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古賀稔彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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古賀 稔彦
基本情報
ラテン文字Toshihiko Koga
原語表記こが としひこ
愛称平成の三四郎
国籍日本の旗日本
出生地福岡県の旗福岡県久留米市
生年月日 (1967-11-21)1967年11月21日
没年月日 (2021-03-24)2021年3月24日(53歳没)
身長169cm
体重71kg
選手情報
階級男子71kg級
所属環太平洋大学
段位九段
引退2000年
獲得メダル
日本の旗日本
柔道
オリンピック
1992 バルセロナ71kg級
1996 アトランタ78kg級
世界柔道選手権
1989 ベオグラード71kg級
1991 バルセロナ71kg級
1995 千葉78kg級
1987 エッセン71kg級
アジア大会
1990 北京71kg級
2022年1月7日現在
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古賀 稔彦(こが としひこ、1967年昭和42年〉11月21日 -2021年令和3年〉3月24日[1])は、日本柔道家(講道館九段[2])、医学者学位博士(医学)弘前大学2012年[3])。

古賀塾・元塾長。元環太平洋大学教授。元日本健康医療専門学校・校長。1988年ソウルオリンピック男子71kg級代表。1992年バルセロナオリンピックでは同階級で金メダルを獲得。1996年アトランタオリンピック男子78kg級でも銀メダルを獲得した。

佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)出身[1]

血液型はA型。身長169cm[4]。兄も柔道家の古賀元博古賀颯人は長男、古賀玄暉は二男。古賀ひよりは長女。

人物

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世田谷区立弦巻中学校世田谷学園高等学校日本体育大学卒業。日本体育大学助手、全日本柔道女子強化コーチ(2005年11月末退任)を経て、2007年から環太平洋大学体育学部体育学科教授兼女子柔道部総監督。2014年から全日本柔道連盟女子強化委員[5]。古賀塾塾長。弘前大学大学院医学研究科後期博士課程修了。学位は博士(医学)日本健康医療専門学校校長。

常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった[6]

来歴

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福岡県久留米市で生まれ、幼少期を佐賀県北茂安町で育った。柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道私塾講道学舎に入門する。世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校日本体育大学体育学部武道学科に進み、在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得。1988年ソウルオリンピックでオリンピック初出場するも3回戦で敗退した[4]1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本選手権で重量級の選手を次々と撃破して決勝に進出。決勝で当時最重量(95kg超級)の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、開始から7分過ぎに足車に仕留められ準優勝となった。1992年バルセロナオリンピックでは日本選手団の主将を務めた。オリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中に左膝を負傷し[7]、ひざの痛みに加え、運動できないことにより減量も思うようにならない困難を乗り越え、痛み止めの注射を6本打ちながら決勝でハンガリーのハイトシュ・ベルタランを破り金メダルを獲得した[4]TBSテレビは、年末のスポーツ名場面ベスト100の第2位に古賀の金メダルを選んでいる(1位は同じバルセロナオリンピックにおける女子100m平泳ぎにおける岩崎恭子の金メダルであった)。

1996年アトランタオリンピック選考会である選抜体重別選手権では準決勝で堀越英範に一本負けを喫したが、過去の実績から代表に選出された。アトランタオリンピックでは決勝まで進むと、フランスのジャメル・ブーラと対戦した。その決勝では序盤から反則を繰り返すブーラに警告が与えられ、ポイントで大きくリードしながら終盤に消極的となった古賀にも警告が与えられてポイントで並ばれると、旗判定の末に敗れることとなり銀メダルに終わった[4]

2000年に現役を引退[8]。その後、指導者になり、全日本女子柔道チーム強化コーチを務める。そのかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾。コーチとして2004年アテネオリンピックでは古賀の愛弟子である谷本歩実が金メダルを獲得、谷本が古賀に抱きついて喜ぶ場面が放映された。2005年8月、24時間テレビ 「愛は地球を救う」日テレ)の企画“百人掛け”を実施、72人で終了した(72勝0敗)。脱水による全身痙攣でドクターストップとなり、最後の相手は兄だった。2007年4月からは岡山県岡山市にある環太平洋大学柔道部の総監督に就任。2008年2月13日、明治時代に活躍した徳之島出身の徳三宝を称える歌「柔道一代 徳三宝」でCDデビューを果たした。2008年6月、東京都台東区浅草橋にある日本健康医療専門学校の校長に就任。同年、弘前大学大学院でスポーツ医学研究を始め、2012年3月に博士(医学)の学位を取得。2020年11月から2021年頃まで、園児から大学生まで幅広く柔道の指導をしていた。

