吉岡 秀隆(よしおか ひでたか、1970年〈昭和45年〉8月12日 - )は、日本の俳優・ミュージシャン・ナレーター。埼玉県蕨市出身。所属事務所はOffice Bow!。
経歴
4歳の頃、人見知りを治す目的で両親の勧めで劇団若草に入団し、5歳の頃にテレビ時代劇『大江戸捜査網』で子役としてデビュー[1]。当時、吉岡 ひでたかの芸名で、子供向けの歌をいくつか吹き込んでいる。1976年に「山口さんちのツトム君」人気[注 1]を受けて制作されたアルバム『ユミちゃんの引越し・山口さんちのツトム君 みなみらんぼうのこどものうた』[注 2]の中で「山口さんちのツトム君」を歌っている[注 3]。
1977年、野村芳太郎監督の『八つ墓村』で主人公・寺田辰弥の少年時代役を演じ、映画初出演。1980年公開の『遙かなる山の呼び声』の武志役のオーディションにて監督の山田洋次に見出された。これにより翌1981年公開の『男はつらいよ』シリーズ第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』から第50作まで寅次郎の甥・諏訪満男役でレギュラー出演し[2]、代表作となる。『男はつらいよ ぼくの伯父さん』以降は、主演の渥美清が病気により派手な演技が難しくなったことに伴い、吉岡の登場シーンが増えたことから事実上の主役となった。
1981年より2002年まで、『北の国から』に黒板純役でレギュラー出演し、妹・黒板螢役の中嶋朋子と共に名子役と云われ、こちらも代表作になった。
2003年、『Dr.コトー診療所』に主演して高視聴率を獲得。また、2005年からの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでも主演を務め、日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞するなど高い評価を得た。
山田洋次監督作品への出演が多く常連である。黒澤明作品にも多く起用されている。
1994年に主演した、映画『ラストソング』では同名の劇中歌を作詞作曲。47万枚を売り上げるヒットとなり、オリコンでも最高7位を記録した。
体の線が細く繊細な演技が持ち味で、若い頃は思い悩む等身大の青年役を多く演じてきたが、近年は一見頼りなく見えるが博識で、冷静に人をなだめる役を演じることが多い。
私生活
2002年12月『北の国から2002遺言』で共演した女優の内田有紀と結婚。倉本聰がプロデュース『北の国から』の舞台・富良野市での挙式が話題になったが、2005年12月21日に離婚。内田との間に子どもはいなかった。
人物・交友関係
両親と3人姉弟(姉が2人)の末っ子として育つ。当時父は東宝舞台の大道具、母は舞台衣装のデザインを担当していた[1]。自由の森学園高校を経て、亜細亜大学中退。伯母(母の姉)は宝塚歌劇団女優の中澤澄恵。
人前で喋るのは苦手であるとして、TVのバラエティ番組やトーク番組にはめったに出演しないが、たまに出演するラジオ番組では、黒澤明監督との思い出話からバイクでの失敗談、スタジオジブリアニメが好きでロケ先にまでDVDを持って行った話まで、比較的プライベートな話題も語っている。
交友関係
- 尾崎豊の数少ない友人の1人であり、「オレのことを兄と思ってくれていいよ」と本人から言われるほどの仲だった。飲んでケンカして朝方のゴミ捨て場によく尾崎を捨てていたという[3]。今でも尾崎にもらったネックレスをプライベートでは常につけている。
- 『男はつらいよ』での共演者たちを慕っている。倍賞千恵子とは今でもつきあいが深く、特技のマッサージをよく頼まれるという。また、『ALWAYS 三丁目の夕日』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲った際の受賞コメントで、「撮影現場に行きたくないなと思うとき、必ず僕の胸に笑顔で現われてくれる天国にいる渥美清さんにお礼を言いたいです。」と渥美清に感謝の言葉を述べている。
逸話
『男はつらいよ』
