| 生誕 | 1932年10月20日 |
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| 死没 | (1980-08-06)1980年8月6日(47歳没) 青山霊園 |
| 国籍 | |
| 教育 | 白百合学園中等部 |
| 著名な実績 | 華道、絵画、彫刻、装幀 |
| 運動・動向 | 草月流 |
| 公式サイト | http://www.sogetsu.or.jp/ |
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勅使河原 霞(てしがはら かすみ、1932年10月20日 -1980年8月6日)は、華道家、草月流二代目家元。
勅使河原蒼風の長女として東京に生まれる。勅使河原宏の妹。白百合学園中等部卒業。1953年草月流師範として教室を開き、1957年草月会副会長。絵画や彫刻、装幀などでも活躍。
裏千家三男との縁談が進んでいたが、商社に勤める妻子持ちの武田陽信と恋愛関係となり1956年12月結婚。武田との結婚を機にいったん草月から離れたが、蒼風の強い希望により復帰[1][2]。武田とは後に離婚。以後、霞の代名詞ともなった数センチの極小いけばな「ミニアチュール」や、シャンソン歌手の石井好子のステージ装飾など多方面で活動し、1977年にはイギリス、ウェストミンスター大聖堂のステンドグラスに花をいけた。蒼風没後の1979年には家元を継ぐが、1980年に脳腫瘍のため千代田区の三井記念病院で死去した[3]。享年47。墓所は父の蒼風や兄の宏と同じ青山霊園(1種ロ20号35側)にある。
何事にも完璧主義だが他人には人一倍気を遣い、持ち前の美貌もあって人望溢れる大変魅力的な人柄だったという。1966年には、日本画家の伊東深水が霞をモデルにした作品『菊を活ける勅使河原霞女史』(草月会蔵)を制作した。
など