2021年3月24日、がんのため神奈川県川崎市の自宅で死去した[1][9]。53歳没[1]。前年にがんの手術を行い、療養中であった[1]。戒名は「金剛院献柔稔制大居士」[10]。講道館は古賀の生前の功績に対して、死没前日の3月23日付で九段に昇段させた[2]。日本政府は歿日付で旭日小綬章を追贈した[11][12]。2022年7月31日、佐賀市のSAGAサンライズパークSAGAプラザ(総合体育館)柔道場前に銅像が完成[13]

主な戦績

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71kg級での戦績
78kg級での戦績
81kg級での戦績
体重無差別大会での戦績

受賞

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演じた俳優

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脚注

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  1. ^abcde“古賀稔彦さん死去 53歳 バルセロナ五輪柔道金「平成の三四郎」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2021年3月24日). オリジナルの2021年3月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210324054713/https://mainichi.jp/articles/20210324/k00/00m/050/100000c 2021年3月25日閲覧。 
  2. ^ab古賀さん通夜、別れ惜しむ 功績称え九段に - 産経ニュース 2021年3月29日
  3. ^古賀稔彦『[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000560023 The influences of a 3-month training program on muscular damage and neutrophil functions in male university freshman judoists大学新入学柔道選手における3カ月間のトレーニングが筋組織及び好中球機能に与える影響]』 弘前大学〈博士(医学) 甲第1799号〉、2013年。NAID 500000560023https://ci.nii.ac.jp/naid/500000560023 
  4. ^abcdBiography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at theWayback Machine.
  5. ^スポニチ2014年4月4日
  6. ^柔道金メダル 古賀稔彦さん通夜 「平成の三四郎」を悼む”. NHKニュース (2021年3月28日). 2021年5月28日閲覧。
  7. ^【復刻版 古賀稔彦の11日間】第1章 バルセロナ入り後の悲劇
  8. ^古賀稔彦さん死去53歳 一本背負い投げ/略歴”. 日刊スポーツ (2021年3月14日). 2024年8月13日閲覧。
  9. ^“古賀稔彦さん自宅で死去 死因はがん、事務所が発表 吉田秀彦氏、谷亮子氏ら追悼”. スポニチ (スポーツニッポン新聞社). (2021年3月24日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/03/24/kiji/20210324s00006000486000c.html 2021年3月24日閲覧。 
  10. ^古賀稔彦さん道着姿で棺、戒名に「剛、柔、制、金」 - 日刊スポーツ 2021年3月29日
  11. ^バルセロナ五輪金の古賀稔彦さんに旭日小綬章を贈ること決定 日刊スポーツ 2021年4月20日]
  12. ^『官報』第485号、令和3年5月6日
  13. ^五輪「金」の雄たけび再現 古賀稔彦氏の銅像完成 SAGAプラザ柔道場前(佐賀新聞 2022年8月1日)
  14. ^古賀稔彦さんの人生をドラマ化 古賀さん役は神保悟志、長女役は村上佳菜子 日刊スポーツ 2021年6月25日

関連項目

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関連書籍

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  • [1] マンガふるさとの偉人「古賀稔彦物語」 発行 佐賀県みやき町 2022年9月

外部リンク

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1964: 68kg、1972-1976: 63kg、1980-1992: 71kg、1996-: 73kg
1965年は68kg級、67~75年は70kg級、1979~1997年は71kg級、99年以後は73kg級
~1979年
1980年代
~90年代
2000年代
~10年代
1979~1997年は78kg級、99年以後は81kg級
1970年代
~90年代
2000年代
~10年代
JOCスポーツ賞最優秀賞
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

20: 中止 • 21:髙木美帆 • 22:橋本大輝 • 23:北口榛花 • 24:堀米雄斗

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回
第20回
第21回
第22回
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
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第37回
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  1. ^千栗八幡宮
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