10代の頃は、映画『男はつらいよ』シリーズで演じていた諏訪満男という若者に内心ダサく感じていた[注 4]。
『男はつらいよ』では、寅さん役の渥美清やさくら役の倍賞千恵子とのシーンで吉岡が上手く芝居できない時は、彼らが助け舟を出してくれた。渥美の場合は、台本の台詞や喋る間をとっさに変えて「満男、お前今こういうことを言いたいんだろう?」と言って、本来吉岡が言うべきことを代わりに言ってくれたという[注 5]。
子役として初めて本シリーズに出演した際、渥美から「君はたぶん役者を一生やっていくよ」と予言された[注 6]。この予言は当たり、本人はその後も内心辞めよう辞めようと思いながらも役者を続けている[1]。
『北の国から』
本人曰く「僕は若い頃から生意気な所がある」とのこと。18歳の頃にドラマ『北の国から』で倉本聰からある回の脚本の感想を聞かれ、「つまんない」と答えたこともある[注 7]。
『北の国から』の演出家・杉田成道について「僕が子供の頃は大嫌いだった」と回想している[1]。当時の撮影現場では倉本など他のスタッフはOKを出すのに、杉田だけなかなか納得しなかった。何度もリテイクしたため撮影日が延び、学校の遠足も運動会も休む羽目になったのが嫌いだった理由である。しかし、反抗期を迎えた時に一番理解してくれたのが杉田だったことから、以後親しくなった[1]。
2012年6月29日、『北の国から』ほかで共演した地井武男が心不全で死去。8月6日に営まれた『お別れの会』に田中邦衛、中嶋朋子らと参列し、田中が参列者を代表して祭壇に向けて「お礼の言葉」を述べる際には、介添え役を務めている[4]。田中邦衛が死去した際には、「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントをした[5]。
黒澤明と『八月の狂詩曲』
大学に受かった時点[注 8]で役者を引退するつもりだったため、この頃(当時の)所属事務所を辞めている[1]。しかし、ほどなくして自宅に直接、黒澤明作品の『八月の狂詩曲』のオーディションの話が舞い込み[注 9]、面接を受けることになった[1]。
面接当日は他の参加者たちは皆スーツだったのに対し、本人はラフな格好[注 10]で参加した[1]。黒澤[注 11]から服装を注意されそうになったが、彼の隣に座る娘で衣裳デザイン担当の黒澤和子がフォローを入れたことで事なきを得た[注 12]。
また、面接には映画『優駿 ORACIÓN』で共演していたカメラマンの斎藤孝雄も同席しており、黒澤は彼に同作での吉岡の様子を尋ねた。斎藤が「いいですよ、彼は」と伝えると黒澤は「あっそー。分かった」と言うと、吉岡は何も質問されないままオーディションに合格した[注 13]。
黒澤組での『八月の狂詩曲』の撮影では、「一つの映画を皆で作る。役者もその一部である」と感じた。このことから自身の撮影を終えた後も、スタッフに混じって照明運びをするなど裏方の作業を手伝った[1]。また作中のアリが歩くシーンの撮影でスタッフたちが集まって相談していると、突然黒澤に呼ばれた。すると黒澤から「見てみろ。アリ一匹に大の大人がこんなに夢中になってんだぞ。映画作りって面白いだろう?」と言われた[注 14]。
『ゴジラ-1.0』
長い俳優のキャリアの中で、『ゴジラ』シリーズをはじめとする怪獣映画に自分が出演の話は一度もなかったことから「ゴジラだけは遠い存在」だと思っていたと語っている[6]。
そんな中でゴジラを倒すための作戦を考える「学者」という役柄のオファーを受けた際、役作りにゴジラの実物感をつかむために『西武園ゆうえんち』のゴジラ・ザ・ライドを体験してイメージを掴んだという。
山崎監督からは他のキャラクターと違いゴジラに対する好奇心のあるマッドサイエンティストの役柄と言われ、ゴジラに対して笑顔を見せるような表情や狂気じみた顔つきを求められたという[6]。また「男はつらいよ」で自分の祖父の役柄を演じた志村喬が初代作品で自分と同じ科学者的な立ち位置を演じたことから不思議な縁でつながっていると感じたという。
エピソード
