| 千葉 景子 ちば けいこ | |
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| 生年月日 | (1948-05-11)1948年5月11日(77歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 中央大学法学部卒業 |
| 前職 | 弁護士(横浜弁護士会所属) |
| 所属政党 | (日本社会党→) (社会民主党→) (旧民主党→) (民主党(横路G)→) 民進党(赤松G) |
| 称号 | 法学士(中央大学・1971年) |
| 公式サイト | トマトクラブ(2008年3月2日時点のアーカイブ) |
| 内閣 | 鳩山由紀夫内閣 菅直人内閣 |
| 在任期間 | 2009年9月16日 -2010年9月17日 |
| 選挙区 | 神奈川県選挙区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1986年7月8日 - 2010年7月25日 |
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千葉 景子(ちば けいこ、1948年〈昭和23年〉5月11日 - )は、日本の政治家。
法務大臣(第82・83代)、参議院国会等の移転に関する特別委員長、同環境特別委員長、同決算委員長、参議院議員(4期)、日本社会党中央執行副委員長民主党総務委員長、同広報委員長、同副代表などを歴任[1]。旭日大綬章受章[2]。
神奈川県出身。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京学芸大学附属高等学校を経て、1971年(昭和46年)中央大学法学部を卒業。
1982年(昭和57年)、弁護士登録。横浜弁護士会に所属。弁護士時代の活動としては、有名な訴訟として厚木基地爆音訴訟、富士見産婦人科病院事件、宇都宮病院事件などがある。
弁護士活動を通じて日本社会党と関係が生まれ、所属していた弁護士事務所長からの薦めもあり、1986年(昭和61年)、第14回参議院議員通常選挙に日本婦人会議神奈川県本部の支援を受け[3]、社会党公認で神奈川県選挙区から立候補し初当選。
社会党副書記長、社会民主党副党首などを歴任。離党後も、「アムネスティ議員連盟」事務局長を務めた。

1997年(平成9年)1月に社民党を離党、民主党に入党する。社会党時代から続く神奈川県の自治労や連合の支持を引き続き受け、複数回当選を果たす。民主党・新緑風会副会長、党広報委員長を歴任。民主党の次の内閣では男女共同参画人権総務大臣、法務大臣を歴任し、2007年(平成19年)8月、党総務委員長に就任。
2004年10月4日、参議院本会議で代表質問に立ち、内閣総理大臣小泉純一郎の所信表明演説について「残念ながらわが国が置かれている状況への危機感を感じさせるご自身の言葉や説得力ある内容は微塵もなかった」と批判した[4]。
2009年(平成21年)9月16日発足の鳩山由紀夫内閣にて法務大臣に就任。女性の法曹資格者の法務大臣就任は初。奇しくも、前任の法務大臣である森英介は、高校時代の同級生であった[5]。「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属する議員が死刑執行命令を出す法務大臣に就任したことで、法と持論の間で死刑制度をどう考えていくか注目されていたが、同月29日に同議員連盟を外れる意向を示した[6]。また、法務大臣による検事総長への指揮権については「慎重にしなければならないが、検察の行き過ぎがあれば指揮権の発動は制度としては認められている」と述べ、歴代法務大臣より踏み込んだ考えを示した。
なお、千葉は第2次小泉改造内閣について、「今般の閣僚、党三役の顔ぶれを見る限り、民間人の登用はゼロ、女性閣僚もたった二人、大変失礼ではありますが、新鮮味のない顔ぶれでした」と批判していたが[7]、自身が法務大臣に起用された鳩山内閣も、民間人の登用がなく、女性閣僚が自身を含む二人(後に一人)という構成となった。また、自身が留任した菅直人内閣でも民間人の登用はなく、女性閣僚も自身を含んで二人に留まった(ただし、自身が大臣退任後の菅直人改造内閣では、女性閣僚こそ一人であったものの、民間人が民主党政権において初めて閣僚に登用された)。
