| 𠮷川 貴盛 よしかわ たかもり | |
|---|---|
| 生年月日 | (1950-10-20)1950年10月20日(75歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 日本大学経済学部卒業 北海道大学公共政策大学院修了 |
| 前職 | 友愛青年連盟事務局職員 参議院議員鳩山威一郎秘書 衆議院議員鳩山邦夫秘書 東洋実業従業員 |
| 所属政党 | (自由民主党(橋本派→無派閥→二階派)→) 無所属 |
| 子女 | 長男・吉川隆雅(元北海道議会議員) |
| 公式サイト | よしかわ貴盛オフィシャルサイト(2020年11月1日時点のアーカイブ) |
| 内閣 | 第4次安倍第1次改造内閣 |
| 在任期間 | 2018年10月2日 -2019年9月11日 |
| 選挙区 | (比例北海道ブロック→) (北海道2区→) (比例北海道ブロック→) 北海道2区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 1996年10月25日 -2003年10月10日 2005年9月16日 -2009年7月21日 2012年12月16日 -2020年12月22日 |
| 選挙区 | 札幌市東区選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1979年 -1987年 1991年 -1995年 |
| テンプレートを表示 | |
吉川 貴盛(よしかわ たかもり、1950年〈昭和25年〉10月20日[1] - )は、日本の政治家、実業家。
衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第62代)、北海道議会議員(3期)、自由民主党北海道支部連合会会長、自由民主党組織運動本部長代理、東洋実業グループ代表取締役などを歴任した。苗字の『吉』は正式には上が『士』でなく『土』の『𠮷』[1][2]。
東京都杉並区生まれ[3]。生後まもなく父の郷里である北海道余市郡余市町に移り、少年時代を過ごす。
余市町立登小学校、札幌市立八軒中学校、北海道日本大学高等学校を経て、1973年3月に日本大学経済学部を卒業[4]。在学中より友愛運動へ参加し、卒業後の1973年4月に友愛青年連盟事務局の職員となる[3]。同年8月から1974年8月まで鳩山威一郎(1974年7月に参議院議員へ初当選)、1974年9月から1976年12月まで鳩山邦夫(1976年12月に衆議院議員へ初当選)の秘書をそれぞれ務めた[1]。
1977年1月、父親が経営する東洋実業へ入社[1]。1979年4月に札幌市東区選挙区から北海道議会議員へ立候補し[4]、最年少の28歳で初当選を果たす[5]。道議は合計3期務めた[5]。また、1992年1月より東洋実業グループの代表取締役となった[6]。
1996年4月、自由民主党北海道第2選挙区支部支部長となり[3]、同年10月20日の第41回衆議院議員総選挙で北海道2区から立候補し、新進党現職の長内順一に敗北したが、比例復活で初当選。
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で北海道2区で民主党の三井辨雄に敗れ、比例復活も出来ずに落選。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で再び三井に敗れたが、比例復活で3選。
2008年8月、福田康夫改造内閣で経済産業副大臣に就任。同年9月、麻生内閣で経済産業副大臣に再任。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で三たび三井に敗れ、比例復活も出来ずに落選。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で初めて三井を比例復活も許さず破り4選、3年ぶりに国政に復帰。
2013年9月30日、第2次安倍内閣で農林水産副大臣に就任(2014年9月3日、退任)。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で維新の党の松木謙公を破り5選(松木は比例復活)。
2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙で希望の党に鞍替えした松木ら3人をおさえて6選を果たす。

2018年10月2日、第4次安倍改造内閣にて内閣官房長官の菅義偉の強い推しで[7]、農林水産大臣として初入閣。
2019年9月11日、農林水産大臣を退任し、自民党組織運動本部長代理に就任。
2020年9月に行われた自民党総裁選挙では菅義偉陣営の選対事務局長を務めた[7]。
同年12月21日、体調不良を理由に議員辞職の意向を表明し[8]、翌22日に代理人を通じて大島理森衆議院議長へ辞職願を提出。同日許可されたことにより議員を辞職した[9]。
2021年1月12日、自民党に離党届を提出。翌13日受理された[10]。15日、東京地方検察庁特別捜査部が収賄罪で起訴(#不祥事)。
2022年5月26日、東京地方裁判所より懲役2年6ヶ月・執行猶予4年、追徴金500万円の有罪判決が下る[11]。
同年6月8日、吉川は控訴を断念することを明らかにした[12]。検察側も10日までに控訴しなかったため吉川の有罪判決が確定した[13]。
2024年3月、政策シンクタンク「北海道強靭化推進研究会」を道内の政財界関係者らと発足させた[14]。

2020年12月2日、吉川が広島県福山市の大手鶏卵生産会社アキタフーズ元代表の秋田善祺(当時は日本養鶏協会幹部)から複数回にわたって数百万円の現金を受け取った疑いで、東京地検特捜部が捜査していると報じられた[31]。
本事件は、広島県を地盤とする河井克行と妻・河井案里による、案里の第25回参議院議員通常選挙への出馬を巡る一連の選挙違反事件(河井夫妻選挙違反事件)の捜査がきっかけで発覚した。吉川と河井克行は初当選同期で以前から親しかった(前述)。吉川に秋田を紹介したのは河井克行で、関係者によると秋田は河井克行から2013年に農水副大臣に就任した吉川を紹介されて以降、夏は「お中元」、年末には「お歳暮」として現金を提供していた[32]。
