有名無実な教科だった。その後の教育令、改正教育令、小学校令でも必須ではなかった。
そこで1879年、伊沢修二の主唱で文部省は学校における音楽教育の研究のために音楽取調掛を創設した。まず、『小学唱歌集』が伊沢修二、メーソンらによって編集された。楽曲の多くは「蝶々」、「蛍の光」、「仰げば尊し」など外国曲に歌詞をつけたものであった。1886年文部大臣の検定を経たものでなければ、小学校の教科書として採用することができなくなり、当分の間この規定によって民間から出たものが採用されるようになった。1888年頃から民間出版の唱歌集が出てきた。
はじめのうちは外国曲が多かったが瀧廉太郎などの日本人の作曲も増えてきた。1901年小学校令の改正に伴う「小学校令施行規則」に於いて「唱歌ハ平易ナル歌曲ヲ唱フコトヲ得シメ兼テ美感ヲ養ヒ徳性ノ涵養ニ資スルヲ以テ要旨トス」と目的を定められた。そして1907年、小学校令が改正されて初めて必須科目となったのである。1910年、『尋常小学読本唱歌』を文部省が編纂した。この本の最大の特徴は全曲が日本人によって作曲された点である。以後、唱歌については文部省著作の教科書と文部大臣の検定を経た民間の教科書が併用された。
以後、唱歌は30年にわたって学校で教え続けられた。戦時体制下の1941年、国民学校令の施行で唱歌は芸能科音楽へと発展的解消した。
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