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医学(いがく、英:medical science[1]、medicine[1])または医科学(いかがく、英:medical science[2])とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・予後・治療・予防・緩和する方法を開発する学問である[3]。主流の医学は生物医学または主流医学、西洋医学などと呼ばれる。現代の医学は、生物医学科学、生物医学研究、遺伝学、医療技術を応用して、医薬品や外科手術による診断・治療・予防をはじめ、心理療法、外部装具や牽引、医療機器、生物学的製剤(バイオロジクス)、電離放射線など、多岐にわたる療法を提供している。
医学は、病気の予防および治療によって健康を維持、および回復するために発展した様々な医療を包含する。
医学は歴史をふりかえると経験医療(経験的医療)として存在していた。他の各学問が成熟してゆく中で医学も独自性を持った学問として発展し、(西洋では)「人体の研究と疾病の治療・予防を研究する学問」とされた[4]。
近年では「人間を生理的・心理的かつ社会的に能動的ならしめ、できるかぎり快適な状態を保たせる研究」として機能や社会的な面についても見落とさないようにする立場に変わりつつある[4]。
「醫學」という言葉は、中国では明の政権が安定する15世紀頃から、よく用いられるようになり、「醫學○○」という書物が多数見られるようになった。
仏教圏において、「医」の象徴として薬師如来が知られていることからも判るように、「医」は元々は漢方等の「薬」を扱っていた者によって行われていた。古代中国においては、「医」は主に道士や法師等によって営まれ、宗教と密接に繋がっている。伝統中国医学は、単に「医」または「医方」と呼ばれており、勘と経験に頼る部分が非常に大きかったが、明時代になると、鍼灸だけでなく、漢方薬においても、中国の根本的な理論である陰陽五行思想や経絡理論など、理で固めるようになり、理論的・学問的な色彩が強くなった。それを強調するために、あえて「醫學」という言葉が用いられるようになったのである。
また医学を意味する英語 medicineは、ラテン語のmedicina(治癒の芸)に由来し、その語源はmedicus(医師)である。さらに遡ると、これは古代ラテン語の動詞medeor(治す、癒やす)に関連し、印欧祖語の語根med-やmedo-(計る、熟慮する、配分する、助言するなどの意味)に由来する。この語源的背景においては、医師とは「助言する者」「熟慮する者」といったニュアンスをもつ存在であり、治療行為と知的判断の結びつきが古くから認識されていたことを示している。
「医学(醫學)」という言葉は、明治時代にmedicineやMedizin(ドイツ語)などを翻訳する時に作られた造語(和製漢語)のひとつとする説もある。
医学の起源は先史時代にさかのぼり、その多くの時期においては技芸(アート)として、地域文化の宗教的・哲学的信念と結びついていた。例えば、「シャーマン」や「医術師」が草薬を用い、祈りを行って治癒を図る一方で、古代の哲学者であり医師でもある者が、体液説に基づき瀉血を行うこともあった。考古学的証拠によれば、当時の人類は骨折の整復や頭蓋穿孔などの処置も行っていた形跡がある。
古代文明においては、医学は宗教や呪術と密接に結びついていた。エジプトのパピルスの中に「現存する最古の医学書」と言われているものがあり、そこには外科的処置、薬草療法、魔術的儀式が併用されていた記録が残っている。一方で紀元前3世紀のエジプトにおいてすでに「外傷者に対しては、まず質問検査、機能試験、診断、治療」と記述されており、現代と変わらない診療手順を行ったことが明らかになっている[4]。メソポタミアでは、病気は神罰とみなされ、呪文や祈祷とともに治療が行われた。
インドの伝統医学はアーユルヴェーダと総称され、2世紀ごろに成立したチャラカ・サンヒターを皮切りに、『スシュルタ・サンヒター(英語版)』などの医書が編まれた[5]。
中国では独自の中国医学が発達し、前漢代に『黄帝内経』が編まれ、後漢末から三国時代にかけては張仲景によって傷寒論が著された。同時期に、さまざまな生薬について解説した本草書である『神農本草経』も成立している[6]。金・元の時代には劉完素、張子和、李東垣、朱丹渓といった大家が現れ、発汗や排出を旨とする前2者(劉張医学)と滋養強壮を旨とする後2者(李朱医学)の2つの流れとして中国医学に大きな影響を与えた[7]。
