| きたかみし 北上市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
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| 国 | |||||
| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 岩手県 | ||||
| 市町村コード | 03206-9 | ||||
| 法人番号 | 4000020032069 | ||||
| 面積 | 437.55km2 | ||||
| 総人口 | 91,562人[編集] (推計人口、2025年11月1日) | ||||
| 人口密度 | 209人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 花巻市、奥州市、和賀郡西和賀町、胆沢郡金ケ崎町 | ||||
| 市の木 | さくら | ||||
| 市の花 | しらゆり(ヤマユリ) | ||||
| 市の鳥 | きせきれい | ||||
| 北上市役所 | |||||
| 市長 | 八重樫浩文 | ||||
| 所在地 | 〒024-8501 岩手県北上市芳町1番1号 北緯39度17分12秒東経141度06分48秒 / 北緯39.28675度 東経141.11322度 /39.28675; 141.11322座標:北緯39度17分12秒東経141度06分48秒 / 北緯39.28675度 東経141.11322度 /39.28675; 141.11322 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| 特記事項 | 市外局番:0197(市内全域) | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||

北上市(きたかみし)は、岩手県南西部にある市で、県南広域振興圏に位置する。東北有数の工業都市であり、隣接する双子都市である花巻市と共に北上都市圏(北上・花巻都市圏)を形成している。
人口約9万人(昼間人口は約10万人)を擁しており、県内では盛岡市、奥州市、一関市に次いで4番目に多く、北上都市圏としては約22万人の規模となり、盛岡都市圏の約48万人に次いで2番目に多い。
県内でも有数の人口維持地域であり、近年では北上駅周辺にマンションやホテル、オフィスビルが相次いで建設され、官民連携の大規模な再開発事業もあって都市景観も急速に進化している。そのため、県内でも教育機関や学生が比較的に多く見受けられ、市立大学構想(仮称:北上市立工科大学)も予定される等、岩手県南部における学園都市としての姿もある[1]。
多様な流通選択肢が得られる立地により、現在180社以上もの企業を誘致し、東北有数の流通・工業集積地(工業都市)にまで成長している。そのため、商業都市としての側面が強い県都・盛岡市とは対照的である。また、県内最大の工業都市であることや、TMさくら野、江釣子ショッピングセンター パル、アメリカンワールドといった地元主導による大型商業施設だけでも複数立地してる点、都市圏規模等を踏まえて“岩手第2の都市”という位置づけが強い。
江戸時代の北上市域は、北が盛岡藩領、南が仙台藩領と藩境の地であった為に町は無く、南部・伊達双方の交流が密で共生もしてきたので比較的開放的な土地柄であった。そのため、昭和30年代頃までは、城下町を起源として古くから発展してきた花巻市と水沢市(現・奥州市)の間にある典型的な農業地域であった。その後、比較的早い時期から工業振興を町づくりに掲げて企業誘致に取り組み始めた。東北自動車道・東北新幹線の整備に続き、秋田県横手盆地、そして秋田港へと繋がる秋田自動車道が開通すると、東北道と秋田道の結節点として、岩手・秋田2県にまたがる流通の重要拠点の地位を得た。
旧・北上市は、昭和の大合併のときに新設された市で、「北上」の名称は北上川や北上盆地にちなむ。現在の中心部を成す旧・黒沢尻町にちなみ、現在も黒沢尻と称することがある。また、平成の大合併に先駆けて、1991年(平成3年)4月1日、旧・北上市、旧・和賀町、旧・江釣子村の1市1町1村で対等(新設)合併がなされ、新・北上市となった。そのため、平成の大合併において北上市の事例は多くの市町村・合併協議会で手本とされ、比較検討の材料とされた。

岩手県の南西部にあり、北上盆地においては中央に位置する。県庁所在地の盛岡市へは約45km、仙台市へは約138km、秋田市へは約107km、東京には約490kmである。地勢は、中央部に北上盆地が広がり、東部が北上山系の丘陵地、西部には奥羽山系の山々が連なる。平野部の東端を南流する北上川と市の中央部を東流する和賀川が合流し、田園地帯を潤す。標高は、平野部で約50 - 200m、東部丘陵地で約200 - 400mである。
