さくや しゅんすけ 咲野 俊介 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 本名 | 伊藤 俊介(いとう しゅんすけ)[1][2] |
| 性別 | 男性 |
| 出身地 | |
| 生年月日 | (1965-05-20)1965年5月20日(60歳) |
| 血液型 | A型[6] |
| 職業 | 俳優、声優 |
| 事務所 | 大沢事務所[7] |
| 公式サイト | 咲野 俊介(さくや しゅんすけ) - 大沢事務所 |
| 公称サイズ(時期不明)[1] | |
| 身長 / 体重 | 177cm / 61kg |
| 俳優活動 | |
| 活動期間 | 1989年 - |
| ジャンル | 舞台、テレビドラマ |
| 声優活動 | |
| 活動期間 | 1990年代[注 1] - |
| ジャンル | 吹き替え、アニメ、ゲーム |
| 声優:テンプレート |プロジェクト |カテゴリ | |
咲野 俊介(さくや しゅんすけ、1965年5月20日[1] - )は、日本の声優、俳優。大沢事務所所属[7]。宮崎県出身[1][3]、広島県広島市西区己斐育ち[4][5]。
小学校3年生から高校3年生まで広島県広島市西区己斐に住んでいた[4]。
飽きっぽい性格であったが、唯一投げ出さなかったものが芝居であった[3]。広島市立舟入高等学校[8]在学中は「どうにかこれでラクして食っていけないかな、一発当てれば……」と考えていた[3]。そこで桐朋学園芸術短期大学演劇専攻を経て青年座研究所に入所(13期卒)[3][8]。劇団青年座は昔から社会のあり方に対して鏡になるようなものを取り上げており、広島原爆を取り扱った演劇もしており、演劇を通して主張する世界に惹かれたという[3]。1989年4月1日に劇団青年座に入団[8]。同期には「詐欺だ」「なんでお前が」と言われていたという[3]。
入団、プロになった時は、バブル崩壊直後だったが、バブル期の予算で物事が動いており、頼まれる仕事はなかったが、「誰でもいいから」と割のいいアルバイトの仕事がたくさんあった[3]。テレビドラマの現場も多数行っていたが、ちゃんとした役をもらえるような新規の仕事が入りづらく、舞台もしていたがお金にならなかった[3]。入団してから5、6年経った頃、マネージャーから「ちょっと声の仕事をやってみないか」と声を掛けられた[3]。当時は誰でも声でわかるようなベテラン達中心の世界だったことから「僕みたいな素人はどうか」と思っていたが、制作の人物達が「吹き替えのお芝居をもう少し自然にしたい」と言われた[3]。咲野自身は良く言えば「自然」、悪く言えば「棒読み」であり、あの頃は新鮮だと面白がってくれる人物がいたため、声優としての活動を始める[3]。
2006年2月1日、劇団青年座演技部から青年座映画放送に移籍[9]。
2024年2月29日をもって青年座映画放送を退所し[10]、3月1日から大沢事務所に移籍したことを発表自身のSNSで発表[11]。
2024年10月、山寺宏一、梶裕貴ら他の有名声優26名と共同で、本人に無断で学習・生成される生成AI音声や映像に反対する有志の会として『NOMORE 無断生成AI』を結成し、啓発動画を公開した。声明文では「やった覚えのない朗読や歌、そして声そのものが、ネット上に公開され、時に販売」される現状への強い懸念が表明され、「平和的な認識のすり合わせのための議論を有識者も交えて行い、文化的なルール作り」を行うことを提言した[12]。
咲 俊介(さく しゅんすけ)の芸名で活動していた時期がある。
特技は陸上競技[6]。趣味はプラモデル制作、スポーツ、演劇鑑賞[6]。
声優としては、特に専門的訓練は何も受けないまま、ほぼ独学で現在に至っているという[13]。
吹き替えにおいてはパトリック・ウィルソンやマーク・ウォールバーグ、ベン・アフレック、イーサン・ホーク、ニック・チョンなどを多く担当している[14]。
息子がいる[3]。
太字はメインキャラクター。
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