ギリシア神話にて医の神であるアスクレーピオスの像。左にシンボルの蛇。
手術ヨーロッパ世界においては、「医」の起源は古代ギリシアのヒポクラテスとされている。ヒポクラテスは紀元前5世紀頃、医学を宗教から切り離して観察と理性に基づく学問としての医学を確立し[8]、体液説を提唱した。その後古代ローマのガレノスがアリストテレスなどの自然学を踏まえ、それまでの医療知識をまとめ、古代医学を大成した[9]。
しかしこうした医学書の多くはギリシア語で書かれていたため、ローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではその知識の多くが失われ、断片的なものが残るに過ぎなくなっていた。一方、医学知識はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され、8世紀以降アッバース朝統治下においてヒポクラテスやガレノスをはじめとする医学文献がアラビア語に翻訳された[10]。イスラム世界においてもガレノスは医学の権威とされ、その理論を基礎とするイスラム医学が発達した[11]。11世紀初頭にはイブン・スィーナーが「医学典範」を著わしたように、この時期イスラム世界では百科全書的医学書が多く編まれ、理論と実践を統合した体系的な医書としてイスラムおよびヨーロッパ世界に大きな影響を与えた[12]。
これらのアラビア語文献は、12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモやカスティーリャ王国のトレドといった、イスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになった[13]。これによってヒポクラテスや、特にガレノスの著作が西欧に再導入され権威とされたほか、イブン・スィーナーなどの新たな文献も流入した[14]。こうして成立したイスラム医学はアラビア語およびペルシア語でイオニア、つまりギリシアのことを指すユナニ医学と呼ばれるようになり、現代でも伝統医学として用いられている[15]。
同時期のヨーロッパでは修道院が病院として機能し、看護や慈善活動が行われた。10世紀後半には南イタリアのサレルノにサレルノ医学校(英語版)が開設され、13世紀半ばごろまでヨーロッパ医学教育の中心となっていた[16]。12世紀以降ヨーロッパでは大学の建設が盛んとなるが、医学は法学・神学とともに3つの専門課程のうちの一つとして扱われ、医師養成が行われた[17]。ヨーロッパ中世においては、内科学のみが医学とされ、外科学の地位は低かった。外科医療は理容師(理容外科医とも言われた)によって施術され、外科手術や瀉血治療などが行われていた。
16世紀に入ると、解剖学や自然科学が進展し、それまでの伝統的医学を打ち破る新たな流れが生まれ始めた。解剖学ではアンドレアス・ヴェサリウスが1543年に『ファブリカ』(人体の構造)を著わしてガレノスの誤りを修正し[18]、ウイリアム・ハーベーは1628年に血液循環を発表した[19]。また、パラケルススは医学への化学の導入を試み医化学を確立した[20]。16世紀後半にはアンブロワーズ・パレが外科治療の変革を行い、外科学の地位を大きく向上させた[21]。このころの大学の医学教育では、医学理論、医学実地、解剖学・外科学、植物学・薬剤学の4つの教科が教授されていた[22]。またこのころの西洋医学は西洋伝統医学と呼ばれ、経験的医療と推論的考察を柱とするもので、世界各地に伝わる伝統医学と本質的にほぼ同じものであったが[23]、一方で解剖学を中心とする科学的探究の伝統が根付いており、これが近代医学の母体となった[24]。
18世紀前半には、ヘルマン・ブールハーフェが近代的な臨床の方法論を確立した[25]。またこの時期、ジョバンニ・モルガーニが医学と解剖学を結びつけ、病理解剖の創始者となった[26]。1796年にはエドワード・ジェンナーが種痘を成功させた[27]。これらの発展を背景に、19世紀に入ると大学において基礎医学の諸教科が誕生し、科学に立脚した現在の近代医学が成立することとなった[28]。
19世紀後半には、ロベルト・コッホとルイ・パスツールによって細菌学が創始され、人工的な弱毒化によるワクチンの生産や多くの病原菌の発見が起き[29]、さらにこれに関連して衛生学も進歩を遂げたことで、感染症の理解と予防が進んだ[30]。1840年代には麻酔が実用化されて痛みのない手術が可能となり、さらにセンメルヴェイス・イグナーツやジョゼフ・リスターによって消毒法が確立・普及したことで手術の危険性が大幅に低下して、外科学は長足の進歩を遂げた[31]。