北日本の太平洋側の気候区に属しているが、奥羽山系と北上山系に挟まれているため内陸性の気候の特性でもある。降雪量も比較的多く、1月の平年値は123センチで、同月の盛岡市(63センチ)及び県南の一関市(57センチ)の約2倍である[2]。周辺の自治体と同様に豪雪地帯に指定されている。
冬は寒いが、北上のアメダスは市街地に設置されているために、冬の最低気温は周囲の花巻や江刺に比べるとかなり高い傾向となり、1月の平均最低気温は-4.2℃で、大船渡(-2.4℃)、釜石(-2.4℃)、宮古(-3.5℃)、一関(-3.6℃)、山田(-4.1℃)についで、種市(-4.2℃)と並び岩手県内の気象観測地点中では6番目に高い。また8月の平均最低気温は20.5℃と、一関(20.6℃)に次いで県内全地点で2番目に高い。
| 北上(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録°C (°F) | 13.4 (56.1) | 17.7 (63.9) | 21.7 (71.1) | 28.9 (84) | 33.5 (92.3) | 33.8 (92.8) | 37.1 (98.8) | 37.0 (98.6) | 35.8 (96.4) | 28.5 (83.3) | 22.4 (72.3) | 18.4 (65.1) | 37.1 (98.8) |
| 平均最高気温°C (°F) | 2.4 (36.3) | 3.6 (38.5) | 8.1 (46.6) | 15.0 (59) | 20.8 (69.4) | 24.3 (75.7) | 27.4 (81.3) | 28.9 (84) | 24.8 (76.6) | 18.5 (65.3) | 11.6 (52.9) | 4.9 (40.8) | 15.9 (60.6) |
| 日平均気温°C (°F) | −0.9 (30.4) | −0.1 (31.8) | 3.4 (38.1) | 9.4 (48.9) | 15.2 (59.4) | 19.3 (66.7) | 22.9 (73.2) | 24.1 (75.4) | 20.1 (68.2) | 13.6 (56.5) | 7.1 (44.8) | 1.5 (34.7) | 11.3 (52.3) |
| 平均最低気温°C (°F) | −4.2 (24.4) | −3.7 (25.3) | −0.8 (30.6) | 4.2 (39.6) | 10.3 (50.5) | 15.3 (59.5) | 19.4 (66.9) | 20.5 (68.9) | 16.2 (61.2) | 9.1 (48.4) | 2.9 (37.2) | −1.7 (28.9) | 7.3 (45.1) |
| 最低気温記録°C (°F) | −17.3 (0.9) | −17.4 (0.7) | −11.1 (12) | −5.4 (22.3) | −0.2 (31.6) | 6.2 (43.2) | 9.3 (48.7) | 11.8 (53.2) | 4.9 (40.8) | −1.0 (30.2) | −7.1 (19.2) | −15.0 (5) | −17.4 (0.7) |
| 降水量 mm (inch) | 72.7 (2.862) | 56.3 (2.217) | 87.7 (3.453) | 86.4 (3.402) | 112.1 (4.413) | 128.1 (5.043) | 196.7 (7.744) | 165.3 (6.508) | 156.1 (6.146) | 118.2 (4.654) | 91.7 (3.61) | 91.9 (3.618) | 1,357.8 (53.457) |
| 降雪量 cm (inch) | 123 (48.4) | 99 (39) | 42 (16.5) | 2 (0.8) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 3 (1.2) | 73 (28.7) | 340 (133.9) |
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 14.6 | 12.6 | 13.0 | 11.0 | 10.7 | 10.4 | 13.1 | 11.4 | 11.8 | 11.4 | 13.4 | 15.4 | 148.7 |
| 平均月間日照時間 | 90.1 | 100.5 | 141.4 | 172.0 | 183.6 | 149.2 | 128.8 | 147.5 | 121.3 | 131.4 | 108.2 | 84.9 | 1,562 |