- 高校生の頃にバイクの免許を取得しているが、これは『北の国から』で共演した岩城滉一の影響[注 15]。高校時代は、夜学に通う友達もいたためどうしても遊ぶ時間帯が夜になり、彼らとバイクで走るようになった[1]。楽曲には中卒を匂わせるような表記があるものの、前述の通り高校は卒業している。
- 映画『遥かなる山の呼び声』で共演した高倉健からは、「秀(ひで)」と呼ばれて以後気にかけられるようになり、たまに電話などを通して交流が続いた。1987年の『北の国から'87初恋』の放送日の夜、高倉から電話を通じてその演技を褒められた[注 16]。また、2002年9月に『北の国から』全シリーズが終了した際は、高倉から「秀、長い間よく頑張ったなぁ」と労われ、震えるほど嬉しかったという[1]。
- 映画『ラストソング』撮影の際、監督の杉田成道から「ギターを練習しろ」と言われた。練習した所、今度は「だったら曲を作れ」と言われ戸惑いながらも作った曲が、他の候補曲を退け主題歌、劇中歌として使われた。杉田は、「吉岡の歌がせつなくて心に響くいい歌なのを知っていたので、彼に作詞・作曲もしてもらいました」と語っている(「キネマ旬報」2005年11月下旬号より)。そこからシンガーソングライターの一歩を踏み出した。
- 映画『八月の狂詩曲』では、孫役の4人の中でただ一人鍵盤楽器を習ったことのない吉岡がオルガン演奏する役を担当。しかし、必死の練習の甲斐あって吹き替えなしでシューベルトの「野薔薇」を歌いながら弾くという場面を演じた。また『四日間の奇蹟』でも、監督の佐々部清の意向を受け、吹き替えなしのピアノ演奏シーンであった。ピアノソナタ第14番「月光」の第一楽章の半分以上を(楽譜を読むことを放棄して)丸暗記して演奏した。
- 映画『学校II』で養護学校の生徒を演じる際、中学時代の恩師に頼み三日間実際に養護学校に転入した。
- 『学校II』の撮影後、既に制作が決まっていた秋からの『男はつらいよ 寅次郎花遍路』の撮影に呼ばれると思っていたが旅行先のオーストラリアで渥美清の訃報を聞く。急遽帰国し、1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」に出席した。また、映画『虹をつかむ男』の劇中で『男はつらいよ』の映画を見るシーンの撮影中、渥美を思い出して感極まり、何度も泣いてしまいなかなかOKが出なかった。
- 映画『四日間の奇蹟』に出演した際には、ドラマ『北の国から』のイメージが強いことから原作で雪山のシーンだった部分を、映画では海辺に変更されている。監督曰く、雪山に吉岡がいると黒板純になってしまうからということらしいが、吉岡本人は「海辺ではコトーになってしまうと思う」と語っている。
- 第30回日本アカデミー賞、最優秀主演男優賞プレゼンター時、「日本映画のますますの発展と、そして、いつまでもいつまでも日本映画が人の心を照らし続ける光でありますように心よりお祈りいたします。」と日本映画への想いを述べている。
出演
※太字は主要キャラ。
テレビドラマ
配信ドラマ
映画
劇場アニメ
テレビアニメ
OVA
- 白い犬のジェイク(アスワン・エンタテインメント) - ナレーション
- 白い犬のジェイク しあわせって なあに?(2005年)
- 白い犬のジェイク ジェイク空へ!(2006年)
ラジオドラマ
- みどりの夏〜きっとあなたに(1989年11月23日、NSB)
テレビ番組
以下、特記のない限りナレーター
- 北の国から関連(フジテレビ)
- 北の国から あれから15年(1996年、蛍役 中島朋子と対談)
- 北の国から 記憶(2002年、総集編)
- ドキュメンタリー“北の国から”(2002年9月9日、「2002遺言」の舞台裏を中心とする)
- 新日本探訪 シリーズ時を越えて3 帰郷19歳の夏〜雲仙普賢岳〜(1999年8月15日、NHK総合テレビ)
- にんげんドキュメント 負けたらあかん 〜定時制・西宮西高校ボクシング部〜(2000年8月3日、NHK総合テレビ)
- ハイビジョンスペシャル 煙はるかに 世界SL紀行 第3回「“前進号”1000キロを行く〜中国・内モンゴル自治区〜」(2001年8月31日、NHK総合)