20世紀には、抗生物質(ペニシリン)の発見、ワクチンの開発、外科手術の進歩、医療画像技術(X線、CT、MRI)の導入などが医学を飛躍的に発展させた。21世紀に入ると、ゲノム医学、再生医療、AIやビッグデータを活用した精密医療などが注目を集めている。
日本の医学は中国から伝えられた漢方からはじまり[32]、701年の大宝律令には医師養成を定めた医疾令が含まれていた[33]。984年には現存する日本最古の医学書である『医心方』が丹波康頼によって著された[34]。戦国時代に入ると田代三喜が明から李東垣や朱丹渓の流れの医学を学んで帰国し名声を得た[35]。彼から医学を学んだ曲直瀬道三は処方集である「啓迪集」を著し、養子の曲直瀬玄朔とともに金・元・明時代の医書を典拠とする後世派の祖となった[36]。江戸時代に入ると名古屋玄医によって『傷寒論』など中国古代の医書に基づいた医療を唱える古方派が現れ、後藤艮山や山脇東洋などを輩出して後世派とともに日本漢方医学の二大潮流となった[37]。
日本では安土桃山時代にキリスト教の伝来に伴ってわずかに西洋医学の流入があったとされるが[38]、本格的な流入は江戸時代中期の1774年、オランダ語の解剖学書である『ターヘル・アナトミア』が杉田玄白や前野良沢らによって翻訳され、『解体新書』として出版されてからのことである[39]。解体新書の出版は日本の医学界に衝撃を与え、以後医学を中心に蘭学が隆盛するきっかけとなった[40]。また漢方医の中に蘭方を取り入れる動きも出始め、その一人である華岡青洲は1804年、記録上世界最初となる麻酔による乳癌手術に成功した[41]。1824年にはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎郊外の鳴滝塾で西洋医学の講義を行い、高野長英や伊東玄朴らの蘭方医を育成した。1849年にはオランダ商館医のオットー・ゴットリープ・モーニッケによって痘苗の取り寄せに成功し、日本で種痘が開始された[42]。
幕末には近代医学の流入が始まった。ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトは1857年から1862年にかけて長崎の医学伝習所で日本初の近代医学の講義を開始した[43]。幕末から明治初期にかけては日本各地に西洋式の病院が建設されるようになり、明治10年代には各地に医師養成のための公立医学校が設立され、1858年に設立された種痘所は幾度かの変遷を経て1869年(明治2年)に大学東校となり、のちに東京大学医学部となった[44]。
医学の実践は、多様な制度や機関を通じて組織化されてきた。現代社会において医療の提供は、病院、診療所、公衆衛生機関、研究所などによって担われている。
歴史的には、古代文明においても医療は制度化されていた。例えば、古代エジプトやメソポタミアでは神殿が治療の場を兼ねており、古代ギリシアのアスクレピオス神殿や、古代インドのアーユルヴェーダ施設、中国の医療体系などもその例である。中世ヨーロッパにおいては修道院が病人を収容し、慈善的役割を果たした。一方で、15世紀にはヨーロッパで世俗の病院の建設が盛んとなり、徐々に宗教に代わり非宗教的な病院が主流となっていった[45]。
近代以降、医療制度は国家的枠組みのもとで整備され、医学部や大学附属病院が医師の養成と研究の中心となった。さらに20世紀以降は、国民皆保険制度や公的医療保険の導入によって、医療へのアクセスが拡大した。
現代においては、医療機関は単なる診療の場にとどまらず、教育、研究、公衆衛生活動の拠点としても機能している。これらの制度は地域や国によって形態が異なり、自由診療主体のシステムから公的医療中心のシステムまで多様である。
世界各国には様々な医学がある[46]。
ギリシャ医学、ユナニ医学(イスラム医学)、中国医学、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)、チベット医学など、歴史が長い医学を、まとめて伝統医学と呼ぶことがある。また、西洋医学も19世紀に近代医学に脱皮するまでは経験的医療と推論的考察を柱とする点でこれらの伝統医学と質的にさほど異なるものではなく、18世紀までの古い西洋医学は西洋伝統医学とも呼ばれる[47]。なおこれらの伝統医学は各地で現在でも用いられており、現役の医学である。