| 出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
| 出典2:気象庁[3] | |||||||||||||
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.40%増の93,511人であり、増減率は県下33市町村中3位。
| 北上市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北上市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 北上市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
北上市(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||


この地は水の便に恵まれ、縄文の昔から大規模な集落が作られている。平安時代初頭、アテルイを倒した坂上田村麻呂により当地は中央政府の支配下となる。また現在の北上市稲瀬町(旧・江刺郡)に国見山極楽寺が築かれ、北東北最大の山岳仏教の拠点として栄える。その後、奥六郡の俘囚長である安倍氏の支配下となる。安倍氏は和賀郡に黒沢尻柵(別名・安倍館)を築き、前九年の役の戦場となった。安倍氏ののち奥州藤原氏の勢力下となる。初代清衡が陸奥特産の馬や砂金、漆などを京の都に運んだ道と伝わるあづま海道(清衡古道)や、三代秀衡が鷲ノ巣鉱山(西和賀町・土畑鉱山支山)から平泉まで金を運んだ街道と伝わる秀衡街道(奥州山道)などが残されている。
平泉・藤原氏滅亡後の370年間は、鎌倉御家人を祖とする和賀氏が支配することとなる。南北朝の争乱では和賀氏も一族相分かれて争い、南北朝の終わり頃に鎌倉公方から北朝方に属していた和賀一族の鬼柳氏に、和賀一族の惣領権と和賀郡一円の支配権を認める辞令を得て大名格となり、惣領職によって天正年間に至るまで統率されることとなった。
安土桃山時代の天正18年(1590年)、和賀氏は小田原の陣に参陣しなかったことで、豊臣秀吉による奥州仕置によって所領没収、城地追放の処分がなされたが、葛西氏、和賀氏ら在地領主は葛西大崎一揆、和賀・稗貫一揆を起こして対抗するものの、仕置軍の前に制圧され没落した。南部氏当主である南部信直は一揆平定に功を上げ、和賀郡と稗貫郡を与えられる。一方、一揆を扇動した疑いのある伊達政宗には、胆沢郡など葛西氏の旧領が与えられた。関ヶ原の戦いの際、伊達政宗は改易された和賀氏の一族和賀忠親を支援して、南部領花巻城を攻めさせた(岩崎一揆)。しかし、和賀・伊達連合軍はこの戦いに敗れ、戦後、和賀忠親は仙台領・陸奥国分寺で暗殺された。伊達政宗は一揆扇動の失敗により、徳川家康に“100万石のお墨付き”を反故にされている。
江戸時代には当市の南東部分にあたるかつての胆沢郡相去村、江刺郡福岡村の2村域および江刺郡稲瀬村の一部が伊達藩(仙台藩)、それら以外のかつての和賀郡域が南部藩(盛岡藩)の知行地だったため、北上盆地における両藩の藩境の地であり[5]、奥州街道の脇街道である松前道の通る要所であったため盛岡藩は鬼柳関所(現北上市鬼柳町町分)を、仙台藩は相去番所(現北上市相去町境)を設けて藩領の警備に当たった。
慶長9年(1604年)、中世以来の南北の幹線道路を新たに奥州街道として切替えて、渡河地点である和賀川北岸の盛岡藩領黒沢尻村の原野を切り開いて宿駅の機能を整備した。北上川舟運の発展にともなう河港の設置以降、本町には本陣、鬼柳通・黒沢尻通代官所などが置かれ、北上河岸には盛岡 - 石巻間の中継地として、御艜奉行所、黒沢尻御蔵、通船改御番所などの藩の施設が置かれた川岸集落が形成された。
当市の西部にあたる和賀町には中世以降断続的に稼行された水澤鉱山、綱取鉱山、和賀仙人鉱山等があり、これら鉱山のある地域に著しい発展をもたらした[6]。とくに水澤鉱山は元禄年間(1688年-1704年)に開山し盛岡藩の御手山(直山)として稼行され、近代以降古河鉱業株式会社のもとで近代化が図られて多量の銅産を誇り、昭和6年(1931年)の休山まで和賀地方有数の銅山として栄えた[6][7]。
明治23年(1890年)、日本鉄道(東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線)開通、黒沢尻駅開業により、北上川舟運は急速に哀微した。
明治時代の廃藩置県による盛岡県、江刺県、磐井県などの設置、廃止を経て岩手県の誕生した後、いくつかの合併や統廃合を経て、現在の北上市の前身である旧・北上市が誕生するのは1954年である。