また、内閣総理大臣臨時代理予定者5位に指定された(財務大臣藤井裕久が辞任した2010年1月から鳩山内閣が総辞職した6月までは4位)。内閣総理大臣臨時代理予定者に参議院議員が指定されるのは2000年の第1次森内閣の青木幹雄以来であり、自動的に1位か2位に指定される内閣官房長官以外では初めてであった。

2010年(平成22年)6月8日発足の菅直人内閣で法務大臣に再任。
同年7月11日に投開票が行われた第22回参議院議員通常選挙に現職の大臣として臨むが落選した。現職閣僚の落選は、2000年の第42回衆議院議員総選挙での第1次森内閣の玉沢徳一郎農相と深谷隆司通産相(いずれも当時)以来、10年ぶりだった[8]。首相の菅直人は民間人として引き続き閣僚に留めたことから、野党だった自民党や産経新聞から選挙で示された民意を無視しているとの批判も浴びた[9][10][11][12]。政治学者の高瀬淳一は、「民間人の閣僚起用は、政治家以外の『知恵』を生かすためだ。落選議員を大臣で“救済”するのは論外」と指摘している[13]。
内閣総理大臣臨時代理予定者に民間人が指定されるケースは、2000年6月から7月の深谷隆司以来2人目。落選後に開会された第175回国会において、民間人閣僚として予算委員会に出席した。現職閣僚として国政選挙で落選した政治家が離任しないまま閣僚として国会開会中の常任委員会に出席したのは初めてである。
落選から68日後の2010年9月17日に菅直人改造内閣発足に伴って退任し、選挙に落選して国会議員資格を失った民間人閣僚としては49日間在任した。国政選挙で落選した閣僚が職務を続けたそれまでの最長記録である第4次吉田内閣の林屋亀次郎(落選から27日後の退任、民間人閣僚として19日間在任)を大幅に更新した。
2010年7月24日に、2人の死刑囚に対する死刑執行を命令した。その後、7月28日に千葉の命令に基づいて死刑が執行された。民主党政権として初めて死刑執行命令だった。
その際、死刑執行に立ち会ったことを記者会見で明らかにする。なお、執行命令書に署名を行った24日の時点では、落選は確定していたが、まだ参院議員の任期中であった[14]。
法務大臣退任後に、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件が起きたことに関して、後任の法務大臣である柳田稔によって検察の在り方検討会議座長に選任された。
これに対し日本弁護士連合会は、座長の千葉は問題となった障害者団体向け割引郵便制度悪用事件の公判時の法務大臣であったため「第三者性が確保されるかどうかについて重大な懸念がある」との宇都宮健児会長名の声明を出した[15]。
かねてから死刑制度に批判的な立場であり、鳩山由紀夫内閣の法務大臣に就任する直前まで「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属・活動していた。法務大臣就任後の記者会見で、法務大臣の権限である死刑執行の承認許可を出すかと問われた際、「慎重に検討したい」として明言を避けたが、2010年2月24日の法務委員会にて「死刑制度がなくなることが好ましい」と死刑制度には強い反対の姿勢を表明した。
こうした姿勢に、在任中に13人の死刑囚の死刑執行を命令した元法務大臣の鳩山邦夫は「職務怠慢などという軽いものではなくて、違法状態の放置だ。法治国家の法務大臣としてありえない。憲法に照らし合わせても不適格だ。」「任命責任?菅さんも死刑反対なんでしょう」と批判した[19]。『産経新聞』も社説「主張」にて、「死刑執行の署名など法相としてなすべきことをしない人物が適任者とはいえない」と批判した[12]。
しかし、その後同議連を脱退。2010年7月28日には、民主党政権下では初の死刑執行となる死刑囚2人(熊谷男女4人殺傷事件及び宇都宮宝石店放火殺人事件における死刑囚)の刑執行、自ら死刑執行に立ち会った[20]。
かつて所属していた同議連は「死刑は国家による殺人行為」と強く抗議し、千葉との面会を求めたが拒否された。同議連の会長である亀井静香は「死刑をすべきではないという信念を持っていた(千葉)法相なので、考え方を変えるのなら、国民に説明しないと(いけない)」と主張の変遷を批判。社民党党首の福島瑞穂は、「政府内で大きな議論もなく、死刑が執行されたことは本当に残念だ。結局、自民党時代の政治と何も変わっていない」と、死刑制度に対する議論を行なっていないことに対する批判を展開させた[21]。
