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勅使河原霞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勅使河原てしがはらかすみ
生誕1932年10月20日
日本の旗日本東京市
死没 (1980-08-06)1980年8月6日(47歳没)
日本の旗日本東京都
青山霊園
国籍日本の旗日本
教育白百合学園中等部
著名な実績華道絵画彫刻装幀
運動・動向草月流
公式サイトhttp://www.sogetsu.or.jp/
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勅使河原 霞(てしがはら かすみ、1932年10月20日 -1980年8月6日)は、華道家草月流二代目家元。

生涯

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勅使河原蒼風の長女として東京に生まれる。勅使河原宏の妹。白百合学園中等部卒業。1953年草月流師範として教室を開き、1957年草月会副会長。絵画や彫刻、装幀などでも活躍。

裏千家三男との縁談が進んでいたが、商社に勤める妻子持ちの武田陽信と恋愛関係となり1956年12月結婚。武田との結婚を機にいったん草月から離れたが、蒼風の強い希望により復帰[1][2]。武田とは後に離婚。以後、霞の代名詞ともなった数センチの極小いけばな「ミニアチュール」や、シャンソン歌手の石井好子のステージ装飾など多方面で活動し、1977年にはイギリス、ウェストミンスター大聖堂のステンドグラスに花をいけた。蒼風没後の1979年には家元を継ぐが、1980年に脳腫瘍のため千代田区三井記念病院で死去した[3]。享年47。墓所は父の蒼風や兄の宏と同じ青山霊園(1種ロ20号35側)にある。

何事にも完璧主義だが他人には人一倍気を遣い、持ち前の美貌もあって人望溢れる大変魅力的な人柄だったという。1966年には、日本画家の伊東深水が霞をモデルにした作品『菊を活ける勅使河原霞女史』(草月会蔵)を制作した。

草月流 家元継承年

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著書

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共著

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  • 『草月の家庭生花』勅使河原蒼風共著 主婦の友社 いけばな双書 1957
  • 『Ikebana with Roses』Norman Sparnon 主婦の友社 c1972
  • 『草月流』勅使河原蒼風共著小学館 オールカラーいけばな全書 1974

装幀

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など

関連書籍

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脚注

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  1. ^[1]早坂暁 華日記松岡正剛の千夜千冊
  2. ^『華日記: 昭和生け花戦国史』早坂暁勉誠出版, 2009, p216-
  3. ^日本人名大辞典

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