なお、安全性や有効性が疑わしい治療法は偽医療と称される。
経絡図の一例現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当している[48]西洋医学とは異なる理論・治療体系をもつ医学である。「東洋医学」と言う以上、きちんとした論理の上に成立している[48]。そしてそれは、日本人が持つ生命観や自然観に近いものである[48]。
中国伝統医学は民間療法とは区別されている[48]。東洋医学は、民間療法とは異なった考え方に基づいて運用されている[48]。
一例として、生姜の使い方を見ると、どちらも風邪の時に使うことはあるものの、民間療法では風邪の時に何の考えもなしにそれを機械的に与えるのに対し、中国伝統医学では、寒気(さむけ)が強い時のみに使用され、反対に熱感が強い時には使用しないのである。なぜなら、中国伝統医学では、生姜は体を温める作用がある、と考えているからである[48]。
現在は中華人民共和国では中医学、朝鮮民主主義人民共和国では東医学、大韓民国では韓医学として実践されている。これらの伝統医学は、長い歴史を通じて各地で培われ、現在でも広く実践されている。
近年、伝統中国医学の本場であった中国では西洋医学の医師が増加中で現代西洋医学の利用される割合が増加しつつある。
反対にアメリカ合衆国やヨーロッパ諸国では西洋医学の様々な問題点が取り沙汰され、伝統医学などの代替医療のほうが高く評価され利用率が増えており、アメリカ合衆国では代替医療の利用率が西洋医学のそれを超えた。無保険者だけでなく、富裕層の利用も増えている[49][リンク切れ]。
日本では、西洋的な思考様式に基づく医学を「西洋医学」、伝統中国医学の思考様式に基づく医学を「東洋医学」と、大きく区分して呼ぶことが一般的である。現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当し[48][注 1]、中国大陸で生まれ発達し、日本にも伝えられた[48]。西洋医学が入ってくるまでは日本の主流医学であった[48]。江戸時代の日本に「オランダ医学」が入ってきた時に、それらの医学を呼び分ける必要が生じ、オランダの医学に対して、中国(漢)の医学という意味で「漢方医学」と呼ぶようなことも行われるようになった[48]という。明治政府の方針により西洋医学が主流の医学と位置づけられるようになり、東洋医学を行う医師も西洋医学を学ぶことになった。それ以来、日本では西洋医学の利用者数が多くなったが、現在でももっぱら東洋医学のほうを好み愛用する人々もおり、両者は並存してきた。
研究や教育のための知識体系としての医学は、次のように分類されている。大学医学部の組織においても、研究・教育のための人員の配置がこの分類に沿って行われる場合が多い。最近は、名称が多様化しているが、実質は、下記の分類とさほど変わりがない場合が多い。
人体の構造・機能、疾患とその原因など医学研究の根拠となる知見を得るための学問分野である。これらの科目は医学部、薬学部等医療系学部以外に一部の大学では理学部や理工学部等の生物学科でも開講している。
これらは臨床に直接携わるものではないが、現代医学の進展に不可欠である。
診断や治療などに直接関連する応用的な研究分野である。多岐にわたる専門領域が存在する。
- 臓器別分類
- 解剖学的分類
- ライフステージによる分類
- 手法による分類
- 疾病による分類
社会医学とは社会的な環境と健康について研究する医学領域。
医学に関連する分野には以下のようなものがある。
歯学 -薬学 -看護学 -心理学 -健康心理学 -臨床心理学 -生体機能代行装置学 -作業療法学 -理学療法学 -性科学 -抗老化医学 -熱帯医学 -医用生体工学 -医療機器 -医学教育 -医学史(医史学)-生命倫理学 -医療人類学 -病跡学 -医療社会学 -医療経済学 -宇宙医学 -臨床情報工学 -柔道整復学
医学は専門性の高い学問であり、医師の養成には長期にわたる教育と訓練が必要とされる。現代において医師となるには、通常、大学の医学部またはそれに相当する教育機関に入学し、基礎医学および臨床医学の教育課程を修了する必要がある。その後、臨床実習(臨床研修)を経て、国家試験などの資格試験に合格することで、法的に医師として認可される。