吉川は12月2日付で党内の役職を辞任。また、不整脈で入院したと事務所を通じて発表した[33][34]。この問題では内閣官房参与だった西川公也も接待を受けていたことが報じられ、同月8日に西川は内閣官房参与を辞任している。
その後、同月21日に事務所を通じて「健康上の理由により職責を果たすことが難しい」として、衆議院議員を辞職することを表明[8]、翌22日に大島理森衆議院議長へ議員辞職願を提出、同日辞職が許可された[35]。
吉川は特捜部の任意の事情聴取に対し、現金500万円の受領を認めた上で「返すつもりだった」などと供述したことが同月24日に関係者の話で分かった[36]。また秋田から受領した現金のうち200万円については、秋田らから家畜のストレスを減らすためのアニマルウェルフェア(動物福祉)の考え方に基づく国際的な鶏の飼育指針に関する陳情を受けて間もなく受領していたことが関係者の話で分かった[37]。
秋田は特捜部の任意聴取に対して吉川への現金提供を認め、趣旨について「業界のためだった」などと供述した[36]。現金提供があった時期に秋田は吉川に対し「鶏の飼育環境を巡る国際機関の指針案に反対すること、日本政策金融公庫からの養鶏業界向け融資を拡大すること」を求めていた[38]。
同月25日、特捜部が衆議院議員会館や札幌市の吉川の事務所で家宅捜索を行った[39]。
2021年1月1日、現金の受領総額は2015年以降、1800万円に上るとみられることがわかったと報じられた。新たに判明した計1300万円の現金授受は、農水相就任前の2015~18年と退任後とみられる[40]。
同月15日、特捜部と広島地検は吉川を収賄罪で、秋田を贈賄罪でそれぞれ在宅起訴した。起訴状によると、吉川は農水相在任中の2018年11月~19年8月、国際的な鶏の飼育指針案や日本政策金融公庫の業界向け融資を巡り、養鶏業界に便宜を図ってほしいという趣旨と知りながら、都内のホテルや大臣室で3回にわたり、秋田から現金計500万円の賄賂を受領したとされる[41]。特捜部は吉川の健康状態などを考慮した結果、証拠隠滅や逃亡などの恐れが少なく「逮捕の必要はない」と判断したとみられている[38]。
一連の収賄がおこなわれていた最中の2019年1月、農林水産省は日本国政府の意見として、国際獣疫事務局(OIE)が策定中だった鶏の飼育環境改善案に対する18ページにわたる反対コメントを提出した[42]が、その後、みずから組織した検証委員会で「政策が歪められた事実は認められなかった」と結論づけた[43]。
2月25日、農林水産省は、吉川と秋田が同席する会食に参加していた農水省幹部6人について、枝元真徹次官ら3人を減給10分の1(1か月)、2人を戒告の懲戒処分とし、1人を訓告とした。飲食費を秋田側が負担していた[44]。
10月6日、秋田に贈賄罪などで執行猶予付きの有罪判決が言い渡された[45]。なお、吉川は「政治献金の趣旨だと受け止めていた」と無罪を主張していた[46]。
2022年5月26日、吉川に懲役2年6月・執行猶予4年、追徴金500万円の有罪判決が言い渡された[11]。
6月8日夜、吉川は弁護士を通じてコメントを出し、「事実と異なる内容を認定した判決には大いに不満が残る」「体調も芳しくなく、これ以上、関係者の皆様にご心配やご迷惑をおかけすることはできない。こうした事情に 鑑み、控訴を断念する」と表明した[12]。検察側も期限の9日までに控訴しなかったため、10日に判決が確定した[13]。
父の昭市はビルメンテナンス・清掃会社の東洋実業の創業者で、鳩山一郎の友愛青年同志会の活動家だった[47]。息子が3人いる[3]。長男の隆雅は2011年より2023年まで北海道議会議員(北区選出)[48]。2023年の道議選では4選を目指したが、落選した。前回の得票よりも約1万1千票減らしており、北海道新聞は貴盛の汚職事件が影響したとの見方も出ていると報じている[49]。次男の統勝は農林水産大臣秘書官、三男は公設秘書を務めた[29]。
全て議員辞職により脱退。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 齋藤健 | 第63代:2018年 - 2019年 | 次代 江藤拓 |
| 先代 江藤拓 加治屋義人 | 江藤拓と共同 2013年 - 2014年 | 次代 阿部俊子 小泉昭男 |
| 先代 新藤義孝 中野正志 | 高市早苗と共同 2008年 - 2009年 | 次代 増子輝彦 松下忠洋 |
| 先代 太田豊秋 | 1997年 - 1998年 | 次代 石崎岳 |
| 議会 | ||
| 先代 阿久津幸彦 | 2012年 - 2013年 | 次代 山本幸三 |
| 農林大臣 | |
|---|---|
| 農林水産大臣 | |
| 第41回 (定数9) |
| ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第42回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第43回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第44回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第45回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第46回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第47回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第48回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第49回 (定数8) |
| ||||||||||
| 第50回 (定数8) |
| ||||||||||
| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||
この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 |