| 所 属 郡 | 明治以前 | 明治初年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 町村制施行 | 明治22年 - 昭和24年 | 昭和25年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 和 賀 郡 [12] | 岩崎村 | 岩崎村 | 岩崎村 | 岩崎村 | 岩崎村 | 昭和30年4月1日 和賀村 | 昭和31年4月1日 町制和賀町 | 平成3年4月1日 北上市 | 北上市 | ||
| 岩崎新田 | 岩崎新田 | ||||||||||
| 煤孫村 | 煤孫村 | ||||||||||
| 山口村 | 山口村 | ||||||||||
| 藤根村 | 藤根村 | 藤根村 | 藤根村 | 藤根村 | |||||||
| 後藤村 | 後藤村 | ||||||||||
| 長沼村 | 長沼村 | ||||||||||
| 横川目村 | 横川目村 | 横川目村 | 横川目村 | 横川目村 | |||||||
| 竪川目村 | 竪川目村 | ||||||||||
| 上江釣子村 | 上江釣子村 | 江釣子村 | 江釣子村 | 江釣子村 | 江釣子村 | ||||||
| 下江釣子村 | 下江釣子村 | ||||||||||
| 滑田村 | 滑田村 | ||||||||||
| 新平村 | 新平村 | ||||||||||
| 鳩岡崎村 | 鳩岡崎村 | ||||||||||
| 北鬼柳村 | 北鬼柳村 | ||||||||||
| 黒沢尻村 | 黒沢尻村 | 黒沢尻町 | 黒沢尻町 | 黒沢尻町 | 昭和29年4月1日 北上市 | 北上市 | |||||
| 立花村 | 立花村 | 立花村 | 昭和24年4月1日 黒沢尻町に編入 | ||||||||
| 平沢村 | 平沢村 | 立花村 | 昭和29年1月1日 黒沢尻町に編入 | ||||||||
| 黒岩村 | 黒岩村 | ||||||||||
| 湯沢村 | 湯沢村 | ||||||||||
| 上鬼柳村 | 上鬼柳村 | 鬼柳村 | 鬼柳村 | 鬼柳村 | |||||||
| 下鬼柳村 | 下鬼柳村 | ||||||||||
| 更木村 | 更木村 | 更木村 | 更木村 | 更木村 | |||||||
| 臥牛村 | 臥牛村 | ||||||||||
| 二子村 | 二子村 | 二子村 | 二子村 | 二子村 | |||||||
| 飯豊村 | 飯豊村 | 飯豊村 | 飯豊村 | 飯豊村 | |||||||
| 藤沢村 | 藤沢村 | ||||||||||
| 村崎野村 | 村崎野村 | ||||||||||
| 成田村[13] | 成田村 | ||||||||||
| 胆 沢 郡 | 相去村[14] | 明治11年11月26日 所属変更 和賀郡相去村 | 相去村 | 明治29年3月29日 所属変更 胆沢郡相去村 | 相去村 | ||||||
| 江 刺 郡 | 上口内村 | 上口内村 | 福岡村 | 福岡村 | 福岡村 | ||||||
| 下口内村 | 下口内村 | ||||||||||
| 枛木田村 | 枛木田村 | ||||||||||
| 小池村 | 小池村 | ||||||||||
| 水押村 | 水押村 | ||||||||||
| 上門岡村 | 一部 | 明治8年10月17日 稲瀬村 | 稲瀬村 | 稲瀬村 | 稲瀬村 | 稲瀬村 | 昭和30年2月10日 江刺町 | 昭和30年7月10日 北上市に編入 | |||
| 下門岡村 | 一部 | ||||||||||
現在の法人格としての「北上市」は、1991年(平成3年)の新設合併によって誕生したものである。合併当時、北上市の人口は6万人程度に過ぎなかったが、和賀町(人口1万4,000)・江釣子村(人口9,000)との合併によって、当時県内では盛岡市に次ぐ人口規模となった。
この大合併の背景には、秋田自動車道の開通(1991年)がある。東北自動車道とのJCT(結節点)に位置する当地域では、交通の要衝としてのメリットを生かして「内陸部の中核都市」を形成しようという機運がにわかに高まり[15]、合併に至った。これに際して、住民説明会を延べ123回にわたって開催するなど、住民の盛り上がりによる自主的合併を心がけたとされる[15]。
この合併は、その後起こる平成の大合併に先立って行われた大規模な合併であったため、その後の大合併で、全国の多くの市町村がモデルケースと仰ぎ、注目を浴びた。合併による行政上の影響については当該項目(#大合併と行政)を参照。
| きたかみし 北上市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
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| 廃止日 | 1991年4月1日 | ||||
| 廃止理由 | 新設合併 北上市(旧)、和賀郡和賀町、江釣子村 → 北上市(新) | ||||