- 地球エコ2008 水の星(2008年1月1日、NHK総合)
- あたたかい雪(2008年3月29日、東海テレビ)
- キレイのタネ(2008年10月9日 - 2010年3月27日、フジテレビ)
- 若き日の黒澤明(2009年3月22日、WOWOW)
- 民教協スペシャル「少年たちは戦場へ送られた」(2010年2月11日、信越放送) - 語り
- 母の絵日記(2010年5月9日、東海テレビ)
- Mi/Do/Ri 〜緑遊のすすめ〜(2010年9月12日、NHK-BS2)
- ひとりぼっちのニホンカワウソ(2013年12月14日、NHK総合)
- 季節の海"RAUSU"(2014年5月18日、北海道放送制作、TBS系列13局)
- 日本のVFXを変えた男 ヒットメーカー山崎貴の挑戦(2016年12月29日、NHK BS プレミアム)山崎貴と対談
- ETV特集「日本の原爆開発〜未公開書簡が明かす仁科芳雄の軌跡〜」(2021年8月7日、NHK Eテレ)[38]
- ETV特集「草の大地に生きる ―ある放牧酪農家の人生―」(2025年6月7日、NHK Eテレ)[39]
- BSスペシャル「原爆裁判 〜被爆者と弁護士たちの闘い〜」(2025年8月8日、NHK BS)[40]
ショートムービー
PV
- BUMP OF CHICKEN 「グッドラック」(2012年1月18日)
CM
- たくぎん(1991年 - 1993年)
- 「夢」篇
- 「宝物」篇
- 「手紙」篇
- 「ときめき」篇
- 「海辺」篇
- 「カウンター」篇
- 「花火」篇
- 「列車」篇
- NTT(1996年 - 1997年)
- 「つながってること」男篇
- 「つながってること2」男篇
- 「伝えたい気持ち」篇
- サントリー
- 「とっておき果実のお酒 シリーズ」(1996年 - 2001年)
- 「台湾 ライチの里」篇
- 「北海道産の夕張メロン酒」篇
- 「栃木産の女峰いちご酒」篇
- 「紀州産の南高梅酒」篇
- 「大分産の温州みかん酒」篇
- 「フロリダ産のグレープフルーツ酒」篇
- 「山形産の洋なし酒」篇
- 「熊本とよのか苺の里」篇
- 「山形産のさくらんぼ酒」「熊本産のすいか酒」篇
- 「青森産の青りんご酒」篇
- 「カリフォルニア・ネーブルオレンジの旅」篇
- 「福島豊水梨の里」篇
- 「カナダ・カシスの国」篇
- 「女峰苺酒 春 2商品」篇
- 「アシカ2品」篇
- 鏡月グリーン
- モルツ(2007年 - )
- 「いい町を感じた」篇(2007年4月6日 - )
- 「引越した 」篇 (2007年4月15日 - )
- 「やっと飲めた」篇 (2007年5月1日 - )
- 「手伝った」篇(2007年7月1日 - )
- ボス「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ 」
- ウーロン茶(ナレーション 2012年 - )
- SHARP エコロジーライフ宣伝キャンペーン(ナレーション 2004年2月29日 - 2008年)
- 「アクオスと猫」篇
- 「サンビスタと猫」篇
- 「なべピカさらピカと猫」篇
- 「消え~ると猫」篇
- 「サンビスタとカモメ」篇
- 「なべピカをプレゼント」篇
- 「サンビスタと夢」篇
- 「アクオス 亀山工場」篇
- 「アクオス 大画面でも省エネ」篇
- 「エコロジークラス宣言」篇
- 「省エネ家電」篇
- 「太陽光発電」篇
- 「太陽ってすごい」篇
- NTT東日本(ナレーション 2005年 - 2007年)
- 「あたりまえを、もっと、ずっと」
- 「全國一律」篇(2005年12月12日 - )
- 「上京」篇(2005年12月12日 - )
- 「保守」篇(2006年1月1日 - )
- 「雨の日」篇(2006年2月1日 - )
- 「光で、安心を、もっと。」
- 「子供の安心」篇(2006年3月 - )
- 「実習生ユイの想い」篇(2006年3月25日 - )
- 「災害対策」篇(2006年9月8日 - )
- 「家政科学生ユイの想い」篇(2006年9月8日 - )
