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| 北川 正恭 きたがわ まさやす | |
|---|---|
| 生年月日 | (1944-11-11)1944年11月11日(81歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 早稲田大学商学部 |
| 現職 | 早稲田大学名誉教授 早稲田大学プロジェクト研究所顧問 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (新党みらい→) (新進党→) 無所属 |
| 称号 | 商学士 |
| 親族 | 父・北川正雄 |
| 公式サイト | 北川正恭オフィシャルウェブサイト |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1995年4月21日 -2003年4月20日 |
| 選挙区 | 三重県第1区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1983年12月19日 -1995年3月23日 |
| 選挙区 | 鈴鹿市選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1972年4月 -1983年11月 |
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北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年〈昭和19年〉11月11日 - )は、日本の政治家、政治学者。
三重県知事(第4代、2期)、衆議院議員(4期)、三重県議会議員(3期)を歴任。早稲田大学大学院公共経営研究科名誉教授、および早稲田大学マニフェスト研究所(プロジェクト研究所)顧問・前所長。富士通株式会社社外取締役。四日市大学客員教授。
1944年(昭和19年)11月11日、三重県鈴鹿市に生まれた[1]。三重県立神戸高等学校、早稲田大学商学部卒業[1]。学位は商学士(早稲田大学)。大日本印刷に勤務した[1]。
1972年(昭和47年)、補選で三重県議会議員に初当選し、連続3期務めた[1]。
1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選した。当選同期に、田中直紀、熊谷弘、二階俊博、野呂田芳成、額賀福志郎、衛藤征士郎、田中秀征、尾身幸次、町村信孝、伊吹文明、自見庄三郎、中川昭一、大島理森、野呂昭彦、鈴木宗男、甘利明などがいる。福田派→安倍派→三塚派に所属した。
自民党では、文部政務次官、党文教部会会長代理、党労働部会副部会長、衆議院政治改革調査特別委員会理事、党副幹事長などを歴任した[1]。
1994年(平成6年)の細川内閣総辞職を機に、同年4月15日、鹿野道彦らと共に自民党を離党して、新党みらいを結党。党幹事長に就任した[1]。その後、他の政党会派と合併した新進党に加わった。
衆議院議員任期中の1995年(平成7年)、同じ三重県出身の岡田克也に推され、同年4月9日執行の三重県知事選挙に立候補した(告示日の同年3月23日付で公職選挙法の規定により衆議院議員を退職(自動失職))。選挙では自民党公認候補を破って初当選を果たし、2期務めた。当初は新進党が支援母体であり、2期目は、自・社・公・民の4党による相乗りのオール与党体制であったが、公式には政党・団体の推薦・支持を得なかったため「無党派知事」といわれた。
2003年(平成15年)に長期政権は癒着が生じるとして不出馬を表明した。国政復帰も囁かれたが、政治の根本を変えるには若い政治家を育てる必要性があると説き、早稲田大学大学院公共経営研究科教授に就任した。2015年(平成27年)退任。
選挙における政党の政権公約としてのマニフェストを提唱し、日本に広めた。21世紀臨調共同代表。せんたく発起人代表。
テレビではTBS系『ブロードキャスター』(レギュラーとしては2004年秋から2008年秋まで)、『みのもんたの朝ズバッ! → 朝ズバッ!』(2010年春から2014年3月まで)にコメンテーターとして出演していた。
家族は妻と2男。次男は、サッカーJ2・ファジアーノ岡山代表取締役会長[2]の北川真也。
父は北川正雄(元三重県議会議長)[3]。伯父(母の兄)に久保田藤麿(元衆議院議員、元参議院議員)がいる[4]。
1995年(平成7年)に三重県知事選挙で当選した後、岩手県の増田寛也、宮城県の浅野史郎、高知県の橋本大二郎、鳥取県の片山善博らとともに「改革派知事」として注目された。その改革内容については賛否両論ある。
おもな業績を以下に記す。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 田川亮三 | 公選第14 - 15代:1995年 - 2003年 | 次代 野呂昭彦 |
| 第8回(1991年) | …じゃあ〜りませんかチャーリー浜 |
|---|---|
| 第9回(1992年) | 「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」きんさんぎんさん |
| 第10回(1993年) | |
| 第11回(1994年) | すったもんだがありました宮沢りえ / イチロー(効果)イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ安達祐実 |
| 第12回(1995年) | |
| 第13回(1996年) | |
| 第14回(1997年) | |
| 第15回(1998年) | |
| 第16回(1999年) | |
| 第17回(2000年) | |
| 第18回(2001年) | 「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」)小泉純一郎(内閣総理大臣) |
| 第19回(2002年) | |
| 第20回(2003年) | |
| 第21回(2004年) | チョー気持ちいい北島康介(競泳選手) |
| 第22回(2005年) | |
| 第23回(2006年) | |
| 第24回(2007年) | |
| 第25回(2008年) | |
| 第26回(2009年) | |
| 第27回(2010年) | |
| ※受賞者の役職は当時のもの。 | |
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