| 現在の自治体 | 北上市(新) | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 | |||||
| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 岩手県 | ||||
| 市町村コード | 03206-9 | ||||
| 隣接自治体 | 花巻市、江刺市、和賀郡東和町、和賀町、江釣子村、胆沢郡金ヶ崎町 | ||||
| 北上市役所 | |||||
| 所在地 | 〒024 岩手県岩手県北上市 | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
| テンプレートを表示 | |||||
※右記は合併前の旧・北上市のデータ。
| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 旧北上市長 | ||||
| 1 | 及川顕司 | 1954年(昭和29年)4月25日 | 1962年(昭和37年)4月18日 | 旧黒沢尻町長 |
| 2 | 八重樫長兵衛 | 1962年(昭和37年)4月19日 | 1966年(昭和41年)4月18日 | |
| 3 | 斎藤五郎 | 1966年(昭和41年)4月19日 | 1986年(昭和61年)4月18日 | |
| 4 | 高橋盛吉 | 1986年(昭和61年)4月19日 | 1991年(平成3年)3月31日 | |
| 北上市長 | ||||
| 1 | 高橋盛吉 | 1991年(平成3年)4月22日 | 1999年(平成11年)4月21日 | |
| 2 | 伊藤彬 | 1999年(平成11年)4月25日 | 2011年(平成23年)4月24日 | |
| 3 | 髙橋敏彦 | 2011年(平成23年)4月27日 | 2023年 (令和5年) 4月26日 | |
| 4 | 八重樫浩文 | 2023年(令和5年)4月27日 | 現職 | |
市役所は分庁体制を取り、旧北上市役所・旧和賀町役場・旧江釣子村役場をそれぞれ北上市役所本庁舎・和賀庁舎・江釣子庁舎として活用している。住民票・税証明交付、戸籍届出など、基本的な住民サービスは3庁舎どこでも受けることができる。
前述したように(→#累次の大合併)、当市は大規模な合併を経験している。その合併時、市庁舎を1箇所に集約せず、旧町村役場をそのまま活用する方式をとったため、市内各所に本庁機能が分散化している。その際、内部的な事務手続きの滞りを防止するため、庁舎間に光ファイバーネットを構築し、庁舎間での事務手続きを簡略化した。
また合併後しばらくの間、新規採用者を退職者の2分の1に抑制したことから、平成21年度末現在の人口1000人あたりの市職員数は6.12人(全国平均7.33人、岩手県平均8.26人)[16]となっている。
市町村の「憲章」はどこも似通ったものが多いが、北上市の市民憲章はユニークであり、文学性の高いものとなっている。
主な施設を掲載。
図書館
北上市立図書館は3館で構成される。図書館から離れた地域を対象に移動図書館を展開している。
交流センター
文化センター
運動施設
おもに北上市街地を南北に横断する国道4号(北上バイパス)と、東北自動車道北上江釣子インターチェンジから東側の国道107号沿いに大型商業施設やロードサイド店が集中している。また、JR東日本北上駅の西口周辺には複数の商店街が形成され、個人店や宿泊施設などが密集している。市街地中心部には、市内唯一のデパートである「さくら野百貨店 北上店」が立地する。
工業団地が多く、組み立て加工を中心に第二次産業が多い。製造品出荷額は約3,722億円で、岩手県内では隣接する金ケ崎町に次いで第2位(2015年・工業統計調査速報)である。近年は、金ケ崎町にあるトヨタ自動車東日本岩手工場の増産に伴い、関連する自動車産業が活性化する兆しが見えている。また、東芝子会社の東芝メモリ(現在のキオクシア)がNAND型フラッシュメモリの新工場を建設し、北上市の産業は自動車産業と半導体産業が大きな柱となっていくことが鮮明となった。
県立
私立
※以下は廃校(新制 北上市以降)
情報処理技能者養成施設
※以下は廃局
※以下は廃局

北上市域は古くから交通の要衝として栄えてきた地域である。現在市内を東北本線、国道4号が南北に貫き、北上線、国道107号が東西に走っている。さらに東北新幹線(1982年開業)、東北自動車道(1977年開通)や秋田自動車道(1997年開通)など高速交通体系が整備され、首都圏と2時間30分、日本海とは1時間30分で結ばれるなど「東北の十字路」である。



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