医学教育は国や地域によって制度が異なるが、一般的には学士課程・修士課程レベルの前期教育と、卒後教育に分かれる。卒後教育にはインターンシップ、レジデンシー(専門研修)、およびフェローシップ(さらに専門的な訓練)が含まれる。
医療の実践は、多くの国において厳格に法的規制を受けている。資格のない者が医行為を行うことは違法とされ、医師免許を持たない者による治療行為は処罰の対象となる。
また、医師の職務は医療倫理と職業規範に基づいて行われる。これにはヒポクラテスの誓いや現代版の倫理綱領が含まれ、患者の権利尊重、守秘義務、無害性原則などが強調される。
医療倫理は、医療の実践に伴う道徳的原則や行動規範を体系化したものであり、医学における重要な柱の一つである。古代ギリシアのヒポクラテスの誓いにその起源を持ち、長い歴史の中で発展してきた。
現代医療倫理は、しばしば以下の四原則に集約される。すなわち、
1.自律尊重 – 患者が自らの医療に関して意思決定を行う権利を尊重すること。
2.善行 – 患者にとって利益となる行為を行うこと。
3.無害 – 「まず害をなすな(プリムム・ノン・ノセレ(英語版))」の原則に基づき、患者に不必要な危害を与えないこと。
4.正義 – 医療資源や治療を公平に分配すること。
さらに、インフォームド・コンセント、守秘義務、臨床研究における倫理的配慮、終末期医療に関する判断なども現代医療倫理の中心的課題である。これらはしばしば、技術の進歩や社会的価値観の変化に応じて議論の対象となる。
医療倫理の問題は、単に医師と患者の関係にとどまらず、公衆衛生や医療政策、医療資源の配分など社会全体の文脈に広がっている。そのため、医療倫理は哲学、法学、社会学とも密接に結びついて発展している。
現代医療は、その質、効率、およびアクセス可能性において絶えず評価と改善が試みられている。
医療の質は、安全性、効果、患者中心性、適時性、効率性、公平性といった要素によって定義されることが多い。質の向上には、エビデンスに基づく医療(EBM)の導入、医療事故防止、臨床ガイドラインの策定と遵守が重要とされる。
効率性は、限られた医療資源を最大限に活用し、無駄を最小化することを目的とする。これは、医療費の抑制と患者アウトカムの改善を両立させるための中心的課題である。医療の効率を高めるために、医療情報システム(電子カルテ、遠隔医療)の普及や、予防医療への投資が進められている。
医療へのアクセスは、医療サービスを受ける機会の公平性を指す。地域格差、経済格差、社会的障壁は、医療アクセスを阻害する要因となるため、各国で国民皆保険制度、医療費補助、公衆衛生活動などが整備されてきた。特に低所得国では、基礎的医療サービスの提供が重要な国際的課題とされている。
遠隔医療とは、通信技術を用いて、地理的に離れた場所にいる患者と医療者が診断、治療、健康相談、モニタリングなどを行う医療形態である。
遠隔医療は、電話やビデオ通話を利用した診療、遠隔画像診断、遠隔モニタリング(心電図や血圧などの生体データの送信)、さらにはAIによる診断支援などを含む。これにより、医療資源が限られた地域、僻地、戦場、宇宙空間などにおいても医療提供が可能となる。
近年はインターネットとモバイル端末の普及により、遠隔医療が急速に拡大している。特にCOVID-19パンデミックの際には、感染リスクを回避する手段として遠隔診療の利用が世界的に増加した。
遠隔医療には、医療アクセスの改善、移動コスト削減、慢性疾患管理の効率化といった利点がある一方、プライバシー保護、診断の正確性、技術的インフラの不足、法規制などの課題も残されている。
アルフレッド・ノーベルの遺言で指定された5分野の一つで「生理学及び医学の分野で最も重要な発見を行なった」人に授与される。主な受賞者には、神経構造の研究とニューロン説提唱のS.ラモン・イ・カハール(1904年度)、ペニシリンを発見したA.フレミング(1945年度)、DNAの二重らせん構造を発見したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリック(1962年度)、日本人唯一の同賞受賞者利根川進(1987年度)等がいる[50]。
アルバート・ラスカー医学研究賞(ラスカー賞)
