| 誕生 | 1952年3月21日 |
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| 死没 | (2012-05-14)2012年5月14日(60歳没) |
| 職業 | 小説家 |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 | |
| 最終学歴 | 一橋大学商学部 |
| 活動期間 | 1986年 -2012年 |
| ジャンル | ミステリー ホラー サスペンス |
| 代表作 | 推理作家・朝比奈耕作シリーズ サイコセラピスト・氷室想介シリーズ 警視庁捜査一課・烏丸ひろみシリーズ 温泉殺人事件シリーズ |
| デビュー作 | 『Kの悲劇』(1986年) |
影響を受けたもの | |
| 公式サイト | http://www.yoshimura-tatsuya.com |
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(よしむら たつや、1952年3月21日 -2012年5月14日)は、日本の小説家。男性。日本推理作家協会会員[1]。
東京都出身。
東京都立田園調布高等学校を経て、一橋大学商学部入学[2]。
1973年(大学4年生)、CBSソニーの入社試験に合格、内定を得る[3]。卒業を待たず、同年9月からアルバイトとしてADの現場業務に携わる[4]。しかし、その年の卒業試験で1科目単位を落とし、留年が決定[5]。会社に報告したところ恩情措置を受けたため、大学生と会社員を兼任することになる[6]。翌1974年4月から正社員になり、引き続きAD業務に従事するが、まもなく直属の上司と人間関係が悪化。事態を知った上層部が介入するも修復不可能だったため、5月31日をもって自らの意志で退社[7]。わずか2ヶ月に満たない入社期間だったため、書籍の著者略歴では記載が省略されている。
1975年4月、大学を卒業後、ニッポン放送に入社、制作部のディレクターを担当する。1977年10月から1978年3月までの半年間には、ディレクターでありながらオールナイトニッポンのパーソナリティを担当していた[8]。その後、編成部に異動。
この頃、妻に勧められて読み始めた森村誠一の推理小説に傾倒、自身でも創作を始める[9]。1979年、ミステリー短編を第18回オール讀物推理小説新人賞に応募し、最終候補作に残る。翌年も同賞に応募し、同様に最終候補まで進むが受賞には至らなかった。
1983年9月、フジサンケイグループの系列会社である扶桑社(当時の株式会社リビングマガジン)の書籍部門に出向[10]。編集者としてタレント本の作成を担当し、1985年5月にはタレント本部門編集長に就任[11]。会社員として勤務しながら、第1作目となる長編『Kの悲劇』を執筆し、1986年に扶桑社から単行本として出版。自分の勤務先で自分が書いた本を出すという特異な立場上、本名での出版が憚られたため、この時に限り「
その後、タレント本部門編集長と兼任する形で、扶桑社ミステリーの初代編集長に就任[13]。1989年末をもって扶桑社を退職し、サラリーマン生活を終了。退社後は、臨時雇いの立場でFM局の音楽番組プロデュースを担当していたが、光文社から小説執筆の依頼が来たこと[14]と、第10回横溝正史賞に応募した長編『ゴーストライター』が最終候補作まで残り、受賞パーティに出席した際に選考委員の夏樹静子と森村誠一から励まされたことにより、1990年5月をもって専業作家への転身を決意[15]。そこから数年間は売れない状態が続いたが、朝比奈耕作シリーズの『花咲村の惨劇』が複数回増刷される勢いで売れたことで一躍知名度を上げた。
ノベルズや文庫の書き下ろしを中心に精力的な執筆活動を行い、2009年10月に刊行された『蛍坂』で著作は合計200冊に到達した。
2012年5月14日午前10時34分、進行性胃癌のため東京都千代田区の佐々木研究所附属杏雲堂病院で死去[16]。60歳没。亡くなった当日にブログが更新され、「長らくごぶさたしておりました。 突然ですが、私はこの度、死んでしまいました」[17]と自身の死を自ら告知する形式で発表が行われる。このことはネットニュースやラジオ番組[18][19]で取り上げられるなど話題を呼んだ。投稿自体は関係者によるものだが、記事本文は入院中、亡くなる数日前に吉村自ら起草したものであり、更新のタイミング(亡くなった日に更新すること)も本人の希望によるものである[20]。
無宗教であり、死後の戒名はつけないこと、入棺時の服装は死に装束ではなく私服にすること、墓には入れず散骨することを希望していた[21]。
詰将棋作家でもあり、1996年には『将棋世界』誌において最優秀作品に選ばれた。
デビュー直後は、派手なトリックを用いたミステリー作品を主流としていたが、次第に人間の心理を中心にしたストーリー展開を重視するようになっていった[22]。
自身も編集者としての経験があるため、作家の創作姿勢や出版業界の慣習などについて、非常に批評的かつ意識的であり、『ベストセラー殺人事件』のような業界内幕ものも書いている。
「小説の常識に疑問を投げかける」ことに意欲的であり、「作中に事件解決の手がかりとして登場する写真を実際に撮影・作成して添付する」[23]、「ミステリーの解決編にあたるページ全体を着色して演出の一環にする」[24]、「物語のキーアイテムとなる花の香料をページに塗布する」[25]など、小説の表現を文字以外に拡張する手段を模索し、様々な試みを行っていた。特に、意匠家の平木千草と共同で作成した小説『ついてくる 京都十三夜物語』では「小説のカラー化」をコンセプトとし、「全ページをカラー印刷」「本文中に写真を挿入」「文字の色やサイズ、フォントの種類を物語の展開に合わせてその都度変更する」等、大がかりな本作りを行っていた。
急病による早逝のため、朝比奈耕作シリーズの最終作として告知されていた「『新・惨劇の村』5部作」や、全100巻による構想を持って執筆されていた氷室想介シリーズの「魔界百物語」など、当初の構想が果たされないまま中断・未完となっている作品が多数残されている。
括弧内の数字は執筆順。☆はシリーズ内の連作タイトル。
「温泉殺人事件シリーズ」の志垣警部と和久井刑事のコンビが登場するシリーズ。
TBS系