- 「光は、あなたへ。」
- 「光は、いつもそばに。」
- 「娘の一人暮らし」篇(2007年2月23日 - )
- 「一人暮らしのユイ」篇(2007年2月23日 - )
- 「みんなの光生活」篇(2007年2月23日 - )
- サンドラッグ 「誰かの陽だまりになろう。」篇(2007年6月1日 - 2008年5月)
- ヤマサ醤油株式会社
- 「昆布つゆ」(2007年 - )
- 「ぶりで こんぶツーユー」篇(2007年10月18日 - 12月)
- 「かぼちゃで こんぶツーユー」篇(2007年12月)
- 「冷たい麻生さん」篇(2008年5月21日 - 2008年7月10日)
- 「鍋奉行 麻生さん」篇(2008年10月17日 - )
- 「かぼちゃ会議」篇(2008年12月中旬 - )
- 「ブログ」篇(2009年5月15日 - 7月)
- 「はなれられない」篇(2009年10月7日 - )
- 「お品書き」篇(2010年6月7日 - )
- Microsoft Microsoft x ALWAYS 三丁目の夕日'64(2012年 - )
- ダイハツ「日本のどこかで」(2012年7月 - )
- 「故郷の島」篇
- 「妻の思い」篇
- 「実家の仕事」篇
- 「完成」篇
- NCN「耐震住宅100%」(ナレーション 2014年10月1日 - )
- JAバンク「農業 loves you」(ナレーション 2016年 - )
- 「ミニトマト」篇
- 「ゆず」篇
- 「エゴマ」篇
- 「べにふうき」篇
- 「きゅうりタウン」篇
- 「トマトの一生」篇
- dTV「ティザー篇」(ナレーション 2016年 - )
- LIXIL「リシェルプラット」
- 「キッチンで暮らしましょう。」(ナレーション 2016年 - )
- キリンビール「麒麟 発酵レモンサワー」(2022年3月 - )[41]
- 「移住夫婦篇」(2022年3月12日 - )
- 「乾杯の理由篇」(2022年3月21日 - )
- ACジャパン
- 「またお父さんと」(支援キャンペーン)(支援団体:あしなが育英会、ナレーション、2022年度)
ディスコグラフィー
シングル
アルバム
| 発売年月日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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| 吉岡ひでたか名義 |
|---|
| 1976年 | ビクター音楽産業 | LP | JBX-114 | ユミちゃんの引越し・山口さんちのツトム君 みなみらんぼうのこどものうた |
| 吉岡秀隆名義 |
|---|
| 1994年1月21日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-492 | ラストソング オリジナルサウンドトラック |
| 1994年5月20日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-568 | 分岐点 |
| 1996年3月21日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-896 | つづく |
| 2002年7月24日 | Jomon Records | CD | JR-1 | 裏 |
受賞歴
脚注
注釈
- ^同曲は各レコード会社による競作で、『みんなのうた』で放送された川橋啓史(NHK東京児童合唱団)版やフィリップスのシングル(レコード)斉藤こず恵(斉藤こずえ)版などで知られるヒット曲である。
- ^パパ役が田中星児、ママ役が小鳩くるみで、ツトム君役が吉岡。
- ^この吉岡版は、ビクターから発売される童謡集にときどき収録されている。
- ^本人は後年「バブルの頃、世間では東京タワーが一時ダサいと思われたように、当時『寅さん』シリーズにもそういう所があった。僕自身は思春期で、周りがお洒落している中、満男をダサく感じてしまって」とその理由を語っている。また『北の国から』の黒板純役についても同様に、10代の頃は少なからず抵抗があったという[1]。