一方、当時野党だった自民党などは、議員在職中には死刑を執行せず、落選後の国民の支持を失った法相が死刑執行をしたことについて批判した[22]。ただし、執行署名は参議院議員としての任期満了日の前日の7月24日だったとされる[23]。
千葉は大臣の就任当初から「執行しませんと言って終われるのか、それでいいのか」と思っており、また執行しないことが刑場公開など他の課題を進めることへの妨げになると考え、批判は覚悟の上で決断した。2010年1月頃から執行に向けて準備を進め、執行当日は「形式的には厳粛な形だが、ああいう非人間的で無機質な死に方、命の絶たれ方には非常に違和感を覚えた」とされる。
なお、千葉はかつて杉浦正健が2005年に法務大臣に就任した際の「自分の信念として死刑執行命令書にサインしない」という発言を撤回したことについて「死刑制度に疑問をお持ちであれば、死刑制度廃止に向けた姿勢を貫くべきではなかったのでしょうか」と、国会で杉浦大臣の一貫性の欠如を批判していた[24](杉浦は法相在任中に死刑執行はしなかった)。
そして、2010年8月27日には、初めて死刑執行をしている東京拘置所の刑場の一部を報道機関に部分的に公開した[25]。公開を決断した理由の一つに裁判員裁判を挙げ「判決に関わる裁判員だけが悩むのではなく、国民的な議論が必要」と述べている。また、法務大臣として初めてとみられる死刑執行場面の立ち会いについては「執行についての明確な責任者、国家権力として少なくとも最終判断者が状況を知らないのは無責任であり違和感を覚えていた。そのため、執行を決断した場合には立ち会わねばならないと考えていた」ことを理由に挙げている[26]。このことは海外のメディアなどでも取り上げられた[27]。
2022年12月13日、BS-TBSの『報道1930』の電話インタビューに応じ「法務大臣が別に死刑執行をやるかやらないかという権限を与えられているわけではない」、「死刑執行の順番がどのように決まっているのかわからない」と回答した[28][29]。
2007年(平成19年)2月15日、参議院厚生労働委員会で、安倍首相が今国会の施政方針演説で「子供は国の宝」と述べたことについて、「子供は経済や年金のために生まれるのでない。子供は国のために生まれるという発想があるのではないか」と批判した。
日本の入管法5条4号は、日本への上陸拒否事由として「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」を掲げている。1987年(昭和62年)の大韓航空機爆破事件の実行犯の一人である金賢姫は、日本の偽造パスポートを使用・行使し、テロを実行・完遂している。そのため、日本の公文書偽造罪・旅券法違反に当たる他、韓国において死刑判決を受けており、この上陸拒否事由に該当する。しかも、日本国外に居たために、刑法の規定により公訴時効は停止したままである。
2010年(平成22年)7月20日、拉致被害者の田口八重子に関する情報を、北朝鮮の工作員であった金から聞き出すという名目で、金が来日する際に上陸の可否が問題となった。[要出典]千葉は入管法5条4号の例外を認める入管法5条の2を根拠に金の入国を認めたが有力な情報は得られてない[49]。
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|---|---|---|
| 先代 森英介 | 第82・83代:2009年 - 2010年 | 次代 柳田稔 |
| 議会 | ||
| 先代 大渕絹子 | 1996年 - 1997年 | 次代 渡辺四郎 |
| 先代 安永英雄 | 1989年 - 1990年 | 次代 及川一夫 |
| 名誉職 | ||
| 先代 中山千夏 | 最年少参議院議員 1986年7月 - 1989年7月 | 次代 喜岡淳 |
| 第1回 (定数4) |
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| ↓:途中辞職・失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最年少参議院議員 | |
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