[編集]「アルバート・ラスカー医学研究賞」は、医学賞の中でも「ノーベル(生理学・医学)賞に最も近い賞」と言われる賞である[51][52]。医学で大きな貢献をした人に与えられる米国医学界最高の賞であり、ラスカー夫妻が1946年に創設した。アルバート・ラスカー基礎医学研究賞、ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞、メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞、ラスカー・コシュランド医学特別業績賞の4部門から構成される[52]。日本では、1982年に花房秀三郎が初受賞し、利根川進、山中伸弥の2名のノーベル生理学医学賞ほ受賞者もラスカー賞を受賞している。2014年9月には、森和俊(京都大教授)がラスカー基礎医学研究賞を受賞し、7人目の日本人ラスカー賞受賞者となった[52]。
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- ^ただし、中国において「東洋医学」と言うと、中国からみた東の国の医学、すなわち日本の医学のことを指すという[48]。
- ^ab『研究社 新和英中辞典』「医学」
- ^『ライフサイエンス辞書』「medical science」
- ^広辞苑「医学」
- ^abc『ブリタニカ百科事典』「医学」
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- ^「図説 医学の歴史」p14-21 坂井建雄 医学書院 2019年5月15日第1版第1刷
- ^「図説 医学の歴史」p155-156 坂井建雄 医学書院 2019年5月15日第1版第1刷
- ^「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p122-123 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
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- ^「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p184 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
- ^「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p197 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
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- ^「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p352-353 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
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- ^「図説 医学の歴史」p70-74 坂井建雄 医学書院 2019年5月15日第1版第1刷
- ^「医学の歴史」p154-155 梶田昭講談社 2003年9月10日第1刷
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- ^「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p13-14 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷
- ^「図説 医学の歴史」p105-106 坂井建雄 医学書院 2019年5月15日第1版第1刷
- ^「医療学総論」(新体系看護学全書 健康支援と社会保障制度1)p224-225 武田裕子・大滝純司編 メヂカルフレンド社 2020年12月21日第1版第1刷発行
- ^「医療学総論」(新体系看護学全書 健康支援と社会保障制度1)p225 武田裕子・大滝純司編 メヂカルフレンド社 2020年12月21日第1版第1刷発行
- ^「医療学総論」(新体系看護学全書 健康支援と社会保障制度1)p228 武田裕子・大滝純司編 メヂカルフレンド社 2020年12月21日第1版第1刷発行
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- 三浦於菟『東洋医学を知っていますか』新潮選書、1996
- アンドルー・ワイル『心身自在』角川文庫
- 『ブリタニカ百科事典』