- ^他にも本人は、「寅さんとさくらさんのお芝居を二人の間で観ているだけで、僕は満男として居られた。お二人のやり取りや佇まいは、お芝居を超えている感じがした」と述懐している[1]。
- ^具体的には、渥美清とは1980年の映画『遥かなる山の呼び声』で初共演し、翌年『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』で再共演となった。『恋の寅次郎』の撮影の合間に、渥美から「君はずっと役者やっていくの?」と聞かれたが、「嫌です」と正直に答えた。すると渥美は、「そうか。こんな所で死んでいくのは嫌か。可哀想に一生やっていくよ」と告げられたという[1]。
- ^その際倉本から「どこがつまんない?」と言われ、「つまらないものはつまらない!胸に響きません」と答えた。すると倉本は数日で全く違う脚本を書き上げてきたため、「やっぱり先生はすごいな」と思ったという[1]。
- ^役者としては、映画『男はつらいよ ぼくの伯父さん』やドラマ『北の国から '89帰郷』を撮り終えた頃でもあった。
- ^本人はそれまでに倉本聰や山田洋次から黒澤明の話は聞いていたため、少なからず興味は持っていた。オーディションの誘いに、本人以上に両親が興奮したという。
- ^ジーパンとシャツにネックレスとブレスレットという出で立ち。本人によると、実はその前の一次審査で同じような格好をしており、担当者から「面接ではそういう格好で来ないでくださいね」と言われていた。それにも関わらず、その言葉を忘れて面接に行ってしまったという。
- ^ちなみにこの時の黒澤について本人は、「率直に言うと、初めて会った時に“でかっ”と思いました。大きな白い岩みたいな存在感に圧倒され、僕の視界には監督だけ真っ白く浮き上がっているように見えました」と回想している。
- ^具体的には、和子は「パパ、今の子は普段皆こういう格好してるのよ」とフォローし、黒澤は「じゃあ、今までの参加者たちは何だったんだ?」と娘に尋ねた。すると和子は、「パパに会うためにちゃんとした格好をしなくちゃと思ったんじゃないの?」と言ってくれたという[1]。
- ^実際には上記のやり取りの後、黒澤から『八月の狂詩曲』の台本を渡された。吉岡は役の台詞を言うのかと思い「どこですか?」と聞こうとしたが、黒澤はそのまま部屋を出て行った。状況がつかめない吉岡は、「あれ?もしかしてこの役僕に決まったんですか?」と他の人に聞いてオーディションの合格を知った[1]。
- ^本人はそれまでの撮影現場でスタッフとあまり話すことはなかったが、このやり取りで心境に変化が起きた。これによりその後の『男はつらいよ』シリーズの現場などでは、本番前でも気軽にスタッフと談笑できるようになったという[1]。
- ^小学生の頃に出演した『北の国から』の撮影中にぐずると、いつも岩城が「乗れ」と言って気分転換にバイクの後ろに乗せられ、カッコいいと思ったことがきっかけ[1]。
- ^実際には上記の放送日に友達とバイクで走って夜中に帰った所、母親の書き置きで高倉健から何度も電話があり、何時でもいいから連絡してほしいと告げられた。深夜1時を過ぎていたため恐る恐る電話したが、高倉はワンコールで電話に出た。高倉から「『北の国から'87初恋』の演技素晴らしかった。ただ、こんな時間まで男の付き合いもあるとは思うけれど、家族を心配させちゃいけないよ。とにかく一度、コーヒーでも飲もう」と言われ、恐縮して「はい」しか言えなかったとのこと[1]。
- ^戦時中に学徒出陣した伯父を出征後に亡くしている。生前の伯父は吉岡と似ており、過去に母から「(伯父を)思い出してしまうから(役であっても)軍服だけは着ないで」と言われたことから[1]。
- ^当初は2020年9月25日に公開が予定されていたが[28]、新型コロナウイルスの影響で延期となった[29]。
出典
関連項目
外部リンク
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